2015年9月 3日 (木)

極私的読書ガイド(5) ------ラスマンの申し子たち(3)

ひきつづき、『ラス・マンチャス通信』から派生した作品の紹介に戻ろうと思う。今回は『魅機ちゃん』と、短編集『全世界のデボラ』。 

『魅機ちゃん』(2009年)

Mikichan

「小学館のガロ」との異名も取った異色のコミック誌「月刊IKKI」(2014年に休刊)の2007年9月号〜2008年8月号に連載され、翌2009年2月に単行本化された。最近では『パパがも一度恋をした』などのスマッシュヒットがめざましい漫画家・阿部潤さんとのコラボという形を取った作品。

「月刊IKKI」は本当に自由な雑誌だったが、小説の連載はさすがにこれが最初で最後だったのではないか。小説といっても、標榜していたのは「小説と漫画の融合」であり、だから毎回阿部潤さんのスピンオフコミックも併せて掲載されていたわけだが、本体はあくまで僕の小説だった。

その「小説と漫画の融合」という試みが成功していたかどうかはさておき(率直にいえば、成功していなかったと思う)、楽しい仕事ではあった。

「月刊IKKI」では、読者からの感想などが「IKKIST通信」として当該作品のページの余白に紹介されていたのだが、『魅機ちゃん』に関しては、全12回の連載中、ただの一度もそれにお目にかかったことがない。なにかしらの感想が届いていれば採用されていただろうから、おそらく1件も存在しなかったのだろう。そもそもこの作品は、IKKI誌上で読んでいる人が1人でもいたかどうかが疑わしいのだ。

無理もないことだと思う。コミック誌を手にする人は、コミックが読みたいのだ。そこに(阿部さんのイラストをちりばめてはあるにせよ)文字ばかりがびっしりと並んだページがあっても、うぜぇと思って無視してすっ飛ばすのがオチだろう。------それでも、仕事としては楽しかった。

文章のスタイルなどに関していえば、コミック誌ということを意識した結果、たぶん僕の全作品中で最もライトノベルに近いものになっていると思う。内容も、ごくかんたんに言ってしまえば、「お酌をするだけの機能しか持っていなかったはずのロボット“魅機ちゃん”が暴走、私立探偵の助手となって大酒を食らいながら大活躍!」といったお気楽なものだ。

だがこの物語は、やはり「ラスマン」を絶賛する担当編集者から、「ラスマンに通底する残酷さをしのばせてほしい」というリクエストを出され、それに応じて編み上げたものなのだ(その要素は、作品の後半以降からじわじわと姿を表し、やがてすべてを覆いつくしていく)。その意味では、この作品の装いに見られる「気楽さ」は、フェイクでしかない。

にしても、不遇な本だったな……。楽しかったからよかったといえばよかったかもしれないが、関わった人々の苦労を思うと本当に浮かばれない気がする。

 

⚫︎全世界のデボラ(2009年)

Deborah

現時点で僕にとって唯一の短篇集だが、同時に最も「ラスマン」に近い作法で書かれた作品の集成でもある。デビュー直後から主として早川書房の「SFマガジン」誌上に散発的に発表してきた短篇が大半を占めている。

「デビュー直後から」と言ったが、新人である僕に早川書房側から声がかかったわけではない。僕自身が自主営業として原稿(デビュー前に書きためていた短篇など)を送りつけ、掲載を打診したのが最初のきっかけだった。

「ラスマン」も不発に終わり、受賞第一作を執筆するにあたって新潮社から方向転換を求められるのは歴然としていた。そんな中で、「書きたいものが書かせてもらえなくなってしまうかもしれない」という不安に襲われ、いざというときのための避難場所を作っておきたいと思ったのである。

「SFマガジン」はたいへん懐の広い雑誌で、文字どおりの「SF」ではないものでもかなりの範囲まで受け入れてくれる。そもそも、この短篇集に収録された作品の中で、純然たるSFと呼べるものはひとつもないと思う。強いてジャンル分けするなら、「スリップストリーム」ということになるのだろうか。

つまり、かなり好き放題に、僕自身が書きたいように書かせてもらえたため、作風も全体的に当時の僕が本当に書きたかったラインにおおむね沿っているということなのだ。

おかげで、少なくとも「ラスマン」の支持層には、この短編集はおおむね好評だったようだ。「これを待っていたのだ」といったトーンの感想をいくつか目にした記憶がある。ただ、彼らの期待に応えるには、本になるのが少々遅すぎたと思う。

「ラスマン」を世に問うてから、「ラスマン」の流れを最も正統的に汲んだこの作品集を刊行するまで、5年もかかっている。せめてあと2年か3年早く出せていたら、「ラスマン」の記憶を印象が薄れないうちに更新し、支持層の関心を掴みつづけることがもう少しはできていたかもしれない。------まあ、今さらそんなことを言っても虚しいだけだが。

ちなみにこれに収録された『十月二十一日の海』という作品は、その頃抱えていた仕事にふとうんざりして、気分を変えたくて勝手に書いたものだった。なんだか無性に楽しくて、筆が進むわ進むわ、迷うこともなく一気に書き上げていた。

プロになってから、オファーもなく、その時点では発表できるあてもないのに一篇の作品を書き上げたのは、あとにも先にもこれっきりだったと思う。そしてそんなまったくの思いつきで書いたものを快く「SFマガジン」に掲載してくださった塩澤編集長(当時)には、今でも感謝の念がやまない。

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2015年9月 2日 (水)

極私的読書ガイド(4) ------こぼれ話:大槻香奈さんのこと

今回はちょっと脇へ寄り道させていただき、前回紹介した『株式会社ハピネス計画』の単行本の方で装画をご提供いただいたイラストレーター・大槻香奈さんについて述べたい。


Happiness_tan

このイラストだ。イラストというより、絵画といった方がいいかもしれない。暗い空洞のような大きな目、伝えたいことを押しとどめるように堅く結ばれた口元がたいへん印象的である。

単行本の方を刊行しようとしていた2007年、大槻さんはまだ駆け出しといっていい立場だったと思うが、担当編集者がたまたま個展かなにかを観て注目していて、装画にこの人の絵を使うのはどうかと打診してきた。サンプルをひと目見て、僕も「これだ」と思った。当時大槻さんは、これと似た表情を浮かべる少女の絵をいくつも制作していたのだ。

描き下ろしを依頼する手もあったが、既存の作品の中にこの小説(というか、作中に登場する「藤原たまり」という個性的な少女)のイメージにたまたまぴったりのものがあったので、それを使わせていただくことになった。彼女の作品が書籍の表紙を飾るのはこれが初めてだったはずで、ご本人も喜んでくださっているとのことだった。

自分の本の表紙に使われたという縁ももちろんあるが、作風として単純に惹かれるものがあったので、近くで個展などが開かれるならぜひ観に行きたいと思っていた。

しかし大槻さんは京都在住で、東京方面で個展を開く機会がそうそうザラにあるわけではない。ときどきホームページをチェックすると、東京で個展を開催していたのだが先週会期が終わったところだったとわかる、といったすれ違いが何度か続いた。

実際に個展会場に足を運べたのは、実に7年後、去年の1月になってからだった。

けっこう大きな会場で、平日の日中にもかかわらずかなりの客が訪れていた。そして作品のキャプションの多くには、売却済であることを示す赤丸シールが貼られていた。数十万円するような大がかりな作品でさえ、飛ぶように売れているのだ。今や押しも押されもしない売れっ子である。 

書籍のカバーに使われる機会もその後ぐんと増えたようで、最近刊行された本の見本がたくさん展示されていた(残念ながら、『株式会社ハピネス計画』はその中にはなかったが)。

作風としては、(『株式会社ハピネス計画』の装画のような)初期のスタイルのエッセンスを踏襲しつつも、よりポップな方向に大きく舵を取っているような印象を受けた。

会場にご本人がいらっしゃればひとこと挨拶していきたかったのだが、それもかなわず、しかしせめて訪れたことは伝えたくて、芳名帳に記名していった。

後日、ご本人から手書きのメッセージ(+イラスト)つきでお礼のハガキが届いた。最初は、「あ、芳名帳を見て『株式会社ハピネス計画』の著者だと気づいてくれたのかな」と嬉しく思ったのだが、よく見るとメッセージは一般的な内容で、個体識別がなされた上でのものではなさそうだった。

よくよく考えてみれば、仮に大槻さんが「平山瑞穂」の名を見て「あれ?」と思ったとしても、それが『株式会社ハピネス計画』の著者と同一人物であるという保証はどこにもない。芳名帳に名を残すなら、「『株式会社ハピネス計画』の装画ではお世話になりました」などとひとこと書き添えておくべきだったと悔やんだ。

なんというか、「押しつけがましいことをしたくない」という半端な遠慮っぽさが災いしたケースといっていいのだろう。芳名帳に住所氏名を書き残すこと自体、ある意味ですでに押しつけがましいわけで、そこで生半可に遠慮することにどれだけの意味があったというのか。

大槻さん、もしこのブログを読まれることがあれば、あれは僕でした。遅ればせながら、ご活躍のご様子、たいへん喜ばしく思っております。

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2015年9月 1日 (火)

極私的読書ガイド(3) ------ラスマンの申し子たち(2)

株式会社ハピネス計画(単行本は2007年、文庫は2010年)

一種の奇書といっていい『ラス・マンチャス通信』の衣鉢を(なんらかの意味で)継いだ作品として、時系列の上で筆頭に挙がるのはこれだろう。

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神経質な青年・氏家譲(ウージー)が、失職して実家に戻っている間に、中学時代の破天荒な友人・阿久津武蔵に奇妙な仕事を与えられるという話。

ストーリー性よりはむしろ、現実と一枚ずれたところに存在する妙な世界に譲が巻き込まれていくトリップ感を前面に押し出そうとしたのだが、その意図はたぶんあまり読者には伝わらなかったものと思われる。

原稿が8割がたできあがった時点で、バッドエンディングを予想した担当編集者から軌道修正を求められ、必ずしも納得していない状態で中途半端に話をきれいにまとめようとしたことが最大の敗因だろう。

ハッピーエンドが悪いと言っているわけではない。そうするならそうするで、物語の設計自体を全面的に見直すべきだった。それをしたくないなら、バッドエンドになろうがなんだろうが、当初の思惑を貫徹すべきだったということだ。

ただ、この物語に登場する、奔放ででたらめだが憎めないバカっ母・優璃亜と、おしゃまでたくましい娘・樹雲(じゅうん)の2人は、自分が産み出したキャラクターの中でも出色の存在として今でも愛している。

またこの小説は、僕がいわゆる自己啓発的なものをいかに蔑視しているかを、ほかのどんな作品よりも(ほかの作品でもちょくちょくほのめかしてはいるが)むき出しの形で表現したものだということができるだろう。

 

プロトコル(単行本は2008年、文庫は2010年)

おそらく、「ラスマンの申し子」として紹介されることに最も違和感を抱かれるであろう作品。

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Protocol_bun

意外にもこの作品は、もとはといえば、「ラスマン」に横溢する独特の閉塞感(語り手が特異な存在であることから生じるもの)を、なにか別の形で表せないか、というところから着想されたものである。

「語り手がたとえばなにか偏執的な認識構造を持っていて、常になにかを監視しているとか、そういった設定はどうか」という提案が担当編集者からあり、それに応じて僕が産み出したのが、「有村ちさと」というキャラクターだった。

文字で書かれたものに対しておよそ尋常でないほどの注意力や執着を持ち、店の名前や広告表現などで使用される外国語の文法的な誤りも決して見過ごさない女性。それが有村ちさとだ。

そういう女性が、どんな性格で、どんな仕事をしていたらリアルだろうか。その想像を押し広げていったところに、『プロトコル』という作品が生まれた。

結果としてこの作品は、ネット通販大手でシステム関連の仕事に従事する、きまじめで四角四面で融通のきかない有村ちさとという一人の女性をめぐって、複数の人物の思惑が交錯する形で展開する一種の「お仕事小説」としてその姿を現したともいえるかもしれない。

ファンタジー色はゼロだし、なにか不条理なできごとが起きるというわけでもないので、これが「ラスマンの申し子」だということはにわかには信じがたいかもしれない。僕自身、今となっては、その出発点にはあまり意味がないと思っている。

よくも悪くもこの小説は「ウェルメイドなエンタメ」たりえていて、「ラスマン」の持つ異形性はほぼ排除されているからだ(念のために言っておくが、僕はここで、「ウェルメイド」という語を、一定の両義性を含ませた形で使用している)。

なお、この有村ちさとというキャラクターは、少数ながら一定の人々から熱い支持を受けているようだ。

パッと思いつく範囲でいうと、ライターの瀧井朝世さんや書評家の大矢博子さんなどがそうだ。お二人ともこのキャラをたいへん気に入ってくださり、ことあるごとに「ちさと推し」の書評を書いてくださったり、なにかにかこつけて言及してくださったりしている。

しかしそれでもなお、有村ちさとは、一般的にはほとんどまったく知られざるキャラクターのままで留まっている。

『プロトコル』は僕の作品の中でただひとつ、シリーズもの的な「派生作品」を産み出した作品であり、『有村ちさとによると世界は』(2010年)というスピンオフも存在するのだが、この本を知っているのはおそらくごく一部の「有村ちさとファン」などにかぎられているのだろう。 

〈続く〉

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2015年8月31日 (月)

極私的読書ガイド(2) ------ラスマンの申し子たち(1)

さて、気が削がれないうちに続きを書いておこう。

僕のデビュー作『ラス・マンチャス通信』は、単行本刊行時の帯に「カフカ+マルケス+?」と書かれたような、一風変わった作品である(厳密にいえば、ここは本来「マルケス」ではなく「ガルシア=マルケス」と書くべきなのだが。「ガルシア」はこの作家のファーストネームではない。それは「ホセ」だ。この作家を「マルケス」だけで呼ぶのは、ゴーストライター問題で一躍有名になった佐村河内さんを「河内さん」と呼ぶみたいなものなのだ)。

くだんのコピーは、作品の特徴をかなり的確に言い表したものだと思う。作品を構成しているのは、まさにカフカ的不条理とガルシア=マルケス的マジックリアリズム、それに加えて、なんとも形容しようのない奇妙なペーソスみたいなものだからだ。

この作品は、一部では評価が高かったはずだと今でも思う。絶対数はそう多くないながらも、熱烈な支持者が一定量存在することを、当時は肌で感じていた。

そういった奇特な人々は、僕が続けて似たような作品を発表していくことを期待していたと思うし、実際、ネット上でも、ある時期まではそういった「待望論」を目にする機会が多かった(最近めっきりそうしたものを見かけなくなったのは、この作品そのものがほとんど忘れられてしまっているからだろう)。

ところが僕は、かなり長い間、文字どおりの意味での同系列の作品を発表しなかった。なぜかといえば、理由はほとんどひとつしかない。------売れなかったからだ。

ひとつ断っておきたいのだが、僕自身は、「売れることがすべて」とはまったく思っていない。しかし、曲がりなりにも商業ベースで本を発表していく以上、そうそうわがままも言っていられないわけである。

僕にしてみれば、「作家として生き残っていくこと」「次もまた仕事をもらえる立場でいつづけること」が当時は最優先の課題だった。そして出版社としては、売れもしなかった本の二番煎じをあえて作家にやらせる愚は決して犯さないだろう。

『ラス・マンチャス通信』には、少なくとも「日本ファンタジーノベル大賞受賞」という看板があった。あまり知名度の高い賞ではないながら、その看板だけで一定の集客は見込めたはずだ。それでも売れなかったというのに、似たような趣向の作品を、今度は看板もない状態で出したところで、それが前作以上に売れることはほとんど期待できない。

その判断は妥当だったと思うし、だから僕もそれに従ったのだ。それがまちがっていたとは今でも思わない。もしもあの頃、「いや、自分は『ラス・マンチャス通信』みたいな作品しか書く気がありません」と我を張りつづけていたとしたら、僕は早晩、どの出版社からも相手にされなくなっていただろう。

しかし一方で僕は、『ラス・マンチャス通信』(※以後、「ラスマン」と略させていただく。この略称は、デビュー当時から僕のブログを読んでくれている人々にとっては懐かしい響きだろう。そのうちの何人が今も残っているのかはたいへん心許ないにしても)みたいな作品を再び書くことを断念したわけではまったくなかった。

臥薪嘗胆の思いだったのだ。今はそれがかなわなくとも、ほかの路線の作品で芽が出れば、大ヒットとはいわずとも一定以上売れる作品を出すことができれば、もう少しは自分の希望も通しやすくなのではないかと。それまでの間、辛抱していればいいと思っていたのだ。

それに出版社側も、というより、ここは「編集者の人々も」というべきだろう(「出版社」と「編集者」は、決してイコールではない。後者は前者の一部ではあるが、両者の間で価値観がすんなり共有されているわけでは必ずしもない)、彼らの多くも、ラスマンという作品を高く評価し、またそういうものを僕に書いてほしいと思っている点では、僕自身と同じ気持ちを共有していたと思う。

ただし、「ラスマン」とまったく同じ要領では難しい。それは、売れないとわかっているものをあえて商品化するみたいなものだからだ。そこで多くの編集者は、こう考えた。------ラスマンの持ち味やエッセンスを、少し違った角度から、つまりもう少し一般受けしやすい形で活かす方法はないものだろうか。

編集者たちのそうした思案と、それを受けて精一杯工夫した僕自身の努力が、「ラスマン」のDNAを受け継いだ一連の作品群をその後10年近くにわたって生み出しつづけていくことになる。

先に作品名だけ列挙しておこう。それは、『株式会社ハピネス計画』(2008年)、『プロトコル』(2009年)、『魅機ちゃん』(2009年)、『全世界のデボラ』(2009年)、『3・15卒業闘争』(2011年)、『出ヤマト記』(2012年)、『僕の心の埋まらない空洞』(2012年)、『ルドヴィカがいる』(2013年)、『四月、不浄の塔の下で二人は』(2013年)、そして『ここを過ぎて悦楽の都』(2014年)である。

あらためて挙げてみて、「こんなにあったか」と自分でも驚いている。作品をすでに読まれている方の中には、「なぜこの作品がここに?」と不思議に思う向きもあるかもしれないが、「少なくとも出発点はそうだった」という但し書きをつけるかぎり、これらはすべて「ラスマンの申し子」たちなのである。

次回以降、それぞれの作品について詳述していこう。

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2015年8月30日 (日)

極私的読書ガイド(1) ------序

まったくの気まぐれから、僕自身の作品について一種のガイドみたいなものを書いてみる気になった。「作風が毎回違う」といわれるけれど、実は見かけほど違うわけではなく------ってああもうなんか語りはじめた矢先からめんどくさくなってるな。

そんな具合なので、いつまで続くかはわからないし、突然中断してなんの申し開きもしないままかもしれない。それでもいいなら読んでみてほしい。って、これが人になにかを読んでもらおうとする態度だろうか。

基本的には、「一見一作一作がバラバラに見える平山瑞穂作品にも、実は“系列”がある」という観点からガイドしていこうと思うのだが、それに際してまずは何に重きを置くべきなのだろうか。売れているかどうか? ------いや、ぶっちゃけそんなことをキーにできるほど売れてる作品がないしね。

というわけで、当方としては、売れているかどうかはまったく度外視した上で、あくまで僕自身の好みから全作品を俯瞰して勝手にカテゴライズするという方針を推し進めることにする。

そこで最初に挙げるのは、やはりなんといっても(というのはあくまで僕自身の内面における文脈に基づくものなのだが、そういうことをいちいち註釈として挟み込むのはうっとうしいだろうからこれを限りにそのへんはすべて、いやなるべく省略することにして)、「ラス・マンチャス通信系」だろう。

ご存じない方のために、というかほとんどの方はご存じないと思うのであらためて申し述べておくが、『ラス・マンチャス通信』は、2004年に新潮社から刊行された僕のデビュー作である。 

文庫化されたのは2008年で、そのときにはなぜか角川文庫から出ているのだが、版元が変わった経緯についてはまあ大人の事情があったということで見過ごしてもらうとして、その角川文庫版も今は事実上手に入らない状態になっていて、角川の電子版だけがかろうじて読める状態になっているという現状についてもまあまた別の大人の事情があったということで。

って、なんか気持ちいいな、これ。いろんなことがもう時効になってるっぽいのでなんでも好きに言える感じがする。いや、当時は八方に気を遣って言いたいことも言えずにいたんですがね、今となってはもう気を遣う対象そのものが存在しないに等しいので(特に角川方面に関しては)。

とにかくそんなわけで、作家としての僕の原点はこの『ラス・マンチャス通信』にあると思われ、そして作品としても、やはり最初に言及すべきなのはこれに連なる一連の作品なのかなと。 

まあでも今回は「序」なのでここまでです。『ラス・マンチャス通信』については語りたいことが山ほどあり、語りだしたらきりがなくなりそうなので。いや、語りたいことっていうのはつまり、僕がどうしてこのデビュー作の作風をその後ストレートに踏襲しなかったのかとか、おおむねそういったことなんだけど。

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2015年4月30日 (木)

文庫書き下ろし新作『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』

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新潮文庫より新刊『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』が発売される。文庫だが、書き下ろしの新作である。

ここしばらく、僕の本については、「単行本が文庫化されるに際して改題される」というパターンが続いていたため、この本についても、「これはどれの改題だろう?」と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、本作が世に出るのはこれが初めてなので、その点は誤解のないように強調させていただく。

内容については、一般に公表されているものをそのまま引いておく(自作について自分の言葉で紹介しようするのはもう断念した)。

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月刊誌記者として働く小坂井夏輝、31歳。取材先で中学の同級生・瀧光平と再会する。かつて周囲を見下していた瀧を夏輝は疎んじ、片や誰彼なく優しくする夏輝を瀧は偽善者と嫌っていた。だが次第に夏輝は瀧が抱える痛みを、瀧は夏輝の葛藤を知るようになる。過去を受け止め、前を向いて歩くために、二人はある行動に出る。逃げたくなる自分の背中をそっと押してくれる、優しい物語。

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上記にひとことだけ付加するとするなら、小坂井夏輝が再会する瀧光平の職業は、石膏像の製作職人である。製作現場の描写等については、工房「堀石膏制作」さんの甚大なご協力をいただいた。この場を借りて謝意を表明させていただきたい。

石膏といえば、個人的に思い出すのは、小学生時代に作製したジオラマだろうか。銃を構えた1小隊分ほどの数のプラモデルの兵士を配置すべく、菓子の空き缶の中に石膏を流し込んで「地形」を象り、ミニチュアの樹木などを植えた。

兵士は一人ひとり迷彩模様まできちんと彩色していたし、本来は「地面」部分にも色をつけるつもりだったのだが、急にそれがめんどうになり、地面部分については石膏の「地色を活かし」つつ、兵士や樹木にも粉石膏の残りを適宜ふりかけて、「雪景色」だということにしてしまったのだ。

飽きてから最終的にそれをどう処分したのか、そこのところはまったく記憶にない。子どもの頃に作ったそうした嵩の張るものというのは、えてしてその「最期」を思い出せないものなのだ。

 

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2015年4月 1日 (水)

I'm steppin' out

  映画化された『忘れないと誓ったぼくがいた』が上映中だ、ということを告知しそびれて何日になるだろうか。

 というのはツイートサイズの発言にほかならないのだが、それでもやはりかたくなにtwitterはやろうとしない僕だ。

 No need to ask the reason whyJohn Lennon

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2015年2月 4日 (水)

a rare statement

  たまに、ごくたまに、僕の小説について、まっすぐに褒めてくれているような発言を見かけると、本当に泣きそうになります。わかってくれる人がここに少なくとも1人はいたのだと。

  何がいいのかなんていまだにわからないし、満を持して臨んでも空振りすることなんてもはや日常茶飯事で、黙殺されつづけることにいったいいつまで耐えればいいのかと嘆くそぶりすらすでに儀式化していて。

  いろいろあって僕はある時点で(「告げる」ことはともかくとして)語ることをやめてしまったのだけれど、もしも1人でも聞いてくれる人がいるならば、その人のためだけでも僕は語るべきなのではないか。

  まあこんなのは、しょせん一時の気まぐれにすぎないとわかってはいるのですがね。

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2015年1月 9日 (金)

文庫新刊と、それとは無関係な映画予告編

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  PHP文芸文庫より、拙著『夜明け前と彼女は知らない』が刊行される。これは2012年に刊行された単行本『大人になりきれない』を改題の上、文庫化したものだ(背景になにか黒い生き物が写り込んでいるのは単なる偶然である)。

  改題は例によって大人の事情によるものだ。大人の事情が多すぎて、もはや僕自身が自作のタイトルを把握しきれなくなっている。『遠いあの日のぼくらが見ていたことを彼女は知らない』という感じだ。

  それと、映画『忘れないと誓ったぼくがいた』は、本年3月28日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷など全国主要都市10館にて公開予定とのこと。予告編がYouTube等にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=izwGcbI2xv0

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2014年11月10日 (月)

最新刊『彫千代 〜Emperor of the Tattoo〜』発売

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 小学館より、僕の最新作、『彫千代 〜Emperor of the Tattoo〜』が刊行される。単行本としては21冊目に当たる。「きらら」20136月号から20148月号に連載された小説に手を加えたものである。

 この作品については「きらら」での連載開始時にもこのブログで軽く紹介させていただいているが、僕にとっては初の歴史小説である。

「彫千代(ほりちよ)」というのは明治時代の横浜に実在した刺青の彫り師であり、日本国内でよりもむしろ欧米諸国で名を上げ、「刺青師のエンペラー」とまで呼ばれて伝説化していた人物。本作は基本的にはその史実に基づいているが、この人物には謎も多く、結果としてはその謎の部分を僕自身の想像で大胆に補うような形でフィクションとして再構成したものといっていいだろう。

 刺青というと、イコール「怖い」「暴力団」(?)というイメージを抱く人がおおかただろうが、実際には非常に繊細で芸術的な世界である。彫千代の腕もまた、欧米人たちから第一級の芸術として高い評価を受けていた。にもかかわらず、人の肌に刻む刺青というものは、その持ち主が死んでしまえばどこにも残らない。

 そのはかないきらめきをめぐって、彫千代とその周囲の人々、師匠と弟子、女たち、仕事仲間や敵対者などが愛憎劇を繰り広げる。時は明治、ものすごい勢いで流入してくる西洋文明と伝統的な価値観がせめぎあい、ごった煮のような状態になっていた激動の時代である。そのさなかで彫千代は、静岡、大阪、京、神戸、横浜、東京、函館とあちこちを駆けめぐるのだ。

 内容については、これ以上は語らない。ただ今回は、僕がこれまでに書いたあらゆる本の中で、最も読者を選ばない、つまり、誰もがかけ値なく楽しめるものになっていると思う。誰より僕自身が、これを書き上げることによってまちがいなくひとつの大きなハードルを乗り越えたという感触を抱いている。

 読んでいただければわかるはずだ。とにかく、手に取って読んでいただきたい。絶対に損はさせない(とここまで著者が、というよりこのへそ曲がりで皮肉屋でうしろ向きで斜に構えた僕が言うのもめずらしいではないか)。

 なお、今回の表紙まわりはめちゃくちゃ豪勢である。題字はなんと金の箔押し+エンボス加工だ。書店でも異様な異物感を放つことだろう。逆に背景は、どことなくスミ1色の刺青そのものの色合いを思わせるような渋い紺色。これがなんとも「明治」な雰囲気を醸し出している。このあたりはデザインを担当してくださった山田満明さんの卓越したセンスの賜物だろう。

 カバーイラストは、「きらら」連載時のトビラ絵と「あらすじマンガ」が好評を博した煙楽(えんらく)さんの手になるものである。

 この人の描く、現代的にスタイリッシュにアレンジされた「彫千代」像があまりにハマっていただけに、カバーをお願いするのもこの人以外には考えられないということで、編集者との間では一瞬で意見の一致を見た。

 煙楽さんはこれ以外にも、目次ページや章トビラなどにたいへん心惹かれるカットを多数寄せてくださっている。どれもこれも、そのまま刺青の図案にしたくなるようなできだ。

 余談ながら、カバーの裏面にある英文(下画像)は、かつて実在した広告そのものである。明治時代、横浜の外国人居留地にあった「アーサー&ボンド」という骨董品商社が、マレー社というところから出版されていた日本旅行案内書に掲載したものだが、彫千代はいっとき、ここに刺青師として雇われていたのだ。

  この広告、よく見ると下の方にTATTOOING.という項目があり、その1行目にHori Chiyoの名が読める。これを見るたびに、「ああ、彫千代は実在したんだなぁ」とどこかピント外れな感慨をしみじみと抱かされる。この小説の執筆を通して、僕の中で彫千代という人物が、あまりにも生き生きとした確固たる「キャラクター」に育ってしまっていたからだろう。

 

 

Murray

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