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2007年1月31日 (水)

イタリアンづくし

 昨日の昼食は「シェーキーズ」でピザ・パスタなどのバイキングだったが、家に帰ってきてひと息ついていると妻から電話があって、これから帰るけど遅くなってしまったからなにか買っていくという。任せておいたら、ピザとパスタを買ってきた。2食連続イタリアン。

 そして今日の夜はもともと友人と食事の約束があり、当初はカジュアルフレンチでも、と思っていたが、あてにしていた店が定休日だったり、いつのまにか消滅していたりして、めぐりめぐって結局イタリアンになってしまった。毎日イタリアン。

 しかし僕は、実を言うと、主食が毎日・毎食パスタでも1週間くらいは飽きないだろうと思われるほどイタリアン好きなので、苦ではないのだ。

 ところで、ふと思い出したのだが、パスタというものは、本当はどうやって食べるのがマナーにかなっているのだろうか。スプーンを使うのは邪道だと聞いたことがあって、イタリア旅行に行く前には、フォークだけできれいに食べる練習をしたものだ。もうひとつは、「途中で噛みちぎってはいけない」というやつ。ひと口で食べられる分だけフォークに巻きつけ、口から溢れた分は噛み切らないまますみやかに吸い上げて口に収める。どこかで聞きかじったそれを真に受けた僕は、基本的に今でもそういう食べ方をしている。

 ところがあるとき、映画『みんな元気』を観たら、マルチェロ・マストロヤンニは、(集まりの悪い家族の会食の席で)パスタが出てくると、焼きそば風に豪快に音を立ててそれを啜り、平気でブチブチ噛みちぎって食べている。あれは、「田舎のお爺さんが不作法にパスタを食べている」という設定の演技だったのか。それとも、本場のイタリア人は通常そうやってパスタを食べるということなのか。僕はいまだに、その判断ができずにいる。

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2007年1月30日 (火)

大食い女の怪

 移転したばかりの事業所周辺(の昼どき飲食店事情)にまだ慣れない。とりあえず、先輩に教えてもらった裏道コースは上級者編として取っておくことにして、まずは昼どきに確実に入れる「押さえ」の店をいくつかピックアップすることを優先している。なにしろインスリンを打っているので、時間との闘いという面がある。しかも今いる事業所は昼休みが12時15分という半端な時間からなので、一番混み合う時間帯なのだ。

 そんなわけで、今日はランチバイキングをやっている「シェーキーズ」に入ってみた。ピザは高カロリーだが、食いすぎなければいいのだ。それに、サラダバーくらいついているだろうから、野菜も摂れなくはない。そんな軽い気持ちで入店したはいいものの、どうやらサラダはないようだ。いや、もしかしたら、単品メニューで頼めばあったのかもしれない。しかし、システマティックに注文を取ろうとする店員のペースに飲まれ、それを確認することもかなわぬまま席へ。

 小さくカットされたピザ3ピースに、フライドポテトに、パスタ少々を盛る。ああ、野菜が食いたい。隣のカウンターにはカレーライスコーナーがあるが、そんなのもってのほかだ。と思っていたら、1人で入ってきて隣の席に着いた20歳くらいの女の子が、ピザ・パスタ・ポテト各山盛りにした大皿のほかに、カレーライス(普通盛り)まで持ってきている。これ全部食べるつもりか、とそれだけでも驚いていたのに、彼女はあっという間に大皿をたいらげ、立ち上がっている。

 まさかおかわりするつもりでは……と思っていたら、初回と同じくらいの量のピザ・パスタ・ポテトを盛って戻ってきた。合間合間に、カレーも順調に減っている。それを呆れまなこでちらちら見ながら、僕は「食後モード」に入り、アイスコーヒーを啜りながら本を読んでいた。ふと、その子が再び立ち上がる気配を感じて顔を起こした。帰るんだろうな、と思ったら、またカウンターに並んでいる。おいおい。

 結局彼女は、3回目も、初回・2回目と同様、大皿にピザ・パスタ・ポテトを山盛りにして戻ってきた。彼女がそれも食べきったのかどうか、僕は知らない。もう会社に戻らなければならない時間だったからだ。見た目、むしろ痩せていると言っていいほどの体型だった。ただし、顔が不自然に赤黒かった。大丈夫なのだろうか、彼女は。

 さて、そんな今日だったが、このブログへのアクセスが異常に多い。なにごとかと思ったら、昨日付けの日記が「ココセレブ」編集部の「イチオシ」記事のひとつに選ばれていた。アクセス件数、ユニークアクセスともに、普段のざっと5倍は来ている。と言うと、普段、ここがいかに過疎ブログかということがバレてしまう。したがって、実数の公表は差し控えさせていただきたい。

 まあ、これは今日だけの「お祭り」と思っておこう。今日初めて来てくださった方々の1割でも残ってくだされば御の字なのだが。

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2007年1月29日 (月)

病気自慢?

 まるまる一本の小説になりそうな、不吉で壮大な夢を見た。しかし、実際に小説にするかもしれないので、ここには書かない。

 月刊誌『クロワッサン』から依頼されていた、「なんだかんだの、病気自慢」というリレーエッセイの原稿を送信した。締切より2週間ばかり早いが、後にいろいろつかえているので、前倒しにできるものは極力早めに片づけてしまおうという気構えだ。ちなみに、掲載号は3月10日発売予定。

 2月・3月は、予想していた以上に忙しくなりそうなので、乗りきれるかどうか今から気が気ではない。

 それにしても、「病気自慢」とは言い得て妙だ。たいていの病気は、なぜか自慢の種になってしまう。特に持病のたぐいはそうだ。『シュガーな俺』自体、大がかりな「病気自慢」のひとつと言えなくもない。もちろん、かからなければかからないに越したことはないわけで、かかったことを喜んでいるわけでは少しもないのだが。

 なぜだろうか? 「闘病」という行為(あるいは状態)に、なにかしらヒロイックなフェーズが包含されているからなのだろうか。つまり、なんらかの病気に罹患し、それと闘う患者は、文字通り「闘士」なのだ。闘いの記録は、必ずだれかに伝えたくなるものだし、それは必然的に「武勇伝」にならざるをえない。そしてだれかがそれに耳を傾けてくれれば、発病の憂いも少しは紛れるというものなのだ。

 小説にして発表する、という形で、不特定多数の大勢の人々に対してそれをすることができた僕は、たぶん恵まれているのだろう。

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2007年1月28日 (日)

猫に飢えて

 土日はあっという間に終わる。明日からまた会社勤めだ。

 ところで、僕が勤務先で所属している部署は、先週、組織変更に伴って別の事業所に移転した。家からは3駅分ほど近くなって、通勤が楽になったのはいいが、事業所の周囲にろくな飲食店がない。前からその事業所にいる先輩に、「どこか店を教えてください」と言ったら、「教えてもいいけど、気に入らないと思うよ」とのこと。

 僕はかねがね、勤務中に昼食を外で済ますときは、可能な限り、以下の条件を満たした店を選ぶようにしている。

(1)待たずに席に着ける店であること
(2)パーソナルスペースが十分に確保されていること(混んでいる上に狭いカウンターのみ、というのは即アウト)
(3)食べ終わった後、即座に席を立って出て行かなければならないような雰囲気ではないこと
(4)できれば、食後のコーヒーなどをつけられるシステムになっていること
(5)できれば、清潔感漂う店であること

 もともと少し神経質であることと、昼休みが貴重な読書時間に充てられていることから、おのずと上記のような条件が大事になってくるのだ。したがって、すぐにお気づきと思うが、いわゆるラーメン屋は、ほとんどの場合、自動的に選択の対象外となる。

 先輩はたぶん、僕のそういう嗜好を踏まえて「気に入らないと思う」と言っているのだろうと予想はついたが、なにぶん、右も左もわからないので、初日は彼にざっと案内してもらうことになった。つまり、彼が昼食のときしばしば辿るコースに同行して、どこにどんな店があるのか、アウトラインだけ教えてもらうことになったのだ。

 しかし、「気に入らない」度合いは、はっきり言って予想をはるかに上回っていた。周囲に何もなさそうに見えるわりに、実は意外と店の数だけは多いのだが、あろうことか、その8割がラーメン屋なのだ。定食屋などもあるにはあるが、たいていはちょっとびっくりするほど汚くて、入りづらい雰囲気だ。

「ここにもラーメン屋がある。ただし、いつも混んでる」
「ここは定食屋。ただし汚い。俺も入ったことない」
「またラーメン屋。ただし、混んでるし汚い」
「このラーメン屋は、たいてい空いてる。ただし、ものすごくまずい」

 ダメじゃん。使えねーじゃん。

 しかし僕も今は、昼食前にインスリンを打っている身なので、あれもいやだこれもいやだと言っているうちに低血糖になって倒れてしまう。ぜいたくは言っていられない。もう少しタフになって、こうした店たちにも慣れていかなければならないのだろう。

 ところで、先輩についてその「使えない店めぐり」をしている過程で、たまたま通りかかった白っぽい猫を目撃した。飼い猫よりは若干みすぼらしい感じだったが、栄養状態はそう悪くなさそうな猫。特別可愛い猫でもなかったのに、僕たちを微妙に警戒してそそくさと立ち去るその姿を、執拗に目で追ってしまった。あの丸っこい体つき。毛でふさふさしたお尻。なんて可愛いんだろう、とその姿を見送りながら、自分がおそろしく「猫に飢えている」ことに気づいた。

 無為が死んで2ヶ月半。もう、思い出しただけでせつなくなって涙が溢れることもなくなったが、猫が動く姿を見ること自体ひさしぶりで、もう、なんでもいいから動く猫を見たいという気分なのだ。飯がまずくても、店の居心地が悪くても、食後にコーヒーを啜りながら読書を楽しむことができなくても、ときどき地域の猫にお目にかかれるなら悪くないかな、と思った。

 それくらいしか好材料を見つけられないということなのだが。

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2007年1月27日 (土)

シュガー on TV

 23日に関西テレビの「痛快!エブリデイ」にVTR出演したときの録画ビデオが、世界文化社経由で送られてくる。楽しみというよりは気恥ずかしさの方が大きかったので、ビクビクしながら再生したのだが、予想したほどいたたまれないものではなかった。ちょっと早口すぎるが、一応、たいしてカマずに喋っている。テレビ初体験にしては、まずまずなのではないかとわれながら思う。

 2時間近くかかった収録を大胆に編集して4分程度にまとめているので、おのずと僕が喋っているところが中心になっており、まるでレポーターであるダイアンのお2人を無視して、一方的にまくし立てているかのように見える。実際、僕は収録当日、かなりベラベラ喋りまくったと思う。それをコンパクトに、本筋を失わないレベルで切り貼りしてまとめているのは、さすがだと感心した。

 ただし、例によってひとつだけ、いや、2点ほど、苦言を呈させていただきたいと思う。

 まず、『シュガーな俺』の著者としての僕の紹介をする画面で、大書きされた僕の名前が、「平山瑞穂」ではなくて「平山端穂」になっている。まあ、よくある間違いだが、これでは「はしほ」あるいは「たんぼ」だ。

 第二に、僕が食事療法をあまりに厳密に守りすぎることでかえって追いつめられてしまった、というエピソードを話した後、インスリン注射器の映像とともに流れるナレーション。「その後、考えぬいた末に、インスリン注射を利用するなど、治療法に対する認識を徐々に変えていったのです」とあるが、これは正しくない。

 薬剤としてのインスリンは、「使いたいから使わせてください」と患者自らが希望すれば処方してもらえるものではなく、医師が必要を認めて初めて使用が許されるものだ。僕は、生涯にわたって外部からインスリンを投与しつづけることが必要な「1型」糖尿病であり、現状ではインスリン注射によってしか血糖のコントロールができない。だから黙っていても診察のたびにインスリンを処方してもらえるわけで、それは僕が選んでいることではないのだ。

 とは言え、そのへんは短い時間で理解してもらうのが難しいことだし、撮影スタッフは当日、大阪から車でやってきて、日中は糖尿病食の取材でニチレイに寄ってこられたようだし(それも番組の中でちゃんと映像になっていた)、放映当日までにそれらの素材を決まった時間に収まるように編集しなければならない。その苦労を思えば、ささいな間違いなどたいした問題ではないとも思える。納豆問題はともかくとして。

 それより、送っていただいたテープには、僕が登場するコーナーだけではなく、「痛快!エブリデイ」全体が収録されているのだが、朝10時からの番組であるにもかかわらず、桂南光さんやピーコさんをはじめ、出演者たちがショッパナからおたがい派手にツッコミまくることに驚いた。深夜番組かよ! と言いたくなるノリだ。やはり関西は違うな、と思った。異質な文化に触れている思いだ。関東人としての甘っちょろさを思い知らされた。

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2007年1月25日 (木)

非・愛読者

 最近、あいついで2通のいわゆる「ファンレター」を頂いた。一方は、厳密に言うと「ファンメール」で、たぶん、このブログで公開しているアドレスを見て送ってくれたのだろう。もう一方は、封書で新潮社宛てに届いた(が、現場の慌ただしさ故しばらく寝かされていて、今ようやく僕の手元に転送されてきた)ものだ。期せずして両方とも、『忘れないと誓ったぼくがいた』を読んだという中学3年生の読者さんで、前者が男の子、後者が女の子だ。

 こういうのは、やはり、感激する。それに、実を言うと、作家デビューして2年強、そういう「いわゆる」つきのファンレターを頂いたのは、これが初めてなのだ。

 翻って考えてみると、僕自身、ファンレターの類いをだれかに送ったことは、(相手が物書きであるかどうかを問わず)一度もなかった。大昔、原田知世宛てのファンレターを書いたような気もするが、たぶん、書き上げた時点で満足してしまったのだろう。投函した記憶がない。

 ただし、本にときどき挟まっている「愛読者カード」、あれを出したことは、もうずいぶん前だが一度だけある。最近はああいうハガキも、個人情報保護の観点からつけにくくなった、という話をどこかで聞いた。個人情報ダダ漏れを気にする人が増えた結果、回収率が目に見えて低下してきたので、費用対効果を考えて見合わせるようになったということか。

 ところでその、ただ一度「愛読者カード」を投函したとき、実を言うと僕は、まったく「愛読者」ではなかった。その本は、鳴り物入りで創設された某新人文学賞の初代受賞作品だったが、僕はその作品にいくつかの点でとうてい許しがたいものを感じていた。加えて、当時僕はすでにプロの作家をめざしており、年間3回ほどはなんらかの新人賞に応募しつづけていたにもかかわらず、ときどき1次予選を通過するのが関の山だった。この作品がこんな栄えある賞を獲って、どうして自分の作品はいつまでも芽が出ないのか。そんなやっかみもあった。

 本を読み終えた僕は、怒りと苛立ちを抑えることができず、激情の赴くままに「愛読者カード」を手に取り、作品をボロクソにけなした上で即、ポストに走って投函した。いわく、「これと酷似した作品を挙げろと言われれば、枚挙にいとまがない。コミックの○○や××、映画の○○や××……。こんな作品を『絶賛』しているようなら、選考委員自身もお里が知れるというもの。もっとまじめに選考してほしい」。ひどい言い草だ。言うに事欠いて選考委員までけなしている。なんと恐れ知らずな。

 自分がプロになった今は、あんなものを投函してしまったことを心底後悔している。そのハガキが実際に著者のもとに転送されたかどうかは知るところではないが、もし僕自身がそんなハガキを受け取ったとしたら、自分のことは棚に上げて大激怒していることだろう。辛口の批評も甘んじて受けられるようでなければプロとしてはやっていけまいが、僕が送ったあれはあきらかに「辛口」を超えていた。

 そんなことを思い出して、中学生読者さんたちの誠意あふれるファンレターと引き比べつつ、恥じ入ることしきりの今日この頃だ。

 なお、後年、厚顔無恥なことに、僕はまさにその作品が受賞した文学賞に、満を持して自分の作品を送りつけ、みごと、箸にも棒にもかからずに落選している。語るに落ちたとはこのことだ。まさか、「愛読者カード」の内容からブラックリストを作成して、応募者の名前と照合しているわけでもあるまいが、罰が下ったのだと今でも僕は思っている。

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2007年1月23日 (火)

3つのメディア

 今日は、3つのメディアで同日に『シュガーな俺』が紹介された、記念すべき日だ。

 しかし、せっかく同日なのに、メディアミックス的な効果は残念ながらあまり期待できない。関西テレビの「痛快!エブリデイ」は10時からの番組。観ているのは専業主婦の方が多いだろう。かたや「日刊ゲンダイ」は男性向けタブロイド紙、「アサヒ芸能」は男性向け(エロあり)週刊誌。この2つを比べても読者層が違っていそうだし、ましてこれらを読んでなおかつ番組も観る人というのは、人為的な意図を介在させないかぎり、確率的に言ってゼロに近い気がする。もし、「全部見た!」という方がおられたら、ぜひお会いしてみたいものだ。

 さて、テレビの方は関東以北では放映されないので、後日送られてくるビデオテープを待つしかないとして、その他2つは、たしかに掲載されているのを確認した。「日刊ゲンダイ」(p.15)の方は、恐れていたとおり(?)、タバコを吸っている写真になっている。ただし、ちょうどタバコを持つ指先あたりに、「糖尿病ライフを楽しんでます」という見出しの「フ」の字がかぶさっているため、一見したところ、タバコを持っているようには見えない。まあ、どっちみち吸っているのは事実なのだが。

 一方「アサヒ芸能」は、p.125「本のバカにつける薬」という書評コーナーのトップページだ。こっちの写真には、なんとなく、「証券アナリスト」といった風情で写っている。日興コーディアル証券って感じ(?)だ。そういえば、昨年暮、「週刊女性」に載ったときは、「お医者さんみたい」と10人くらいから言われた。「dancyu」は、そのムダに色気を出した流し目(意図なし)のせいか、見る人にいろいろな想像(どんな?)をさせてしまったようだ。

 どうしてこう、毎回違った感じで写ってしまうのだろうか。石田衣良さんなどを見ていると、どれも均質というか、ひと目で同一人物とわかる一定の振れ幅内に収まっている気がする。あれはやはり、撮られ慣れていらっしゃるからなのだろうか。カメラを向けられた瞬間に、それ向きの決まった表情を作ることができるということなのだろうか。

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2007年1月22日 (月)

許すということ

 だれかを許せずにいることは、つらい。できることなら、許したいと思う。今日、少しだけ、許してもいい気持ちになれた。許さなければいけないとは思わない。人間なんて、そう簡単に割り切れるものではないから。でも、それでも、許せるなら許した方がいい。

 いい歳をして何をやっているんだろうと思う。でも、歳なんて究極には関係ないのだ。歳を取ることによってすべてが割り切れるようなら、人間なんてやっていてもつまらないと思う。

 まあそれはそれとして、明日はいろいろある。「日刊ゲンダイ」と「アサヒ芸能」に、僕のインタビュー記事が掲載される。それと、関西テレビの「痛快!エブリデイ」(10:00am〜)に、僕が登場する。「痛快!エブリデイ」は、近畿一円と三重・徳島の一部で放映されるようだ。関西テレビと言うと、「あるある」系の話で今ちょっとアレだが、それはそれとしてぜひ観てください。ってもう遅いか。

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2007年1月21日 (日)

フラメンコ

 知り合いが出ているフラメンコの発表会を観に行く。背後で歌っている歌い手の1人は、大渕博光さん。石田衣良さんとちょっとカブる、いかにもモテそうな人だ。この人の単独ライブを聴きに行ったことがある。そのとき、「ハシリダセ!」というオリジナルの(ラテン調の)曲がすごくいいと思って、CDを買い求めるつもりでいたが、それきり忘れていた。いいと思ったものは即座に買い求めないといけない。すぐ忘れる。

 フラメンコといえば、ドラマ「ハケンの品格」で「スーパー派遣社員」を好演している篠原涼子が、オフのときはフラメンコを踊っているという設定になっている。実際にフラメンコをやっている人たちに言わせれば、あれは「あまりうまくない」そうだが、キャラ作りには成功しているのではないか。いや、わからない。僕は基本的に篠原涼子が好きなので、彼女がやっていることに関しては評価がアマアマになっている可能性がある。

 あ、そういえば、先週1週間が対象期間であった某リサーチ会社の「テレビアンケート」に、「ハケンの品格」を観たことを記録するのを忘れたまま投函してしまった。それくらい珍しいことなのだ、僕がテレビドラマを自発的に観るのは。

 ああ、もう12時だ。また1週間が始まる。ハシリダセ!

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2007年1月20日 (土)

あいそのいいA先生

 糖尿病の定期診察日なので、『シュガーな俺』における「もうで内科」のモデルであるA内科に。あいそがなくて言葉少なで怖かったA先生が、前回、暮れに行ったときくらいから、なぜか優しくにこやかで多弁になっている。小説の中で「あいそがなくて怖い」と僕に書かれたことを気にしておられるのではないか、と僕はひそかに思っている。

 @niftyの連載ページにも「チェリー」さんとして書き込みをしてくださった栄養士のSさんから、病院で『シュガーな俺』を紹介してもかまわないかと訊かれる。もちろん、願ってもない話だ。ただ、今後も患者として通いつづけるわけで、そういう意味では気恥ずかしくもあるが。

「dancyuにも載ってましたよね?」とSさん。なんでも、出入りしている製薬会社の人が気づいて教えてくれたとのこと。月刊誌だから露出期間が長いし、カラーで写真が載っているので目立つのだろうか。いろいろ取材を受けた中で、「dancyuを見た」と言われることがいちばん多い。前回診察に行ったとき、実は待合室に、僕の記事が載った「週刊現代」が置かれていたのだが、それについては何も言われなかった。

 帰宅してからは、部屋の掃除をして、『冥王星パーティ』のゲラを読む。今回は、入稿するまでにさんざん書き直しただけあって、大きな疑問点もなく、ほぼ細かい言い回しの調整だけで済むので、もっと早く終わっていてもよかった。しかし、忙しくて細切れにしか時間が取れなかったのだ。それも先ほど、ようやく終わった。

 本を出すたびに、ゲラにかかっている期間が長くなっている気がする。最初の頃は、「○○日までに戻してください」と言われると、あまりに余裕のあるスケジュールなので「そんなに日数はいらないのに」と思っていた。そして実際、言われた日より1週間も早く戻したりしていた。しかし今は、けっこうギリギリの進行になっている。仕事が遅くなったというより、間にほかの仕事が入ってしまうためと思われる。それはもちろん、喜ばしいことだ。

 ひとつの作品に集中できるかわりに、次の予定が具体的に何も立っていなかったあの頃は、心細くてつらい時期だったなぁ。

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2007年1月19日 (金)

楽しかったのに……

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 昨夜は、意味不明の暴力的な日記をアップして、不穏な空気をまき散らしてしまって、たいへん申し訳ないと思っている。まったく記憶にないし、思い当たるような事件もなかった。ずっと考えていて思い出したのは、タクシーを降りるときのことだ。

 酔っぱらっていたので、1万円札のつもりで千円札を出してしまい、運転手に「フ……」と失笑されたのがカンに触った。それと、タクシーを降りてから、指定した場所より2ブロックも手前だったことに気づいて「チッ」と思った。せいぜいその程度だ。どう考えても、「殺す」のなんのという過激な怒りを引き出されるようなたぐいのことではなかった。

 だから僕が「殺す」と言っている対象も、たぶん、その運転手ではない。かと言ってほかのだれかかと言うと、それも違うと思う。もっとこう、なにか抽象的なものだろう。なにかのかげんで「怒りスイッチ」が入ってしまい、潜在しているフラストレーションみたいなものがはけ口を見出して突発的に噴出したのだろう。

 実は、今までにもこういうことは何度かあった。しかしそのほとんどは、翌朝記憶にも残っていないほど泥酔している間の話なので、対処しようがないのだ。まして無意識のうちにブログにまでアップしているとは。恐ろしい。

 昨日も、タクシーを降りるまではきわめて上機嫌であったはずなのだ。ある人の紹介で、WAVE出版社長の玉越氏とお会いして、非常に楽しい時間を過ごしていたのである。それが一転してどうしてこんなことになってしまったのか、さっぱりわからない。テレビ出演などの緊張や疲れを引きずっていて、なにかがプツリと切れてしまったのだろうか。

 既刊3作も読んでくださっている玉越氏は、理知的で、それでいて気さくで、「この人と仕事がしたい」と思わせるような人間的魅力に溢れた方だった。見かけも若々しくて、カッコいい。出版不況と言われる中、目ざとくニッチを見つけ出して手堅く攻めていくWAVE出版のスタンスにも、たいへん感銘を受けた。遠くない将来、一緒に仕事ができればいいなと思っている。

 社屋でしばしお話した後は、玉越氏行きつけの、四谷三丁目あたりにある会員制の店に。日本酒が非常に豊富で、若い2代目の店長さんがソムリエのようにツボを押さえた解説をしてくださる。写真は、そこで賞味したお酒のひとつ。発酵したもろみが入った巨大な袋を、圧搾する前に吊るし、雫となって「自然落下」した分だけを集めたものだから、「袋吊り」。なんとも日本酒くさい、濃厚な味だった。

 2軒目は荒木町に移動し、ディープな感じの路地にあるスナックへ。先に来ていた男性2人連れのお客さんが、2人ともプロ並みにカラオケがうまいので驚く。そこから先のことは、あまりよく覚えていない。やたらと楽しかったことだけは覚えている。

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2007年1月18日 (木)

マニフェスト

あーもうスゲームカつく。
殺していい?
いいよね?

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2007年1月17日 (水)

A Hard Day's Night

 昨日は少々ハードなスケジュールだった。職場での仕事を終えて、19時より、マガジンハウス社で「Tarzan」からの取材、その後、20時過ぎより、少し移動して銀座の某居酒屋で関西テレビからの取材。

「Tarzan」と言えば、カラダを鍛えたりダイエットしたり、そういう内容の雑誌だ。僕みたいにならないための雑誌、と言いかえてもいい。その書籍紹介ページで取り上げてくださるという趣旨だが、メタボリック・シンドロームなども注目される昨今、ライターさんはさすがに糖尿病などについてもひととおりの知識はあらかじめお持ちで、用語の説明などは省いてもツーカーで話が通じるのは楽でよかったが、その勢いで少々よけいなことをしゃべりすぎてしまった気もする。かつていかに酒を飲んでいたか、そして実は今もいかに飲んでいるか、など。「肝機能、大丈夫ですか?」と呆れ気味に言われてしまった。

 掲載号の発売日は3月になる予定。近くなったらまたアナウンスさせていただこう。

 その後、10分ほど歩いて居酒屋Yに向かう。予約を取ってあった個室に入ると、関西テレビの朝番組「痛快!エブリデイ」のスタッフの方々がすでにカメラなどのセッティングを始めている。かんたんに段取りなどを説明してもらってから、レポーター役の芸人コンビ・ダイアンのお2人が入ってくる。糖尿病小説の著者である僕とともに、居酒屋で食事を楽しみながら、本について、また糖尿病についていろいろ質問する、というシチュエーション設定だ。

 テレビ撮影は初めてなので緊張したが、「Tarzan」からの取材でいい感じにテンションが高まったままの状態だったせいか、カメラが回りはじめてしまったら意外と肝が据わり、勝手に口が動いてくれた。収録が済んでから、立ち合った世界文化社広報のIさんに、「平山さん、最後の方で、芸人さんにツッコんでましたよね」と言われた。担当編集のUさんからは、「平山さん、ときどき、イントネーションが彼らにつられて関西風になってましたよ」と。たしかに。

 きっと、自分で観たら顔から火が出るほど恥ずかしいのだろう。もっとも、この番組は関西ローカル局のものなので、放映されているときに僕自身は観ることができない。後日、ビデオを送ってくれるとのことだが、観たいような観たくないような……。観られる地方の方はぜひご覧になってください、というオシも、していいものやら……。

 ちなみにオンエアは、今月23日の予定だ。なお、偶然だが、23日と言えば、僕のインタビュー記事が載った『アサヒ芸能』の発売日でもある。と思っていたら、同じく僕のインタビュー記事が載った『日刊ゲンダイ』も、その日の発売分と決まったそうだ。

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2007年1月15日 (月)

ヤングな俺

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 去年の暮に『アサヒ芸能』から受けたインタビューの記事原稿が届いているので、チェックする。掲載号の発売日も23日に決まったとの由。実は、明日も2件、取材が入っている。

 そのうちの一方から、「糖尿病を宣告された当時の写真」などがあれば提供してほしいと持ちかけられていたので、探してみる。宣告された後は写真を撮るどころではなかったが、その直前のものがあっけなく見つかった。日付も入っている。35歳になる約1ヶ月前の、2003年8月5日……このまさに3日後に、僕は悪夢のような宣告を受けることになるのだ。

 取材サイドとしては、当時、いかに激ヤセしていたかとか、そういったあたりを絵にしたいのだろうと思う。しかしこれを見る限り、たしかにひどく痩せてはいるが、むしろ、現在と比べての「若さ」の方に目が行ってしまう気がする。髪もフサフサだし、肌も今ほど皺が目立たない。3年以上前なのだから今より若く見えるのは当然だが、この3年間におけるフケ方が、それ以前よりもあきらかに加速している気がするのだ。

 今日、職場である人にそのことを話したら、「そんな風には思っていなかった。今でも実年齢よりは若く見えるし、髪型などがこの頃大きく変わっているから、特にそんな印象を受けるだけなのでは?」と言われた。しかし、それはたぶん、しょっちゅう会っているから変化に気づかないだけなのだ。この写真を見たら、違う意見になるにちがいない。

 さて、取材用の素材としては、はたしてこれでいいのだろうか。ヘタをすると、病状が最も悪化していたはずのこの頃の方が、安定しているはずの現在よりもむしろ健康そうに見えてしまいはせぬか。やはり、若さというのは侮れない。いやむしろ、「老い」は侮れないと言うべきか。

We used to say "Ah, Hell, we're young!"
(Kate Bush)

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2007年1月14日 (日)

蘭郁二郎を今さら悼む

 ある興味と必要があって、ここ数日、蘭郁二郎を読んでいた。ちくま文庫から出ている、日下三蔵氏が編んだ作品集だ。

 蘭郁二郎と言えば、海野十三と並んで、日本SFの先駆者というイメージが強いが、この作品集はむしろ、初期の探偵小説に重きを置いたラインナップになっている。それも、「探偵小説」と言うよりは、どちらかというと江戸川乱歩や夢野久作に連なる、怪奇幻想小説に近いノリだ。昭和10年代にこれか、と思ってけっこう驚いた。

 フェティシズム、マゾヒズム、人形愛、屍体愛好……なんでもアリだ。特に、S少女とM少年がからむ『夢魔』がすごい。曲馬団の中で、醜男な上に芸もへたくそでみんなから蔑まれている「黒吉」が、一方的に憧れているマドンナ少女「葉子」の食べかけのせんべいを偶然入手し、物陰でこっそり、その噛み口がわずかに濡れていることを確認しながら、「葉ちゃんの唾かな」と想像し、その部分を味わってうっとりするところなど、異様なリアリティ(実体験臭?)があって、鬼気迫る感じだ。

 ほかに興味深かったのは、『鱗粉』という作品。僕はかねてより、『ロリータ』の著者であるウラジーミル・ナボコフが蝶の蒐集家・研究者としても有名であったこと(ある種の鱗翅目昆虫には、学名の一部として発見者Nabokovの名が添えられている)と、ジョン・ファウルズの『コレクター』に描かれる、気に入った女を次々に拉致監禁して「コレクション」を楽しむ誘拐魔クレッグが蝶の蒐集家であったことに、とても偶然とは思えない符号を感じているのだが、蘭が書くこの『鱗粉』という作品に出てくる「少女蒐集魔」は、逆に蝶や蛾のたぐいが大嫌いなのだ。

 後期のSF的作品も、それぞれ、そのアイデアの先見性に目を瞠るばかりだ。今でいう遺伝子工学みたいなものも出てくるし、震災で家の下敷きになった少女を、白金でできた神経組織によって救うという『白金神経の少女』などには、山之口洋さんのデビュー作『オルガニスト』を思わせるものがある(もっともそれは、ビルの管理人のおじさんが電気にやられて頭に思い描いた妄想だった、というオチがついてはいるのだが)。

 しかしその蘭郁二郎は、1944年、海外報道班員として搭乗していた飛行機が台湾で山に激突して死亡。もったいない。なんともったいない。

 ちなみに今日は、IKKI連載企画のプロットの手直しと、『冥王星パーティ』のゲラを見るので終わってしまった。やりたいこと・やらねばならないことはいくらでもあるが、気ばかりはやってちっとも辿り着けない。

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2007年1月13日 (土)

冥王星カクテル

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 高田馬場のある店に、「お客様オリジナルカクテル」というのを作ってくれるサービスがある。甘口か辛口か、ベースは何か、どんな色でどんなイメージか、などを指定の用紙に書き込んで店の人に渡すと、その場でレシピを考えてくれるのだ。

 ちょっとおもしろいなと思って、「冥王星パーティ」というカクテルを作ってもらった。店内が暗かったのできれいに撮れなかったが、写真がそれだ。

 僕が指定したのは、「ロング」「甘口」「色は青から緑のグラデーション」「アルコールは中くらい」「ミントの香り」「ウイスキーまたはウォッカベース」といった感じで、イメージは「ちょっと苦いけど最後は幸せ」というものだ。リクエストすべてが満たされたわけではないが、希望したイメージにかなり近いものができあがり、満足した。

 僕のカクテルの好みは基本的にショート系なのだが、「冥王星パーティ」という名前には向かない気がして、あえてロングにした。確認しそびれたが、たぶん、レシピはずっと保管してもらえていて、いつ行っても「冥王星パーティ」と注文すれば同じものを作ってもらえるのだと思う。

 このカクテルを作ってくれたバーテンさんが、「あれ、このタイトルは?」と気づくくらい、3月に出す本も売れてくれればいいのだが。

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2007年1月11日 (木)

レビューが好き

 昨日は、「ラスマン」と「ワスチカ」の韓国語訳をしてくださったキム・ドンヒさん、その旦那さんのキム・ヨンベさんと、池袋で落ち合った。2人は日本での永住権も持っているのだが、今回の日本滞在は、その更新手続きのためであるらしい。

 旦那さんの方のリクエストで、鮮魚がうまそうな居酒屋をあてずっぽうに選んで入ってみる。関サバの刺し身と、「鷹木屋」という大分の地酒が旨かった(僕はふだん、味覚的においしいという意味で「うまい」という言葉を使うとき、「旨」という字を使わずひらがなで表記するが、なんとなく、この字を充てたくなるような感じの「旨さ」だった)。

 ヨンベさんは現在、50歳前にして韓国の超有名企業S社の役員だが、日本在住経験も長く、日本酒も含め酒はなんでも大好き。彼とつきあっていると、自然と摂酒量も多くなる。コンピュータによる言語認識を専攻する彼から、酔っぱらった状態で、ある実験的な(前人未到の)小説のアイデアについて貴重な示唆を受けて、燃える。死ぬまでにはいつかチャレンジしてみたい課題を与えられた。その詳細について今は言えない。いつか、作品の形で世に問いたいと思う。

 2軒目は、彼らが投宿しているMホテルのラウンジに。酒がほとんど飲めないドンヒさんはコーヒーを飲み、ヨンベさんと、糖尿病患者である僕は、シャブリのハーフボトルを飲む。シメとして、ヨンベさんが自分たち2人のために、僕も大好きなラフロイグを注文しているのを聞いて、思わず「あ、僕はロックで!」と言ってしまったところ、自分はストレートを指定したヨンベさんが、「ラフロイグをロックで飲むなんていうのはほとんど犯罪です」と苦言を呈する。でも僕は、ロックで飲むラフロイグが好きなのだから、しかたがないではないか。

 そんなわけで、昨日は当初想定したよりもずっと深酒になってしまった。

 ちなみに今日は、宝塚宙組公演『維新回天・竜馬伝』を観に行く。竜馬というのはつくづく、エンタメの素材として扱いやすいヒロイックな存在なのだなと思う。西郷どんの訛りがリアルすぎて、台詞が半分以上聞き取れない。徳川慶喜にまで「マイ・ソング」が用意されていることに驚く。「男の負けっぷり」みたいな歌。2部はレビューの『ザ・クラシック』-I LOVE CHOPIN-。

 貴城けい&紫城るいのサヨナラ公演なのに、なぜ「ショパン」なのか、という点は措いておくとして、今回、わかったことがある。僕はたぶん、宝塚の歌劇本体よりもむしろ、レビューの方が好きらしい。あの、あとからあとから(踊り手が)無限に涌いてくる感じが非常に好きなのだ。もう終わりだろうと思っていると、また舞台の袖から、階段の上から、ゾロゾロ涌いてくる。そしてあの、北朝鮮のマスゲームを思わせるシンメトリーな構成美。あれはずっと観ているとまちがいなくトリップさせられる。

 帰ってきたら、新潮社から次作『冥王星パーティ』のゲラが届いている。今のうちに言っておくが、この作品のタイトルは当初の『冥王星パーティー』から『冥王星パーティ』に変わった。"party"のカナ表記は、現在では「パーティ」がより一般的だとの指摘を(新潮社校閲部)から受けたためだ。発音ベースでは今でも「パーティー」が普通だと思うのだが。

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2007年1月 9日 (火)

恥ずかしいコピー

『ラス・マンチャス通信』と『忘れないと誓ったぼくがいた』をそれぞれ韓国語訳してくれたキム・ドンヒさんが来日中で、明日、急遽池袋で会うことになったので、各紙誌で紹介された『シュガーな俺』に関する記事のコピーを渡すことにする。韓国の版元Studio Born-Freeが、『シュガーな俺』の翻訳出版も検討してくれているから、キムさん経由で参考資料として渡してもらえばいいかなと思ったのだ。

 で、近所のコンビニに掲載誌などを持っていってひとつずつコピーしたのだが、ちゃんとコピーできているかどうか確かめるために、出力されたものを取り出して見るたびに、スケベっぽい自分の顔が大写しになっていたりして(『dancyu』1月号)、隣の雑誌コーナーで立ち読みしているこのお兄さんに見られやしなかったかと慌てて伏せたりしていた。こういうところが自意識過剰なのだろうなと思うが、とにかく、恥ずかしくてしかたがない。

 一方、自宅のアドレスには、『日刊ゲンダイ』から取材記事の原稿が届いている。12月の初旬に池袋で受けたインタビューだ。ひと月も過ぎてしまってもう忘れかけていたが、そういえばそんなのもあった。掲載は来週中だが、何日になるかは未定とのこと。原稿は、これまでになく「酒好き」な僕がフィーチャーされており、ほかの記事とははっきりとトーンが違っていておもしろい。さすが記者さん本人が無類の酒好きと自称しておられただけのことはある。こちらが似たような話をしていても、反応するツボが違うということなのだろう。

 また、ポストには、うっかり承諾してしまった例のリサーチ会社からのアンケートが届いている。今回は「テレビアンケート」だ。テレビ、ほとんど観ないんだけども。ああめんどくさい。ほんとに、つくづく、承諾しなければよかったと思う。しかし中には、返送しなくなってしまう人もいるだろう。その場合も、毎回1,000円のギフト券をいわば前払いする形で、アンケートを送りづけるのだろうか。

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2007年1月 8日 (月)

仮名のはずが

 年末に送ってあった、小学館「IKKI」連載を想定した作品のプロットについて、担当Tさんより返事が届く。大筋OKだが若干弱いところがあったので、その部分については再考しなければならない。しかし、こうして物語がブラッシュアップされて形になっていくのは、いつもながら楽しい。

 ところで、当然のことながら、小説には普通、複数の登場人物が出てくる。ただ彼らは、プロット段階においては、Aという役割をする人物、Bという役割をする人物、Cという役割をする人物……といったように、「役割」というか、物語の内部における構造的な位置づけというか、そういう概念としてしか存在していない。あるいは、そういう概念として存在してさえいれば、用は足りるはずである。

 しかし実際にプロットを書く段になって、「Aが○○する」「BがCに○○と言う」といった形で、つまり、ある「役割」を表す略号のまま書いていると、書いている本人にもわけがわからなくなってくるし、なんというか、今ひとつ乗れない。そこで、仮にでもいいから、なにかそれらしい名前を当てはめてみる。たとえば、Aが30歳の男性なら「晃夫」、Bが20歳の女性なら「みずき」、というように。

 その時点ではあくまで「仮」なので、たいして練りもせず、とにかく識別ができればいいや程度のつもりで名づけているにすぎない。しかし僕の場合、往々にして、そのときつけた「仮名」が、実際に作品として発表される際にもそのまま使われる「本名」になってしまう。結局、ほとんどの場合は、名前などどうでもいいのだと思っているからかもしれないし、プロット段階で呼んでいたその名に愛着がわいてきて、本編を書く段階ではもはや「役割A」のことは「晃夫」、「役割B」のことは「みずき」としか思えなくなっているからなのかもしれない。

 どうせそうなるとわかっているのなら、「仮名」段階でもうちょっと凝った名前を考えればいいのかもしれないが、そうするとまず名前がなかなか決まらず、名前が決まらないとプロットを書き出すこともできなくてイライラしてくるのだ。

 今回送ったプロットに出てくる登場人物の名前も、ほとんどが「仮名」のつもりでつけたものだ。でも、プロットを煮詰めている今の段階ですでに、そのほとんどが「本名」として採用されることになるのではないかという予感でいっぱいである。

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2007年1月 5日 (金)

ドイツ語のアレ

 去年の正月に実家に帰った折、父からあるものを示された。『ラス・マンチャス通信』冒頭部分のドイツ語訳だ。もちろん、出版されているわけではない。大学教授であった父が指導したことのあるドイツからの留学生Hさんが、その後日本学の偉い先生になり、父から贈られた『ラス・マンチャス通信』を手すさびにちょっと訳してみたといういきさつだった。「子供たちに読んで聞かせたらたいへんおもしろがっていました」とのこと。

 僕はそれを持ち帰って、後日、ドイツのロッテンブルクという町に住むHさんに直接、お礼の手紙を出すつもりでいた。ところが家に帰ってみると、ドイツ語訳が印字された紙も住所の控えもない。置き忘れてきたかと思って父に訊いてみたが、こちらにはないから渡したはずだという。それきり、ドイツ語訳は行方不明になってしまい、お礼の手紙もなんとなく出しそびれてしまっていた。

 今年、実家に里帰りしたら、「そうそう、Hさんのあれ、渡してないよね?」と父。どうやら、1年前に「ない、ない」と僕が騒いだ一件はもう忘れてしまっていたらしい。しかし、話によると、「最近見かけた」そうなので、やはり、去年は僕が置き忘れていったわけだ。結局その場では見つからなかったのだが、今日になって、「その後見つかったから」と父から郵送で送られてきていた。

 僕はドイツ語はほとんどわからないが、単語などを拾って見当をつけるかぎり、単行本の最初のほぼ3ページ分に相当するようだ。ちなみに書き出しの一文、「陸魚はアレの一番お気に入りのおもちゃだった」は、こうなっている。

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Landfische waren Ares liebstes Spielzeug.
*******

 ラントフィッシェ・ヴァーレン・アレス・リープシュテス・シュピールツォイク、かな。なんだかこの、ドイツ語特有のシャキシャキした音感が、あの作品の色調には合っているような気がする。「日本のカフカになりたい」と(自発的に)言った覚えはないが、このようにドイツ語になってしまうとカフカっぽく見えてくるから不思議だ。

 "Landfische"は、英語で言えばさしずめ"land fish"で、意味的には「陸・魚」を忠実に移し替えたものだが、形の上では「陸魚」と同じように「単語」扱いになっている。こうして既成の語を組み合わせることで簡単に「造語」ができてしまうのは、日本語における漢字熟語の組成と似ており、ドイツ語の特徴として興味深いところだ。

 しかしよく見ると、「アレ」がそのまま"Are"(アレ)と音訳されていることに気づく("Ares"の末尾の"s"は、英語の"'s"と同じで、所有格を表す)。「アレ」をどう訳すかは、韓国語訳のときにも議論百出で大難関となった部分だが、Hさんはこれをどう見たのだろうか。いろいろ試みたあげく、意訳を放棄して単なる固有名詞として扱ったのか。それとも、初めから固有名詞だとしか思わなかったからただそのまま音を写したのか。

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2007年1月 2日 (火)

里帰り

 毎年、1月2日には、妻を伴って川越の実家に行くことになっている。変に近いとかえって足が遠のくもので、よくよく考えると去年はまさに1年前、年始に行ったきり一度も足を運んでいない気がする。

 実家に行くときの楽しみは、飼われている3匹の猫に会うことだったが、オスの2匹はあいついで姿を消し、最後に残ったメスの1匹も、うちの無為が死んだ後を追うようにして、昨年の年内に息を引き取ってしまった。実家の敷居をまたいだら、つい2週間ほど前に死んだ三毛猫の遺影と遺灰が玄関のゲタ箱の上に並べてあり、いきなり焼香をする運びとなった。日だまりの中で幸せそうに横たわっているいい写真だった。

 昨年末は、ずいぶんあちこちで『シュガーな俺』が紹介されたので、それらの記事のコピーを携えていった。『dancyu』に載ったインタビュー記事の写真を見るなり、父が「いやらしい! この写真はイヤだ!」と叫んだ一方、母の方は、「あら、いいオトコに写ってるじゃない」と言った。男と女で評価が分かれる写真なのだろうか。妻いわく、「酔っぱらってるときによくこういう顔をしているよ」。酔っぱらってるときか……。

 実家にはパソコンも携帯もないので、このブログを直接、両親が見る気づかいはいらない。しかし、昔、お向かいさんだったK家の人々は、どうもマメにチェックしてくださっているらしく、父母のことを書いたりするとそこから伝わってしまうので、あまりうかつなことは書けない。……と書いているこの内容も、そのうち伝わってしまうのだろうな。

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2007年1月 1日 (月)

生産的な元旦

 年が明けた。珍しく午前中から起き出して朝風呂を浴び、かんたんなおせち料理で食事を済ませてから、毎年恒例のごとく歩いて十分の小さな神社に妻と2人、初詣でに行く。いつもほぼ並ばずに済むので、今日もそのつもりで行ったら、鳥居の前まで行列ができているので驚く。

 少し考えてみて、理由がわかった。これまで並ばずに済んでいたのは、その神社が小さくてマイナーだからではなく、僕たちが来るのが時間的に遅過ぎたからなのだ。

 例年は、午後1時か2時ごろのろのろ起き出して、だらだらと食事を摂り、ともすればちょっと昼寝などしてから出かけるので、神社に到着するのはたいてい、もう陽が落ちかかっている頃合いだった。帰る頃にはすっかり暗くなっている。新年の願をかけるタイミングとしてそれはどうなのかと反省し、今年は早めに行動したわけだ。世間の人たちはみんな自分たちより勤勉でまともなのだな、と恥じ入ることしきりだ。

 しかし、今年はそのように、早め早めで動いていただけに、元日ながらなかなか有効に時間が使えた気がする。帰ってから、『にゃんこ THE MOVIE』(ナレーション:篠原涼子)も観れたし、深夜を待たず、夕食前という早い時間から執筆に取りかかることもできた。夕食を食べながら、「まだ元旦か!」と驚いたほどだ。

 ただ、@niftyの『シュガーな俺』連載ページで引き続き連載している「シュガー通信」の第2号が、アップされない。昨夜のうちに原稿はセットしておいたのだが……。初回のときもモタついてしまったが、やはり、僕の設定の仕方になにか問題があるのだろう。ニフティ担当者の話では、「アップされなかった原因はよくわからないけれど、今後はこちらで必ず確認して更新されるようにする」とのことだったが、正月まで手を煩らわせるわけにもいかない。

 楽しみに待っていてくださった方には申し訳ないのだが、どうも、ニフティさんの仕事開き以降まで待っていただくしかないのではないかという気がする。
 
※追記
 と思っていたら、午前1時ごろ、アップされたようだ。ただ、僕自身が設定した日時より丸1日遅くなっているのがなぜなのかわからない。再発が防げるよう、次回までには原因を探っておこう。

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