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2009年7月31日 (金)

However big you think you are

 意見を持つことは誰にでもできる。ペットでさえ、「このエサはまずい」とか「前にもらったあっちのエサの方がうまい」といった「意見」を持っているだろう。しかしペットは、その意見を公に向けて垂れ流したりはしない。

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2009年7月30日 (木)

必ずしも、そう、必ずしも

 1994年6月16日づけの読書メモに、こんな記述を見つけた。「ミステリー作家にしては、文体がきちんとしてるし人物の内面描写もていねいで好感が持てる」。作家の名前は、ここでは恐れ多くて挙げることすら憚られる大家である。ナニ様なのか、というツッコミはさておき、当時の僕が「ミステリー」というジャンルに対して(偏見も含めて)どういう認識を持っていたかを端的に物語る貴重な資料である。

 これ以上はあえて言うまい。

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2009年7月29日 (水)

僕のローマ字日記(※ローマ字不使用)

 大江戸線から山手線に乗り換えるとき見かけたちょっとかわいい女の子が電車の中で読んでいた小冊子には大きな明朝体の文字で「○○○○」と書いてあって、僕はとっさにこれは○○○○にちがいないと思ったんだ。彼女は熱心にその○○○○を○○していて、僕が「○○、○○○○○○として、○と○○するのはどう?」と言ってみたら、彼女は○○○いて、○○で○○を○○るや否や、僕の○○を○○○んで、○○が○○するまで○○○○○○○○

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2009年7月28日 (火)

基準線を引く

 バカ・スタンダードひと色に染まってゆく世界で、わが身の無力さに打ちひしがれているのでございます。

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2009年7月27日 (月)

懺悔の値打ちもない

 みなさん許してください。やっぱり僕にはどうしても、やさしい嘘をつくことができないのです。

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2009年7月26日 (日)

闇に降る雨

 幻冬舎のPR誌「ポンツーン」の8月号に、椎名林檎のことを書いた。

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2009年7月13日 (月)

やっぱりアララゲ派

 ずっと前に一度言及したと思うのだが、「荒らげる」は本来「荒(あら)らげる」が正しいと思う。しかし、最近は「荒げる」という表記をよく目にするようになった。これはどう頑張っても「あららげる」とは読めないので、「荒らげる」=「あらげる」という誤解から生じた表記だろうと思う。

「広辞苑」には今や「荒げる」が見出し語として採用されていて、「“荒らげる”の約」とされているが、「荒げる」を使用している人に十中八九そういう意識はないのではないかと思う(はじめから「アラゲル」しかないと思っているということ)。辞書によってははっきりと「“荒げる”は誤用」としているものもあり、僕の立場はそれに近い。

 ただ、個人的な感覚で言うなら、現状目にする文章の半分くらいですでに「荒げる」が使われている印象があるので、やがてそれは「荒らげる」を凌駕し、正統な位置を占めることになってしまうかもしれないとは思っている。

 しかし今気になっているのは、最近やたら売れたある翻訳ものの5巻本だ。第1巻から第3巻までは、その翻訳者氏は「荒げる」を採用している。ルビは特に振っていないが、まあ順当に考えて「アラゲル」と読ませているつもりなのだろう。それが、第4巻に至って突如として「荒らげる」に変わり、しかも「荒」の部分にわざわざ「あら」とルビが振ってある。

 訳している途中で本人が誤りに気づいたのか、それともたまたまその巻を担当した校正者がそういう指摘を入れる人で、翻訳者氏本人もそこで初めて知ったとか、「そういえばそうだったっけ」と思ってそのときは指摘に応じたとか? いずれにせよ、わざわざルビを振っているところに一種の言い訳がましさを感じる。「いやいや、知ってたし。今までのは“約”してただけだし」というような。

 しかしこんなことを気にするのはどうせ僕か有村ちさとくらいのものだ(定型句)。

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