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2006年10月 1日 (日)

俺なんか

 最近、小学校などで一緒だったけれどその後交流が途絶えている人から、思いもかけずこのブログにコメントをいただくことが多い。その関係で、ふと思い出したことがある。

 高校2年のとき同級生だったある人が、よく「俺なんか」と言っていた。ただこれだけ聞くと、「(俺なんか)どうせダメだよ」といったへりくだりのニュアンスを思い浮かべることと思う。僕も最初は自動的にそういうニュアンスで聞いていたのだが、文脈的にしっくり来ないことが多いので変だと思っていた。

 ところがある日、体育の授業で、バスケットボールの模擬試合をやったときのことだ。彼と僕は同じチームだった。そしてスポーツがからっきし(死語)ダメな僕は、バスケの場合にはただボールを追っているフリをしてコートの中を無駄に走り回っているだけだったわけだが、そのことはまぁ措いておくとして、いよいよ次が僕たちのチームの出番となったとき、例の彼がこう言ったのだ。

「次、俺なんかだよね」

 そのとき初めて僕は理解した。彼が使う「なんか」は、この場合、「複数」を表しているのだと。つまり、「俺なんか」というのは、「俺たち」「俺ら」の意味だったのだ。

 しかし、そういう「なんか」の用法は、ほかに聞いたことがない。どこかの方言なのだろうか。ちなみに僕は当時、埼玉県南部のとある私立高校に通っており、彼も住所は埼玉県内だったはずだ。ただ、それが彼の住んでいる場所の方言であるとはかぎらない。たとえば彼のお父さんなりおじいさんなりが、そういう方言を使う地方の出身で、彼の家庭ではそういう使い方をするのがあたりまえだった、ということなのかもしれない。

 意味がわかってからもなお、彼がその意味で使う「俺なんか」に僕はどうしてもなじむことができず、聞くたびに違和感を覚えていたものだが、同時に僕は、当時こんな分析もしていた。

 普通、「謙譲」の意味で使う「なんか」が「複数」の意味でも使われるとすれば、逆もあるのではないか。ちょっと考えてみて思い出したのは、万葉集で山上憶良が詠んだ有名な一首だ。「憶良らは今は罷らむ子泣くなむ……」。あの歌における「憶良ら」は「憶良たち」ではなく、「私、憶良めは」だ。自分の名に接尾辞「ら」を添えることによって、謙譲の意を表しているのだ。そうすると、くだんのクラスメートが使う「俺なんか」の「なんか」も、それと似た言語意識によって説明ができるのかもしれない。

 ただし、その後の人生においても、僕はこれと同じ用法の「なんか」に遭遇したことが一度もない。いったいどこの方言なのだろうか。それとも、それは彼個人が間違って覚えていた用法に過ぎなかったのだろうか……。

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コメント

気になったので調べてみたらこのようなページを発見しました。「千葉県の中央部分である千葉市市原市山武郡市を中心とした方言」のようです。(http://f25.aaa.livedoor.jp/~kokohore/chiba.htm)

************
~なんか

「~達」という意味です。「私達」のことを「私なんか」と言います。
別に「どうせ私なんか!ふにふに」と自暴自棄になってるわけじゃないです。
例:「私なんかの学校はきれいだった」「俺なんかが子どもの頃は」など
************

この「俺なんかが子どもの頃は」という使い方だとよくわかるような気がします。

投稿: ダレカ | 2006年10月 2日 (月) 03時05分

方言で思い出すのは、結婚をして義母と話をしていた時、「○○をくれてやろうか?」と言われた事です。うん?何々?くれてやろうか?って。そんな言い方される位なら別に要らないのに、でも、義母の表情はニコニコしているし…。
またある日、伯母と話していたらやはり「○○をくれてやろうか?」って。
それで、主人に「お義母さんと伯母さんに、くれてやろうか?って言われたんだけど、何でそんな言い方をするのかなぁ?」。
主人は、ああそう言えば言ってるかもね、でもそれはこちらの方言だよって言われ納得。
その後、数年後にこの話を義母にして「そんな言い方をされる位ならくれなくたっていいって思ってましたよ(笑)。でも、方言だったんですね。」と言ったら、
「くれてやろうか?ではなく、くれようか?だよ」っと訂正されました。
あれぇ、そうだったの、私にはずっとくれてやろうかに聞こえていたんだけど……。
そんな私も、たまに「くれようか?」と口にする事があります、慣れって凄いですね。

投稿: えぞりす | 2006年10月 2日 (月) 10時58分

> ダレカさん
おお、きわめて明快な解答、ありがとうございます。スッキリしました!
しかし、埼玉から見て意外に地理的に近いところにソースがあったのですね。だとするといっそう、彼がその地域の人を親に持っていたという推測が真実味を帯びてきます。
おっしゃるとおり、「俺なんかが子どもの頃は」という凡例を見ると、使い方が胃の腑に落ちる感じがしますね。というか、その用法の「俺なんか」なら、ほかの人からも聞いたことがあると思います。
それにしても、この方言解説おもしろいです、しばし読みふけってしまいました。

> えぞりすさん
「くれる」という言葉自体が、えぞりすさんの耳にとってはありうべからざる響きを持っていたために、実際にはありもしなかった「やる」まで一緒に聞こえてしまったのでしょうね(笑)。
それにしても、婚姻関係によって、ある家庭の中で混ざり合っていく方言というのは、侮れないものがあります。妻の実家が信州の方なのですが、そちらからわが家に導入されて完全に定着してしまった語というのがいくつかあって、ときどき、家以外の場でもあたりまえのように使ってしまいそうになることがあるのですよ。「ささらほうさら」(「ふんだりけったり」「しっちゃかめっちゃか」に近い方言)とか。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月 2日 (月) 20時08分

私も”なんか”の自虐以外の意味を初めて知りました!

また平山さんとの共通点を発見(喜)!私も運動がからきし駄目なのです~。私は背が高くて、それだけで『運動できる』と思われていたので、余計にコンプレックスでした。

それと、父は長野(大町)出身。でも「ささらほうさら」は初めて聞きましたね。長野も大きいから地域によって方言も全然違うのでしょう。
父は18才で東京に出てきたため方言を全くしゃべりません。親戚が集まった時ぐらいしか聞けないですね。

投稿: | 2006年10月 2日 (月) 20時55分

あっ、そうですね、「謙譲」というより「自虐」の方がピッタリはまりますよね。

しかし、女の人で背が高いと、自動的に「運動ができる」と誤解されがちなのはなんとなくわかります。まわりが勝手に思い込んでるだけなのに、結果として「期待を裏切る」ようなことになってしまうなど、屈辱的なことがいろいろおありだったことでしょう……。

ちなみに妻の母は、言語的には松本市方面と長野市方面のブレンドらしいです。だからよけい複雑というか、出自がわかりにくくなっているのでしょうね。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月 2日 (月) 22時24分

時々、このブログを拝見しております。高校2年の時に同級生ということで、少し気になったので、コメントさせていただきます。実は、私も、同級生の一人なのですが、そんなことを口癖のように言う人がいたとは、気づきませんでした。そうそう、小宮氏が担任だったと思いますが。
私が当時のことで覚えているのは、確か、倫理の授業だったと思いますが、発表の時に、いつもは大人しい性格だと皆が思っていた平山氏が、ものすごいスピードで、(マシンガントークとでもいえば良いのでしょうか)哲学者について話を始めた時に、皆、あっけにとられていたのを、つい昨日のように思い出します。かなり衝撃的な”事件”でしたね。
それではまた。今後とも楽しみにしております。

投稿: 名乗るほどの者ではありません | 2006年10月 4日 (水) 01時17分

えーと、今度はどなたでしょうか(笑)。最近確信したのですが、たぶん、かつて僕を知っていた人で、現在、作家になっている僕を認識していて、このブログをときどき見たりしている人というのは、僕が想像している以上にたくさんいるのでしょうね、必ずしも存在を明かさないだけで。
担任は、そうです、"Know yourself"の小宮先生でした。そしてその、倫理の授業。いくつかのグループに分かれて、特定の思想家についてレポートを発表する、という課題でしたね、たしか。よく覚えてます。赤面モノです。僕がまったくの独断で選んだお題は、キェルケゴールの『死に至る病』でした。ああ恥ずかしい。おお恥ずかしい。マンマじゃないですか。絵に描いたような文学少年ですね。まあ、誰しも昔は「若かった」ってことで、ご容赦いただければと(笑)。
あなたが誰なのかは、文面からはなんら手がかりが得られず、正直、見当もつかないのですが、いずれにせよ、今後ともご支援よろしくお願いいたします。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月 4日 (水) 01時41分

埼玉県秩父市出身の者ですが、「なんか」を複数の意味で使います。

例としては「俺なんか」で「俺たち」という意味です。
「なんか」は「など」と同義のため、「俺など」となり、複数の意味あいを持ちます。
実際は言葉からすると単数、複数の混ざった表現のようです。

高校は熊谷市の高校に通っていて、そこでも記憶はあいまいですが、「なんか」を使っていたと思います。
私は「俺ら」を使ったことはなく、高校時代も「俺ら」は聞かなかった気がするので埼玉の県北でも「俺なんか」が主流かもしれませんね。

投稿: だいすけ | 2006年10月15日 (日) 12時11分

房州弁は西関東方言の一種ですので、複数の意味の「俺なんか」はかなり広い範囲で使われている、使われていたと推測できますね。

ちなみに先に挙がっている「くれる」は東日本で広く使われている「やる」「あげる」の方言です。

投稿: だいすけ | 2006年10月15日 (日) 12時27分

へぇ、そうなんですか! 同じ埼玉県に20数年暮らしていながら、その間はこのエントリ本文に挙げたクラスメートによる使用例以外、お目にかかったことがありませんでした。まあ、僕が住んでいたあたりは、僕の家庭自体がそうであったように、ほとんどが東京からの流入組だったので、言語圏的にはむしろ東京に近かったのかもしれません。
ここから先は想像ですが、関東でも東端にあたる千葉県の一部と西関東とで同じ用法の「なんか」が存在しているということは、かつては関東一円で使われていたそれが、中心(東京)から押し出されるようにして周辺にだけ残っている、ということなのかなと。
いずれにせよ、たいへん興味深かったです。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月15日 (日) 16時23分

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