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2008年10月31日 (金)

ある幻想の未来

 真実というものはもともと存在していないのだから、あらゆるものは幻想だということができる。幻想とは、実は、事実を明らかにしていくことによって生まれる副産物なのだが、完璧な真実という峰には近づけないにせよ、それに近いいくつかの頂上に到達できるのはこの幻想である。
(トルーマン・カポーティ)

 そのとおりである。本当のことなど誰にもわからない。すべては解釈だし、その解釈に満足している人間の数だけの暫定的な「真実」が存在しているにすぎないわけだ。

 先のことなど、誰にもわからない。かつて僕はそう言ったということになっているが、それはごく一部の人の中において真実であるにすぎない。実際には僕は、そんなことは言っていない。「まだ先の話なんで、ちょっとわかんないんですけど」。実際に僕が言ったのは、それだ。

 成長小説だなんて、僕はひとことも言っていない。「成長してないじゃん」と言われたって、僕はもともとそんなこと言ってないんだから、知ったことじゃないわけですよ。事実のほとんどにはそういう背景があるということを、彼らは知らない。不当表示ではないのか。消費者をバカにしているのではないのか。いやいや、そんなことはない。ひとつだけはっきりと言えるのは、それがサプリ小説ではないということだけだ。

 ああ、幸せなことが書きたい。幸せな人になりたい。幸せな世界に住みたい。でも幸せなんて永遠に辿り着けないものなのだ。辿り着けるものなんかに価値はない。辿り着けると思うこと自体がおこがましいしあつかましいのだ。それを知っている人間にどうして安易な幸せを描くことができる? 一見安易な幸せに見えるものの陰に何が隠されているのかがわからない人間に、少なくとも、そこになにかが隠されているかもしれないと疑うだけの知性や冷静さや客観性さえ持っていない人間に、いったい僕はどうやってわかってもらえばいいのか。僕の関心がそこに向かうことは永遠になく、そしてそれはいたって正当で順当なことなのだということを。

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2008年10月30日 (木)

ド煩悩ガエル

 ♪煩悩、煩悩、ド煩悩〜(「ド煩悩ガエル」のテーマ)

 ああ人間とはどうしてこんなにも煩悩のカタマリなのか。藤原のカタマリなのか。もしも僕がバスローブを羽織ってテラスでブランデーグラスを傾けていても、見なかったことにしてください。でも僕が生き急ぐときには、そっとたしなめておくれよ。

 ところで、「〜しておくれよ」とかいう語法をほんとに使ってる奴っているのかな。いるかもしれないな。「黒通信」時代、ずっと前に書いた気がするが、「〜なのさ」とか、「〜かい?」という語尾を実際に使用する人が現在でも普通にいるかどうかは別にして、それがなにかこう、都会的な、気取った、なよっちい雰囲気を帯びているのは、その出自がいわゆる江戸弁であって、江戸=東京といやぁ文化・モードの中心地だから、というあたりにその淵源が辿れるのではないかと思うやいかに。

 ところで、僕はもううんざりだ。僕は小便がしたいんだ。(アポリネール)

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2008年10月28日 (火)

美意識の欠如、それは想像力の欠如

 だからそれは美学の問題だと思うんですけども。あえて語らないことによって生じる美というものがこの世にはあると思うんですけども。全部余すところなく語らなきゃいけないんでしょうか。それってものすごくダサいと思うんですけども。そのダサさが僕には耐えられないのだ。そんなダサいものを書くくらいなら何も書かない方がましだ。クリープを入れないコーヒーなら飲まない方がましだ。ためらいのない青春なんて司君は認めないのだ。

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2008年10月24日 (金)

You're a reader, not a leader

 だからさ。それがわからない人は何も読めてないわけですよ。「読む」っていう言葉の意味わかってる? いや、わかってないでしょ、わかってないんだよ。おじさんそれは違うと思うな。あなたが女の子でもおばさんでも。男の子でもおっさんでも。

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2008年10月22日 (水)

鎖されてあること

 最近の社会の授業では「鎖国」のことを「鎖国」と言わない風潮があるらしいことを太郎は知った。実際には、長崎の出島を通じてオランダや中国など一部の国とは貿易・外交関係を維持していたから、国を「鎖」していたというのは必ずしも実情に合致していないという見解に基づくものらしい。しかし太郎はそれでもなお、「鎖国」は「鎖国」ではないかと思うのだった。太郎にとって「鎖国」というのは、神聖にして侵すべからざるなにかであった。なぜならそれは、外部に対して自らを鎖すことの効用を、ほかのなにものにも増して劇的に教えてくれた歴史上の知恵と呼んでいいものだったからだ。私は私自身に扉を鎖す。フェルナン・クノップフ。そして黒猫は金色に輝くまなこを見開きながら青い闇の中へと駆け去っていったのだ。シャガールの描く夢魔めいた馬のように。牛のように豚のように。嗚呼我一介の肉塊なり。

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2008年10月21日 (火)

おお旧約

 順境の日には、楽しめ。
 逆境の日には、考えよ。
 (伝道の書)

 つうか、「順境の日」なんてないんだけど。

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2008年10月18日 (土)

エウレカ

 ほんとに大事なものが何なのかがわかっていれば、迷うことなどそうないはずなのだ。それを守るために何をしなければならないか、何をしてはいけないかなんて考えなくたってわかるはずだ。そして僕はそれを守る。世間並みのバランスなど考慮しない。適正な均衡の感覚なんて自分の中にしか存在しないのだ。僕はもう迷わない。たとえ世界全体を敵に回しても。君の未来が醜く歪んでも。夜空に光る黄金の月などなくても。千早ぶる百瀬のたらちねがとわに御門の過ちを繰り返しても。

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2008年10月17日 (金)

太郎、君の名は太郎

 ワインにチーズが合うのならば、納豆が合わない理由はないのではないだろうか、とあるとき太郎は思った。なぜなら、どっちも腐っているからだ。そして太郎は、実際に試してみた。悪くないと思った。ただし、納豆を食べた後の唇をワイングラスに接触させると、そこにねばねば成分が付着してしまうのがいただけないと思った。これでは女の子とフランス料理を食べに行ったときに嫌われてしまう。

 だから太郎は、全日本フランス料理協会に、粘らない納豆の開発を進言しようと思い立ったのだった。それは太郎が、その短い生涯の中でなしえたほとんどただひとつの生産的なふるまいだったのである。

 いや待て太郎って誰だ?

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2008年10月16日 (木)

そして人生はキアロスタミ

 言い直します。言い直すけどさ。でも、ブログで言えることなんて、しょせん言いたいことの十分の一以下にすぎないわけですよ。僕らはそれを愛と呼ぶわけですよ(サンボ・マスター風)。

 酔っぱらった僕に言えることはただ、人生には後藤さんが多いということだけです。そして僕は酔っぱらったフリをしてはいるけど本当は酔っぱらってなくて、本当に酔っぱらってるやつは酔っぱらったフリなんかしないわけで。父さんは狐に憑かれていたわけで。

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2008年10月10日 (金)

I no know

 だからね。わかりますよ。僕のことを好きな人はそれが好きじゃないわけですよ。でもだったらどうすりゃいいわけ? 教えてよ。どうすりゃいいわけ? 知らねーよ。

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