『シュガーな俺』の韓国語訳作業が終了して、原稿はすでに向こうの版元Studio Born-Freeに送信済みとのこと。これから校閲に入るが、医療関係の記述が多いのでやや時間がかかるかもしれない。刊行時期はまだ決まっていないようだ。翻訳者キム・ドンヒさんとタッグを組むのも、『ラス・マンチャス通信』『忘れないと誓ったぼくがいた』に続いて、これで3作目。回を追うほどにメールで質問されることが少なくなっていくのは、作品の性質もあるだろうが、文芸翻訳自体にキムさんが習熟してきた証拠でもあるのだろう。
ちなみにキムさんは、僕が作家デビューする直前まで十数年にわたって日本に在住しており、その時代からの友人なのだが、翻訳の話はそれがきっかけで起こったわけではない。ただ、結果として彼女が翻訳することになったのが偶然だというわけでもない。
2005年3月、韓国から『ラス・マンチャス通信』の翻訳を出したいという打診が来ている、と初めて新潮社から聞いたとき、とっさに、キムさんが向こうでどこかの出版社にかけあったのではないかと思った。しかしそのとき、僕はキムさんと少々連絡を取りづらい状態にあった。
前年の夏に韓国に戻っていったキムさん夫妻のところに、できれば年内に遊びに行くと約束していながら、僕は多忙にかまけてその約束を履行していなかった。そのうしろ暗さもあったので、暮れに『ラス・マンチャス通信』が出版されたとき、お詫びの手紙とともに1冊、彼らのところに航空便で郵送したのだが、その後、1ヶ月・2ヶ月が過ぎても、うんともすんとも言ってこない。ああ、やはり、不義理を怒っているのかな、と思った。というのも、韓国人である彼らは、「日本人は“今度”とか言っておきながら約束を守らない」とかねてから不信の念を表明していたからだ。
しかし同時に、悪かったと思っているからこそ、こうしてお詫びの言葉を述べ、本まで送っているのに、それを黙殺するなんてあんまりなんじゃないか、と思ってもいた。なかばはそんな意地もあって、それ以上こちらからは連絡を取らずにいた矢先のことだったのだ。翻訳のことを聞いて、迷ったのだが、やはり居ても立ってもいられなくなって、僕はキム・ドンヒさんにメールを送り、約束を果たさなかったことをあらためて謝った上で、翻訳の件に関与しているのかどうか訊いてみた。
彼女の答えは、意外なものだった。そもそも本は届いていないからまだ読んでいないし、まして翻訳のことなどまったく知らないというのだ。ただ、もしそういう話が進んでいるのなら、できれば友人として自分が名乗りを挙げ、翻訳してみたいので、よかったら版元とエージェントの連絡先を教えてほしい、という。韓国の家を訪問する約束を守らなかった点については、「平山さんが忙しいのはわかってますから、そんなことで怒ったりはしませんよ」。
すると、航空便で送ったはずの『ラス・マンチャス通信』は、いったいどこへ消えてしまったのか。キムさんが言うには、「紛失事故でしょう」。普通郵便扱いで送るとそういう事故がザラに起きるので、自分が送るときはEMS(国際スピード郵便物)で送るようにしているという。多少割高だが、書留みたいなもので損害補償つきだし、追跡サービスも行なっている上に、日本・韓国間でも2、3日で確実に届くから安心なのだ。
そんなわけで、僕は大慌てで新しい『ラス・マンチャス通信』をEMSでキムさん宛てに送り直し、それは数日後、無事に到着したのだった。同時に、つまらない誤解からキムさん夫妻と疎遠な仲になってしまう危険からも救われたわけだ。
後に知ったことだが、翻訳のきっかけとなったのは、向こうの版元Studio Born-Freeの人が日本出張に来て書店に寄った際、たまたま『ラス・マンチャス通信』の表紙に惹かれ(つまり、ジャケ買い)、読んでみたらおもしろかったのでぜひ……という流れだったそうだ。
それにつけても謎なのが、消えてしまった最初の1冊である。薄っぺらい封書1通が長旅の間にどこかに紛れてしまうのは、まだ理解できる。むしろ、こんな小さな手紙1通がよくぞ海を渡って届いたものだ、と国際郵便を受け取るたびに感心するほどだ。しかし、単行本1冊を入れた大きな封筒が、いったいどこで、どうやって、何に「紛れて」しまうというのだろう。消えてなくなるはずもないから、今もってそれはどこか……たとえば空港内の作業場の片隅などで、なにか大きな機材の陰にでもひっそりと眠っているのだろうか。
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