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2009年1月16日 (金)

忘れないと誓ったぼくはいなかった

 正月をだいぶ過ぎてから、ある友人に出した年賀状が転居先不明で戻ってきてしまった。住所が変わったことを知っていたのに、年賀状用の名簿のメンテを怠っていたというよくあるパターンだ。相手からは届いていたはずなので、悪かったなと思ってその旨伝えて謝ったところ、「そんなこと言うなら、私の方は平山さんに出してさえいないんですよ、すすすすみません!」と激しく謝られてしまった。

「いや、見た記憶があるけど。錯覚だったのかな。今年は誰にも出してないっていうんならそうなんだろうけど、そうじゃないんだったら、実は僕には出してるのに忘れてるってことはない?」

「実は、去年は忙しかったので、どうしても外せない義理のある人にだけ22日ごろに出して、それ以外は申し訳ないけど元日から来た順に返事を書いていったんです。平山さんからは来なかったので、ああ、お忙しいんだろうなって思ってたんですが……」

「うーん、でも、やっぱ見たような気がするんだよね。幻かな」

「ああっ、そんなことなら、出してないなんて言うんじゃなかった! 言わなきゃわかんなかったのに!」

「まあ、帰ってチェックしてみればすぐわかることなんだけど、これについてはいっそこのままそっとしておきましょう(笑)」

 そうは言ったものの、やはり気になって、今年受け取った分を全部チェックしてみたところ、本人の言うとおり、彼女からの年賀状は来ていなかった。

 毎年必ずやりとりがあるので、当然来ているものと思い込んでいたわけだ。「受け取ったはずだ」と思った瞬間には、なんとなく牛が含まれているような赤っぽい絵柄の余白に、よく見慣れた彼女自身の筆跡で1、2行の短いメッセージが書き添えてある様子さえぼんやりと脳裏に浮かびかけていたのだが、それはまったくの創作か、ほかの人からもらった年賀状と僕自身の想像とのブレンドであったらしい。

 記憶はしばしば、意図せずに真実を裏切るものだとはよく言われることだが、こういうことがあると、思っている以上にあてにならないものなのだということがよくわかる。しかも、ある程度歳を重ねると、よくも悪くもいろいろなことに対しておおらかになっていくので、今後はますますあてにならなくなっていくだろう。それでも、どうせ全部を正しく記憶しておくことなどできはしないのだから、忘れないと誓うぼくさえもはやいはしないのだった。

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