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2008年10月31日 (金)

ある幻想の未来

 真実というものはもともと存在していないのだから、あらゆるものは幻想だということができる。幻想とは、実は、事実を明らかにしていくことによって生まれる副産物なのだが、完璧な真実という峰には近づけないにせよ、それに近いいくつかの頂上に到達できるのはこの幻想である。
(トルーマン・カポーティ)

 そのとおりである。本当のことなど誰にもわからない。すべては解釈だし、その解釈に満足している人間の数だけの暫定的な「真実」が存在しているにすぎないわけだ。

 先のことなど、誰にもわからない。かつて僕はそう言ったということになっているが、それはごく一部の人の中において真実であるにすぎない。実際には僕は、そんなことは言っていない。「まだ先の話なんで、ちょっとわかんないんですけど」。実際に僕が言ったのは、それだ。

 成長小説だなんて、僕はひとことも言っていない。「成長してないじゃん」と言われたって、僕はもともとそんなこと言ってないんだから、知ったことじゃないわけですよ。事実のほとんどにはそういう背景があるということを、彼らは知らない。不当表示ではないのか。消費者をバカにしているのではないのか。いやいや、そんなことはない。ひとつだけはっきりと言えるのは、それがサプリ小説ではないということだけだ。

 ああ、幸せなことが書きたい。幸せな人になりたい。幸せな世界に住みたい。でも幸せなんて永遠に辿り着けないものなのだ。辿り着けるものなんかに価値はない。辿り着けると思うこと自体がおこがましいしあつかましいのだ。それを知っている人間にどうして安易な幸せを描くことができる? 一見安易な幸せに見えるものの陰に何が隠されているのかがわからない人間に、少なくとも、そこになにかが隠されているかもしれないと疑うだけの知性や冷静さや客観性さえ持っていない人間に、いったい僕はどうやってわかってもらえばいいのか。僕の関心がそこに向かうことは永遠になく、そしてそれはいたって正当で順当なことなのだということを。

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