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2006年11月30日 (木)

写真展会場にて

 あるきっかけで知り合った写真家・野村昌平さんの個展を観に行く。

  野村昌平写真展 bittersweet

 去年の3月、新宿ニコンサロンで開催された個展以来、2度目だが、僕は前々から、この人の撮る猫の写真が大好きである。なぜなら、ちっとも可愛くないからだ。それが逆に、この人が本当に猫好きであることを表明している気がする。

 とりたてて猫に関心がない人が猫を撮ろうとしたら、むしろできるだけ可愛く撮ろうとするのではないかと思う。しかし実際には、猫というものは、可愛くない表情をしている瞬間が往々にしてある。真の猫好きであれば、その「可愛くなさ」をこそ「可愛い」と感じ、まさにその瞬間に着目する。野村さんの猫写真には、そういうニュアンスを感じる。今回も、猫を写した作品は2点あり、どちらも可愛くなかった。

 多くの写真に、1人、2人という単位で、人物が写り込んでいる。ケータイを操作しながら歩く女性。ベランダに立って外を眺める女性。植え込み越しに顔の上半分だけが覗いている、あずま屋に並んで腰かけるカップル……。しかしそれは、「人物を撮影したもの」ではない。かといって、単なる風景を撮影したものに彼らが偶然「写ってしまった」というのとも違う。そこにはあきらかに、対象の人物を取り込もうとする作為を感じる。それでいて、(作品を貫く視点としての)フォーカスは、その人物たちから巧妙に避けられている。その微妙な距離感に幻惑された。

 ところで、僕が到着したとき、会場には1人だけ先客がいて、後に野村さんから控室のようなところに一緒に招き入れられてコーヒーをごちそうしていただくことになったのだが、その「先客」とは、2005年10月公開の映画『誰がために』(出演・浅野忠信ほか)で監督デビューを果たした日向寺太郎さんだった。野村さんにとっては、大学時代の先輩に当たるとのこと。期せずして、写真家・映画監督・作家が一堂に会することとなり、しばし歓談した。

 話の流れで、「子供のいない僕には、子を持つ親の心情が本当には理解できないのではないかと思うので、小説の中でそういう描写をするときにそれが弱みになるかもしれない」という意味のことを言ったら、日向寺さんは「そんなことはないと思いますよ」ときっぱりおっしゃった。小津安二郎だって生涯独身を貫いたのに、父娘の繊細な関係性をリアルに描いた。自分もフィクションの作り手として、描くものを実際に自分が経験しているかどうかは問題ではないと思う、と。非常に励まされるひとことだった。

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2006年11月29日 (水)

80年代の青春

 津原泰水さんの『ブラバン』を読み終わる。高校時代の吹奏楽部のエピソードと、20数年後、オジサン・オバサンになってしまった元吹奏楽部員たちのエピソードを往復する形で書かれたものだが、この人はどんなスタイルで書いてもとにかく圧倒的に文章がうまいので、最後まで気持ちよく読めた。ただ、かなり苦い話ではある。もちろん、そこがまたいいのだが。

 それより、語り手である「多片」(タヒラ)が高校1年だったのが1980年で、それから卒業までの数年の話が断続的に語られるわけだが、「1980年代の青春」を描いた小説というのは、意外に見当たらない気がする。ちょっと考えてみて、すぐには思いつかないのだ。

 その頃の僕は小学6年生なので、「青春」と言うにはまだ早い。しかし、時代の雰囲気だけはなんとなく覚えている。帯にもあるとおり、「大麻を隠し持って来日したポール・マッカートニーが一曲も演奏することなく母国に送還され、ビル・エヴァンスがジョン・ボーナムがジョン・レノンまでも死んでしまった、1980年(昭和55年)」。まさにそれだ。音楽としての、文化としての「テクノ」が台頭しはじめるのもそれと軌を一にしているし、世の中がなんとなく浮ついた感じになってくるのもその頃だったのじゃないかと思う。

 あ……なんかいやだな。こういう調子で書いているとまた、「つまらない」「くだらない」とか言われそうだな。しかし無視して続けよう。だってこれはブログなんだから。思いつきレベルのことをタラタラ書いて何が悪い?  って被害妄想ですかね。なんか疲れ気味なので気持ちがササクレ立っている。ナーバスになっている猫状態。

 ……気を取り直して、と。当たり前のことだが、あれはあれで、特異な空気に支配された一時期だったと思う。そういう「80年代の青春」を描いたという意味でも、この小説は特筆に値するのではないだろうか。少なくとも僕は、そういう観点からもこの小説を堪能した。

 で、家に帰ってきたら、『シュガーな俺』を読まれた「日刊ゲンダイ」の人から取材依頼のメールが来ている。今度は書評や書籍紹介ではなくて、「健康」コーナーだ。そうそう、そういう切り口でも取材してくれないかな、と思っていたのだ。しかし、本を直接の対象とした取材ではないとすると、作家としてよりもむしろ、「糖尿病患者」としての自分にスポットが当てられることになるのだろう。なんだか変な感じだ。

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2006年11月28日 (火)

酉の市

 新宿・花園神社の酉の市に行く。いちばんの目当ては、今や日本で唯一の生き残りと言われる「見世物小屋」だ。双頭の牛のミイラ、脱皮間近の巨大なニシキヘビ、熱して液状になった蝋を口の中に流し込み、一気に吐き出して火を噴く芸などいろいろ見せられたが、最も印象に残っているのは、「ニューフェイス」の小雪大夫。椎名林檎に激似の普通に可愛いこの人が、鼻の穴から鎖を入れて口から出し、あまつさえその両端を、水を張ったバケツにつないで持ち上げたり、頭をもいだ蛇を生のままかじって食べたりする。たいへん堪能した。

 感心したのは、客を巧みに出口へと誘導していくそのシステムだ。「この芸はこっちの方に来ないとよく見えません」と言いながら、段階的に客を(入口とは反対の)右側へと詰めさせてゆく。最後には、舞台の右の方でワンちゃんのショーをやり、ドギツい芸の後味をきれいに拭い去ったあたりで、「お次は鼻から口へ鎖を通す実験です」と言って、演目が一巡したことを観客に示す。その頃には、観客たちは出口に近い右奥あたりに位置しているという寸法だ。料金は昔ながらの後払い、つまり「お代は観てのお帰り」なので、そこで成人は800円を支払って小屋を出て行く。

 通しで30〜40分くらいだっただろうか。しかし、見たところショーはエンドレスで続けられている(どの時点で小屋に入っても必ず一巡できる仕組み)ようなので、演者たちはいったいいつ休憩を取っているのか、その点が気にかかる。小雪大夫はその間、生臭い蛇の後味をずっと口中に留めたままなのだろうか。

 見世物小屋とは言いつつ、人権団体から突き上げを食らうような題材・演目は周到に避けられている。このスタイルが定まるまでにいろんな葛藤や障壁、生き残りのためのさまざまな妥協や工夫の数々があったのだろうなと想像される。しかし、MCを張るベテランっぽい女性の口上の圧倒的なウマさと、「ニューフェイス」小雪大夫の圧倒的な可愛さで、すべてが許されている感がある。おもしろかった。

 昔、母親がよく、「酉の市に行ってきた」と言っていたのを思い出す。酉の市に行って、その帰りに仲間としこたま飲んできていたのだ。それは母親が酒飲みとして絶頂の頃で、今思えば、現在の僕と同じくらいの年ごろのことだった。当時はただ話に聞いているだけで、とりたてて興味を抱かされるわけでもなかったが、今になって、「ああ、こういう感じだったのだな」と感慨深く思う。しかしまた同時に思うのは、それは専業主婦としてはいかがなものだったのか、ということだ。酒好きの豪快な母。豪快なようで小心者の母。それとそっくりな息子の僕。

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2006年11月27日 (月)

授賞式

 僕の出身である日本ファンタジーノベル大賞の授賞式に、過去受賞者として出席する。去年までは、受賞が発表された約1ヶ月後の9月末に開催されていたが、今年からは受賞作が刊行されたちょっと後のタイミングである11月末に開かれることになったらしい。その関係か、去年まで、出席者に配られるおみやげのケーキが、今年からは箱入りの受賞作現物支給に変わった。

 そうと知らなかった僕は、Amazonで大賞・優秀賞の受賞作を事前に購入してしまっていた。しかし、今日、会場でもらった本には、大賞の仁木英之さん、優秀賞の堀川アサコさんからそれぞれサインを頂いてしまったので、すでに購入している分はだれかに譲ることになるだろう。当日、本がもらえるならもらえると教えてくれればいいのに。しかし、担当編集者のGさんも今日になって初めて知ったらしいので、しかたあるまい。

 さて、今日は授賞式というより、正確にはその後のパーティーから参加したのだが、しかも、勤務先での仕事が少々長引いて、途中から顔を出す形になったのだが、顔を合わせる関係者の皆さんから「具合はどうですか?」と訊ねられ、それが何の「具合」についての質問なのかすぐにはわからずしばし戸惑わされた。

 つまり、「血糖値はどうですか?」という質問なのか、「転倒して切ったという頭の具合はどうですか?」という質問なのか、それともそれ以外のなにかについての質問なのか、質問の形からは即座に判断できなかったということだ。ブログをこまめにチェックしてくださっている人の場合、「頭の傷」についての質問ということがありうる。そうでない場合はたいてい、「血糖値」についての質問だ。しかし僕には、相手が僕の何にどこまで関心を持っておられるのかが判断できない。

 新潮社の編集長・Kさんの場合もそうだ。「このたびはご愁傷様でした」と言われ、一瞬なんのことかわからなかったのだが、無為についてのお悔やみを述べてくれていたのだった。聞いてみれば、Kさんも今現在、猫を3匹も飼っておられ、これまでにも死んでいく猫を看取られた経験がおありとのこと。聞けばなるほどと思うが、それまではわからない。飼い猫が死んだとか言っても、反応しない人はまったく反応しないからだ。

 毎年顔を合わせていながら、選考委員の鈴木光司さんとは結局軽くご挨拶するだけで終わってしまった。韓国で僕が紹介される際、必ずと言っていいほど、「デビュー作『ラス・マンチャス通信』が、『リング』の鈴木光司の絶賛(韓国的表現では、「激賛」)を浴びた」といった文言がセットになっていて助かっている、ということをいつかご本人にお伝えしようといつも思っているのだが。

 新潮社の身内および歴代受賞者が中心となる2次会がひける際、僕を酔っ払い扱いする担当編集Gさんその他新潮社の方々を失敬だなと思いつつ、帰る方向が一緒だった新潮社の某氏と共にタクシーで帰路に就くが、
実際に僕は酔っ払いだったのだろう。シュガーにあるまじき醜態なり。

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2006年11月26日 (日)

ああ無常

 なんだか不意に無常感に襲われて、5日もブログを放置してしまった。まあ、似たような発作は実は周期的に何度も起きているのだが。

 僕が勝手に私淑している津原泰水さんの新作『ブラバン』を読んでいたら、「ヤンキー」(アメリカ人じゃなくて、「ヤンママ」「元ヤン」などと言う場合のそれ)の語源についての言及があった。ほかでも指摘されていることかもしれないが、僕はこれを読んで初めて知ってなるほどと思った。

 本来は、「難波の商店街通称アメリカ村で売られていた、ぶかぶかファッションに身を包んだ若者たち」のことで、「アメリカ人」の卑称である「ヤンキー」と、彼らが多用していた「---やんけ」という語尾を引っかけてあるのだという。

 ところでその「ヤンキー」という語は、僕が中学・高校生くらいの頃にはまだごく普通に使われていたと思うのだが、中原中也の詩に出てくる「水色のプラットホームと 躁ぐ少女と嘲笑ふヤンキイは いやだ いやだ!」という一節を目にするたびに、僕はどうしてもその「ヤンキイ」を「アメリカ人」ではない方の意味に取ってしまっていたものだ。頭ではわかっているのだが、浮かんでくる情景が「頭をリーゼントにして、ボンタンを穿いて嘲笑うヤンキー」なのだ。

 それはそうと、明日、11月27日には、『シュガーな俺』についての僕のインタビュー記事が掲載された「週刊現代」が発売される予定だ。「現代ライブラリー」という書評コーナーの、「書いたのは私です」というページだ。

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2006年11月20日 (月)

書評されるシュガー

 ここのところ、いろいろなメディアで書籍版『シュガーな俺』が相継いで紹介されている。把握している限りで、「朝日新聞」(夕刊・ブックタイムス10月号)、「東京新聞」、「糖尿病NET」、「KING(講談社)」、「日刊スポーツ」、そして今日発売の「SPA!」(11/28号)、さらに明日発売の「週刊朝日」。いずれも書評の形だ。それに繋げる形で、「週刊現代」「dancyu」「週刊女性」の取材3件が続々と記事になる。これで少しは知名度がアップするだろうか。

 なお、「SPA!」の記事には、さっき偶然気づいた。谷口隆一さんの書評で、非常に好意的に書いてくださっているので、嬉しいかぎりだ。いや、どんな形であれ「SPA!」のようなメジャーな雑誌の書評に取り上げてくださったこと自体、すごくありがたいと思っている。だからこんなことを言うのも恩をアダで返すようでどうかと思うのだが、記述内容にちょっとだけ気になる点があったので、はばかりながら指摘させていただきたいと思う。

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仕事が忙しくなった妻との関係がぎくしゃくし始め、喬一にストレスとなってのしかかる。(中略)ストレスを紛らわせようと酒量を増やし、食事も増やした結果、再発。それも不治の段階へと至ってしまった。
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 とあるが、まず、糖尿病はどっちにしても「不治」の病である。おそらく、努力次第で相対的にマシな状態に持っていける「2型糖尿病」と、どうあがいても改善の見込みはない「1型糖尿病」の違いのことをおっしゃっているのだと思うが、喬一はストレスから「酒量」と「食事」を「増やした結果」、そういう状態になってしまったわけではない。喬一が罹患した「型」は、喬一が暴飲暴食をしようがしまいが、もともとそうなる運命の「型」だったのだ(作品を未読の方への配慮から、なんだか奥歯にものの挟まったような言い方になってしまって申し訳ない)。

 上記の書き方だと、そのへんがちょっと誤解される恐れがある。ただ、そう取られてもしかたがないような展開の仕方にしてしまっていることもまた事実なので、そのへんはどうにも表現のしづらい部分だ。

 とはいえ、それ以外はもちろん、とても簡潔・明快にまとめてくださり、心から感謝しておりますよ、谷口さん。ありがとうございました。

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2006年11月19日 (日)

この寒さは……

 寒い。この寒さはなんだろう。季節とか天候とかに関係なく体の芯から寒いような気がする。無為のことや連日の取材、『冥王星パーティー』の手直しなどで中断していた小学館向けの書き下ろし執筆を今日からやっと再開したが、寒くてやりきれない。気分転換になんとなく東京国際女子マラソンをテレビで観ていたが、それがまた寒そうでこちらもいっそう寒くなってくる。

 そして、高橋尚子がもう33歳だと知って一瞬愕然とする。28歳くらいかと思っていた。いや、たしかに記憶があるのだ、「高橋尚子(28)」という文字を新聞だかテレビだかで見た記憶が。それからいつのまに5年もの歳月が過ぎていたのか。それから5年もの間、僕は彼女の年齢について一度も関心を持ったことがなかったというのか。

 などと思っているうちに寒さに耐えられなくなって蒲団に潜り込み、震えているうちに眠気に襲われて2時間ほどまどろんでしまった。したがって、高橋尚子が土佐礼子に負けたいきさつも見届けることができなかった。しかもその間に、無為がまだ生きていた、という夢を二度も見てしまって、目覚めてからしばらく、寂寥感でどんよりしていた。

 夕方から気を取り直して、ちょうどひと月ほど前に初めて行ってみた美容室でカットしてもらう。すでに「シュガー」を読んでくださっていた店主のAさんから、サインを求められる。今度「ラスマン」も読んでくださるとのこと。ただ、あの本はすでに市場から姿を消しつつあるので、無事入手できればいいのだが……。

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2006年11月18日 (土)

ワスチ韓

『忘れないと誓ったぼくがいた』の韓国版が、去る11月9日に発売になっていたらしい。無為の命日だ。

 タイトルについては、『忘れないと誓ったぼくがいた』を直訳すると"잊지 않겠다고 맹세한 내가 있었다"、「イッチ・アンケッタゴ・メンセハン・ネガ・イッソッタ」だが、これだと韓国語としては不自然なので、別の案を考えた方がいいということになっていた。その後、結論がどうなったのかを聞かないまま今に到ってしまったが、結局、それがタイトルになったようだ。

 現物はまだ手元に届いていないが、ブルーのかわいらしい表紙で、『ラス・マンチャス通信』の韓国版のときと同じく、装幀に凝りまくっているようなので、見本が届くのが楽しみだ。

 ところで、その韓国版についてネットでいろいろ検索している過程で、おもしろいものにめぐりあった。某ネット書店のサイトに掲載されている僕の著者紹介文なのだが、これだけ読んでいると、まるで僕が現在ブレイク中のものすごく売れている作家であるかのように見える。拙訳でご紹介しよう。

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平山瑞穂-1968年東京に生まれ、立教大学社会学部を卒業。2004年、デビュー作『ラス・マンチャス通信』により、第16回「日本ファンタジーノベル大賞」の大賞を受賞した。2006年2月、2作目の小説『忘れないと誓ったぼくがいた』を、同年10月、自伝的小説『甘ったるい俺』(※1)を発表。2006年現在、多方面で旺盛な執筆活動を展開している。次作『冥王星パーティー』は、2007年初頭(※2)に日本有数の出版グループである講談社から(※3)刊行される予定だ。同時に、来年、講談社(※4)が刊行している20~30代向けのコミック誌「IKKI」に連載される漫画作品のストーリー執筆(※5)依頼も受けている。

【訳註】
※1 もちろん、『シュガーな俺』のこと。
※2 これは、2007年3月刊行に確定。
※3 実際には新潮社から。
※4 「小学館」の誤り。
※5 マンガの原作ではなく、小説を漫画家とのコラボという形で連載する構想。ただしあくまで「構想」段階で、確定ではない。
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 翻訳者キム・ドンヒさん経由での「近況」報告がめぐりめぐっているうちにいろいろと誤りが混ざり込んではいるが、ほぼリアルタイムの情報がここまで把握されているのには驚いた。というか、日本のいかなるメディアでも、僕の動向をこれほど詳しく紹介してくれている文章にはお目にかかったことがない。

 ただ、すでにネット上に現れはじめている個人の感想などをざっとチェックしてみたところ、「前作ラスマンに比べて物足りない」といったトーンが今のところは目立つ感じだ。日本でよりはるかに「ラスマン」が売れた国だけに、ああいう異様さ・不穏さを期待する向きが強いのかもしれない。

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2006年11月16日 (木)

1週間後の無聊

 まず大きな前提として、「愛国心」などというものは、個人の良心に属する問題で、法的な裏づけのもとにとやかくいわれる筋合いのものではない、という拒否反応みたいなものがあるわけだが、その点にはまあ目をつぶるとしよう。それはもしかしたら、趣味の問題かもしれないから。

 しかしどうしても解せないのは、それがどうして「教育」と結びつけられるのか、ということだ。というか、「愛国心」を教えることがどうして教育の改善に結びつくと思うのか、そのリンクのしかたが僕にはさっぱり理解できない。最初から理解できないし何度説明を聞いても理解できない。いや、実のところ、説明なんてろくすっぽ聞いちゃいないが。聞いてると不愉快になることは聞かない。不愉快な人物の言うことは聞きたくない。思想ばかりか顔も不愉快だし声も不愉快だ。

 といった、きわめて偶発的で垂れ流し的な「立場」の開陳はひとまず措いておくとして、4作目『冥王星パーティー』の入稿用データをようやく新潮社に送信した。あとはたぶん、ゲラでの調整になるだろう。前にも書いたが、ここに来るまでが本当に長かった。なまじっか固有名詞などがたくさん出てくる、しかも10年くらいの期間にわたる現代モノの物語にしてしまったばかりに、設定年度の変更に伴って風俗描写なども一部書き換えなければならなくなってしまった。

 さて、無為が死んで1週間が過ぎた。泣いてばかりだった最初の激烈な悲しみがひとまず通り過ぎると、なんだか妙に手持ちぶさたな時間が日常の中に多いことに気づく。やらなければならないことは山のようにあるので、それをやっていれば時間はおのずと埋まっていくわけだが、無為がいないだけでどうしてこんなに「暇」な気がするのだろうか。きっと、自分で思っているよりはるかに長い時間を、僕は無為のために無為に使っていたのだろう。姿が視界に入るたびに仕事を中断して撫でたりかまったりして。

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2006年11月15日 (水)

そして人生は

 世の中ではいろいろなことが起きているようだが、それをフォローしている時間的余裕も精神的余裕もまったくない。子供が自殺したとか、校長が自殺したとか、いじめがあったとかなかったとか、親がわが子を殺したとか、似たような事件が連日報道されていて、だんだん区別がつかなくなってゆく。そういえば何日か前にフセイン元大統領に死刑が宣告されたとかいう記事を横目で見たような気がするが、あれは幻ではなかったのだろうか。小倉さんは糖尿病について触れていながらなぜ『シュガーな俺』について触れてくれないのだろうか。彼があれをもう読んでいるという情報はガセだったのだろうか。「世界糖尿デー」であった昨日、11月14日は、インスリンが発見された日でもあるそうだが、インスリンというのはどういう経緯で名づけられた名称なのだろうか。insul-の部分にはたしか「島」という意味があるはずだから、「ランゲルハンス島」にちなんだ名称なのだろうか。村上春樹はどういった経緯で「ランゲルハンス島」の語を作品名に取り入れる気持ちになったのだろうか。そういえば村上春樹訳の『ギャツビー』が出たそうだが、テヘランで『ロリータ』を読む女たちはあの作品をどれくらい村上春樹的に受容したのだろうか。僕は数年前、あれを原書で読んだときに、頭の中で自動的に村上春樹的に翻訳しながら読んでいる自分に気づいた。野崎訳で読んだときとはまったく別の作品であるかのように感じた。あれは村上春樹的に受容するのが正しいような気がする。でもそれは、僕が世代的に、村上春樹に「毒されて」いることから来る単なる錯覚なのかもしれない。

 今日は帰りがけに雹みたいなのがバラバラ降ってきて背中に当たって怖かった。アスファルトの上にも、ビーズ細工をぶちまけたみたいに白い粒が無数に散らばっている。われわれ人類はその堕落の果てになんらかの形で神の怒りに触れてしまったのか、と思った。神が人類を滅ぼそうとしているのかと思った。でもまだ世界は存続している。そして人生は続く。

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2006年11月14日 (火)

さらに取材

 昨日にひきつづき、今日は「週刊現代」の取材を、池袋の某珈琲店にて受ける。30代〜50代の男性がメインの読者層であるこの雑誌、シュガーに関してはまさにズバリとも言える。ただ、インタビューしてくださったAさんは、女性だった。

 持参しておられた『シュガーな俺』には無数の付箋がつき、赤ペンで傍線を引いてある箇所もある。なにか細かい矛盾などを指摘されるのではないかとビクついてしまったが、そうではなく、本を読むときの癖なのだという。ものすごく丁寧に、深いところまで読み込んでくださっていて、こちらが「こう読んでほしい」と思うところをピンポイントで逐一、的確に指摘してくださり、同席した世界文化社担当・Uさんとともに思わず唸らされた。

 そればかりか、Aさんはニフティの連載ページのコメントはもちろん、このブログまで、しかもどうやら全部、事前に読んできてくださったようで、僕自身、書いたことを忘れているような細かい点まで話の中でスラスラ出てくるので、なんだか裸にされて隅々まで検分しつくされた気分だった。

「奥さん、ちあきさんでしたっけ?」
「あ、はい。あれ? なんでご存知なんですか?」
「ちあきさんというお名前の方がコメントを書き込んでいらして、平山さんがそれを読んで“妻と同じ名前なので、妻に叱られているような気分になります”と書いていらしたので……」

 僕のことだけではない。Uさんと名刺交換するなり、「平山さんのブログに出てくる“世界文化社担当編集のUさん”ですよね? キムチが、名前がダメという理由でお嫌いなんですよね?」と、「黒いシミ通信」時代に書いたエピソードまで挙げる始末。もう、脱帽という感じだ。「ラスマン」「ワスチカ」の既刊2作や、『國文學』に寄せたエッセイもチェックしてくださっていて、この人の前ではテキトーなことが言えないな、と思った。でもおかげで、仕事の範疇を超えて楽しくお話ができた。Aさん、ありがとうございました。

 インタビュー記事の掲載号は、11月27日発売予定。きっと、読みごたえのあるいい記事に仕上げてくださることだろう。

 取材が終わった後は、Uさんと辛いタイ料理を食べて発汗しながら、次作の構想・展開について大風呂敷を広げておおいに語る。店内はほとんど若者ばかり、しかもそのほとんどは20代の女の子のグループで、むやみに発汗している30代男2人連れの僕たちはあきらかに浮いていた。

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2006年11月13日 (月)

取材2件

 市ケ谷の世界文化社にて、『シュガーな俺』について立てつづけに2件の取材を受ける。

 1件目はグルメ雑誌の「dancyu」、一見意外なところから声がかかったと思う。なにしろ、カロリー制限を旨とする糖尿病食は、ある意味では「グルメ」の対極に位置すると言ってもいいからだ。ただ、ことはそう単純でもない。「食についての意識を高める」という点では、グルメ志向も糖尿病食も同じところを目指していると言えなくもないからだ。インタビュー記事の掲載号発売予定日は、12月6日だ。

 2件目は「週刊女性」。糖尿病というのは、否応なく家族も巻き込まざるを得ない病気だ。特に、旦那さんが家計の担い手で、専業主婦である奥さんがそれを支える形態の家庭である場合、事態は深刻なものになる。ニフティの「シュガー」連載ページでも、旦那さんが糖尿、という奥さんが何人もコメントを書き込んでおられて、その立場もさまざまである。特にそのあたりについて、思うところを述べたつもりだ。掲載号は、12月5日発売予定。

 そして明日も、また別の雑誌の取材がある。

 無為が死んで間もないが、予定が詰まっていることはかえってありがたいと思う。手が空いた途端に、ガクンと来るのだ。忙しい方がいい。よけいなことを考える隙がない方がいい。

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2006年11月12日 (日)

文学フリマ

 某社会人サークルの一員として、第5回文学フリマに顔を出してきた。ただ、会場に到着したのが午後1時ごろだったので、それ以前にあてにして来てくださった方にはお会いできず、申し訳なかったです。またの機会に。

 今回は、3年前(つまり、僕の作家デビュー前)に一度、その社会人サークルとの読書会セッションにゲスト参加してくださったことのある評論家の仲俣暁生さんも遊びにきてくださった。

 僕としては、無為を失った後のよいリハビリの機会になった気がする。明日・明後日で、『シュガーな俺』についての取材を3件受けなければならない。これを機に、気持ちを切り替えようと思う。

 と言ってるはしから、この時間帯、無為はこのへんにねそべっていたよな、などと思い出し、自分でも不思議に思うほど惜しげなくポロポロと涙がこぼれてしまったりするのだが。

 そういえば去年は、閉会後、そのサークルで連れ立って、物見遊山的な気持ちでメイド喫茶に繰り出したりしていたものだなぁと思い出す。なんだか遠い昔のことに思える。

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2006年11月11日 (土)

分骨

Photo

 無為のお骨は近場のペット霊園に納骨したが、一部、分骨してもらって、しばらくの間は手元に置くことにした。骨壷を振ると、中に収めた大腿骨が揺れて、「チリン」という音がする。無為がつけていた鈴の音のようだ。

 8日のエントリで触れたカンガルーのぬいぐるみは、結局、無為のなきがらと一緒に荼毘に付した。生前、いちばんお気に入りのおもちゃだったから、形見に残しておきたい気持ちもあったが、思い入れが強すぎて、見るのがかえってつらいかもしれない。それに、あの世に旅立った無為だって、ときにはおもちゃで遊びたくなるだろう。そう考えてのことだ。

 少しずつ、平常に復していかなければならないと思う。今日はさしあたって、住戸の掃除をした。死を待つばかりの無為の心が少しでも穏やかでいられるようにと、無為が嫌う掃除は1回スキップしてしまったので、部屋中に埃が舞っている。でも、無為のエサ皿が置いてあったキッチンの一隅と、無為の爪研ぎが置いてあったリビングの一隅は、驚くほどきれいだった。この1、2週間、無為がほとんどそのエリアに立ち寄らなかった証拠だ。

 その後ようやく、『冥王星パーティー』の原稿に向き合い、入稿前のちょっとした調整に取りかかる。やらなければならないことがなにかあるのは、かえって助かる。そうでなければ、抜け殻のようにただぼんやりと時を過ごすことになりかねないからだ。

 そして明日は、「文学フリマ」だ。5年前、大塚英志氏の呼びかけでこの催しが立ち上がってからずっと、僕はこれに参加してきた。ただし、作家としてではなく、サラリーマンとして、正確には、某社会人サークルの一員としてだ。そこで僕は「極楽寺坂みづほ」を名乗っており、「覆面男性作家を兼業している女性」という設定になっている(二重・三重にフィクション化が施され、もはやなんだかよくわからなくなっている)。ご興味のある方は以下をチェックされたし。

その、某社会人サークルの公式ブログ

文学フリマ公式HP

 ここのところ無為のことで手いっぱいで、明日の「文学フリマ」にも僕はとうてい参加できそうにない見通しだったが、リハビリの一環としても一応、午後あたりに顔を出そうかなとは思っている。今のところは。しかし、無為のことがひと段落ついてほっとした途端、なんだか風邪をひいたっぽい。明日、秋葉原まで出かけていく元気が本当にあるだろうか……。

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2006年11月 9日 (木)

穏やかな顔

Aura_1

 昨日の晩、無為はパソコンに向かう僕の足もとに自分から歩み寄り、大好きだった「足撫で」を受けた。するとやがて僕の足をつと離れ、カーテンの際までよたよたと歩いていき、そこに佇んでいた。ベランダに出たい、というサインだ。もう2週間近く、ベランダになどまるで関心を示さなかったので、半信半疑ながら「出るの?」と訊きながらガラス戸を開けたら、よたよたと出ていった。何メートルか歩いて、その場にうずくまっている。寒いから体にさわるだろうと思って、抱き上げて部屋の中に戻した。

 しばらくして、妻が帰ってきた。その物音に反応して、無為は自分から妻を出迎えに行った。驚いた。それももう2週間ぶりくらいのことだ。無為は玄関のドアからも外に出たがり、妻が出してやると、記憶を辿るかのようにエレベーターホールをこわごわとちょっとずつ移動しながら、非常階段の手前まで行った。臆病な無為には、元気だった頃も、そこがリミットだった。そのままうずくまって、妻が抱き上げるまで、階段の先をじっと見つめていた。

 それはまるで、これまでの自分の暮らし方を、ひとつひとつなぞり直しているかのように見えた。元気だった頃あたりまえのようにやっていたこと、そして、今ではまったくやらなくなってしまったことを、ひとつひとつ。もう、骨と皮ばかりになってしまった不自由な体を引きずるようにして。

 それが昨日の無為だった。

 今日、午後8時半ごろ、無為は息を引き取った。8時前後からちょっと息が荒くなって気がかりだったが、撫でてやると煩わしそうにクローゼットの奥に引っ込んでしまうので、しばらくそっとしておいてあげようということになった。それから、コンビニで買ってきたもので適当に食事を済ませ、少しほっとして、二人でしばしおしゃべりした。そろそろ自室に引き上げようとした僕が、ふと気になって、無為が引きこもっている寝室を覗いたら、そのときにはもう、こときれていた。触ると、まだ温かかった。

 昨日の時点で、無為にはもう、わかっていたのではないか。だからもう一度、それまで自分がやってきたことを、可能なかぎりなぞってみたのではないか。痩せ衰えた体から、最後の力を振り絞って。

 妻と二人、無為の体を洗い、ドライヤーで丹念に乾かしてやった。タオルを敷いたカゴにそっと横たえ、撫でているうちに、こわばっていた無為の死に顔が、心なしか穏やかになった気がした。

 安らかに、眠ってほしい。日だまりで僕たちに愛撫されながら眠ってしまうように、できるだけ安らかに。

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2006年11月 8日 (水)

いつだったのか

Kangaloo

 中学生の頃、体育の授業が大嫌いだった。卒業間近になると、理論的にあと何回授業があるかを数えて、カウントダウンを始めた。しかし、2月・3月は高校受験やら卒業式の予行やらで平常通りに授業が行なわれず、ふと気づいたら、最後の体育の授業はすでに通り過ぎた後だった。ああ、先週のあれが最後だったんだ、と後から思った。しばしば保健室に駆け込んで仮病を使ってまで逃げ回るほど嫌っていた体育の授業でさえ、「これが最後」ということを認識せずに終えてしまったことを僕はちょっと寂しく思い、惜しんだ。

 どんなことであれ、それが最後の機会になるなら、最後だということをあらかじめ知っておきたい。その上で、それを思うさま噛みしめたい。悔いが残らないように、全身でそれを味わい尽くしたい。でも、ものごとは往々にして、そのようには運ばないのだ。

 このカンガルーのぬいぐるみで、無為が最後に遊んだのはいつだったのだろう。無為がこのぬいぐるみに襲いかかって、一人でドタバタしながら両手で押さえて噛みついたり、「猫キック」でいたぶったりしているのを最後に見たのは、いったいいつだったのだろう。こんな簡単なことなのに、僕にはそれを思い出すことができない。わざわざ記憶するには、それはあまりにありふれた、あたりまえの光景で、今後も無限に繰り返されることなのだと思い込んでいたのだ。

 しかし、無為がこのカンガルーで遊ぶことは、もうない。僕は突然、そのことに気づく。無為は今も、クローゼットの奥で、ガリガリに痩せた背中をゆっくりと上下させているが、このカンガルーに襲いかかる無為の姿は二度と見られないのだということを、僕は知っている。

「いつか無為が死んじゃって、なにかの拍子にどこかからこのボロボロのカンガルーが出てきたら、きっと泣けるんだろうね」

 妻とよく、そんな話をしていた。無為がまだ、食卓に妻が広げて読んでいる新聞の上に飛び乗って妨害したり、僕が朝食の席に着くときまってその足もとに寝そべり、大好きな「足撫で」をすることを当然のような顔で要求したり、妻であれ僕であれ、外出先から帰って来ると、大喜びで駆け寄って玄関先に出迎え、「喜びの表現」として必ず爪研ぎをバリバリ引っかいたりしていた頃のことだ。

 そう、それはきっと泣ける。そうなることが、わかっていたつもりだった。でも、そうじゃなかった。僕にはやはり、わかっていなかった。まったくわかっていなかった。まだ生きてるのに、こんなにつらい。無為がもう、カンガルーで遊ばないというただそれだけのことが、こんなにもつらい。

 僕には、なにもわかっていなかったのだ。

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2006年11月 6日 (月)

猫マンマ

 なにか無為以外のことを書こうと思うが、なにも思い浮かばない。かと言って、無為のことを克明に書くのもつらすぎる。だから、昔、実家で飼っていた猫のことでも話そう。

 もともとは、ノラの母猫(黒毛)が引き連れていた、3匹の仔猫のうちの1匹だった。恐ろしいことに、3匹ともメスだった。飼っているというよりは「餌づけしている」といった方が近い状態で、「なつく」までは行かず、過度に近づけば威嚇してすみやかに立ち去る距離感だった。ところがあるとき、仔猫のうちの黒い奴が身ごもって、しかも体調を崩しているらしく、見かねた家族が家に上げて面倒を見た。じかに触ってもいっさい抵抗できないほど弱っていた。

 暫定的に「クロ」と名づけられたその猫は、少しずつ元気になり、やがて1匹の仔猫を産んだ。本当は3匹くらい産んでいたと思うのだが、死産だったのか、僕らの目を過度に警戒したためか、残りはクロ自身が食べてしまったらしい。残ったのは1匹だけ、しかも、母親と同じく全身黒毛だった。

 母親である「クロ」の名がもともと、名前というよりは毛の色から取った識別記号に過ぎなかったわけだが、その子にも同じ要領で仮名をつけると同じ「クロ」になってしまい、識別ができないので、「チビ」と呼ぶことになった。小さい頃しか体を表さない名だが、さしあたって困ることはなかった。

 2匹とも、バターを塗ったトーストが大好物だった。今から思えば、彼女たちはたぶん、パンが好きだったわけではなく、動物性油脂であるバターが食べたくて、必然的にパンも一緒に食べることになっていただけだと思うのだが、炭水化物を好む猫というのをそれまで見たことがなかったので、当時中学生だった僕はたいそう珍しがったものだ。

 と、ここまで思い出してふと気づいたことがあるのだが、昔、「猫マンマ」といえば、ごはんにみそ汁の残りをかけたものを指していた。よく考えると、そんなものを猫が好んで食べたというのもおかしな話だ。しかし、さらによくよく考えるとあれは、バターを塗ったパンと同じで、猫たちはなにもごはんやみその味に惹かれてそれを食べていたわけではなく、みそ汁のだしを取ったかつおぶしやいりこなどの匂いにつられて食べていただけなのではないか。

 とはいえ、現代の猫、少なくとも、だれかに正式に飼われている猫にいわゆる猫マンマをやっても、おそらく見向きもしないだろう。日ごろ、もっといいものを与えられているからだ。そう考えると、昔の猫は、まるで「うめぼしを眺めながら、口の中に唾が溜まってきたところで、何の味もついていないご飯を口にかきこむ」式の、ひどくいじましい食生活を強いられていたのだな、と思って胸が痛む。
 

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2006年11月 5日 (日)

カーペットに雫

 日中、パソコンに向かっていたら、「ぽたし、ぽたし」という、カーペットに雫が垂れるような音が近づいてくる。何かと思って見たら、ずっとクローゼットに引きこもっていた無為が、自らの意志で出てきて、僕に近寄ろうとしているところだった。ここ数日ではかなり珍しいことだ。いやがっているのを毎日のように連れ出されては、病院で点滴を打たれ、僕や妻に対してもすっかり不信感を抱いてしまっているからだ。

 無為が今、どういう状況なのか、つらすぎてここには書けない。今、一度書きかけたが、消してしまった。あと何日もつのかもわからない。打てる手はすべて打ったと思う。あとは、少しでも苦しまずに旅立てるよう、静かに看取ってやるだけだ。

 さっき、妻と二人で、点滴を打った。病院でやり方を習って、必要な器具や薬液ももらってきたのだ。病院に連れていくこと自体が(待ち時間なども含めて)ひどいストレスになっているようなので、それを少しでもやわらげられるなら、と考えてのことだ。

 病院では、針を刺す瞬間に唸り声を上げる程度であとは黙ってじっとしているのに、僕たちがやると、途中で何度も「やーん」と鳴いて身を激しくよじる。針の刺し方が下手というのもあるかもしれないが、たぶん、病院でなにかされるときほどの恐怖がないためだろう。つまり、抵抗するだけの心の余裕があるのだ。そう考えれば、やはり、自宅でやることにしたのは正解だったのだと思う。

 今も無為は、クローゼットの奥に身を潜めてじっとしている。点滴されたことをまだ怒っているようだ。でもきっとそのうち心細くなって、日中そうしたように、自分から出てくるのだろう。出てきてほしいと思う。弱り切ったおぼつかない足取りで、「ぽたし、ぽたし」とカーペットを踏みながら。

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2006年11月 4日 (土)

病院バレ

 原則5週に一度かかっている糖尿病専門クリニック、A内科に診察を受けに行く。待ち時間には、採尿・採血のほかに、栄養士さんからの簡単な食事指導を受けることになっている。前日1日分の食事内容をあらかじめ記録しておいて、それのいわば「採点」を受けるわけだ。

 僕は酒も飲むし、忙しいし、妻も僕に負けず劣らず忙しいので、実際には、正直、そういつも理想的な食事が摂れているわけではない。ただ、食事指導を受ける際にはやはり、「ちゃんと理解していますよ」ということを示すためにも極力、食事療法のセオリーに則った食事を心がけており、その内容を克明に記録して提出する。毎回、「バランスの取れた素晴らしい食事内容です。いつも感心しています」と栄養士さんから絶賛をいただく。

 今回も栄養士Sさんは、僕が提出した食事記録をいつもどおりほめてくれたのだが、その後に続けて、こう言い添えた。

「でも平山さん、この食事はご自分で作ってらっしゃるんですか? 奥さんのときもある? そう。いえね、平山さんも奥さんもすごく忙しいでしょうに、毎回こんなにちゃんと作るのは大変だろうなって。あ、『シュガーな俺』、読ませていただいてますよ」

 バレてるし。

 聞けば、読売新聞で紹介されたときから気づいていたという。まあ、糖尿病専門クリニックに勤める栄養士さんなら、新聞で関連記事くらいはチェックするだろうし、そこに顔写真つきで紹介されていて、名前まで一致していたら(「平山瑞穂」は本名)、気づくのは当然とも言える。ただ、それ以降も1、2度はかかっていたはずなのだが、その間に言われなかったので「まだバレてない」と思っていたのだ。

「お話に出てくる“都立新宿病院”がO病院のことで、“板橋病院”がT病院のことでしょ」
「あ、はい、まさに、そのとおりです」
「やっぱり、毎週金曜日にお酒飲んだりとかしてるんですか?」
「あー、ええ、はい、そうですね、そういうときも……」
「なんか、以前はね、ものすごくたくさん飲んでらっしゃったみたいですけど……“亜梨沙”さんと……」
「……はは、く、詳しいですね」
「えーぇ、もう、しっかり読ませていただいてますから!」

 ただ、彼女は今のところ、書籍ではなく、ネットで連載されているところまでしか読んでいないようだ。実は、最後の方に、まさにそのA内科をモデルにしたクリニックも出てくる。どちらかというと肯定的な描き方をしているので、読まれても困るようなものではないのだが、これは先手を打っておいた方がいいと思って、「実は、ここのことも出てくるんですよ」と言っておいた。

「あら、そうなんですか。だったら、コメント欄で反撃しようかしら」

 とのことなので、もしかしたらそう遠くない将来、連載ページのコメント欄にSさんの「反撃」が出現するかもしれない。

 その後、診察室に入ったとき、SさんがA先生に向かって、「先生、平山さんの小説にここも出てくるんですって」と言っていたので、先生もすでに知っているのだということがわかった。

「やっぱり、ものを書く仕事だと、お酒やタバコの量は増えちゃうでしょ」と先生。まったくそのとおりです。よくないとわかってはいるのですが……。

 病院バレも時間の問題だろうと思っていたし、逆に一向にバレなかったとしたらそれだけ作品の存在が知られていないということで、そっちの方が憂慮すべき事態なわけだが、不意打ちに近かっただけに、やはりビビった。悪口を書いていなくてよかった。

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2006年11月 3日 (金)

10月度集計

 いくつかの雑誌から、あいついで『シュガーな俺』についての取材依頼が来る。今回は、(よくも悪くも読者を選ぶ傾向が強かった過去2作と比べて)読めばほとんどの人がおもしろいと思ってくれるはず、という自信があるが、なにぶん、認知度が低いので、とにかく少しでも人の目に触れる機会がほしい。取材依頼は本当にありがたい。

 一方、ニフティさんから、連載ページへのアクセス集計レポートの10月度分が届いている。アクセス数は微増傾向にあるが、月・金の更新日に明瞭にピークがあるので、基本的には固定読者の方々なのだと思われる。

 携帯向けサイトへのアクセスが、当初よりはだいぶ伸びた。セレクトボックスで「面白い」を選んでくださる人の割合が、累計で見た場合、8月末時点で80%、9月末で84%、そして10月末時点で87%、と確実に増えてきているのが、なんとも心強く、喜ばしい。

 任意入力の感想欄へのテキスト入力も、これまでどおり応募者総数の8割を軽く越えており、たいへん楽しませていただいた。アンケートには名前を書き込む欄がないし、メールアドレスは個人情報であるため、僕のもとに送られてくるときには削除されているが、感想の文面を読んでいると、ときどき、その内容や文体の癖などから、「あ、これはコメント欄によく書き込んでくださる○○さんだな」と特定できることがあって、おもしろい。

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2006年11月 2日 (木)

ラーメン屋での勉強

 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読んでいる。栄えあるブッカー賞作家に対しておこがましい言い方になるが、この人の小説を読むとき、いつも僕は、自分自身とよく似た資質を感じる。そして、「そうなんだよ、僕が本当に書きたいのはこういう小説なんだよ」と思う。にもかかわらず、いつもなかなかそのとおりにはいかないのが才能の違いということなのか。

『わたしを離さないで』も、4分の1を残すばかりとなったところで、昨夜遅く入った地元のラーメン屋に置き忘れてきてしまった。今日の帰りがけに寄って、「昨日、本を忘れたと思うんですけど」と言ったら、店主のおじさんが、「ああ、あるよ!」と言いながら、紀伊国屋書店のカバーがかかったそれを奥から出してきてくれた。

「すごいねぇ、勉強してるんだ!」

 いや、「勉強」というか……。まあ、「勉強」にはちがいないかな。

 思えば、ラーメンがゆで上がるのを待ちながら、ハードカバーの小説を読んでいる人間というのも珍しいのだろう。しかし僕にとって本というのは空気みたいなもので、たとえわずか5分でも間が空くと、ページを開かずにはいられないのだ。

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