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2008年10月22日 (水)

鎖されてあること

 最近の社会の授業では「鎖国」のことを「鎖国」と言わない風潮があるらしいことを太郎は知った。実際には、長崎の出島を通じてオランダや中国など一部の国とは貿易・外交関係を維持していたから、国を「鎖」していたというのは必ずしも実情に合致していないという見解に基づくものらしい。しかし太郎はそれでもなお、「鎖国」は「鎖国」ではないかと思うのだった。太郎にとって「鎖国」というのは、神聖にして侵すべからざるなにかであった。なぜならそれは、外部に対して自らを鎖すことの効用を、ほかのなにものにも増して劇的に教えてくれた歴史上の知恵と呼んでいいものだったからだ。私は私自身に扉を鎖す。フェルナン・クノップフ。そして黒猫は金色に輝くまなこを見開きながら青い闇の中へと駆け去っていったのだ。シャガールの描く夢魔めいた馬のように。牛のように豚のように。嗚呼我一介の肉塊なり。

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