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2007年6月28日 (木)

初遊泳

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 風呂から上がって、扉を開けてバスタオルで体を拭こうとしたら、背後で「ドボン」という音がした。

 湯槽の中で、クーニャンが溺れかけていた。

 大慌てで救出し、拭いてやったが、いやがって体をよじるのでほうっておいたら、こうして自分で入念に毛繕いをはじめた。

 ちょっと前から風呂には興味を示していて、僕が湯槽に浸かっていると、へりのところに乗っかってこわごわお湯に手を出してみたり、ちょっと飲んでみたりしていた(そういえば、故・無為もまったく同じことをやっていた。猫というのは水が嫌いなくせに、興味は津々なのだ)。そのうちクーニャンは、僕が浴槽に浸かっていないときは蓋がかぶせてあることに気づき、躊躇なくその上に飛び乗るようになった。

 たぶん、今回はそのなまじっかの知恵がアダになったのだ。

 そのとき、僕はまだ浴室内にはいたが、すでに浴槽からは上がっていた。体をざっと拭って、最後に蓋を閉めていこうと思っていたのだ。でもクーニャンは、「僕が浴槽から外に出ている」→「蓋がかぶせてあって安全」と解釈したのだろう。現場を見ていたわけではないが、おそらく、浴室の床から一足飛びにお湯の中に「ドボン」だったものと思われる。

 それにしても、湯槽の中でゆらありゆらありとたゆたっている猫の顔というのはおかしい。非常事態だからそうとう動揺し、かつ周章狼狽しているはずなのだが、あまりの動揺のためか、かえって無表情になってしまい、まるでのんびり遠泳でも楽しんでいるみたいに見えるのだ。無為もかつて同じ目に遭ったことがあり、そしてやはり同じように、うつろな目でゆらありゆらありと前肢をかいていた。

 これにこりて、浴槽の上には飛び乗らなくなるだろうか。

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2007年6月27日 (水)

コンビニ払いにできないの?

 なんか、住民税の納税通知書が来た。しかも、けっこうな額だ。税源移譲も関係してはいるだろうが、基本的には年収が増えたからだ。給料から天引きだとほとんど意識もしないが、まとまった額をあらためて払えと言われるとなんだか不当な暴力を受けているような気持ちになる。

 しかもこれコンビニ払いきかないじゃん。

 会社員でもあるし、日中、郵便局やら区民事務所やらに行くのはたいへんなのだ。昼休み45分しかないし。1型糖尿病だからインスリン打ってから一定時間内に昼食摂らないと死んじゃうし。事実上、半休とか取らないと払いにもいけないのだ。せめてコンビニ払いできるようにしてくんないかな。それくらいの便宜は図ってほしいものだ。払わないって言ってんじゃないんだからさー。

 と、ブツクサ言っていたら、今朝「朝ズバ」で年金問題を喧々諤々やっていた。ああ、これはダメでしょう、と思った。

 今までほとんど意識することもなかった税金やら年金やらについて、これからは考えていかざるをえなくなるんだろうなぁと思うと憂鬱になる。苦手な分野だ。確定申告だって妻に手数料払って委託している始末だし。あげく追徴金取られるとなんだかすごくムカつくし。しかもその追徴金も、コンビニ払いできないし。どうなってんだ。ほーっとけないっ!(by みのもんた)

 と、なんだか愚痴っぽいことをつらつら書いてしまったが、どうも疲れ気味らしい。なかなか寝つけない深夜だとか、クーニャンに手足を噛まれて目覚ましよりだいぶ早く目覚めてしまった明け方などに、ときどきふと、「あ、そういえば、自分、作家なんだっけ」と思うことがある。長い夢から醒めていないみたいな気がすることがある。

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2007年6月26日 (火)

アメリカ飯の後に

 六本木でアメリカ飯を食った。「アメリカ飯」というのは、いかにもアメリカ人が好みそうななんかこうスパイシーでパサパサしていて脂っこくてシンプルな食い物のことだ(ド偏見)。

 その後、1年ちょっと前に1度だけ入ったことがあってすごく気に入っていたバーを当てにして行ったのだが、閉まっている。というか、あきらかに営業を停止している。たいへんショックを受け、さりとてあまりなじみもない六本木でテキトーに店を選ぶ勇気もなく、あてにしていた店の地下に新しくできていたらしい、外観からするとそう心配でもなさそうな店を選んで入ってみたら、これが超大当たりだった。

 また来よう。絶対また来る。

 それにしても六本木という街には何度来ても慣れることができない。

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2007年6月25日 (月)

IKKI複合体

 小学館「IKKI」での、漫画家・阿部潤さんとのコラボ企画『魅機(みき)ちゃん』連載第1回分のラフが上がってきている。この場合、「ラフ」というのは、ページレイアウトに僕の小説部分の文面が流し込まれ、イラスト用に枠取りされたエリアに阿部さんのラフが入っている状態、ということなのだが、これは誌面に掲載された現物を見ていただかないとイメージが湧かないだろう。

 小説を原作としたコミック化でもなく、単なる小説と「挿し絵」でもなく、その両者が渾然一体となっているような状態を目指している。そしてそれこそが、この作品がいずれ収まることになる「IKKI COMPLEX」というレーベルが究極に目指すところでもあるわけだが、ああ、やはりこういうのは、自分では客観的に評価できない。ラフを見るかぎり、かなりいいセン行っているように思えるのだが。

 さて、クーニャンは、僕が肩に乗せたまま歩いても動じなくなってきた。このまま肩乗り猫になってしまうのだろうか。そして、僕が「ワッ!」と言いながら覆いかぶさるような姿勢を取ると、ビョーイ、と数十センチほどジャンプするようになった。最初は逃げているのかと思ったが、どうも、立ち向かってきているつもりであるらしい。ただ、そのときそのときの怖さに差があって、怖さが勝っているときは逃げ腰ジャンプになるため、ジャンプの方向が一様ではないということらしい。

 仔猫が家にいると仕事にならない。

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2007年6月21日 (木)

飽くなき虐待

 酔っぱらってカラオケの「パセラ」に行った翌日、よく起こる現象なのだが、前の日に着ていたスーツのポケットから、「POM★POMマスコット」なるものが出てくる。直径3センチほどのチャチな景品だ。

 ただ、「パセラ」に行った翌日、必ずそれを発見するわけではないので、行けばもれなくもらえるというシステムになっているのでもないようだ。なんらかの条件が揃っていないといけないようなのだが、なにぶん、退店する頃の記憶はほぼ毎回消えているので(室内で、「山崎・ダブル・ロック」をほぼオートマチック・リピート状態で注文しつづけていることが原因と思われる)、確たることは何も言えない。

 いずれにせよ、そいつらはここ1、2年の間に着々と数を増やし、僕の部屋で一勢力としてプレゼンスを示しはじめていた。僕は概して、黒目がちのつぶらな瞳をしているものに弱いので、捨てるに捨てられないのだ。おかげで、机の上がだんだんそのヒヨコやらブタやらカメやらに侵食され、どうしたものかと思っていた。

 クーニャンが、それに目をつけた。故・無為も、ちょっとだけ爪先でいじったことがあったが、すぐに見向きもしなくなった。それを相手にするには、すでに大きくなりすぎていたのだろう。直径3センチほどの、球形で毛むくじゃらのものは、クーニャンくらいの小さい猫にとってこそ、うってつけの遊び道具となるのだ。

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 全部で5匹いた「POM★POMマスコット」のうち、1匹だけ別の場所に避難していたカメを除く4匹全員が、今や、マンションの中のまったく別々の場所に分散している。ある者は浴室に転がり、ある者はキッチンの片隅に陣取り、またある者は寝室のベッド脇に、ある者は行方知れずに……。

 たまに拾い上げて見てみると、ヒヨコのくちばしが消えていたりして、たいへんかわいそうである。しかし、クーニャンからこの遊び道具を取り上げてしまう方がもっとかわいそうなので、心を鬼にして虐待を放置している。それに、こっちが仕事に集中したいとき、そのへんに転がっているブタを拾い上げてクーニャンに向かって投げ落としたりすると、しばらくはそれにかかりきりになってくれるので、助かる。

 さて、今日は少しばかりガス欠のようだ。仕事関係のいくつかのメールに返信をしたら、力尽きてしまった。さっきまで、録画しておいたドラマ「セクシーボイスアンドロボ」(原作はかつて「IKKI」で連載していた)の最終回を観ていた。ニコとロボが「最後に会ったとき」の話が、せつなくて泣けた。そして、大後寿々花ちゃんは、あの歳でこんなにウマくてどうするのだろうと思った。まだ中学生なのに、どうしてあんなに、大人の事情がすべてわかっているような表情を作ることができるのだろうか。

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2007年6月20日 (水)

多面的人間

 理想的には、午前7時くらいには起床して、ゆっくりと身繕いをして、余裕を持って食事も済ませ、少しは猫と戯れて、妻と冗談を言い交わしてから、出勤したいと思う。理想的には、だ。

 それがかなわないことがわかっているので、ではせめて、ということで、目覚まし時計は7時15分にセットしている。幸い職場はけっこう近いので、8時25分に家を出れば始業時間に遅れずに出社できる。目覚まし通りに起きていれば、家を出るまでに1時間以上あるから、まあ余裕だ。しかし、そのとおりになることは稀である。

 いろいろあって、たいていは、8時10分前後に朝食となる。けっこうギリギリだ。そしてその時間帯、テレビはすでにワイドショーモードに入っている。あれがなんだか、僕はイライラするのだ。人の不幸を、そんなに詳しく知りたくない。妻が僕よりひと足先に食事を済ませ、大急ぎで化粧をして戻ってきて、「まだこの話題?」と呆れたように言う。まったく同感だ。悲劇に見舞われた人たちのことは、心底気の毒だと思う。しかし、何十分もかけてその気の毒さを味わい尽くさなければならない理由が、正直なところ、理解できない。

 もうちょっと早く食卓につけば、きっとNHKあたりが、さくさくと、淡々と、フラットに、世の中で何が起こっているのか、事実だけを均等に報じてくれているのだろう。僕が望むのはそれだ。個々の報道に何を感じ、何を思い、それに対してどの程度の重みづけをするかは、受け手である僕が決めるべきことだ。あらかじめ重みづけされたものを押しつけられるのは、僕の本意とすることじゃない。しかしそんなえらそうなことを言いたいなら、たぶん僕は、あと10分、いや、せめて15分、早く起きるべきなのだろう。

 さて、昨日、見本誌について触れた小学館の文芸誌「きらら」7月号だが、今日、配本になったはずだ。そして僕と2名の書店員さんとの「鼎談」記事は、WEB版で全文、読むことができる。

   WEBきらら

 ちょっと下にスクロールすると、その記事へのリンクに行き着けるので、ご興味のある方はどしどしクリックしていただきたい。どしどしクリック。「どしどし」ってよく考えると変な言葉だ。

 ちなみに、見本誌で僕の写真を見たある飲み友達いわく、「これはよく写ってるじゃないですか」。

「うん、これは、自分でも等身大と思える感じだね」
「……」
「言い直そう、これは、“こう見られたい自分”になってるよ」
「おすまししてますよね」
「そりゃあね。酔っぱらってデヘデヘ笑ってる姿とは違うけどね」
「それが私の知ってる平山さんなんだけど」
「そんな姿、読者さんには見せられませんね」
「酔っぱらって看板蹴ったりしてる姿はね」
「……」

 人間とは、ことほどさように多面性を抱えた生き物なのである。

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2007年6月19日 (火)

トロくて激しいお出迎え

 うすうすわかってはいたことだが、昨日・今日あたりで確信に至った。クーニャンは、少しトロい。

 だれかが帰ってくると、無為はそのだれかがドアの外で鍵を取り出している間からもうドアの内側に待機してお出迎えしてくれたものだが、クーニャンは出てこない。お出迎えをしないわけではなくて、気づくのが遅いのだ。たいてい、僕や妻がドアを開けて中に入って1〜2分経過してから、ひとりで過ごしているときの定位置であるらしい和室の押し入れからヨロヨロと出てくる。

 そのわりに、歓迎の表現は無為よりもはるかに激しく、喉をゴロゴロいわせ、「きー、きー、くるぴゃー!」と鳴き立てながら、とにかく肩に乗りたがる。爪が立って痛いので引きはがすのだが、何度でも飛びかかってくる。そして、「くるきー、ぴきゃー、くるぴゃっ、くぴゃー!」となにごとかを激しく訴えながら、僕の耳を舐め、甘噛みする。くすぐったいのでそれをよけようとすると、今度は僕の顎の下に顔を突っ込んできて、顎の先を舐め、甘噛みする。それをしばらくやらないと、気が済まないようだ。

 とても可愛いし、こんな風に手放しで甘えてくるのはせいぜい最初の1年くらいなのだから、二度と戻ってこない貴重な時代としてこれを満喫しておかなきゃと思うその一方で、早くこの「仔猫」状態を脱して、猫らしく落ち着いてほしいな、とも思っている。妻とも意見が一致したのだが、「仔猫って無条件に可愛いんだけど、別に仔猫の可愛さに触れたくて猫をもらったわけではないんだよね、猫が欲しかっただけなんだよね」という気持ちなのだ。

 まあ、ほっといてもいずれそうなる。そうなったときには、仔猫時代のクーニャンを懐かしく思うのかもしれない。

 ところで、昨日から今日にかけて、先日送信した講談社「メフィスト」向けエッセイについての返事が来たり、「IKKI」で連載する漫画家ABJさんとのコラボ『魅機ちゃん』(仮。いや、もうタイトルこれで決定っぽいな)のロゴやレイアウト案が届いたり、来月末発売の『株式会社ハピネス計画』の装幀のラフ案が上がってきたり……といろいろ立て込んでいる。ひとつひとつ片づけていかなくては。

 一方、先日の、書店員さんたちとの「鼎談」が記事になった、小学館「きらら」の見本誌も届いている。見本誌には、「ハピネス計画」の広告も載っており、とりあえず上記ラフ案が表紙イメージとして採用されている。ロゴなどは多少調整されるかもしれないが、表紙イラストはおそらくこのままだろう。非常にインパクトのある絵柄だ。早く店頭に並んだ状態を見たい。

 近所のジョナサンで冷麺を食べながら、月曜未明に書き上げた、「SFマガジン」向けの短編をざっと手直し。できれば今日中に送信してしまおう。仕事が目の前でグルグル回転していく。

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2007年6月18日 (月)

生き延びる

 昨夜、またしても無理をしてしまい、「SFマガジン」向けの短編を書き上げてしまった。しかし今回は、間にいろいろ入って寸断されてしまったこともあり、いろいろな意味で難航したので、これから見直す過程でいろいろボロが出てくるだろう。

 そして今日は、小学館が先月創刊したラノベのレーベル「ガガガ文庫」編集部のYさんと池袋で打ち合わせ。「小学館」がたくさんあって、混乱する人もいるかもしれない。ここで一応整理しておくと、「小学館」の「文芸」編集部から出る書き下ろし長篇『株式会社ハピネス計画』は、もうほぼ手を離れており、7月末に刊行予定だ。同じく「小学館」のコミック雑誌「IKKI」での連載(漫画家ABJさんとのコラボ企画)は、来月下旬発売号から開始予定。そして、それらとは別に、「ガガガ文庫」のYさんとの間でも、ある企画が隠然と進行中、ということだ。

 ちなみに僕は、この「ガガガ文庫」からも1冊出している中村九郎さんという作家にたいへん注目している。天与の才に溢れた人だと思う。ぜひ、生き延びてほしいと思う。というか、ともに生き延びましょう。

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2007年6月17日 (日)

角度は気にしない

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 高名な交響楽団やソリストやオペラ歌手などが共演する国際的な音楽フェスティバルを野外会場で観賞している間に、マイクが手に手に渡されて僕のところまだ来て、いきなりセックス・ピストルズの"God Save the Queen"を歌わされるハメになり、「いや、歌詞ソラで覚えてないし!」と慌てふためいていたら、高いところに設置されている巨大スクリーンにカラオケ画面が表示され、とにかくどうにか形になるように歌えばいいのだろうと思うのだが、テロップで流れているのは僕が知っているのとまったく違うバージョンで、結局ほとんど歌えず、会場も白けきっている。

 という、最悪な夢を見た。目が覚めてから最初に感じたのは尿意だったのだが、その時点での僕はまだ夢の余韻を引きずっていて、「今、立ってトイレに行ったら、観客全員が一斉にいじわるな目でその僕を見守るだろうから、少ししてほとぼりが冷めてからにしよう」と考えていた。ああ、夢でよかった。どうしてあんな夢を見たのだろうか。

 クーニャンはやっと、僕の膝の上で丸くなっておとなしく眠ることを覚えた。今もそうしている。しかしまだ彼女の中では、甘えることとジャレることが明確に区別されてはいないらしく、自分の体力ゲージが高めのときには、甘えながらいつしかジャレている。

 困るのが、肩によじ登りたがることだ。ときどき、猫を肩に乗せて散歩している人を見かけて、うらやましいなぁと思っていたが、実際にやられるとかなり痛い。まだ仔猫だから、力の入れ具合などに慣れていないこともあるのだろう。ここ数日の僕は、肩や首筋にも生傷が絶えない状態だ。おまけに肩に乗ると、クーニャンはその上を歩き回り、そのうち耳を舐めたり、甘噛みしたりしはじめる。これがもう、堪え難いほどくすぐったい。

 大きくなっても、なんら抵抗なく「肩乗り」をしてくれる猫になってほしいという願いと、痛いからやめさせようとする思いとの間で、引き裂かれている。どうすべきなのだろうか。

 こっちが仕事に集中したいときなどは、肩に乗ろうとしてもすぐに膝の上に戻してしまうのだが、クーニャンは何度でも再試行しようとする。しかし、それをやっている間に急に眠くなってしまうこともあるようだ。画像は、僕の肩の上に飛び乗ろうとしている最中に不意に力尽き、そのままウトウトしはじめたところ。ややわかりづらいが、手前の白っぽい部分は僕のシャツで、クーニャンの向こう側にある肌色っぽい部分は僕の左手だ。かなりの急傾斜であるにもかかわず、僕のおなかに寄りかかって眠ってしまう。さすが仔猫だ。

 というより、この猫が細かいことを気にしない性格だからなのだろうか。

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2007年6月15日 (金)

いきなりドツボ

 夕方、池袋駅前を通りかかったとき、どこからともなくマイクを通したアカペラの歌声が聞こえてきた。それがビートルズの「イエスタデイ」だとわかり、3声くらいでハモっていることがわかり、ちょうど"Now I need a place to hide away, oh, yesterday..."の部分にさしかかっていることがわかり、悪くないなと思い、続きを聴こうという姿勢になった途端、音声は突如途絶え、後に続くはずの"came suddenly"はなかった。

 まもなく、30mほど先で、アンプを並べてマイクを持った20歳前後くらいの女の子1人+男の子2人のグループが、おまわりさんに注意されて頭を下げている姿が視界に入ってきた。彼らがおとなしく演奏をやめたので、おまわりさんはすぐに立ち去ったが、その後も彼らは、弱り果てたような顔で黙って顔を見合わせながら佇んでいた。どちらかというと、周囲で聴いてくれていた観客たちに対してしめしがつかないと思っているような雰囲気だった。

 僕ももっと聴きたかった。いや、せめて、一応ワンコーラス終わる"came suddenly"まで、唄わせてやってほしかった。聴いている方も、これではあまりに尻切れで、"Yesterday"という曲がそもそも好きかどうかは別として、なんだか気持ちのおさまりがつかない。おまわりさん came suddenly, and broke up the tune. あれくらいは罪のないレベルで、取り締まる必要もないのではないかと個人的には思うのだが、「拡声機を使用した演奏は禁止」といった条例みたいなものがたぶんあるのだろう。「拡声機を使用」しているといっても、実際にはピンキリだと思うのだが。

 ところで、そこで奇しくも"Yesterday"のその部分を聴いていて、高校時代、それを勝手にダサい和訳で歌っていたことを思い出した。"Now I need a place to hide away, oh, yesterday came suddenly"は、彼女に突然別れを告げられ、「今は隠れる場所が必要だ。ああ、昨日、それは突然やって来た」程度の意味だが、ここの節に合わせて、高校生の僕はこう歌った。「穴ーがーあーったら入ーりたーい、おー、いーきなーりドーツボー」。

 今でもなかなか秀逸な訳だと自負している。

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2007年6月14日 (木)

作家が決めること

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 ああ、やっぱり家に小さな動物がいるとなごむ。いるといないとじゃ大違いだ。過去2点の画像だと、なんだかやたらと目を見開いていて、クーニャン本来の可愛さがいまいち伝わらないと思ったので、釈明的にこの画像をアップしておくことにした。ちなみに今日、新潮社の担当Gさんにこの画像を見せたら、「なんだ、可愛い猫だったんじゃないですか!」。だからそうだって! 可愛いんだってば! 模様が変なだけで!

 今、店頭に並んでいる「anan」(6.20号)に、『冥王星パーティ』をめぐる僕のインタビュー記事が載っている。表紙は竹内結子だ。竹内結子可愛いなあ。そして『冥王星パーティ』、あいかわらずちっとも売れてないなあ。

 さて今日は、目白の天ぷら屋で、新潮社での次回書き下ろしについての準備的な打ち合わせだったのだが、そろそろ店を出ようという段になって突然、「平山さんはブログにときどき、○○の原稿について編集者からOKが出たとかいうことを書いているけど、もっとエラそうに書いた方がいいのではないか」とGさんが言い始めた。

「なんかまるで、編集者が決めてるみたいな言い方じゃないですか。でも、決めてるのは作家さんの方なんであって」
「いやしかしですね、編集者がOKを出さなきゃ、現実問題、本にならないわけじゃないですか」
「それはそうですけど、でも最終的にどうするか決定権を持ってるのは作家さんなわけですよ。だって、無からひとつの物語を作ってるんですよ。読者だって作家にはそうあってほしいって思うじゃないですか。読者の夢を壊すようなこと書かない方がいいですよ」
「いやむしろ、僕はあえて“兼業作家”を自称しつつ、作家とはいえ実はサラリーマンみたいなところもあって、謙虚に地道にコツコツやってますっていう舞台裏のようものを覗かせること自体をネタにしてるみたいなところがあってですね」
「そうだけど、でもYさんやTさん(※いずれも大物作家)なんかは、日記に“編集者を足蹴にした”とかそんなこと書いてるんですよ? もちろん、彼らもほんとにそれをやってるわけじゃないと思うけど。それっくらい超然としたところを見せてほしいなって」
「いやー、無理ですね、僕にはそんな風に書けませんよ。そういうキャラじゃないし。たとえば今日、この話をGさんとしてですね、その後に僕が取る行動として最も可能性が高いのは、“今日、Gさんにこんなことを言われた”って、この会話をそのままブログのネタにしちゃうことだと思いますよ」
「ははあ……。でもね、読者が抱いてる“作家像”ってそういうんじゃないと思うなー」
「たしかに一理ありますね。夢を壊しちゃいけませんよね。わかりました。前向きに検討します」

 そして「前向きに検討」した結果、僕はこの会話を今日のネタとさせていただいた。なぜなら、僕は作家だからだ。決定権は僕にあるのだ。

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2007年6月12日 (火)

ブレンド肉球

 猫の肉球に、ピンク色と黒の違いがあることはなんとなく知っていたが、1匹の猫が両方兼ね備えている場合もあることは初めて知った。

 クーニャンはご覧のとおり黒を基調とした毛にいろんな色がちょっとずつ混ざっているばばっちい模様だが、裏側を向けた右手に注目すると、向かって左端の指の肉球だけが黒く、あとはピンクだ。そしてその色の違いはどうやら、それぞれの指の外側を覆う体毛が黒か淡い茶色かの違いに対応しているらしく見える。

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 掌に当たる部分の肉球は黒いが、そのまわりの毛も黒いので、矛盾はない。そうすると、黒猫の肉球というのは必ず黒いのだろうか。そしてクーニャンは、その中途半端なDNAの中の「黒猫要素」が強く出た結果、肉球の一部も黒くなっているが、純粋な黒猫ではないために、ピンクの肉球も同時に持っている、ということなのだろうか。

 それにしても、どうして仔猫というのはこうしていつも目を見開いているのか。しかも、こんなに大きく見開いているくせに、ろくに見えていないように見える。左右の目の焦点が、あきらかに合っていない。瞳孔も開きすぎに見えるので、あるいは露光過剰で本当にほとんど見えていないのかもしれない。

 そんなクーニャンについ集中力を散らされながら、『株式会社ハピネス計画』のゲラの再校を小学館に戻し、講談社「メフィスト」から依頼されていたエッセイの原稿を送信した。

 それにつけても謎なのが、パソコンのブラウザソフトにたくさん登録しておいたブックマークが、今朝起きたら半分ぐらいごっそり消えていたことだ。ブックマークのリストからパパパパ……とタイトルが消えていく夢を昨夜見たのだが、いや、夢だと思っていたのだが、どうも現実だったらしい。

 昨日、角川書店との打ち合わせを済ませて帰宅してから、比較的明晰な文体でブログもアップしているので、そんなに酔っぱらってはいなかったはずだと思っていたが、後から効いてきたらしい。いったい何を思って、ブックマークをわざわざ削除しようなどと思ったのか。さっぱりわからない。

 一方、実業之日本社のTさんからは、先日入稿した「ジェイ・ノベル」向け短編のゲラを郵送しましたとの旨のメールが来ている。その中でTさんいわく、『冥王星パーティ』を読んだ伊坂幸太郎さんが、「不思議な恋愛もので面白かった」と褒めてくださっていたとのこと。とても嬉しく、光栄であると同時に、なんだかひどく不思議な気持ちになる。伊坂さんと僕は今や「同業者」にはちがいないわけだが、彼の方は雲の上の存在という感じがしているので、そういう人が自分の小説を褒めてくれているというのが、どうも現実のことのように思えないのだ。

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2007年6月11日 (月)

男子たるもの

 角川書店のAさん・Tさんと、「野性時代」での不定期連載とその後の書籍化の方向性について、新宿でタイ料理を食べながら話し合う。

 Aさんと僕は、「イタい男子」だったという共通のスネの傷を持つ。やはり男子たるもの、イタくてナンボだ。

 その話の流れの中で、座中紅一点であるTさんが、「椎名林檎はモモレンジャーである」という新説をブチあげる。そのココロは、と問うてみると、もう、大きくうなずかずにはいられない論旨である。しかしそれは、ここで書いてしまうともったいない気がするので、また別の機会を待とうと思う。

 帰宅すると、クーニャンが元気にお出迎えしてくれる。ほんとにまったく、なんというか、屈託のない猫だ。その生きざまを見習いたいと思う。

 ♪道なりに 道なりに その道を造った人なりの……(井上陽水)

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2007年6月10日 (日)

命名、姑娘

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 猫の名前が決まった。「クーニャン」だ。

 もともとは、クモザルに似ているので、なにかそれにちなんだ名前にしようと思っていた。クモザルにどこが似ているかというと、いろんな色が混ざった模様もそうだが、変に手足が長くて持て余しているような感じと、しゅるんとまっすぐに伸びた尻尾が似ている。また、泣き声も、「ニャー」というよりは「キーキー」という感じで、それもサルっぽい。まだ仔猫だからということもあるかもしれないが、声の質自体がそうなのだと思う。ときどき、遠くで鳴いているウミネコの声みたいに聞こえることもある。

 そこで、「クモ」というのも考えたが、それではあんまりな気がするので、「クー」はどうかということになった。暫定的にそれに決まりかけて、しばらくの間「クーちゃん」と呼んでいたのだが、ペットの呼び名というのはすぐに、それをアレンジした別のバージョンを派生するものであり(ほかの人がどうかは知らない。少なくとも妻と僕はそうだ)、あるとき僕が「クーニャン」と呼んだら、「それ可愛い!」と妻が飛びついた。

 クーニャンと言うと、「姑娘」つまり中国語で「娘さん」の意味もある。「クモザル」よりは女の子らしくていい。そんなわけで、「クモザル」と「姑娘」のダブルミーニング的な意味合いで、「クーニャン」が採用された。

 正面から、顔立ちがよくわかるショットを録ろうとずいぶん苦労したのだが、なにぶん生後2ヶ月程度の仔猫なので、目を開いている間はかたときも休むことなく動き回っている。おとなしくしているときは寝ているときなわけだが、もともと変な模様だけに、目を閉じるとなんだか汚い色合いをした岩の固まりみたいに見えてしまう。遊びまわっている最中になかばむりやり顔だけカメラの方に向けさせて撮影したので、やたら反抗的で獰猛な感じになってしまった。

 この写真でどこまでわかるか心もとないが、口の右寄りあたりに、縦に白っぽい模様が入っている。これがヨダレを垂らしているみたいに見えるので、「(ヨダレの)ヨッちゃん」というきわめて不名誉な名前も、一瞬だけ候補に挙がっていた。あと、肛門が妙にせり出しているように見えるので、「(脱腸の)ダッちゃん」とか。一応、それらを押しのけて「クーニャン」が正式名称ということに決まりはしたが、「ヨッちゃん」や「ダッちゃん」も、きっと「異名」のひとつとして今後も生き残りつづけるのだろう。

 それにしても、家の中に猫が、とりわけ仔猫がいると、なんだかんだ言って結局ほぼ終日その動向を気にしてしまい、つい見とれて無為に時間を過ごしてしまう。今日はどうにか、『株式会社ハピネス計画』の再校を見ることはできたが、ほんとはもっとたくさんやらなければならないことがあったのだ。
 

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2007年6月 9日 (土)

変な模様

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 新しい猫が来た。名前はまだない。

 妻の職場がらみで、仔猫のもらい手を探している人がいるという話がちょっと前からあった。仔猫は3匹で、白黒と黒の雄が2匹、黒ともなんともつかない模様の雌が1匹。もともと、雌の方がおとなしくて猫らしくていいよねというのが妻との共通見解だった上に、送られてきた画像で見て、このヘンテコな模様に一目惚れしていた。

 こういう、どんな模様かというのをひとことで説明できないような変な模様の猫を飼うのが、昔から夢だったのだ。

 今日、先方が、とりあえず「見せに」くるという名目で、3匹全部カゴに入れて連れてきてくれた。断ってくれてもかまわないという話だったが、直接見てしまったが最後、十中八九、もらうことになってしまうのだろうなと覚悟していた。実物を見てもやはり、この変な模様のメスがいちばん好もしく見えて、案の定、そのままもらうことになってしまった。

 去年の秋に死んだ無為はたいそう気難しい猫で、手なずけるのに何年もかかったありさまだったが、この猫はとてもおおらかな性格と見えて、初めて来た場所でもほとんど緊張や警戒を見せず、無為用に買ったにもかかわらず無為はほとんど反応しなかったおもちゃ相手に、1時間以上バタバタと遊び回っていた。その後、(人間の子どもがしばしばそうであるように)急に疲れを自覚したと見えて、ソファで寛いで新聞を読む妻のおなかの上に乗ってスヤスヤと眠ってしまった。

 それでも、それまで一緒だった兄弟たちがいなくなっていることにふと気づき、寂しくなる瞬間があるのだろうか。それを思うと不憫でならないが、とにかく、これからは僕と妻が、彼女の家族なのだ。

 無為の喪はまだまだ明けないし、彼女が無為の代わりになるわけでは決してないけれど、これもまた大切な出会いだと思う。ゆっくりと、彼女との関係を育んでいこう。これから、よろしく。

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2007年6月 7日 (木)

校正は校正のために

 今日公開された「ココセレブ」のインタビューだが、一応、ダメ押し的にリンクを貼っておくことにした。

  ココセレブSpecialインタビュー

 会社帰りに取材を受けたのでこういう服装なのはしかたがないとしても、あいかわらず、作家というよりはどこぞの銀行員か、もしくは金融系シンクタンクの主任研究員といった風情だ(念のためだが、僕が勤務している会社は、そういうのとはまったく縁の遠い業界である)。しかし、「アンパンマン線」があまり出ていないのはいい。ちなみにこのとき聞き手になってくださったライターさんと、今月末、個人的に飲む(そしてカラオケで唄う)約束が今日決まった。一期一会である。

 さて、手元には、来月下旬に小学館から刊行される書き下ろし『株式会社ハピネス計画』のゲラの再校が届いている。用字の統一などをめぐる細かい疑問点を除けば、ほとんど問題がなさそうだ。今回は、初校も含めて、異例なまでにスムーズに校正が進んだケースだった気がする。

 もっとも、もともと僕は、校正時に文面をいじるのが好きではない。「校正」は「校正」のためにあるのであって、「推敲」のためにあるのではないと思っている。一度規定のフォーマットに流し込んでみて、ページ数調整等のためにどこかを削ったりするのはアリだし、原稿時点では気づいていなかった不備や矛盾などを解消するために加筆訂正するのも、やむをえないと思う。そういう部分がたまたまたくさんあって、結果として「推敲」になってしまうのなら、まあしかたがない。

 しかし、ハナから「推敲」するつもりで「校正」を見るのは、どうかと思うのだ。そんなのは本来、原稿段階で、つまり入稿前に、やっておいてしかるべきことではないか。

 どうしてこんなことをことさらに言うのかというと、世の中にはそういうタイプの人がきっといるにちがいないと思っているからだ。「いるにちがいない」というより、実際にそういう人を僕は何人か(同業者とはかぎらず)知っている。見るたびに見方が変わってしまい、その都度違う朱を入れる人。それを何度でも繰り返す人。二転三転して、最終的にいちばん最初のバージョンと同じになっているのに、その事実にも気づかない人。

 自分1人ですべてが完結しているならそれでもかまわないが、それはたいていの場合、関係者(たとえば本なら、担当編集者、製版の人、場合によっては印刷会社の人)に迷惑をかけている。ものすごい迷惑だと思う。

 直せば直しただけよくなるとはかぎらない。ときには、いじりすぎたせいで自分でももはや何がよくて何が悪いのか判断がつかなくなってしまい、こんなことなら元のバージョンのまま手をつけない方がマシだった、ということにもなりかねないと思う。

 だいたい僕は、こう言ってはミもフタもないが、「推敲」という作業自体が好きではない。できることなら、「推敲」なんて1度もしないで済ませたいと思う。もちろん、実際にはそうもいかないから、最低1回は「推敲」の機会を持つようにしているが、まちがっても、「校正」段階でそれをやろうとは思わないし、事実、1度もしたことはないと思う。

 だって、迷惑ですから。それは。

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2007年6月 6日 (水)

脳の一部をシェア?

 昨夜は帰りが遅くて言い足りなかったことを補足。漫画家ABJさんが起こしてきたキャラクターのラフがいかに素晴らしかったか、という話だ。

「IKKI」でのコラボの連載は1年間の予定で、1話分を前編・後編に分け、2ヶ月にわたって掲載するのを計6話、という構想なのだが、現時点で存在しているのは、第1話の原稿と、全体のおおまかなプロットだけだ。それに目を通した上で、ABJさんは主要な登場人物についてのイメージ画を用意してきてくれたわけだが、実はその主要登場人物たちには、モデルが実在する。

 モデル、と言い切ってしまうのは語弊がある。どちらかというと、「その人を勝手にキャスティングしながらキャラクター造型をした」と言った方が近い。くだんの登場人物が取る行動や考え方などが本人とイコール、ということではなく、その人がその役を演じたらきっとこんな風にふるまい、こんな風にしゃべるだろうということを想像しながら書く、という感じだ。実は、僕が小説の中で描写する人物たちは、たいていその要領で生み出され、描かれている。今回もそうだ、というだけの話だ。そういう意味での「モデル」ということだ。

 しかしそれはあくまで、僕の頭の中だけの話で、当然のことながら、ABJさんは、僕が勝手に役を振った個々の実在する人物たちと面識があるわけではない。ところが、そのABJさんの描くキャラクターたちが、驚くほど似ているのである、「モデル」たちと。

 顔立ちなどを直接比べれば、それほど似ているわけではない。しかし、雰囲気やたたずまいなどが、「モデル」人物その人であるとしか思えないケースが多々あるのだ。その人の持っている「その人性」、その人をその人たらしめている印象上の要素が一度抽象化された上で、ABJさんの筆力によって再構成されている感じ、と言えばいいだろうか。顔形が変わっていてもなお、「モデル」人物を知っている者なら、「ああ、これは彼(彼女)だ」と即座に認識できる。そういう意味合いで、それらは「モデル」と酷似しているのだ。思わず、「もしかして、本人たちに会った?」と真顔で訊きたくなってしまうほどだ。

 中には、ABJさんの手元にわたっている原稿やプロットの中では、ほとんど外面的な描写をしていない人物もいる。いったいどんな魔法を使ってこの人は、僕が頭に思い描いていたその「イメージ」を掬い取り、ヴィジュアライズしえたのだろう、と空恐ろしくさえなるのだ。今日、そのラフの一部を見た、「モデル」を直接知っている人の使った表現を借りるなら、「実物(元ネタ)を知らないにもかかわらず、完璧にデフォルメされている」。まさにそれだ。

 ああ、これがプロの仕事なんだな、という畏敬の念を覚えると同時に、もしかして、この人と僕は、脳の一部をナチュラルにシェアしているのではないか、だから僕が思い描いた「イメージ」が、テレパシーのようにこの人の脳にも伝わるのではないか、というやくたいもない妄想が一瞬、頭をかすめてしまった(そしてその手の「妄想癖」という点においても、ABJさんと僕はどうやらよく似ているらしい)。

 それはそれとして、明日6月7日には、先日受けた「ココセレブ」からのインタビュー記事がアップされる予定だ。午前11時以降、このブログの右サイドバーにある「ココセレブ」へのリンクから、「ココセレブSpecialインタビュー」のページに飛んでみていただきたい。

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2007年6月 5日 (火)

顔合わせ with ABJ

 IKKIで連載する「小説×マンガ」のコラボレーションで組む相手である漫画家のABJさんと初の顔合わせ。あ、相方が誰であるかもう言っちゃっていいですかと今日IKKI編集部のTさんに確認しておくつもりでしそびれてしまった。でもABJさんと言った時点でもうほぼ明かしているも同じだな。

 ABJさんとは出会って15分後になんかもう絶対この人とはわかりあえる! という確信を抱いていたのだが、その後もその確信は裏切られるどころかより深まっていき、2次会会場に移動する頃にはもはや「意気投合」と言っていいレベルに達していたと思う。しかも、話を聞くかぎりどうも、彼の奥さんと僕の妻もたいそうタイプが似ているようだ(夢見がちな夫に手を焼きつつも現実に引き戻す役割)。

 いろいろ言いたいことはあるのだが、今日はもう遅いのでミニマムにしておこう。とにかく、連載作品に登場するキャラのラフが素晴らしくて、もうそれだけでイッちゃいそうなくらい感激した。いやいや、ここでイッてしまったら元も子もない。連載はこれから始まるのだから。

 ああ、でもかえすがえすも不思議だ。僕が書いた原稿を読んでプロの漫画家さんがイラストを起こしてくるなんて。ほんとに不思議だ。さすがIKKI、と言わざるをえない。言わずにはいられない。言わないわけにはいかない(村上春樹)。

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2007年6月 4日 (月)

消えたラスマンの謎

『シュガーな俺』の韓国語訳作業が終了して、原稿はすでに向こうの版元Studio Born-Freeに送信済みとのこと。これから校閲に入るが、医療関係の記述が多いのでやや時間がかかるかもしれない。刊行時期はまだ決まっていないようだ。翻訳者キム・ドンヒさんとタッグを組むのも、『ラス・マンチャス通信』『忘れないと誓ったぼくがいた』に続いて、これで3作目。回を追うほどにメールで質問されることが少なくなっていくのは、作品の性質もあるだろうが、文芸翻訳自体にキムさんが習熟してきた証拠でもあるのだろう。

 ちなみにキムさんは、僕が作家デビューする直前まで十数年にわたって日本に在住しており、その時代からの友人なのだが、翻訳の話はそれがきっかけで起こったわけではない。ただ、結果として彼女が翻訳することになったのが偶然だというわけでもない。

 2005年3月、韓国から『ラス・マンチャス通信』の翻訳を出したいという打診が来ている、と初めて新潮社から聞いたとき、とっさに、キムさんが向こうでどこかの出版社にかけあったのではないかと思った。しかしそのとき、僕はキムさんと少々連絡を取りづらい状態にあった。

 前年の夏に韓国に戻っていったキムさん夫妻のところに、できれば年内に遊びに行くと約束していながら、僕は多忙にかまけてその約束を履行していなかった。そのうしろ暗さもあったので、暮れに『ラス・マンチャス通信』が出版されたとき、お詫びの手紙とともに1冊、彼らのところに航空便で郵送したのだが、その後、1ヶ月・2ヶ月が過ぎても、うんともすんとも言ってこない。ああ、やはり、不義理を怒っているのかな、と思った。というのも、韓国人である彼らは、「日本人は“今度”とか言っておきながら約束を守らない」とかねてから不信の念を表明していたからだ。

 しかし同時に、悪かったと思っているからこそ、こうしてお詫びの言葉を述べ、本まで送っているのに、それを黙殺するなんてあんまりなんじゃないか、と思ってもいた。なかばはそんな意地もあって、それ以上こちらからは連絡を取らずにいた矢先のことだったのだ。翻訳のことを聞いて、迷ったのだが、やはり居ても立ってもいられなくなって、僕はキム・ドンヒさんにメールを送り、約束を果たさなかったことをあらためて謝った上で、翻訳の件に関与しているのかどうか訊いてみた。

 彼女の答えは、意外なものだった。そもそも本は届いていないからまだ読んでいないし、まして翻訳のことなどまったく知らないというのだ。ただ、もしそういう話が進んでいるのなら、できれば友人として自分が名乗りを挙げ、翻訳してみたいので、よかったら版元とエージェントの連絡先を教えてほしい、という。韓国の家を訪問する約束を守らなかった点については、「平山さんが忙しいのはわかってますから、そんなことで怒ったりはしませんよ」。

 すると、航空便で送ったはずの『ラス・マンチャス通信』は、いったいどこへ消えてしまったのか。キムさんが言うには、「紛失事故でしょう」。普通郵便扱いで送るとそういう事故がザラに起きるので、自分が送るときはEMS(国際スピード郵便物)で送るようにしているという。多少割高だが、書留みたいなもので損害補償つきだし、追跡サービスも行なっている上に、日本・韓国間でも2、3日で確実に届くから安心なのだ。

 そんなわけで、僕は大慌てで新しい『ラス・マンチャス通信』をEMSでキムさん宛てに送り直し、それは数日後、無事に到着したのだった。同時に、つまらない誤解からキムさん夫妻と疎遠な仲になってしまう危険からも救われたわけだ。

 後に知ったことだが、翻訳のきっかけとなったのは、向こうの版元Studio Born-Freeの人が日本出張に来て書店に寄った際、たまたま『ラス・マンチャス通信』の表紙に惹かれ(つまり、ジャケ買い)、読んでみたらおもしろかったのでぜひ……という流れだったそうだ。

 それにつけても謎なのが、消えてしまった最初の1冊である。薄っぺらい封書1通が長旅の間にどこかに紛れてしまうのは、まだ理解できる。むしろ、こんな小さな手紙1通がよくぞ海を渡って届いたものだ、と国際郵便を受け取るたびに感心するほどだ。しかし、単行本1冊を入れた大きな封筒が、いったいどこで、どうやって、何に「紛れて」しまうというのだろう。消えてなくなるはずもないから、今もってそれはどこか……たとえば空港内の作業場の片隅などで、なにか大きな機材の陰にでもひっそりと眠っているのだろうか。

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2007年6月 3日 (日)

Der Untergang(没落)

 昨日・今日ずっと唸っていたのだが、ようやく、「SFマガジン」向け短編のネタが定まり、起稿することができた。ここまで漕ぎ着ければ、あとは時間の問題だ。といっても、いろいろ同時進行なので、よっぽど上手に時間を配分しないとこなせないと思うのだが。

 しかしとりあえずひと山越えた気がするので、今日の夕食以降は少しだけのんびりすることにして、録画しておいた映画『ヒトラー ~最期の12日間~』を観た。ものすごく地味な、しかしその分とても丁寧に作り込んだ映画だった。敵に着々と包囲され、もうにっちもさっちもいかなくなっていく司令部の様子を見ていて、規模ははるかに小さいながら、15年前、新卒で入った会社の経営がごまかしようもなく傾いて、ダメになっていったそのさまを思い出していた。

 当時の僕は、自分が本気で作家を目指す決意をするかどうかの瀬戸際で、会社がどうなろうが正直知ったことではなかったのだが、日々、「もうダメでしょ、会社としてもたないでしょ」という空気が社内に蔓延し、各自がモチベーションをあからさまに下げていく過程を、当事者の1人としてまざまざと観察できたのは、今思えば貴重な体験だったと思う。

 ぶざまなまでにうろたえる者、あからさまに舌打ちする者、にわかに皮肉屋になる者、笑うしかないと思って笑い飛ばす者。それでも「組織」は存続し、みんなとリあえず、毎朝ちゃんと出社はしてくるわけだ。崩壊の危機に瀕した組織の成員が取る態度というものには、そう大きな違いがないような気がする。

 そして、四面楚歌と言っていいその絶望的な状況の中、それでもどうにかして経営を立て直そうと悲壮な努力を続けていた役員たちの苦労も、今となってはよくわかる。しかし、僕も含めて若手は、残酷なまでに冷淡だった。わけても冷淡だったのは、何を隠そう、この僕かもしれない。僕は、沈没間近の船からネズミが逃げ出すように、尻尾を巻いて早々にその会社から脱走したのだ。その後数ヶ月で、その会社が完全に消滅するまでの間に、辞めていく者が続々と現れたというが、先鞭をつけたのはたぶん僕だったと思う。

 もっとも、僕も勝算があってそこを辞めたわけではない。「とりあえず」放送作家になるなどという夢みたいなことを考えていたが、今となっては恥ずべき過去でしかない。現職の放送作家の人に口ききしてくれるかのような調子のいいことを言っておいて、実際には打ち合わせと録音の様子を見学させただけでお茶を濁した、N本放送に入った大学時代の同窓生に対しては、いまだに恨みを抱いているけれども。

 まあ、古い話だ。若いうちはいろいろある。それが国家レベルの話になってしまうと、「いろいろあるよね」のひとことでは済まされなくなるわけだが。

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2007年6月 2日 (土)

インプット過剰

 一昨日、渋谷のシネ・アミューズに、映画「赤い文化住宅の初子」を観に行った。原作は、松田洋子さんによる同名のマンガだ。松田洋子さんは、ちょっと前まで小学館の「IKKI」で、『まほおつかいミミッチ』というのを連載していた。可愛いミミッチと、元ヤンみたいだけど美人でグラマラスで照れ屋なママが大好きで、毎月「IKKI」が届くたびに真っ先に読んでいた。

 その松田さんの作品が映画化されたと知って、大慌てで原作を読んでから上映に臨んだわけだが、タナダユキ監督による映画は驚くほど原作に忠実な作りになっており、たいへん堪能した。初子役の東亜優ちゃんはじめ、キャストがほんとにもうピッタリなのもよかった。ただし初子の父役の大杉漣は1人でやたらとウマすぎて、かえって浮いてしまっている感があったかもしれない。

 上映の後は、タナダユキ監督と、原作者・松田洋子さんと、放送作家でコラムニストの町山広美さんによるトークイベントがあった。その日を狙ったわけではない。今回は職場の有志3人でスケジュールをすり合わせて行っただけで、トークイベントがあることは、この日にしようと決めた後に知ったのだ。せっかくだからそれも観てから帰った。松田さんはトレードマークの(?)帽子にサングラス姿で、ほとんど顔がわからなかった。持ち前の毒舌を、公共の場だということでかなり抑えている雰囲気だった。

 イベントの後、ロビーでサイン会が催されていた。並ぼうかどうしようか一瞬迷ったが、松田さんにはいずれ別の機会にお会いすることがあるかもしれないと思い、結局素通りさせてもらった。

 さて、「IKKI」と言えば、7月からの連載企画がいよいよ本格的に具体化してきて、すでにデザイナーさんから誌面イメージが上がってきているらしい。また、来週にはコラボで組む漫画家Aさんと初の顔合わせだ。コミック誌での小説連載というと、「モーニング」における伊坂幸太郎さんの『モダンタイムス』がわずかに先行しているが、あれとはまた違った形で攻め込んでいければいいと思っている。

 ちなみに昨日は、7月に小学館から出る『株式会社ハピネス計画』の担当者・Mさんからのお誘いにより、本多劇場で大人計画の公演『ドブの輝き』を観た。一昨日・昨日となんだかインプットが多すぎて、脳の中で情報をうまく整理できずにいる。

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