写真展会場にて
あるきっかけで知り合った写真家・野村昌平さんの個展を観に行く。
去年の3月、新宿ニコンサロンで開催された個展以来、2度目だが、僕は前々から、この人の撮る猫の写真が大好きである。なぜなら、ちっとも可愛くないからだ。それが逆に、この人が本当に猫好きであることを表明している気がする。
とりたてて猫に関心がない人が猫を撮ろうとしたら、むしろできるだけ可愛く撮ろうとするのではないかと思う。しかし実際には、猫というものは、可愛くない表情をしている瞬間が往々にしてある。真の猫好きであれば、その「可愛くなさ」をこそ「可愛い」と感じ、まさにその瞬間に着目する。野村さんの猫写真には、そういうニュアンスを感じる。今回も、猫を写した作品は2点あり、どちらも可愛くなかった。
多くの写真に、1人、2人という単位で、人物が写り込んでいる。ケータイを操作しながら歩く女性。ベランダに立って外を眺める女性。植え込み越しに顔の上半分だけが覗いている、あずま屋に並んで腰かけるカップル……。しかしそれは、「人物を撮影したもの」ではない。かといって、単なる風景を撮影したものに彼らが偶然「写ってしまった」というのとも違う。そこにはあきらかに、対象の人物を取り込もうとする作為を感じる。それでいて、(作品を貫く視点としての)フォーカスは、その人物たちから巧妙に避けられている。その微妙な距離感に幻惑された。
ところで、僕が到着したとき、会場には1人だけ先客がいて、後に野村さんから控室のようなところに一緒に招き入れられてコーヒーをごちそうしていただくことになったのだが、その「先客」とは、2005年10月公開の映画『誰がために』(出演・浅野忠信ほか)で監督デビューを果たした日向寺太郎さんだった。野村さんにとっては、大学時代の先輩に当たるとのこと。期せずして、写真家・映画監督・作家が一堂に会することとなり、しばし歓談した。
話の流れで、「子供のいない僕には、子を持つ親の心情が本当には理解できないのではないかと思うので、小説の中でそういう描写をするときにそれが弱みになるかもしれない」という意味のことを言ったら、日向寺さんは「そんなことはないと思いますよ」ときっぱりおっしゃった。小津安二郎だって生涯独身を貫いたのに、父娘の繊細な関係性をリアルに描いた。自分もフィクションの作り手として、描くものを実際に自分が経験しているかどうかは問題ではないと思う、と。非常に励まされるひとことだった。
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