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2006年11月 8日 (水)

いつだったのか

Kangaloo

 中学生の頃、体育の授業が大嫌いだった。卒業間近になると、理論的にあと何回授業があるかを数えて、カウントダウンを始めた。しかし、2月・3月は高校受験やら卒業式の予行やらで平常通りに授業が行なわれず、ふと気づいたら、最後の体育の授業はすでに通り過ぎた後だった。ああ、先週のあれが最後だったんだ、と後から思った。しばしば保健室に駆け込んで仮病を使ってまで逃げ回るほど嫌っていた体育の授業でさえ、「これが最後」ということを認識せずに終えてしまったことを僕はちょっと寂しく思い、惜しんだ。

 どんなことであれ、それが最後の機会になるなら、最後だということをあらかじめ知っておきたい。その上で、それを思うさま噛みしめたい。悔いが残らないように、全身でそれを味わい尽くしたい。でも、ものごとは往々にして、そのようには運ばないのだ。

 このカンガルーのぬいぐるみで、無為が最後に遊んだのはいつだったのだろう。無為がこのぬいぐるみに襲いかかって、一人でドタバタしながら両手で押さえて噛みついたり、「猫キック」でいたぶったりしているのを最後に見たのは、いったいいつだったのだろう。こんな簡単なことなのに、僕にはそれを思い出すことができない。わざわざ記憶するには、それはあまりにありふれた、あたりまえの光景で、今後も無限に繰り返されることなのだと思い込んでいたのだ。

 しかし、無為がこのカンガルーで遊ぶことは、もうない。僕は突然、そのことに気づく。無為は今も、クローゼットの奥で、ガリガリに痩せた背中をゆっくりと上下させているが、このカンガルーに襲いかかる無為の姿は二度と見られないのだということを、僕は知っている。

「いつか無為が死んじゃって、なにかの拍子にどこかからこのボロボロのカンガルーが出てきたら、きっと泣けるんだろうね」

 妻とよく、そんな話をしていた。無為がまだ、食卓に妻が広げて読んでいる新聞の上に飛び乗って妨害したり、僕が朝食の席に着くときまってその足もとに寝そべり、大好きな「足撫で」をすることを当然のような顔で要求したり、妻であれ僕であれ、外出先から帰って来ると、大喜びで駆け寄って玄関先に出迎え、「喜びの表現」として必ず爪研ぎをバリバリ引っかいたりしていた頃のことだ。

 そう、それはきっと泣ける。そうなることが、わかっていたつもりだった。でも、そうじゃなかった。僕にはやはり、わかっていなかった。まったくわかっていなかった。まだ生きてるのに、こんなにつらい。無為がもう、カンガルーで遊ばないというただそれだけのことが、こんなにもつらい。

 僕には、なにもわかっていなかったのだ。

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コメント

 でも、無為ちゃんは、まだ、いるのです。まだまだ。まだ、幸せですよ。ほんとにいなくなったら、どえらいことになるんですから。
 谷口ジロー『犬を飼う』を読まれたことはありますか?多分小学館文庫だったはず。飼い犬が亡くなったときの様子を克明に記した漫画です。私はちょうど今の平山さん状態のときに読んだのですが、読んでしまったというべきか、とにかく辛い内容にもかかわらず、私は感動しました。今、読むのは辛いかもしれないので、いつか、見つけたら、手にとってみては…。

投稿: 山田 | 2006年11月 8日 (水) 22時55分

うん、そうでしょうね、ほんとにいなくなったらもう……。なんかもう、「ほんとにいなくなった」ときのことを想像して毎晩ほとんど眠れない状態が続いているのですが、ほんとにほんとにいなくなったらそれどこじゃないんだろうな。
『犬を飼う』、存在だけはなんとなく知っております。今は無理でも、来るべきペットロス状態からの回復期に必携の1冊になるかも。あ、でも僕はまだ無為がぜんぜん元気だったその頃でさえ、町田康の『猫にかまけて』、「ヘッケ」が駄目になっていく過程がつらくて読みきれなかった人間だからなぁ。

投稿: 平山瑞穂 | 2006年11月 9日 (木) 00時32分

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