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2006年8月31日 (木)

脳内BGM

 ここ数日、ちょっと夜更かしが過ぎていて、毎朝、15分前に無意識に止めた目覚まし時計を胸に抱きしめたままというマンガみたいな格好で「ハッ」と目覚め、慌てて飛び起きるありさまだ。そういうとき(おそらく、浅い眠りの間)はたいてい、覚醒の直前まで、大音量のBGMつきでなんらかの映像が流れている。もちろん、頭の中で。

 昨日は、僕自身が少年の姿で登場し、衝動的に裸一貫の無人島生活を決意して、島まで案内してくれた漁師のじいさん(設定はそれだけ)を驚かせる、という場面の背後に、(想像の中の)鼓膜が割れんばかりの音量で、奥田民生の“息子”が流れていた。

 今朝の大音量BGMは、ピンクレディーの“ペッパー警部”だ。映像の方は、“ペッパー警部”当時のピンクレディーの2人がミニスカポリスのコスチュームで“ペッパー警部”を歌い踊っているという、安直な上に論理的に間違ったものだった(あの歌における「ボリス」は客体である。「邪魔をする」のは“ペッパー警部”であって、ピンクレディーではない。それとも、上司である“ペッパー警部”が、部下である婦人警官の情事の「邪魔をする」のだろうか。そう考えるとなんかエロいな)。

 そんな状態なので、会社から帰ってくるともう眠くて眠くて、今も1時間ほど、ベッドで無為と並んで気を失うように眠りこけていた。それでも眠りは浅かったらしく、例によってなにか映像が流れていたが、内容は覚えていない。大音量BGMは椎名林檎の“同じ夜”だったが、これは眠りに入る前から(そして今も)、何時間も頭の中で流れつづけている曲なので、順当と言えば順当だ。

 それにしても、同じ曲(“同じ夜”)を何時間にもわたってエンドレスで流しつづけ、その間に眠ってしまっても(たぶん)途切れなく同じ曲の再生を続ける僕の脳というのは、いったいどういう仕組みになっているのであろうか。そして、毎朝の大音量BGMの「選曲」は、どのようにしてなされるのであろうか。明日の朝はどんな映像やBGMが流れるのであろうか。いやそれ以前に、睡眠をちゃんと取ることを僕は考えるべきなのであろうか。

 そういえば、今日になって読売新聞の掲載紙が届いた。ONLINE版を見た某女子から、「頭が狂ってしまった元東大生って感じ」と評された例の写真も、このサイズまで縮小されてしまうと、メガネが曲がっていることがほとんどわからない。

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2006年8月30日 (水)

¥1の意味

 高樹のぶ子の『蔦燃』という長篇を友人から勧められたので、Amazonで検索してみると、単行本・文庫ともにマーケットプレイスへの出品分しかない。値段を見るとどちらも、そしてどの出品者も「¥1」で出しているので、だったらかさばらない方を選ぼうと思って文庫本にした。

 今日、それが届いたので現物を見てみたところ、まあ表紙カバーは多少古びているものの、保存状態は良好で、特に気になる点もない。おそらく、他の出品者のものも似たり寄ったりなのだろう。

 それにしても、「¥1」だ。無料で譲ってもらったようなものだ。送料は別だから損にはなっていないとしても、本を梱包して発送の手配をする手間を考えたら、事実上は赤字になっているとしか僕には思えない。前から疑問なのだが、これのように、マーケットプレイスで「¥1」とか「¥10」といった極端に低い値段がつけられているものは、そもそも「商品」と呼べるのだろうか。

 つまり、利ざやがまったくない(ように見える)にもかかわらず、あえてその値段で出品する側の意図が計り知れないのだ。Amazonでは普通、単品での商いになるから、スケールメリットもない。それでもあえて「¥1」? わからない。なにか、あの世界独特のルールやカラクリでもあるのだろうか。門外漢なので想像もつかないのだが。

 あ、倉庫料など、売れ筋ではない在庫を長期間抱えていることから生じる冗漫な維持費の削減に向けた努力ってこと? とにかく、なくなってくれれば助かる。しかし捨てたら丸損だし、場合によってはかえってコストがかかるので、ひとつひとつ、極限まで安くしてマーケットプレイスに放り込んでおく。チリも積もれば山となる。つまり、長期的には、「山」単位で倉庫の空きが発生するわけだ。なるほど、そういうことなら、まあ、なんとなくわかる。

 ちなみに自宅の近所の古本屋さんは、「一律100円コーナー」と称して、路地に面した外壁一面に本を並べている。店内の従業員からは絶対に見えない位置だし、だれかがこっそりそこから数冊の本を黙って抜き取っていったとしても、おそらく誰も気づかないだろう。客が正直にレジまで持ってくればもちろん「100円」の売上になるわけだが、盗まれたところでその損害は、「店舗のキャパが増える」というメリットと相殺される。そういう判断があって、あえてああいう陳列の仕方をしているのではないか、とふと思い至った。

 ただ、そのコーナー、そのように「どうぞ好きなだけご自由にお持ちください」と言わんばかりになげやりな感じで設置されているだけあって、たまに眺めても、食指が動くような本はほとんどない。だからなのかどうか、そこから黙って本を拝借している人もいなさそうな感じだ。世の中うまくできている、と言うべきなのか、うまくいかない、と言うべきなのか。

 それに比べると、ネットオークションは客の方が狙い撃ちしてくるから、効率がよい。そうか、だからか。それで欲しい人の手に安く本が渡るのだから、よくできた仕組みなのだ。

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2006年8月29日 (火)

大迷惑冥王星

 一連の冥王星騒ぎには、はっきり言って迷惑している。以下、言い訳がましくなることを承知の上で、ひとこと言わせていただきたい。

 はてなダイアリー時代からずっと僕のブログを読んでくださっている方はあるいはご存知かもしれないが、僕には『冥王星パーティー』というタイトルの、なかなか本にすることができずにいる書き下ろし長篇がある。

 これはもともと、日本ファンタジーノベル大賞をいただいた『ラス・マンチャス通信』の次に、「受賞第1作」として世に出すことをもくろんで、去年の2月頃から書きはじめた作品だ。自分の理想としては、去年の9月ごろまでには刊行したいと思っていた。

 それがいろいろ訳あって、執筆を中断したり、書き上げてから大幅な改稿を要求されたり、その後さらに改稿を要求されたり、間に別の作品が出たり……という形で上梓がのびのびになっている間に、例の「冥王星問題」が立ち上がってしまった。

 冥王星が結果として「惑星」でなくなってしまったことなどは、この際たいした問題ではない。問題は、「冥王星」という星の存在とその名称が、一連の報道によって妙にクローズアップされてしまったことなのだ。一瞬でも早く『冥王星パーティー』が本になっていれば、それはむしろ追い風になっただろう。しかし、いくら作品自体は前から存在していたのだと主張したところで、これからそのタイトルで出すのでは、「当て込んだ」としか思われないだろう。

 しかも、これはもう本当に言ってもしかたのないことなのだが、僕がタイトルに「冥王星」の語を使ったことには、明瞭な意図があった。もちろん、作品内容にも関わってくることなのだが、それ以上に、「冥王星」という、ある意味で特殊な位置づけにある語をあえて使用するところにポイントがあったのだ。

 誰もが知っているが、普段は忘れている語(あるいは、そういう存在)。まさにそういう語として、僕はわざわざ「冥王星」を選んだのだ。しかし今回の騒ぎで、みんなが「冥王星」を思い出してしまった。そしてそれは、当分の間は、記憶の比較的上の層に留まっているだろう。それでは、意味がないのだ。僕の「意図」は、無残にも叩きつぶされてしまった。ぼくの情熱はいまや、流したはずの涙より冷たくなってしまった(スガシカオ)。

 しかし、だからと言って今さら、どうしろと言うのか。『海王星パーティー』だったらいいのか。そういう問題じゃない。

 日本ファンタジーノベル大賞の“同期”受賞者である越谷オサムさんをはじめ、『ラス・マンチャス通信』の韓国語訳をやってくださったキム・ドンヒさん(韓国在住)に至るまで、『冥王星パーティー』のタイトルをすでにご存知だった何人もの方々から、「大丈夫?」という心配のお声をいただいた(逆に言えば、それだけ多くの人の印象に残った大きな事件だった、ということだ)。

 大丈夫じゃない。まったくクソいまいましいことだ。しかし、要は自分の作品をとっとと本の形で世に出すことができなかった僕自身の力不足が呼び寄せた災いであろう。そう自分に言い聞かせるしかない。言い聞かせつつ、そろそろ『冥王星パーティー』の最後の(であってほしい)改稿作業に入るとするか。

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2006年8月28日 (月)

聞いてないけど

 今朝の読売新聞に『シュガーな俺』関連の記事が掲載されていたというのは本当だろうか。今のところ、僕は公式には聞いていない。まあ、朝日のときにも書いたが、新聞への掲載というのは往々にしてそういうものなので今さら驚きはしないが、最低、前日くらいには知っておきたいものだ。本人なのに確認できていない状態というのはなんともムズムズする。とりあえず、掲載紙が郵送されるのを待つしかない。

 掲載の事実、少なくとも、掲載されたらしいということを僕が知ったのは、たまたま今朝その記事を見たらしい、何度かお会いしたことのある実業之日本社の編集・Tさんからのメールと、このブログの8/26付記事に対するiFinderさんからのトラックバックを通じてだった。しかも今日はちょっと所用があって帰宅が今しがただったので、なんだか狐につままれたような気分だ。

 とにかく、肝心の記事をいっさい読んでいないので、今のところそれについては何もコメントすることができない。……と思っていたら、YOMIURI ONLINEにも載っていた。

YOMIURI ONLINE「小説はブログに… 隔世の感」

 メガネが曲がってて、ちょっとヤバい人みたいだな。

 この記事で同時に紹介されている菊池寛のひ孫さんである菊池勇生さんもブログ小説を書いておられるということは、取材時点で初めて知った。菊池寛と言えば、僕の曽祖父・平山蘆江の同時代人だ。知名度から言ったら及びもつかないが、三世代後にそれぞれが似たような試みをしているという点には、不思議な因縁を感じる。

 なお、本日の「所用」とは、僕がサラリーマンの資格で属しているある社会人読書サークルの会合だった。僕がそこに「極楽寺坂みづほ」名義で参加していることとはまったく無関係な文脈で、某版元から協力を要請されたり、某新聞から取材されたりと、当初とは存在の意味合いが微妙に変わってきた現状を鑑み、今後の活動をどうしていくか、といったような内容だった。

 それはそれとして、いわし料理はうまいなぁ。

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2006年8月27日 (日)

今よみがえる「サルまん」

 小学館IKKI編集部より、『IKKI』の10月号を送っていただく。表紙を見た瞬間に、先月号で予告されていたアレは、幻ではなかったのか、と悟る。『サルでも描けるまんが教室21』、いや、これは紛うかたなく竹熊健太郎氏と相原コージ氏だ。すげぇ、スクール水着とメイドのコスプレしてる。相原さんはだいぶ肉づきがよくなったようだが、竹熊さんは基本的なフォルムが変わっていない。しかし、とにかく、この2人は本物だ。

「サルまん」といえば、大学生末期から社会人初期(フリーター時代含む)にかけての僕のバイブルのひとつだ。あれでどれだけ笑わせてもらったことか。あの空前絶後の作品は、高度な批評性を持ったパロディの一大集成であり、こんなものが描かれてしまった後、いったい日本の漫画界は何をどう描いていけばいいのかと危惧したものだった。

「サルまん」がとりわけやり玉に挙げていたものは、「ベタなもの」それ自体だったと思う。規制のフォーマットというかスペックというか、そういうアリモノの鋳型に題材を流し込むことでよしとする作品群について、「サルまん」はことのほか厳しかった。そして僕自身、「サルまん」のそういう姿勢にこそ先鋭的なヒロイズムを見出し、拍手喝采を送っていたのだが……。

 結果だけを見れば、その後も日本の漫画界は、本質的には何も変わっていないと思う。というより、変わりようがなかったのだ。「ベタなもの」は、まさに「ベタ」であるがゆえにその後も求められつづけ、そのことによって命脈を保ってきたのだ。「ベタなもの」には、それ自体としての存在意義があるのである。そして僕は今や、そのことに対してなんら異義を申し立てるものではない。それはそれで「アリ」だ、と思っている。

 それでも僕は、「サルまん」は不朽の名作だと思っている。あれから14年の歳月が流れたが、結果として日本の漫画界が本質的な変化を被っていない以上、当時の「サルまん」が持っていた批評性は、今もって失われてはいないのだ。そして「批評性」とは、その時代・その時代において支配的なある現象(と書くと、作中で竹熊たちが関わっていた「支配社」というコミック出版社の社号が、なにやら意味深な感じに思えてくる)に対する中和剤として、またバランサーとして、その存在をぜひとも認められるべきなにかなのだと僕は信じている。

『サルまん21』の『IKKI』への掲載はプロモーション的なもので、実際には8月30日頃単行本として小学館より発売される上・下巻が今回の企画の本尊らしい。しかし、とにかくこれは「買い」だ。無条件に「買い」だ。実際におもしろいかどうかはどうでもいいのだ。これはリスペクトの問題なのだ。

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2006年8月26日 (土)

見えない「感想」

『シュガーな俺』連載ページにもいろんな方からコメントをいただいているが、それ以外にも、かなりの数の「感想」が存在することを最近知った。連載ページにある「アンケート」で寄せられた感想だ。

 ニフティの担当者の方から、個人情報を除いた部分だけ送っていただいたのだが、プルダウンで「面白い」を選んでくださる方が8〜9割方を占め、任意入力の「感想」欄には、驚いたことにほとんどの人がなにがしかの感想を書き込んでくださっている。しかもその内容が、概して非常にまじめなのだ。

 ご自分が患者であるとか、配偶者やご家族の方がそうであるとか、自分もそうなりそうで心配とか、そういう方が多い点は、連載ページのコメント欄と共通している。これだけ感想を抱いてくださっているのなら、コメント欄に書き込んでくださればいいのに……とも思うが、匿名でかまわないとはいえ、それが衆目にさらされるとなるとやはり抵抗を感じられるのだろうか。

 年齢層的には35歳以上の方がほとんどで、なるほど、と思うのだが、中には14歳以下という人もいて、そこはネット連載ならではだな、と思った。「あ行」の字がギャル風に小さくなっていたりして、ほほえましく読ませていただいた。

 ところで、このブログ、実は23日からひっそりと、眞鍋かをりさんと同じ「ココセレブ」枠に入れていただいている。「セレブ」を自称するにはあまりに無名なので気恥ずかしいかぎりなのだが、朝日新聞さんで紹介していただいた日には、それなりの方がこのブログまで見に来てくださった。

 その段階で初めて意識したことなのだが、並みいる「セレブ」の方々のブログと比べると、このブログは見かけがあまりに素人くさすぎる。まあ、当然だろう。用意されていたテンプレートをほぼデフォルト状態で使っているだけなのだから。もう少しなんとかしなければいけないよなぁと思いつつ、つい面倒くさくて手をつけられずにいる。どうすりゃいいんでしょうか。どなたかいい知恵をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。

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2006年8月25日 (金)

けっこうバカ

Karikari
 これは猫用ドライフード「Carat 7歳からの毛玉ケア 味別パック 5つの味 高齢猫用」の外箱である。「天地」で言ったら「地」の方である。それがなぜ、こうも無残に破壊されているのか。

 この箱を開けるとき、僕が「天地」を適切に識別しなかったからである。「天」の方にはちゃんとミシン線が入っていて、その部分だけピーっと引きはがせば、再び蓋を閉められるような細工が施されている。普通の人は、そこから封を開ける。ことさらに考えなくてもわかることだ。しかし僕はそのとき、それに気づかなかった。

 考えればわかったかもしれないし、そうでなくても、ほんの少しの注意深さがあれば本来の「あけ口」から開けただろう。しかし僕には、それができなかった。だから、力ずくで開けたのだ。無為に早くエサをやりたかったから。

「なんでこういう開け方をしたの?」と妻に笑いながら指摘されて、初めて気づいた。

 そういえば僕は、牛乳の紙パックを開けるときにも、よく「あけ口」と反対側を開けようとしてしまう。あまりに開けにくいのでさすがに途中で気づくのだが、昔はかまわず力ずくで開けて、結果として注ぎ口がボロボロになって使い物にならなくなったりしていた。

「あれさー、どっち側も見た目は同じだけど、“あけ口”の方はちゃんと接着度が弱くて開けやすくなってるんだけど、知ってた?」
「そんなの誰でも知ってるよ!」

 そうなのか。いや、僕が言いたかったのは、たぶん僕以外の人は「あけ口」を間違えて開けてしまうことがあまりないだろうから、接着度が違うことに気づいていないのではないか、ということだったのだが、そうなのか。みんな知ってるのか。

 僕は風貌のせいでしばしば「いつも冷静で、慎重に、几帳面にことを進めるタイプ」と思われがちだが、実はそうでもないのである。意外と、無理を通して道理を引っ込めさせるタイプなのだ。ただ僕は、長いことそのことに気づかずにいた。

 なぜなら、僕自身もまた、自分の風貌にだまされていたからである。

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2006年8月24日 (木)

両手に花?

 今日の朝日新聞朝刊で、『シュガーな俺』のことを紹介していただいた。@niftyの連載ページ経由でこのブログにお越しくださった方も大勢いらしたようで、嬉しいかぎりだ。情報チャンネルの多様化で、新聞の読者が以前より減っているといった指摘もよく目にするが、それでもやはり、まだまだ新聞のパワーは絶大だと思う。

 マンション暮らしで、新聞は1階エントランスの郵便受けまで取りにいかねばならない。朝は毎日慌ただしく、ギリギリの進行でどうにかこなしている感じなので、朝刊は取りに行きさえせずに放置しておき、会社での仕事を終えて帰宅してからゆっくり読む習慣がついているのだが、今朝はいつもよりちょっとだけ早く起きて、朝のうちに郵便受けから取ってきた。

 で、ああ、これか、とチェックしている間に、電話機がfaxを受信。朝の7時台になにごとかと思ったら、長野に住む妻の母親からだった。60歳を過ぎてからパソコンを習い、今ではWordでサラサラと長文を打つのもお手の物という驚くべき上達ぶりを示した人なのだが、faxはまさに、Wordで書いたものだ。妻宛てだが、ちらっと見ると、「今朝の朝日新聞で見てびっくりした」と言って、僕の記事のことを書いている。

 僕が今やっと起きたところなのに、この人はもうとっくに起きていて、新聞も読んでいて、それについてWordで手紙を書いて、それをfaxで送信しているのか! そのバイタリティに、驚嘆してやまない。

 ところで、昨日アップした納涼船の記事について、会社のA課長から、どういうメンツで行ったのか、と訊かれたので簡単に説明したところ、「おお、すごいじゃん」と言われた。「女子2名」というところに反応しているものと思われたので、僕はこうコメントした。

「はぁ、まあ、言わば“両手に花”ってことになるんでしょうが……」
「“言わば”もなにも、それ、“両手に花”マンマじゃん!(笑)」
「ええ、まあ、そうなんですが……(笑)」

 まあ、そうなんだけど、なんか違うのだ。“両手に花”と表現してしまうと、なんか違うのだ。そういう感じじゃないのだ。しかし僕はそれを、第三者にわかるようにうまく説明することができないのだ。

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2006年8月23日 (水)

浴衣クルーズ

Rainbowbridge
 東京湾納涼船というやつに乗ってくる。浴衣で行くと1,000円引きというので、女子2名を伴って全員浴衣で受付に臨む。「全員浴衣ですね」という感じで、ほとんど見もせずに1,000円引いてくれたが、あんなユルいチェックでいいのだろうか。浴衣柄のTシャツを着ていてもパスしてしまうのではないか。そもそも定価が2,500円で飲み放題という時点で安い。あれで採算が合っているのだろうか。とよけいなことを心配してしまう。

 レインボーブリッジの下を2回通過した。前にも似たようなことを書いたような気がするが、なんだかんだ言って、間近に見るとあれは感動する。一応、それが見せ場ということになっているようなので、撮影してみた。しかし、後でよくよく見ると、「ケータイで撮影している知らない人の手」も写り込んでしまっている。この、「ケータイを持った手を差し伸ばしている人々」というのは、たとえば15年前には考えられなかった図だ。靖国に参拝する小泉首相を捉えた写真にも、彼らがたくさん写っている。一歩離れて見るととても変な光景だ。

 で、浜松町でしばし飲んでから帰宅してみたら、世界文化社担当U氏からメールで連絡が来ていて、先日取材を受けた朝日新聞の記事が明日、掲載されるという。なんと突然な。と思うが、新聞っていうのはたいていそんな感じなのだ。

 しかし、「明日」って、朝刊だろうか。たぶんそうだろうが、現時点で確認するすべがない。


 

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2006年8月22日 (火)

木星からの依頼

 思いもかけなかった某誌から、思いもかけないお仕事のご依頼をいただく。文章の応用力を養成するというテーマで組まれる特集の中の1編だ。小説の書き方を指南するような趣旨のページを、主として『ラス・マンチャス通信』を題材に担当してほしいとの由。こんな駆け出しの自分が? しかも自作をネタに? なんとおこがましい。

 担当のMさんは、大学教授であった僕の父親のことも知っており、その父親の知り合いであるI先生という人からの紹介で、僕に電話をくださったらしい。

「ただですね、小説なんて、“こう書け”と言われて書けるようなものではございませんので、もうエッセイ風に、ご自分のことをお書きになられるのでけっこうなんでございますが、ええ、ただ、ご自分のお作品を一部、引用なさるような形で、はい……」
「ああ、はい、趣旨は了解いたしました。了解しましたが、私なんかでよろしいのでしょうか? 私なんてまだ新人みたいなもので、作品もですね……」
「いえいえ、それはもう、I先生が“非常に素晴らしい小説だ”と太鼓判を押してくださってますので……」
「あの……『ラス・マンチャス通信』、読まれました?」
「あっいえ、あの、わたくしはまだ拝読してはいないのですが……申し訳ございません、そんな、拝読してもいないのに原稿のご依頼だなんて、あつかましいかぎりなんでございますが……」
「あ、いえ、それは別に、あの、ぜんぜんけっこうなんでございますが、あのですね、……非常にその、特異な小説なんですよ」
「あ、はい、そのように伺っております」
「はっきり言って、かなり特異なんですよ。いいんでしょうか、そんなのを扱ってしまって」
「えぇえぇ、むしろその方がよろしいかと。若手の方の、現代的な題材の方がよろしいかなという考えあってのことでございますから」

 そういうことなら、いいのだろうか(「若手」と言うほど若くはないし、あれが「現代的な題材」なのかどうか自分にはよくわからないのだけど)。

 というわけで、ここはひとつ、紹介してくれたI先生に感謝しつつ、ご依頼を受けることにしたのだが、電話をくださったMさん、たまたまなのか声が遠かったこともあり、またこのようにきわめてていねいな言葉づかいをされる方だったこともあって、電話を切った後、なんだかすべてが夢だったかのような、あるいは木星あたりからの超遠隔通信ででもあったかのような、不思議な感覚に見舞われていた。

 しかし今日になって、見本誌と依頼趣旨をまとめた書類が、東京都文京区の住所が書かれたところから届いていたので、ああ、やはり夢ではなかったし木星からの通信でもなかったのだと思った。それと同時に、「ほんとにいいのかな、ラスマンで。しかも本文を引用して?」というためらいが、再び頭をもたげてくるのであった。

 

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2006年8月21日 (月)

読売の取材

『シュガーな俺』について、読売新聞さんの取材を受ける。やはり、電子書籍とかネットがらみというのは話題として旬なようだ。糖尿病、というのも多少関係しているかもしれない。

 しかし、取材にいらしたS記者と僕は、初対面ではない。2年前の夏、日本ファンタジーノベル大賞を受賞した際、受賞直後のインタビューをしてくださったのが、同じS記者だった。

 Sさんはそのとき、小一時間お話した内容を、たいへんしまりのあるカッコいい記事にまとめてくださって嬉しかったのだが、いざ記事を目にしたときにちょっとびっくりした。「日本のカフカになりたい」。記事のサブタイトルがそれになっている。言ってない。……いや、言った。

 インタビューの最後の方で、Sさんにこう訊かれたのだ、「では、最後になりますけど、……“日本のカフカ”になりたい、と思いますか?」

 僕はこう答えた。「んー……えーーとそうですねぇ、そりゃ、まあ、なれるもんならなりたいですけどねぇ……」

 これが、僕がはてなダイアリーでやっていたブログ「平山瑞穂の黒いシミ通信」のプロフィール欄で、「『日本のカフカになりたい』と自発的に言った覚えはない」と書くに至った経緯のあらましである。あ、でもSさん、あの記事はカッコよかったですよ! かえすがえすも、感謝していますよ! 今回も、感謝していますよ! またカッコよくまとめてください! よろしくお願いいたします!

 ちなみに、記事の掲載日は未定です。先日の朝日新聞の記事同様、未定です。たぶん、9月の上旬くらいです。僕の誕生日前後です。

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2006年8月20日 (日)

猫の「群れ」方

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 土日の間ずっと一緒にいると、無為が日中いかに寝てばかりいるかがよくわかる。「いかに」というより、ほとんど丸1日寝ている。特にここ数年はそうだ。もう14歳のご老体だから無理もないが、こんなに寝てばかりいて大丈夫なのだろうかと思う。

 今日もほぼ1日中、クローゼットの中に引きこもって眠りつづけていた。夕方一度目覚めて僕の部屋に挨拶に来たが、ちょっと撫でてやると満足したらしく、またクローゼットに戻って寝直していた。夜の9時を過ぎた今、やっとちゃんと起きたようだ。それで夜間どうしているかと言うと、僕や妻が眠っているそばで、ほとんど一睡もせずにただじっとしているのだ。

 本当に一睡もしていないのかどうかはわからないが、夜中に目を覚ますと無為はたいてい、ずっとそうしていたような顔で目を開けているので、たぶんほとんどの時間はそうしているのにちがいない、と思う。ただ、寝る前にキッチンの床の皿に盛っておいたエサが、朝になると減っていたりするので、ときどき食事を摂りにキッチンへ行って、また寝室に戻ってきているらしい。

 夜間、無為がもっぱら寝室にいるのは、そこが「寝室」であることを理解しているわけではもちろんなくて、その時間帯には僕や妻がそこにいるからに過ぎないと思われる。猫は、いや少なくとも無為は、覚醒している間はなんとなく飼い主のそばにいたがる。べったりくっついているわけではない。ただ、相手の姿が見える場所にいることを好むのだ。

 いや、その言い方も正確ではない。「相手の姿が見える」場所と言っても、実際に「相手の姿が見え」ているかどうかは、どうやら本質的な問題ではないらしいのだ。ただ、見ようと思えば見られる距離に相手がいるかどうか、その点は重要視しているらしく思われる。今もこうして、パソコンに向かう僕のそばで、しかし僕にはお尻を向けてじっとしているように。

 昔、近所の駐車場周辺に棲息していた3匹の猫(たぶん兄弟)が、一箇所に固まるわけではなく、数メートルずつ距離を空けてぽつりぽつりと点在している様子を見て不思議に思っていたが、今はその理由がわかる。一定のパーソナルスペースが必要なのでおたがい距離を取ってはいるが、それでもやはり、兄弟の姿が「見ようと思えば見られる」ところにないと不安だったのだろう。あれは、猫なりの「群れ」方だったのだ。そして無為も、「群れ」るためにこそ、こうして僕や妻のそばに「なんとなく」存在しているのだろう。

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2006年8月19日 (土)

削除報告

 さきほど一度今日の分の記事をアップしたのですが、さる筋から見た場合若干サワリのある内容だったため、関係者からの依頼により削除しました。サワリと言っても、僕個人の身近な人間関係にだけ関わりのあることで、ほとんどの読者の方にはまったく縁もゆかりもないことなのですが、その記事がアップされていた約1時間の間に記事を読まれた方が不審に思うかもしれないと思いましたので、一応事実関係をお断りしておこうかと。

 僕のように実名を出してブログを書いていると、直接の知り合いの間では、話に出てくる人物が特定できてしまうことが多く、基本的にそれは覚悟の上で書いてはいるのだけれど、僕の思惑とは別のところで思わぬ波紋を呼んだり迷惑をかけてしまったりすることがあり、なかなか難しいものだといつも思います。

 ただ、ハンドルネームを使っているブログであっても、ごく稀に、書いてある内容から、書き手が誰であるかがわかってしまう場合があります。で、読んでいくと、「へぇ、この人はあの人のことをこんな風に思っていたのか!」とびっくりしてしまうようなこともあります。まあ、稀ですがね。

 いずれにせよ、いつ誰が見ているかわからないところにネットの怖さがあると思います。特に僕のような場合、いざというときに言い抜けできないというのが困ったところです。ときどき、洗いざらいブチまけたくなってしまったりすることもあるのですが、立場上、ほとんどの場合はそれができません。

 匿名で言いたい放題言っている人を見るとうらやましくなります。ハンドルネームを使って別のブログを立ち上げればいいのかもしれませんが、実際問題、それだけの時間的余裕もありません。それに、仮にそうしても、いつか僕だということがバレるのではないかと思えてならないのです。

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2006年8月17日 (木)

1980年代の亡霊

 会社での、9年越しのある意味くされ縁な上司が系列会社に移籍することになり、その送別会が催された。会場になった店は、なんというか、今どき珍しいほど飾りのない、飾りじゃないのよ涙はハッハァ〜な店で、どういえばいいのか、1980年代の後半に合コンとかが催されたであろう店というか、いやびっくりだな。今どきあんな店があんだ。ふーん。よく経営できてるなぁ、という問題はさておき、いや、「さてお」けないのだ、密接な関係があるのだ、その後僕が辿った運命には。それは。

 その手の店では、基本的にビールを飲みつづけ、それ以外の酒に変えるとしてもサワーぐらいにしておく、という原則を僕は無視してしまい、ビールは最初の1杯だけ、それ以降はカクテル(安っちぃカラオケで出てくるみたいなジントニック)、レモンサワー(ほとんど炭酸分を知覚できない)、日本酒(知らない銘柄のやたら甘いやつ)、赤ワイン(意外なことにけっこうマトモ)、白ワイン(昔おみやげでもらった南アフリカのパイナップルワインみたいな、雑巾の臭いがするやつ)、その他(記憶なし)という恐ろしくチャンポン(しかもチープ)なラインナップで相当悪酔いしてしまい、店を出る頃には珍しく気持ち悪くなっていた。

 で、1人、トイレの個室に入って、吐気が遠ざかるのを待っているうちにちょっと眠ってしまったらしく、気がついたらもう誰もいなくなっていた。

 それはそれで別にいいのだが、なんだか心が荒んでいた。言葉はキレイなのに、心は濁って行くだけ(サンボマスター)。

 予告もなく襲ってくる心の荒廃を、僕らはどうすることもできないのだ。

 さあ、ファンタサイ号に乗って宇宙へ行こうよ。


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2006年8月16日 (水)

無頼派なのか?

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 月曜に会った友人が一眼レフで撮ってくれた写真をいくつか送ってくれたので、1枚アップしてみる。「これなんか、大宰っぽくない?」と彼自身が言っていたやつじゃないかと思う。彼はメールで写真を送ってくれる際、1枚ずつタイトルみたいなものをつけてくれたのだが、この写真はまさに「無頼派」となっていた。大宰か。うーむ。

 この写真を見るとおわかりと思うが、僕は現在、右手首に腕時計をはめている。プーチン大統領もそうらしい。彼自身はその理由を、「竜頭が当たらないようにするため」と説明しているのだが、ロシアの高官連中の間では、彼の真似をして右手に時計をはめるのがはやっていると聞く。

 僕はなにもプーチンの真似をしているわけではさらさらなくて、6月末にやった左手首のガングリオン摘出手術(はてなダイアリーの「平山瑞穂の黒いシミ通信」参照)後、時計が当たったりするとまだ微妙に痛いので、それを避けているだけだ。本来は左手首にしている。

 さて、この写真では、僕は前髪を長く伸ばしているが、はからずもこれが、この髪型をしている僕を記録した最後の1枚になってしまった。今日は勤務先から休暇を取っていたのだが、朝、目覚めたとき突然思い立って、近所のカット屋で髪をばっさりと切ってしまったのだ。ほぼ、クルーカットだ。いやむしろ、「五分刈り」と言った方が近いだろうか。一瞬の衝動だったが、さっぱりしてよい。夏だし。

 ただ、ここ6、7年ほど、基本的に髪型を変えなかったので、鏡を見るたびにぎょっとする。帰ってきた妻もびっくりしていた。しかし、無為はなんの驚きも当惑も見せず、いつもどおり平然としている。だいたい、猫はそんなに視力がよくないし、たぶん、髪型なんて認識の領野に入ってきていないのだろう。

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2006年8月15日 (火)

8月15日の「えの素」

 僕がなぜかこよなく愛してやまぬエログロナンセンス漫画の金字塔、榎本俊二の『えの素』に、主人公(?)郷介が、夜道で若い女性への痴漢行為を疑われる場面がある。

 たぶん彼には最初からその意図があり、ただ単に、痴漢行為を疑われた時点では「まだ」実際の痴漢行為に及んではいなかっただけ、と思われるのだが、とにかくその時点では未遂状態であったにもかかわらず、「チカンだってよ!!」と通行人に指さされてしまったことに憤りを覚えるわけだ。

 そして彼は、「くそーっ 疑われ損だーっ!!」と叫びながら、その女性の胸を触るのである。

 このときの、「(まだ)痴漢行為をしていないにもかかわらず疑われるくらいなら、実際に(公然と)痴漢をしてやる」と居直る郷介と、「いろいろ気を遣って日にちをずらしたりしてもどうせ批判が出るんなら、いっそ8月15日に参拝してやる」と居直る小泉首相は、とても似ている気がする。ムキになっている子供みたいで、なんとも香ばしい。きっと、彼には彼なりの「信念」があるのだろうが……。

 それにしても、僕はなぜ、これほどまでに『えの素』が好きなのであろうか。『ラス・マンチャス通信』の冒頭を読まれた人なら、「“なぜ”もなにも、要するにそういうのが好きなんでしょ?」と思うかもしれないが、その2つには必ずしも交叉性がないような気がするのだ。

 第一僕は、「エログロナンセンス」であれば何でも好き、というわけではない。信じられないかもしれないが、むしろ普段は避けて通っている。にもかかわらず『えの素』だけは、全巻、最低10回ずつはくりかえし読むほど愛好しているのだ。その理由を、僕はどうしても合理的に説明することができないのだ。

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2006年8月14日 (月)

太宰治っぽく

 そんなわけで、古い友人と久々に飲んだ。顔を合わせるなり彼は、「あのさー、ちょっと、写真撮っていい? いや、単なる趣味なんだけど」と言いながら、ものものしい一眼レフを取り出してみせた。「単なる趣味」とは言っても、男が久々に会った男友達の写真をわざわざ一眼レフで撮ろうとするという行為はかなり特異な気がするのだが、まあ彼はもともとそういうちょっと特異なところがある人なのだ。

 それで、駅前の公園を背景に撮ろうとしたが、今ひとつ気に入らなかったようで、「飲んでるときに撮ろう」と言う。

 バーでしばらく飲んでから、彼はあらためてカメラを取り出し、2、3枚撮ったが、なんだかまだ気に入らないらしい。

「なんか違うんだよね、もっと、大宰治みたいに撮りたいんだけど」
「そう言われても……」
「なんかさー、平山ってさー、もっとさー……うーん、なんて言ったらいいんだろう」
「思ってたイメージと違う?」
「うん、なんか、思ってたより歳を取ってる?」
「そりゃ、当然なんじゃないの? 8年ぶりに会うわけだし。最後に見たときの印象が残ってるとすれば、そのときと比べたらそりゃフケてるでしょう」

 まあ、彼の言わんとするところはわかる。実際に僕は、ここ数年でだいぶフケた。もともと実年齢より若く見られるタイプで、34歳くらいのころに28歳くらいだろうと言われたりしていた。しかし最近は、実年齢37歳(もうすぐ38歳)に対して、せいぜい「35歳くらい」と言われる程度だ。つまり、見かけが実年齢に急速に追いついてしまいつつある、ということだ。

 とりわけ写真に撮るとそれがごまかしようもなく克明に記録されてしまい、「誰だこのオッサン」と自分でもぎょっとするほどなのである。

「だから、君が求めていた僕像はすでに永遠に失われてしまったわけだよ」

 僕はそう言ってみたが、彼はまだなにか納得していない様子だ。

 店を出て駅に向かいながらもまだ彼は僕の写真を撮ることに執着していて、結局、地下鉄の階段前で再度撮影会となった。そこで角度を変え、距離を変え、ズームを変え、フラッシュを焚いたり焚かなかったり、とにかく矢継ぎ早にシャッターを押しまくった。

 40近い男が40近い男の写真をバシバシ撮りまくっている様子はかなり異様だと思うが、さいわい彼が持っているカメラがそうとうおおげさな感じなので、道行く人もおそらく、プロのカメラマンがなにかの撮影をしているのだろう、くらいにしか思わなかったにちがいない。彼は結局、その場だけで20枚くらい撮影してから、ようやく満足した。

「これなんか、大宰っぽくない?」

 彼がそう言ってプレビューで示した1枚は、たしかに大宰っぽいというか、「作家」という感じだ。要するに彼は、せっかく作家になった友人に会ったのだから、いかにも作家っぽいたたずまいをしている僕を撮りたかったのだということらしい。しかし僕は今日も普通に会社に行って働いて帰ってきたところで、クールビズ期間にもかかわらず依怙地にネクタイを締めつづけている姿なので、「作家っぽさ」を出すのはそもそも無理があったのだ。

 そういえば、高校生の頃、(一部で)「大宰治に似ている」と言われたこともあったなぁ、でも僕は当時それを、どちらかというと不名誉なことに思っていたのだったなぁ、と懐かしく思い出しながら帰途に着いた。


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2006年8月13日 (日)

虫の知らせ

「ワスチカ」についての感想がアップされていたことがきっかけで、長いこと会っていなかった大学時代の友人がやっているブログを発見した。へぇ、こんなブログを……と思って2、3日はなんとなく見ていたのだが、その後忙しさにかまけてチェックしなくなっていた。

 5ヶ月ぶりくらいに、「そういえばあのブログはまだやってるのかな」とふと気になってアクセスしたら、つい前日に書かれた日記に、名前こそ出していないものの、まさに僕のことが出てくる。『シュガーな俺』連載開始をきっかけに僕が糖尿病患者であることを初めて知って、そこから「健康であること」について考えを巡らせたようだ。

 だからと言って、彼がいつもいつも僕のことに日記で言及しているわけではもちろんない。たまたまだ。たまたま僕が彼のブログの存在を意識したときに、たまたま僕のことが書かれていたのだ。虫の知らせってのがあるんだなぁ、と思っていたら、その晩、まさにその友人から2年ぶりくらいで電話がかかってきた。

 僕はかなり驚いたが、よくよく考えると、その電話の方はそれほどたいした偶然でもない。彼はもともと、ブログに言及したくらいなのだから、「どうしているのかな」と僕のことを考えていたわけで、折しもお盆休み、久々に会えないかなと思って電話してきたわけだ。

 そんなわけで、明日急遽、その友人と会うことになった。彼は現在、少し離れたところに住んでいるので、そうしょっちゅう顔を合わせられるわけでもない。というより、実際に顔を突き合わせるのはたぶん8年ぶりくらいだと思う。

 このごろ、1年の重みがなさすぎる。プラスマイナス2年程度の認識違いはザラだ。2年・3年ズレは当たり前ーっ、という感じだ。

 実は今、そろそろ期限の切れるパスポートの更新をしようと思っていて、それに際して、「そういえば住基ネットの住民票コードってずっと前に通知が来た気がするけどあれってその後どうなったんだっけ?」と気になりはじめた。僕の記憶では、5年前まで住んでいたアパートでそれを受け取ったと思っていたが、見つけ出したそれは4年前、現住所宛てに送られていた。まったく、あてにならない。


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2006年8月12日 (土)

徹カラ

 年がいもなく徹カラをやってしまったので、今日1日ぐったりしていた。年々、声が出なくなる。声が出ないのに歌いつづける。それでも、ひところよりはマシだ。

 8年ほど前、カラオケにほとんど依存している時期があった。ある晩、午前1時の時点で、一緒に飲んでいた連れをカラオケに誘ったが、彼女は帰ると言う。どうしてもおさまりがつかなかった僕は、その後地元のカラオケルームに1人で入った。ただ、従業員に1人だと言うのが恥ずかしかったので、「後から1名来ます」と嘘をついた。2名分の料金を取られることになるが、そんなことはどうでもよかった。とにかく、歌いたくて歌いたくてたまらなかったのだ。

 その後僕は、朝まで4時間近く、1人で歌いつづけた。

 歌いながら次の曲を選び、リモコンを操作する。そうすれば、ロスタイムが限りなくゼロに近づく。ときどきトイレに行くのを除けば、ほとんど歌いづめだ。1時間に10曲としても、30〜40曲は歌った計算になる。よくもそれだけネタがあったものだと思うし、ともかくもそれだけぶっつづけで歌うことができたという事実に今でもわれながら驚嘆する。

 会計を済ませて、すっかり明るくなった戸外に出ていくときには、僕は完全に満足していた。おそろしく充足した気持ちだった。いや、「満たされた」と言うよりむしろ、「カラッポになるまで吐き出した」という感覚に近い。カラオケの「カラ」とは「カラッポ」の「カラ」なのではないかと思うほど。

 1人でカラオケに入ったのは、約38年の生涯においてもさすがにそのとき1度きりだ。あの衝動はいったい、何だったのだろうか。

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2006年8月10日 (木)

エロいイラスト

 以前、「SFマガジン」編集部にお邪魔した際、S編集長より、「つい先月までアルバイトで来ていたY君が今月から太田出版にいるんですが、『ラス・マンチャス通信』読んでおもしろいと言ってましたよ」と聞かされた。 

 その後しばらくして、そのYさんから、「Quick Japan」へのコラム執筆をご依頼いただいた。さらに半年ほど経って、Yさんが、「小学館に移ることになりました」と言う。移った先は、すでに何度かお会いしているTさんのいる「IKKI」編集部の隣、「ガガガ文庫」編集部だった。ご縁があるものだというか、It's a small worldというか……。

 その「ガガガ文庫」編集部より、『ライトノベルを書く!』という本をいただいた。ラノベ周辺のイラストレイターによるイラスト作品がたくさん載っていて、なんとなく、しばし見入ってしまった。ああいう絵柄にアレルギーがある人もいるだろうし、僕も正直、ある種の絵柄にはどうしても慣れることができないのだが、「うまいなー」と単純に感心させられるものも多々ある。女の子の体の線とかをすごく上手に、魅力的に描く人がいる。

 と言うとなにやらいやらしいが、というより、たぶん僕は今実際にいやらしいことを言っているわけだが、十把ひとからげに「ああいうのダメ!」と拒絶している人たちは、一度騙されたと思って虚心坦懐にあの手のイラストを鑑賞してみてほしい。あのエロさをわかってほしいのだ。あからさまにエロではないところに漂うほのかなエロを!……と、最近思うようになった。

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2006年8月 9日 (水)

正しいとは

 よけいなことは言わないで早く寝た方がいいと思う。思うんだけど言わずにいられないことがある。言わずにいられない。言わないわけにはいかない。そう、僕は思うのだ、村上春樹が言う「〜しないわけにはいかない」の多くは、本当は「〜せずにはいられない」なのではないかと。あれは微妙に用法が間違っているのではないかと。英語にすると両方"can't stop(help) ...ing"だけど、ニュアンスは微妙に違うのではないかと。村上春樹は微妙に間違っている。

 いや、そんなことを言おうとしたわけじゃないのだ。僕が「言わずにはいられない」(村上春樹的には「言わないわけにはいかない」)と思ったことはそんなことではなくて。

 言葉尻を捉えれば正論であっても、なにかが間違っていると感じることってないですか? なんかそれ違うんじゃない? と思うこと。それはたぶん、本当に「間違って」いるのです、なにかが。論理的におかしいのじゃなくて、たとえば倫理的に。僕はそのときそれを「おかしい」と感じる自分の感性を信じたいと思うのです。「正しさ」というのはそこにはないのだと思いたいのです。

 正しいことを言っているからと言って、それが正しい選択であるわけでは必ずしもない。友達の友達は必ずしも友達ではない。ゆるぎない自分など本当の自分ではない。ゆるぎなくなったらそれはすでに人間ではない。ああ、僕はあきらかによけいなことを言っているようだ。

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2006年8月 8日 (火)

朝日の取材

 『シュガーな俺』に関して、朝日新聞さんの取材を受ける。「朝日新聞」という固有名詞は、実は『シュガーな俺』の中にも出てくる。

 細かい点は割愛するが、文脈的には、「朝日新聞は難しい」ということを登場人物の1人が指摘しようとする中で言及されるわけだ。それは、実話に基づいている。そのことを話すと、取材にいらしていたTさんはショックを受けておられた。「難しくはないんですがねぇ」。僕もそう思う。朝日新聞は決して「難し」くはない。

 書き方が難しいわけではないのだと思う。ただ、ある種の思想を持った人から見ると受け入れがたいなにかが表明されているので、それを「受け入れられない」と表明する際の方便として「難しい」と言っているのだと思う。

 僕自身は、朝日と真っ向から対立するような立場の「なにか」を、むしろ受け入れがたい、と感じることが多い。ただし僕はそれを「難しい」と感じたり、方便としてそう表明したりするわけではなく、ただ単にバカだなと思うだけだ。という僕の発言は問題発言だろうか。政治的に偏向しているだろうか。どうでもいいや。

 掲載日は未定である。それより僕は、取材の後、世界文化社Uさんと話した際に出た話が何であったかが気になっている。「いや、これおもしろいですよ、ブログに書いていいですか?」と言った記憶はある。しかし、いったい何に対してそう言ったのか、私にはとんと思い出すことができないのである。


 

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2006年8月 7日 (月)

生きる意欲

 暑い。誰がどう考えたって暑いとわかりきってるときにわざわざ「暑い」と言明するのはとても野暮なことというか、場合によってはいやましに暑苦しさを加速させるだけだけと思うが、それでも「暑い」と言わざるをえないほど暑い。

 気温が一定以上の高さになると活動性が鈍るのは、生物としては当然のことだろう。どんな生き物にも、活動に適した温度帯というものがあるのだ。逆に寒過ぎても、動きは鈍る。温度が下がり過ぎれば、ものを考えることもできなくなって、やがてかぎりなく死に近づいていく。よくある、雪山で遭難して「眠っちゃダメだーっ」というやつだ。それはまさに死を意味するのだ。

 ところで、ゴキブリというのはもともと熱帯性の生き物であって、温度がある程度以上高いところでないと活動できない。ある種のゴキブリは、摂氏25度以下になると動きが鈍くなり、摂氏20度以下になるとまったく動けなくなるという。

「動けない」だけで、死んでしまうわけでは必ずしもない。彼らを叩き潰すと、腹から白い気持ち悪い物質がにゅるっと出てくるが、あれはラクダのコブと同じで、非常時のために備蓄している脂肪分なのだ。10日やそこらものを食わなくても平気で生きている。寒過ぎて動けなくなっても、だからそう簡単に死にはしない。仮死状態のままじっと身を潜めていて、暖まってくればまた活動を再開するのだ(たぶん)。

 そんなわけで、昔、北海道にはゴキブリは棲息していなかった。しかし最近は、札幌などでも目撃例があると聞く。空調の普及などで「活動できる領域」が広がり、北上していったということなのだろう。ああ、なんか、「北海道」という文字を書いたら、涼しいような気になってきたぞ。ありがとうゴキブリ。

 それにしても、そんな強靱な生き物であるゴキブリなら、ゴキブリホイホイで捕獲されてもしばらくは生きているだろう。実際、粘着物質に足を取られて身動きが取れなくなってもなお、触角をヒクヒクさせている姿を見た記憶がある。その一方で、生き物というのは身動きが取れなくなると生きる意欲を失って死んでしまう、という説も聞いた覚えがある。

 ゴキブリの場合はどうなのだろうか。それでもなお、腹に備蓄した脂肪を使い切るまで、微動だにできぬ体で生きつづけるのだろうか。僕は子どもの頃から、それが気になってしかたがないのだ。

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2006年8月 6日 (日)

無為のプライヴァシー

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 無為の姿が見えないと思っていたら、クローゼットの中のカラーボックスに自ら収納されていた。思わず撮影して、後で妻に見せたら、妻はすでにこれとほとんどまったく同じ写真を自分のケータイに収めていた。

 そのときには、もともとカラーボックスのこの段に入っていたセーターがカーペットに落ちていたそうだ。無為が自力で引きずり出して自分の居場所を作ったのだろう。そういえば、僕が気づいたときにクローゼットもカラーボックスのひきだしも開けっぱなしになっていたのは、そこが無為の新たなお気に入りの場所になったことに対して妻が特別な配慮を施していたからだったのだ。

 そういえば、ドラえもんはのび太の部屋の押し入れで寝起きしているが、あれはドラえもんがのび太のプライヴァシーを慮って自発的にそうしているのだったか、それともそうすることを余儀なくされたのだったか。あるいは、猫なのでそういうところを好む、という設定だったのか。ことによると、ドラえもん自身が一人でないと眠られないタチなのか。

 無為はクローゼットの奥や押し入れの奥に陣取っているときは、いくら呼んでも決して返事をしない。姿が見えなくて何度も大声で呼んでいると、押し入れの方から「にちゃり」という音がするので見に行ってみると、そしらぬ顔で舌なめずりしたりしているときがある。

 返事をしないということは、一人にしておいてほしいのだろうな、と思いつつ、手を伸ばして近づけると、慌てたようにザリッザリッとその手を舐めたりする。「子どもをかまわなくちゃ」という母猫スイッチが一瞬だけ誤って作動するのだろう。

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2006年8月 5日 (土)

花火

 先日初めて購入した浴衣を着て、50万人が集まる荒川河川敷の花火大会を観に行き、慣れない下駄で歩き回ったら、死ぬほど疲れ切ってしまった。

 花火を見るたびに思うことがある。夜空に飛び散るメタリックな赤や青や緑、ああいう系統の色が使われはじめたのは、どうも、なんとかストロンチウムだとかなんとかマグネシウムといった化学薬品についての知識が導入された明治時代以降のことらしいが、あれはとても、近代的な、というか、それをさらに超えてSF的な色だと思うのだ。明治時代の人々がどんな気持ちでああいう色を見ていたのか、興味のあるところだ。

 ところで、今年はうかうかしているうちにその花火大会の指定席のチケットを手に入れそびれてしまっていたのだが、妻がどうしても指定席で観たいと言うので、ちょっとびっくりするほど高値になっているやつをヤフオクで入手した。チケットが届いたのは当日の朝10時だった。

 そんなわけで、指定席で悠々と楽しめたのはよかったのだが、斜め後ろの若いカップルの男の方が、なんだか口数が多い。おしゃべりをしていると言うより、花火が打ち上がるたびになにかしら感想を言う。いや、そりゃ感想は誰だって口にするだろう。僕らだってそうだ。しかし、それがあまりにのべつまくなしなのだ。

「おおっ、いいね!」「たぁ〜まやぁ〜!」「ブラボー!」「あれいいね!」「おお、増殖してる増殖してる!」「高い!」「デカい!」「多い!」「ブラボー!」「いいねこれ!」「スターウォーズか!」「増えてる増えてる!」「おおっ、あれいいね!」「ブラボー!」「たぁ〜まやぁ〜!」

 うるさいなぁ、とちょっとイライラしてきたので、僕は意識をそらして、それが聞こえないように脳をコントロールしていたのだが、その間に妻が、貴重なやりとりを傍受していた。あるとき、ずっと黙っていた隣の女の子が、ひとこと、こう言ったのだ。

「黙れ」

 妻は一瞬、耳を疑ったが、それは彼の方も同じだったらしく、「え……?  ……“黙れ”?」とそのときはひるんだ。しかしそれに対する女の子の返事はなかった。普通、返事がなかったということは、やっぱり「黙れ」だったのだ、と解釈するのではないかと思うが、彼は逆に取ったか、聞こえなかったことにしたかしたらしく、その後も結局同じ頻度でのべつまくなしの感想を言いつづけていたという。

 彼なりに盛り上げようという気づかいだったのだと思えば痛ましくなくもないが、空気を読む能力は早めに身に着けておいた方がいいと思った夏の夜だった。


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2006年8月 3日 (木)

フォーラム化の兆し

 われながら、今朝はよくぞちゃんと起きて会社に行けたものだと思います。もともと今週は、改稿の大詰めやらブログの引っ越しやら「シュガー」の連載開始やらただでさえ慌ただしく、しかも会社の仕事も微妙に忙しく、疲れ切っているのだから飲みになど行かなければいいのですが、それでもやはり、人生に祝宴は必要なのです。

 さて、『シュガーな俺』のブログ型ネット連載がスタートして2日が過ぎ、明日は早くも連載第2回目ですが、おかげさまでまずまず好調な滑り出しのようです。コメントが1件もなかったらどうしようと危ぶんでいたのですが、杞憂だったようです。さっそくコメントを残してくださった方々、ありがとうございました。

 ああいうのはだいたい、最初に口火を切るまでにどうしても躊躇してしまうものだと思います。僕自身が典型的な「ほかの人の出方を窺う」タイプというか、結局「出方を窺って」いるうちにすべてが過ぎ去ってしまい、「まぁいいか」と流してしまうクチなのでエラそうなことは何も言えないわけですが、初回掲載分ですでに「シュガーな人ご本人」「シュガー予備軍の方」「シュガーな人の近縁者の方」「シュガーではない傍観者の方」とフルスペックで勢ぞろいした感があり、たいへん心強く思う次第。

 これでたまに専門医の方などが臨床サイドのブッチャケ苦労話などを書き込んでくださるとより賑やかで楽しくていいのではないかと思いますが。ただ、専門医の方、もし作中に出てくるあの医師あるいはその医師があまりにご自分に酷似していたとしても、気づかなかったふりをしてくださいね。偶然ですから!

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2006年8月 2日 (水)

深酒

 糖尿病患者であるにもかかわらず、さっそく深酒をしてしまった。というのも、連載開始と前作「ワスチカ」増刷のニュースが重なって、少々浮かれていたわけです。多少の逸脱は許されてしかるべきなのではないでしょうか。しかし、主治医のA先生は、少なくともおおっぴらにはこんなことを決して許してはくださりますまい。そして同病の皆さんも、真似しないでください。最悪の場合、死にますから。

 眠いです。もう3時じゃないですか。明日も会社じゃないですか。午前中、会議じゃないですか。無為が起きてきたじゃないですか。足もとで「にゃあ」と鳴いてるじゃないですか。この猫はあれなんです、僕が夜更かししてると「早く寝ろ」と催促するんです。自分は猫だから夜行性で夜じゅうほとんど眠らないくせに、僕がベッドに入ってないとそれが気に入らないのです。なぜなら猫は保守的な生き物で、習慣とかを偏執的に重んじるから。

 そんなわけで、とっととシャワーを浴びて寝ますよ。ああ眠い。

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2006年8月 1日 (火)

連載開始

 電子書籍@niftyでの『シュガーな俺』の連載が始まりました。ネットでの無料連載、しかもブログ形式でコメントやトラックバックまで受けつけるという異例の形態のため、どうなってしまうのかたいへん不安です。

 せっかくコメントをつけられるような仕様にしてあるのに、ほとんどそれがなかったらさびしい限りですので、どうぞ、作品の感想に限らず、思いついたことをなんでも書き込んでいただければと思います。糖尿病患者の尿は甘いのか、とか。最近やたら喉が渇くんだけど、とか。従妹のベスが酔っぱらって放り投げた指輪をマーサおばさんが飲み込んじゃったのさ、hahaha……とか。

 なお、『シュガーな俺』の連載ページには画面左のリンクから飛べますので、ご存知ない方はぜひ遊びにいらしてください。

 そんな中、拙著『忘れないと誓ったぼくがいた』の3刷りが決まったとの連絡を、新潮社担当編集Gさんより受けました。じわじわとでもコンスタントに売れているようで喜ばしいかぎり。……って、「拙著」だって。どうも、今まではてなダイアラーだったもので、「ヨソ様にお邪魔している」という意識が先立ち、語彙の選び方までヨソ行きになってしまっていけませんね。

 ああ、どうもダメだ。なんというかこう、尻のあたりがムズムズするというか。新しい環境になじむのに時間がかかる人間なのです。猫と同じです。「借りてきた猫」が「おとなしい」のは、いきなり未知の環境に連れてこられちゃって緊張と恐怖とストレスのあまり身動きも取れなくなっているからなのです。僕には「借りて」こられて「おとなし」くしている猫の気持ちが痛いほどよくわかります。

 しばしお待ちください、この環境に慣れるまで。

 

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