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2006年10月17日 (火)

ありえない台詞

 たとえばだが、小説の登場人物がこんな台詞を吐いたとしたら、どうだろうか。

「1987年に、ブラジルでこんな事件があった。9月13日のことだ。放射性物質を密封して医療用に用いることがあるんだけど、ある医療機関がこれを廃棄業者に売却したんだ。廃棄業者は、それを運搬しやすくするために、まずのこぎりでバラしたんだよ。ところがその密封線源には、50.9ベクレルものセシウム137が含まれていたんだね。解体した現場付近には、目新しい遊び道具を探している子供たちがいた。どんな結果になるかわかるかい? 近隣住民のうちの4名が、4.5から6グレイ以上の放射線に体外および体内被曝して5週間後に死亡、10名は危険な状態に陥り、22名が集中治療の必要に迫られたんだ」

 こんな台詞、ありえねー、って思いませんか?

 まあ仮に、たとえばこの例なら、放射線事故などについてのエキスパートが語り手なのであると仮定しよう。しかしもしそういう人であったとしても、人数や日付や放射性核種の崩壊量(ベクレル)までソラでペラペラ言えるほどすべてのデータを暗記しているものだろうか。なにか、その事故に対してよっぽどの個人的なこだわりでも持っていないかぎり、あるいは、ごく稀に実在するらしい、一度読んだ文章は即座に暗記できてしまう特殊な能力の持ち主などででもないかぎり、そんなことはありえないのではないか。そしてもしそういう設定ならば、彼がそういう人であるというエクスキューズを、なんらかの形で作中に示すべきなのではないか。

 小説の書き手としての僕はつい、そういう部分でのリアリティにこだわってしまう。にもかかわらず、必要な情報はなんらかの形で作中に織り込まなければならない。そういうところでつまずいている人間に、小説の量産はできないと思う。まあ、正直なところ、量産する必然性もないわけだが。

 しかし、どうなのだろう。純粋な好奇心で知りたいのだが、読者の人たちというのは、上記のようなウソくささというのを気にしないものなのだろうか。話としておもしろければ、素通りしてしまうものなのだろうか。

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コメント

説明的台詞(別名:橋田壽賀子メソッド)っちゅうヤツですね。これを受け入れられるかどうかは、作風にもよる気がしますね〜。ある種の作品では“お約束”として許せる部分もあるし。そういう意味で、こないだ「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」でやってた、あるネタを思い出したですよ。「巨人の星の左門豊作と、その末の弟サブの“特訓の趣旨の理解っぷり”」というネタです。以下3分9秒付近に登場します。
http://www.youtube.com/watch?v=Ys9RYnFA-cA

投稿: もり | 2006年10月18日 (水) 00時04分

小説ではいまぱっと浮かばないのですが、自分が疎いジャンルのドラマなどを見ていると(たとえば歴史モノ)、「そういう説明的なセリフがないと背景がわからないわ~」ということがありますね。あと、こういう問題って漫画などで作家さんによっては悪役がいかにも悪役~な容貌か手抜きに描かれていることとも関連があるように思います(そういう点が気になっても新作が出れば購入する作家さんもいらっしゃるし、それほどでもない方もいらっしゃいます)。
あと、上記のセリフはさすがに極端だと思いますが、そういうものがもしも活字になっていたら、編集者の方がアドバイスしたりしないのかしらとかいったことも気になりますね。

そうそう、ついでになりますが、『國文學』11月号を入手いたしました。いまはブログをお休みしてらっしゃる(そのうちまたどこかで再会できるのではないかと思っている)某氏が言及していた食事のシーンが取り上げられていたりして、興味深く読ませていただきました。面白かったです。

投稿: ダレカ | 2006年10月18日 (水) 00時45分

僕の場合ですが、凄く気になる時もあれば、全く気にならない時もあります。
気になる時というのは、このエントリで平山さんが仰ってるような「リアリティ」を気にしていると思います。
他方、気にならないときというのは例えばミステリなどで〈読者とフェアに勝負するために情報を開示する〉などの決まり事として実行されている場合でしょうか。こういった場合は、説明的な長台詞が割と当たり前なので気にならないことが多いですね。
あまり深く考えたわけではないのですが、ジャンルフィクションの定型としてそのスタイルが広く採られていれば、気にする必要がない時もあるのではないか、と思いました。
でもやっぱり、それらのジャンルフィクション内であっても、「リアリティ」に配慮した書き方が出来ればその方がいい場合も多いだろうし、定型だからといってそのスタイルを無批判に踏襲していくのもどうかとは思いますが。
ああ、なんだかまとまってないです。ごめんなさい。

投稿: kenkaian | 2006年10月18日 (水) 00時50分

> もりさん
You Tubeのリンクありがとうございました。笑いました。すごいぞ左門末弟! たしかに、作品によると思います。極端な例を挙げれば、「魁!!男塾」において、だれかが死闘を繰り広げている間にギャラリーが吐く、あまりにも説明的・蘊蓄的な台詞の数々とか(あれがなけりゃ「男塾」じゃありません・笑)。

> ダレカさん
ああ、ドラマだとそうせざるをえないかもしれないですねぇ。ナレーションで延々説明したらダサくなってしまうとか、ありそうですもんね。でも小説は「地の文」を駆使できるわけで、それを使ってもうちょっと工夫のしようがあるんじゃないかなぁ、などと思うことが多いもので。というか、僕は逆にそうしないと気が済まないタチなのですよ。

あ、『國文學』ご購入いただきましてありがとうございます! そうなのです、あの方が「ラスマン」について書いてくださっていたこと(現在は現物を参照できませんが)が非常によくまとまっていてよかったので、内々にご本人の了承を得て、あえてあの部分を取り上げてみたわけです。

……と書いているうちにkenkaianさんからもコメントが。

> kenkaianさん
ミステリはたしかにそうですね、それ自体が定型的な約束事になっているというか、逆にそれがないと作品としての成立自体が危うくなってしまう面はあると思います。でもたぶん僕が気にかかっていたのは、kenkaianさんがおっしゃるような、「無批判に踏襲」的な部分なのだと思うんですよ。読む側もそれでよしとしているのなら、いわば最初から黙契が成立しているわけで、それはそれでいいのかもしれないけど、なんだかそれが書き手としての怠慢に見えてしまうときがあって……。いや、もちろん、作品によるんですけどね!

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月18日 (水) 01時05分

はじめまして、こんにちは。
シュガーじゃない私で、近頃焼き魚を食する回数が減ったのは愛猫の喪失だろうな、というような者です。

終わった感のあるエントリーに失礼します。
台詞であればん?とも感じますが、三人称の地の文であれば気になりません。あくまで小説ならば。
実生活では、主観客観取り混ぜつつ数値単位は正確に事柄を主張したり、プレゼンしたりする人種も多く目にするので、このくらいはアリなのではないかと。現実のほうが超えちゃっていると思っています。

それでは。

投稿: -den | 2006年10月23日 (月) 10時23分

猫さん、亡くなってしまったのですか。人ごとではない状況なので、そういうお話は本当に痛ましいです。

僕も、地の文だったら特に気にならないと思うのですよ。でもその、「現実のほうが超えちゃってる」というのも、たしかにありうることかもしれませんね。データフェチみたいな人もいますしね。
それに、こうしたデータの恐ろしいところは、デタラメを言っていてもそれらしく聞こえてしまうということです。たとえば上記台詞で、「50.9ベクレル」が「26.8ベクレル」でも「1267.23ベクレル」でも、いったいそれを聞いた何%の人がその間違いに気づくでしょうか。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月24日 (火) 01時45分

はじめまして。今はじめてniftyの『シュガ俺』を読み、そこからこのブログに流れてきた者です。
私はこの例のような台詞に違和感は感じません。それというのも、やはり好きなジャンルがミステリ、SF、医学サスペンスだからでしょうか。海外ドラマのシャーロックホームズ見ててもホームズが過去の事件の詳細をすらすらと暗誦してたりしますし、医学ものだと薬液のコンマmlの数字がキーだったりするので。
そして、デタラメデータの罠についてですが。小説の中での台詞の話なら、このいったデータは文脈として必要な場合のみ登場しますよね?たとえば、その後の展開で「実は当時含まれていたのは50.9ベクレルどころじゃなく、200ベクレルにも及んでいたらしい」…みたいに。だから、デタラメであってはいけないです。伏線なんです。そこで読者はなるほど!と思うんです。逆に言えば、こういった具体的な数値、固有名詞が出てくると、「きっとこの後の展開に関するヒントだ」と考えるわけです。
とにもかくにも、小説全体のトーンがおかしくならなければいいんですよね。

つたない文でわかりにくかったらすみません。それにいまさらのポストですみません!読んでくださってありがとうございました。ラスマンチャスおもしろそうなので読んでみます。

投稿: Dawn | 2006年10月25日 (水) 12時56分

はじめまして。
いや、まったくおっしゃるとおり、「小説全体のトーンがおかしくならなければ」いいんだと思います。僕は自分が今のところミステリを書かないし、あまり読まないので、そうではないジャンルの小説における、必然性のない知識の開陳に近い文脈で上記のような台詞が吐かれる場面をもっぱら想定していたわけです。だから、デタラメデータの件も、ミステリなら、「伏線じゃないか」と読者が注目するであろうことがわかっているので、「デタラメは書けない」だろうけど、そうでなければいくらでもホラが言えてしまうという。まあ、ハナからホラを言うつもりで書くなら、それはそれでまた別なわけですが。
それにしても、このエントリにこんなにコメントがつくとは思ってもいませんでした。伸びる伸びる(笑)。

「ラスマン」に興味を持っていただいて嬉しいです。「シュガ俺」とはまったく異なる趣向の小説ですが、僕の原点とも言える作品ですので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年10月26日 (木) 00時35分

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