2019年8月25日 (日)

二人のアンネ

 先日、「アンネの日記」のオランダ語原書を読み終え=翻訳し終えたことに触れた。細かい検証はあとまわしにして、とりあえず、僕が読んだバージョン(この本は、入り組んだ事情から長短さまざまな複数のバージョンが存在する)にもっとも近いものを底本とした邦訳と思われる本、すなわち文春文庫の『アンネの日記 増補新訂版』(深町眞理子・訳)を通して読んでみている。

 おおむねは、自分も正しく読解できていたらしく思われる。読んでいると、「そうそう、こんな場面があった」「このあと、本棚を装ったドアの向こうに灯りが残っていて、それでみんなが気を揉むはずだ」「おまるがタプンタプンになっていて、中身が漏れていたはずだ」などと具体的に思い出せることからも、それはわかる。

 自力でどうにも読み解けなかった箇所も折々にあるが、たいていの場合それは、手持ちの辞書には必ずしも例示されていない慣用句の類が使われている部分であったり、アンネが皮肉で言っているのを文字通りに解釈してしまっている箇所であったりする(僕自身、訳文の間に、「字義どおり訳せばこうなるが、それでは意味が通らない」といったメモを挿入している)。

 ところでアンネは、日記中にちょくちょくドイツ語(不正確なものが多い)を差し挟んだり、一緒に隠れ住んでいる人が使うドイツ語訛りのオランダ語をそのまま書き取ってちゃかしたりしており、ドイツ語については読み方くらいしか押さえていなかった僕はだいぶ手こずらされたのだが、僕が「その感じ」を出すために訳文に加えた工夫とよく似た試みを深町氏もしているのを発見したりすると、おこがましくも勝手に同士愛のようなものを感じたりもする。

 たとえば、ドイツ語訛りをなかなか是正できないデュッセルさん(フランク一家、ファン・ダーン一家とともに隠れ家に潜伏するユダヤ人歯科医)の台詞をどう訳しているか。深町訳と拙訳とを並べてみよう。

・深町訳:「政治情勢はしゅこぶる良好、われわれがつかまることなんて、じぇーったいにありえない。わたしは、わたしは、わたしは……!」

・拙訳:「政治に関してはシュバラシクうまくいっている。私たちが捕まることはアリエノイ。私は、わた、私は……!」

 一応解説しておくとこれは、デュッセルさんが、「すばらしい」の意のオランダ語「アイトステーケント」を「オイトシュテーケント」、「ありえない」の意の「オンモーヘルック」を「ウンモーグリック」とドイツ語風に発音してしまっているという場面なのだが、この「ドイツ語っぽさ」をどう表現するかという一点においては、僕と深町氏はかなり近いところにいるものと思われるのだ。

 とはいえ、違いもある。深町氏訳と拙訳との比較という観点からいって最も注意を促されたのは、書き手であるアンネ・フランクの「キャラ」の違いである。

 もちろん、原文は同じなのだから、あるできごとが起きたとき、そこでアンネがどうふるまうか、何をどう思うかといった事実関係の部分には差が発生しようはずがない(発生しているとすれば、それはたぶん僕の読解に問題があるということ)。僕が言いたいのはそういうことではなく、結果として訳された文章を読んでいる間に感じられるアンネのキャラが、訳し方の違いによって驚くほど違っているということなのだ。

 原書を読んでいて僕が感じたアンネのキャラは、かんたんにいえば以下のようなものだ。すなわち、基本的に聡明で機知に富み、年齢にそぐわないおとなびた語彙もこともなげに駆使する一方、その分おしゃまで小生意気で、自意識が強く、少々鼻持ちならないところもある、中二病まっさかりの(日記を書いた時点で彼女はまさに中学生くらいの年齢だったのだから、それをもって「病」と称するのはいささか不当だとしても)、今ふうにいえば「こじらせ女子予備軍」と呼びたくなるような、ちょっとめんどくさい女の子、という像である。

 深町氏ももちろん、アンネのそういう特性については十分に理解された上で、しかるべく訳文をしたためておられるものとは思うのだが、結果としてアウトプットされたものとして、深町氏のアンネは、僕のアンネよりもずっと理知的で品行方正な感じがするのだ。ここで僕が何を言わんとしているのかは、実際の訳文を読み比べてもらわないことには正確に伝わらないとは思うのだが、今はそれを省かせていただく。

 もっともこれは、あくまで「受け止め方」の問題であり、どっちがよりすぐれているということではない。翻訳した時点での時代背景の違いもあれば、翻訳者の世代の違いもある(深町氏は僕の37歳も上、僕の父親と同年)。それでも、訳文を読み比べながら、「かくまで違うものか」と驚きつづけるはめになったという点については、ひとこと言っておかねばならないと思った。両アンネが同一人物であるとは、にわかには信じがたいのである。

 なんにせよ、今後はもっと精緻な水準で訳文の比較を行なっていくことになるが、言語オタクを自認する僕にとっては実に楽しい作業になりそうだ(好きでなければこんなめんどくさい作業はできまい)。

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2019年8月13日 (火)

酒飲みの成長を見守った店の最後に寄せて

 かつて、わが家へと向かって辿る道があった。かつて、故郷へと帰る道が。かわいい人よ、泣くのをやめて。子守唄を歌ってあげるから。

 かつて、池袋にあるバーがあった。その店については、拙著『プロトコル』の「あとがき」でも言及している。作中で、主人公・有村ちさとが、上司に連れられて行った店で高級バーボン「ブラントン」を知ることになるというくだりがあるのだが、僕自身がその酒の存在を知ったのは、まさにその店においてのことだったのだ。

 その店が、先だっての8月10日をもって閉店した。

 今から思えばまだ若造だった30代の前半から通いつめた店だ。池袋という、よくも悪くも猥雑な街にはあるまじき、孤高のたたずまいを超然と保持しているバーだった。「池袋にもこんな気のきいた店があるんだよ」と自信をもって人を連れていける数少ない店のひとつだった。

 店主のY氏は僕が作家であることも知っていて、店内にずっと僕の著作を陳列してくれていた。Y氏経由で読者に引きあわされたり、Y氏のもとに預けられた自著にサインを頼まれたりすることも数知れずあった。しかも、僕自身は自作の中で5本の指に入るほどの評価を与えていながら、一般的には悲しいほどまったく知られていない『3・15卒業闘争』を、非常に高く評価してくれてもいた。彼が旅行で訪れたマチュピチュの遺跡を背景に『3・15卒業闘争』を掲げてくれていた写真は忘れられない。

 僕はY氏を通じて、この店で実にいろいろな酒とめぐりあってきた。初期の頃は当時凝っていたさまざまなカクテルを、途中からは数々の、癖のある、あるいは曰く因縁つきのシングルモルトやスピリットの類を。

 閉店に際して、直前に挨拶を兼ねて顔を出すことはかろうじて果たせたのだが、最近は諸般の事情でなかなか訪れることもできずにいたことが心の底から悔やまれる。終わりというものは、いつも突然やってくる。Y氏はいずれまた別の場所で仕切りなおすとのことだが、その店と、池袋にあったこの店とは、同じものではない。池袋のあそこに、あの場所にあったこの店には、もう二度と足を運ぶことができないのだ。

 この店で過ごした幾多の夜のことが、脳裏を駆けめぐる。「こういう酒が飲みたい」という僕のリクエストに応じて、Y氏がこちらに背中を向けて、並みいるボトルの中からしかるべき1本を物色している姿。そうしてY氏の見立てで飲んだ酒の味が、翌朝フラッシュバックのように舌の根から蘇ってきたこと。いつしか僕も50代にさしかかり、体力的な全盛期はすでに過ぎてしまった感があるが、精力も好奇心も、アルコール耐性も最もさかんだった最良の時期を、僕はこの店とともに過ごしてきたのだ。

 その最良の時期に、そういうすばらしい店に、そしてそれを統べるY氏というすばらしい人物にめぐりあえた僥倖に心から感謝すると同時に、池袋という、どう工夫してもどこかが垢抜けない街で、そういう珠玉の店を探り当てることができた自分を、僕は誇りに思う。Yさん、今まで本当にありがとうございました。そしてこれからも、少し違った形ではあるとしても、この酔っ払いを末永くよろしくお願いいたします。

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2019年8月 9日 (金)

新聞に対する僕のこだわり

 世間で何が起きているのかを知るのに、僕は原則として新聞を利用している(僕の場合、それは朝日新聞である)。第一義的に、新聞を読むことでそれを得ているということだ。それは昔からのことだし、これだけネットメディアが浸透し、隆盛を誇っている今でもその点は変わらない。もう、むきになっているといっていいほど、新聞にこだわっている。

 紙の新聞を取ることは(あとの始末がたいへんなので)さすがにやめて、現在はデジタル版にしているのだが、それでも「紙面イメージ」で読んでおり、速報的に随時追加される記事はよっぽどのことがなければ見ていない。

 それはなぜかといえば、結局それがいちばん事実性に信頼が置け、なおかつバランスも取れていると感じるからだ。

 新聞など旧来型のマスメディアの権威が地に墜ちたことは十分に了解している。「マスゴミ」とか言いたがる人々の言い分も、わからないではない(その「マスゴミ」が「反日」に侵食されている、とかいう主張は別にして)。

 新聞によっては、一般市民の感覚と乖離した独善性や、取り澄ました上から目線が鼻につくということもあるだろうし、その日、どんな記事を特にフィーチャーするかという優先順位のつけ方も、恣意的だといってしまえばそれまでかもしれない。新聞の読者は、あらかじめ組みこまれたある特定の「視点」による検閲を受けた状態で報道に触れることになる。それはとりもなおさず、その新聞が抱えている「思想」によってものの見方を「組織」されることにつながるわけだ。

 しかしそんなのは、読み手側のリテラシーの問題ではないのか。なにもすべてを鵜呑みにする必要はないし、僕だって実際にすべてを鵜呑みにしているわけでもない。ときには、「ああ、この記事はいかにも朝日的だな」とやや引いた視線で失笑気味に見てしまうこともある。

 それでも、天下の朝日新聞なら、事実性の十分な確認も取らずに記事を垂れ流しにすることはまちがってもあるまい、という信頼だけは揺るがないのだ。

 もちろん、失敗がないわけではない。最近でもハンセン病訴訟に対する国側の控訴をめぐって少々勇み足な誤報をやらかしたし、それをいうなら従軍慰安婦問題をめぐって吉田証言を虚偽と認めざるをえなくなったといった大きな失点も過去にはあった(だからといって、「従軍慰安婦そのものが存在しなかった」とか、「存在していたとしても、そこに軍は関与していなかった」などと主張するのは、あまりにも根拠薄弱だと個人的には思うにしても)。

 しかし、そもそもまちがいをゼロにすることなど不可能に近いと思うし、たまにまちがいがあったからといって、朝日新聞そのものが信用できないという話にはまったくならないはずだ。大事なのは、可能なかぎり真摯に事実性を担保しようとする姿勢をそのメディアが保持しているかどうかであり、たとえば朝日新聞に関していうなら、その面においては十分な及第点に達していると僕は考えるのである。事実を報じているつもりで結果としてまちがってしまうことはときにあるとしても、最初から意図してフェイクニュースのようなものを流そうとするようなことは、まさかありえないだろうと。

 それに新聞というのは、政治、経済、国際、社会など、極力オールラウンドな方面から集めた情報を一元的にまとめたものだ。ひととおり目を通せば、「今、何が起きているのか」を、分野の別を取り払って均等に知ることができる。もしもその中に特に興味のある話題があれば、別途ネットなり雑誌なりで情報を補足すればいい。ここで肝腎なのは、あくまで「均等性」なのだ。均等に目に触れること。新聞のページをめくっていけば、いやでもその「均等性」にさらされざるをえない。そういうチャンネルがなにかひとつでもないと、興味のある分野の情報にしか触れなくなってしまいそうで、それが怖いのだ。

 速報性において劣るから新聞は読まない、という人もいるだろう。たしかに、新聞はある時点で堰き止めた情報を提示しているだけで、その後に起きたことについては、夕刊なり次の朝刊なりが出るまでフォローすることができない。しかし、「世の中で起きていること」を知るに際して、そういう意味でのリアルタイム性が、本当に必要なのだろうか。

 もしも僕が株のデイトレードかなにかをやっているなら、話は別だ。トランプ大統領のツイートひとつで、特定の軍需産業がらみの企業の、あるいはGAFAあたりの株価が大きく変動するかもしれない。夕刊を待っていたら、その値動きについていくことができないからだ。

 しかし、世の中のいったいどれだけの人が、そういう意味での情報の即時性に依存する生活を送っているというのか。それを知るのが翌朝になったからといって、いったい生活にどれだけの影響があると? 小泉進次郎衆院議員と滝川クリステルの結婚話をその晩の飲み会でただ一人知らなかったからといって、その後会社では誰も口をきいてくれなくなるとでも?

 だいたい、多くの人は通常、日中は仕事をしているのであって、四六時中最新の情報をネットでチェックするなんてことはそもそもできないし、するべきでもないだろうと思う(業務の一環としてそれが必要というケースでもないかぎり、そうしている人がいるとしたらそれは給料泥棒だ)。そこでどうしてそんなに即時性が問われるのか、僕には意味がわからないのだ。

 つらつらと書いてきたが、そんな僕に問題があるとすれば、逆にネットではほとんどいっさい情報を得ようとしないところなんだろうと思う。ネットというものにものすごい、拭いがたい不信感がある。なんで信用できないのかというのは説明しようと思えばあれこれと理由を挙げることもできるが、たぶんこれはそういう合理的な説明で解消できるような問題ではなく、単なる「嫌悪感」なんだろうということもわかっている。つまり、言いがかりに近い(だからあえて言わない)。

 しかしそんな態度では、この時代、誰ともわかりあえないんだろうなとも思っている。そういう人間がマスに向かってコンテンツを提供する側に回っているということが、笑うに笑えない根本的な矛盾なのだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

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2019年8月 1日 (木)

8月をめぐる不思議な暗合

 今日(8月1日)、「アンネ・フランクの日記」のオランダ語原著("Het Achterhuis")を読み終えた。それは同時に、全文の翻訳作業が終了したことも意味する。

 ことの起こりは、小説執筆上のある必要から、オランダ語を勉強しはじめたことにある。しかし容易に想像できるであろうように、日本国内のオランダ語学習人口というのはきわめて限られている。テキストの類も数えるほどしか刊行されていない。あらかたのものは購入して2度、3度と読んだものの、力がついているという実感からはほど遠かった。たとえば英語の文章を読む際に発揮される読解力に相当するものは、まるで身についていないといわざるをえなかったのだ。

 もっと、浴びるように大量のオランダ語の文章に触れることが必要なのだ(英語の読解力もそうして身につけたように)。そう考えた僕は、オランダ語で書かれた本をなにか1冊、通して読んでみようと思い立った。しかしそこにもハードルが立ちふさがる。「オランダ語で書かれた本」って、たとえばなんだ? オランダの作家なんて、とっさには一人も思いつけない。そのとき唯一頭に浮かんだのが、「アンネの日記」だったわけだ。

 ナチスの犠牲になったユダヤ人少女が潜伏中の住居内でひそかに書きつづった日記として、この本は非常に有名だ。そこからの連想で、アンネ・フランクがドイツ語を使っていたように思いちがいをしている人も少なくないようだが、彼女は強制収容所に連行されるまではアムステルダムに住んでおり、第一言語もオランダ語だったのだ(ドイツ語も使っていたようだが、それは両親などの第一言語がドイツ語だったから)。

 とはいえその有名な本を、白状すると僕はこれまで邦訳でも読んだことはなかったし、手元に邦訳書があるわけでもなかった。しかし、かえってそのほうがいいかもしれない。手元に「答え」があったら、ついついそれを逐一参照したくなってしまう。それをやっていると、本当に自力で原文を読み解けているのかどうかがあいまいになる。

 まずは自力で全編読んでみて、それから初めて「答え」と照らしあわせればいいのだ。しかし、照らしあわせるためには、自分がその部分をどう読んだかという軌跡を残しておかなければならない。いちばん確実なのは、逐一日本語に訳して、その訳文をすべて取っておくことだ。原文を読んでいるときの「ああ、何を言っているかだいたいわかった」という感覚は、意外とあてにならない。それをきちんと自分の言葉に、つまり日本語による文章に置き換えることができなければ(そしてそれを読んでみて日本語としてちゃんと意味が通じなければ)、真に読解できている証拠にはならないのだ。

 取り寄せた原書の分厚さにビビりながらも、とにかく頭から日本語に訳す作業を始めたのが去年の2月、それから手の空いたときに少しずつ、コツコツと作業を進め、約1年半で訳し終えたのが今日だったということだ。

 その作業を通じて、僕のオランダ語力がいかに向上したかあるいはしなかったかという話は、とりあえず措いておく(それを判断するためには、既存の邦訳との照らしあわせによる検証が別途必要になり、それだけでも膨大な時間と労力が必要とされるからだ。いずれにしても、僕のオランダ語学習は、もはや当初の目的から離れて完全に一人歩きしてしまっているわけだが)。

 それより今言いたいのは、読み終えた日付が「8月1日」になったことだ。

 「アンネの日記」は、1942年6月12日から約2年間にわたる記録であり、最後の日付は「1944年8月1日」になっている。巧んだわけでも、それを最初から目標にしていたわけでもない。まったくの偶然で、僕はこの本を同じ「8月1日」(ただし、75年という年月を差しはさんで)に読み終えることになったのだ。なにか運命のようなものを感じずにはいられない。

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2018年10月22日 (月)

「ワスチカ」ベトナム語版

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拙著『忘れないと誓ったぼくがいた』のベトナム語版の見本が届いた。これで本作は、韓国、台湾、タイに続いて4ヶ国(地域)で翻訳が刊行されたことになる。ほかに大陸の中国でも話が進んでいるはずだ。このベトナム語版と大陸中国語版は、2014年の映画化が機運となって出てきた話らしい。そういえば、YouTubeでベトナム語字幕のついたバージョンを見かけた記憶がある。

言語オタクを自認する僕だが、ベトナム語はさすがにまったくノーマークなので、一語も読むことができない。ためしにタイトル"Anh Từng Hứa Sẽ Không Quên"だけグーグル翻訳に入力して訳させてみたが、あまり信用のおける訳にはなっていなさそうだったので、あえて触れずにおく。

それはそうと、表紙の折り返し部分に著者のプロフィールと思われる文言があり、東京で生まれて、立教大学を卒業して、2004年に日本ファンタジーノベル大賞を受賞して……といった僕の経歴に当たる部分はおぼろげに読み解くことができたのだが、受賞作のタイトル、『ラス・マンチャス通信』に当たる部分が謎である。

"Last Manchester Tsusin"

とある。僕はベトナム語の知識はまったくないので、なにかベトナム語で外来語などを表記する際の特殊なルールが適用されたものなのかなと最初は思ったのだが、これはたぶん違う。原題を訳すにあたって、なんらかの誤解があったものと思われる。

『最後のマンチェスター通信』------それはそれでなんだか心惹かれる。そういうタイトルの本があるなら読んでみたい。「第2次大戦中、ドイツからの激しい空爆に晒されていた頃のイギリスを舞台にしたドラマティックな物語」のようなものがおのずとイメージとして浮かんでくる。

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2018年10月20日 (土)

「改題」について思うこと

前回の記事でアナウンスした幻冬舎文庫の『午前四時の殺意』について、さっそくAmazonレビューがついていた。めったにレビューがつかない僕の本にしてはめずらしいことなのだが、評価が★ひとつなので、精神衛生上読まないほうがいいかもしれないと思ってしばらく放置していた(単行本『バタフライ』のときもクソミソな評価をしている人がいたのを知っているだけに)。

しかしやはり気になるので読んでみたら、この人は単行本、すなわち『バタフライ』のときに購入して読んでくれていて、その改題だということがわからずに今回も買ってしまい、買ってからそれに気づいて、腹立ちまぎれに★ひとつのレビューを書いてしまったようだ。

だから言わんこっちゃない、と言わずにはいられない。そういう事態を恐れて、僕はtwitterでも注意を促すツイートをアップしておいたのだが、まあ僕のツイートなど読んでいる人はほとんどいないので(僕がtwitterをやっていることを知っている人自体が数えるほどしかいないだろう)、その程度では追いつかなかったということだ。

ちなみに「言わんこっちゃない」というのは、版元に対して言っていることだ。それも今回の幻冬舎だけではなくて、文庫化するにあたってとにかくタイトルを変えさえすれば、という態度で臨んでいる(ように見える)あらゆる版元に対してだ。

単行本が売れなかった場合、文庫化する際にタイトルを変えたくなる気持ちはよく理解できる。実際にそれで成功しているケースもある。たとえば僕の著作でいえば、『冥王星パーティ』→『あの日の僕らにさよなら』がそうだ。あれは単行本のときはまったく売れなかったのに、改題して文庫として出したら、10万部を超えるヒットになった。

でもそれも、タイトルを変えたことだけが勝因だったわけではないと思う(よくわからないが、タイミングとか出版社の売り方とか、単行本と文庫本というメディア形態の違いとか、いろいろな要因がからみあってそういう結果に結びついたのだろう)。それに少なくとも、文庫の背表紙に書かれた作品紹介文の末尾には、『冥王星パーティ』改題、と明記してあった。

今回は、文庫の巻末に『バタフライ』の改題である事実が小さく注記されてはいるが、背表紙の紹介文ではそのことに触れていない。ネット書店の説明文にも、それはない。まああらすじを注意深く読めば気づくかもしれないが、それに気づかずに買ってしまった読者を注意不足だといって咎めるのはお門違いというものだろう。

今回Amazonで★ひとつのレビューを書いた人は、少なくとも僕の本を何冊かは読んでくれていた人のようだ。『バタフライ』についての評価がどうであったかはわからないが、今回の★ひとつという評価が、作品それ自体に対する評価でないことは明白である。それは、「すでに読んでいる本をまた買わされてしまった」という事実に対する憤慨が呼び起こしたものだ。

それでまるで作品そのものがダメなものであるかのような色がついてしまうのは残念なことだが、この人が★ひとつにしたくなった気持ちもよく理解できるし、単行本で買ってくれた人(たとえそれが数としてはわずかであったとしても)に対する配慮が版元に足りなかったというのは、否定できない事実ではないのか。

2千部しか売れなかった、10万部売れた、100万部売れた、と部数にだけ着目していれば、それは「数」でしかない。しかし、数として多かろうが少なかろうが、それは分解すれば「人」なのだということを忘れてはならない。仮に2千部しか売れなくてもそれは、その本を買ってくれた人が2千人いるということなのだ。それぞれ名前も住んでいるところも違っていて、違う顔を持った、2千人の別の人がいるということなのだ。

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2018年10月11日 (木)

幻冬舎文庫『午前四時の殺意』発売

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2015年に単行本として刊行された『バタフライ』の文庫化である。タイトル変更は僕自身の意思によるものではなく、これで納得しているかというと正直そうは言えないのだが、そのへんは例によって大人の事情に左右されているのでいかんともしがたい。

それより何より、書評家の藤田香織さんが寄せてくださった「解説」がもうすばらしくて、ゲラで最初に読んだときには思わず落涙しそうになった。

単行本のときは、不用意に「バタフライ」という語をそのまま書名にしてしまったばかりに、勝手な期待を抱かれ、その期待に本書が応えていないという理由でずいぶんあれこれといわれなきケチをつけられたものだ。

いわゆる「バタフライ効果」を人間世界のできごとに置き換えて描いたものとしては、映画「バタフライ・エフェクト」のシリーズが有名だが、わざわざそう銘打ってはいなくても、似たような趣向を扱ったフィクション作品は枚挙にいとまがないだろう。つまり、だれかのささいな行動やふとした選択が、めぐりめぐって大きな結果に結びつく、というものだ。

それがさらに複雑な偶然の重なりあいを巻きこみながら途方もない事態に発展し、最期にはパズルのピースがカチッとはまるようにあざやかな終結に帰着する、といったタイプの小説もまま見られる。タイトルからして、僕の小説も「その手のやつ」と思わせてしまっていたのだろう。その「期待」を裏切ってしまっていたということだ。そこまで派手な展開など描かれていないから。

でも僕は、最初からそんなものを目指してこれを書いたわけではない。そういう小説なら、そういうのが得意な作家がすでにいくらでも書いている。僕が書きたかったのはあくまで、「ニュースなどで報道される事件を見て、あなたは人ごとだと思っているかもしれないが、実はあなた自身がなんらかの形で、その自覚もないままにその事件に関与し、原因の一端を担っているのかもしれないんだよ」ということだった。

藤田さんの解説は、そのキモを実に的確に捉えたものになっている。また、その怖さを描くにあたって、リアリティを醸すために、僕が登場人物たちの作りこみにこそ心血を注いだのだということもわかってくださっている。おまけに、執筆に先立って、僕が舞台となる土地におけるロケハンを周到に行なっていたことにまで気づいてくださっている。著者としてはもう、感謝のひとことしか出てこない。

藤田さんにはかつて、『株式会社ハピネス計画』の文庫版でも解説をお願いしているのだが、ご本人とは今もって面識がない。お会いしたこともないのに、どうしてこんなに僕の意図を正確に汲んでくださるのだろうかと感嘆することしきりである。この場を借りてお礼を申し上げたい。藤田さん、本当にありがとうございます。

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2017年12月20日 (水)

アンソロジー『耽美』(シリーズ紙礫)

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3月の『変態』にひきつづき、皓星社の叢書「紙礫」から今度は『耽美』というアンソロジー(シリーズ紙礫12)を刊行した。前回の「変態」ほどは収録作選定に悩まされなかったものの、それでも「いわゆる“耽美”ではつまらない」という欲が働き、結果としてはけっこう悩んだ挙句、そうとう恣意的なセレクトになってしまっていると思う。

収録作は以下のとおり。今回も、三島と犀星という大御所の間にさりげなくかつあつかましく僕自身の書き下ろし短編を忍ばせてある。

巻頭歌 与謝野晶子

『春』 岡本かの子

『麦藁帽子』 堀辰雄

『路傍』 川崎長太郎

『時雨の朝』 田村俊子

『竜潭譚』 泉鏡花

『春子』 三島由紀夫

『闇桜』 平山瑞穂

『陶古の女人』 室生犀星

『牡丹寺』 芝木好子

『春の華客』 山川方夫

解説:平山瑞穂

タイトルに「春」という文字を含む作品が3つも揃ってしまったのは単なる偶然だが、巻頭に掲げた与謝野晶子の短歌は、それを意識したものになっている。巻頭に詩歌を持ってくるのは、ここしばらくの「シリーズ紙礫」においてしだいに定型のスタイルとなりつつあるものだが、それだけでも全体に締まりが出てなかなかいいのではないかと思う。

それより僕としては、装丁にフェルナン・クノップフの「愛撫」を使ってもらえたことが嬉しくてならない。クノップフは高校時代から偏愛しているベルギー象徴派の代表的な画家だが、いつかなんらかの形でこの人の絵を自分の本の装いに利用できないかと考えていた。それにしても、「愛撫」はたいへん横に長い作品なので、人面女豹(と呼ぶのが適切なのかどうかはともかく)の長い尻尾の先までは表1(オモテ表紙)に入りきらず、背表紙を経由して表4(ウラ表紙)にまで達してしまっている。

『変態』『耽美』------と来たら、次は『猟奇』ではないか、という話も担当編集者との間では出ているのだが、「できるだけ、古い時代の作品の中から発掘する」という条件をも満たすものとして、はたしてそれだけのネタが集まるかどうかは、今のところ不鮮明である。

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2017年11月24日 (金)

「小説新潮」でやりたい放題

「小説新潮」12月号に短編小説『土牢の行く末』を寄稿した。2013年に一度休止した日本ファンタジーノベル大賞(僕の作家デビューのきっかけとなった賞)がこのたび、「日本ファンタジーノベル大賞2017」として再スタートを切ったのだが、その受賞作(柿村将彦さんの『隣のずこずこ』)発表に合わせて組まれた特集「ファンタジー小説の現在」向けに執筆依頼を受けたものだ。

「できればエロくて、ラスマン風味のものを」(「ラスマン」は僕のデビュー作『ラス・マンチャス通信』のオフィシャル愛称。オフィシャルといっても、作者である僕自身がオーソライズしているという意味でしかないが)というのが依頼趣旨だったので、それをいいことに好き放題に書かせてもらった。

今回の作品が、ジャンル名称としての「ファンタジー」に準拠したものかどうかというと、その点はかぎりなく怪しい。いや、たぶんほとんどまったく「ファンタジー」ではないだろう。でもそれを言うなら、当の日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『ラス・マンチャス通信』だって、まったく「ファンタジー」ではなかった。

ただしそれは、「ファンタジー」というのを「剣と魔法」的ななにかと捉えたかぎりでの話だ。「ファンタジー」というのは、「作中でなにか現実原則を逸脱したような事象が起こるが、さりとてSFでもなく、ましてサスペンスでもミステリーでも恋愛小説でもホラーでもなく、しかし一方でそれらすべての要素を含む可能性もある、どうにも定義しようのない作品」を総称する名称であると僕は勝手に考えている。まあ今回の作品も、テイストとしていちばん近いのはホラーなのかもしれないし。

いずれにしても、プロットは一瞬で浮かんできて、書き上げるのも一気呵成で実に楽しかった。ここしばらく、アンソロジーや評論などにばかりかまけてきたが、久々に小説を書くと本当にもう楽しくてしょうがなくて、やはり自分は本質的には「小説家」なのだなという思いを強くしている。

ところでそんな僕がいちばん最近出した本は評論『愛ゆえの反ハルキスト宣言』(皓星社)であり、まるで新潮社にケンカを売っているような内容なわけだが、このとおり、「小説新潮」にも新作を寄稿しているわけだし、関係がまずくなっているわけでは決してない。だいたい『愛ゆえの反ハルキスト宣言』は、タイトルこそ挑戦的だが、身近で読んでくれた人の多くが口を揃えて、「これを読んでいると村上春樹を読みなおしたくなる」と言っている。むしろ販売促進につながっているではないか。

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2017年11月23日 (木)

鈴鹿こゆれば蘆江の足跡

21日、滋賀県の甲賀警察署の新庁舎落成式に招待され、父とともに出席してきた。

どうしてそういうことになったのかというと、明治36年、まだ作家として名を挙げる前の曽祖父・平山蘆江が、東京から郷里の長崎まで徒歩で帰った際、道中で食いつめて水口(みなくち)の警察署(甲賀警察署の前身)に泣きついたところ、巡査の園川眞道という人が同情してあたたかいうどんと五十銭をめぐんでくれたという逸話がことの発端になっている。

いたく感激した蘆江は後日きちんとお礼をしようと考えていたが、園川氏の名を覚えまちがえていたために本人を特定することができなかった。しかし、その後作家としての名声を得てからも感謝の念は絶えず、随筆などに当時の思い出を綴ったりしていたら、それが機運となって本人につながり、実に34年後、蘆江はすでに隠居していた園川氏との再会を果たす。その際に蘆江は、感謝のしるしとして書状を贈っている。

「われ不遇の旅でした/ゆきくれて/水口署にころげこみしは/三十四年のむかしなりき/その時の署員/園川眞道氏の親切わすれず/再び水口署を訪まして/その心をのこす」としたためた上で蘆江は、以下の都々逸風の歌一首とともに、当時の徒歩旅行の際の自分の出で立ちを絵に残している。

  鈴鹿こゆれば

   水口晴れて

  むかしなつかし

   秋日和 

水口署ではこの書状を長年大事に保管していて、それは後身である甲賀署にも引き継がれていた。そしてこのたび、甲賀署が老朽化した庁舎を建てなおすにあたって、くだんの書状の一部を大きな陶板にして庁舎の1階に掲げてくださることになった。そういうわけで、曾孫であり蘆江と同じ作家でもある僕に声がかかったのである。

もっとも、僕は蘆江と直接の面識はない。孫として蘆江にかわいがってもらった父のほうが思い入れは強いのではないかと思って声をかけると、父は水口での一幕についてもよく聞き知っていて、ぜひ式に出席したいというので、急遽同道することになった。ただ、父はすでに86歳と高齢である。日帰りはさすがにきつかったので、京都に1泊した。父と二人での旅行など、記憶するかぎりこれが生涯で最初だと思う。

京都から在来線を乗り継いで貴生川駅で警察の方に車で出迎えていただき、新庁舎に向かった。楽隊の生演奏のあとで開催された落成式は、滋賀県知事をはじめ錚々たる顔ぶれの揃ったおごそかなものだったが、続く陶板の除幕式はもっとこぢんまりとしており、おかげで壇上に立たされてもそれほど緊張せずに済んだ。県警本部長さんとともに僕と父とで紐を引き降ろして陶板をお披露目してから(「除幕」というのを初体験した)、挨拶のスピーチをさせていただいた。

ただ、除幕に先立って司会者の女性から紹介された蘆江の書状をめぐるいきさつは、僕が知っている話よりもずっと「美談」めいたものになっていた。たとえば、蘆江は若い頃の「修行中」に偶然水口のあたりを通りかかったという触れ込みになっているが、実際には長崎の養父とあれこれ揉めているさなか、帰省のための資金がなくなってしまってやむなく歩いて帰るはめになったというだけの話だった。また、園川氏がおごったのは(「一杯のかけそば」さながら)「1杯のうどん」とされているが、実際には2杯だった(蘆江がそれだけ飢えていたということだろう)。

いちいち訂正するのもなにかせっかくの美談にケチをつけるようで憚られるが、そのままただそらっとぼけているのもしのびなかったので、スピーチの中で両者のバランスを取るのに少々難儀させられた。

そのあとは、警察署長さんと副署長さんのお二人としばし談笑したのち、副署長さんの案内で新庁舎内を見学させていただいた。庁舎は4階建ての立派なもので、取調室や面会室、留置施設内など、通常なら立ち入ることのできないエリアもつぶさに見てまわれて興味深かった。

京都に1泊した翌日は、せっかく京都にいるのだし、少しくらいは散策でもしたいところだったのだが、高齢の父は前日のミッションを達成した時点で疲れはててしまっていたらしく、正午前に解散となって父だけ先に帰ることになった。僕は一人で東山周辺(知恩院、八坂神社等)をぶらりと歩いてみたが、奇しくも紅葉の絶頂で、「ザ・京都」とでも言うべき雰囲気を堪能することができた。

それはそうと、帰ってから、甲賀警察署を訪れた際に写真をひとつも撮影していなかったことに気づいた。せっかく立派な陶板を飾ってくださっているのに何を考えていたのだろうか。まあ、ほかのいろいろなことに気を取られていたせいでもあるが、インスタグラム全盛のこの時代に、僕は自分が見たものをこまごまと画像で記録するという習慣からはほど遠いところに生きているので、そういう発想に辿りつけなかったのだろう。

そんなわけで、陶板については、事前に甲賀署の方が確認用に送ってくださった画像を転用させていただくことにする。この画像だとわかりづらいが、高さだけでも優に1メートルはあるかなり大きなものであり、陶器製であるということはちょっと見ただけではわからない。天国の蘆江がこれを知ったらいったいどう思うのだろうか。

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