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2009年9月27日 (日)

「京フェス」出演決定

 京都大学SF研究会が毎年開催している「京フェス」(京都SFフェスティバル)に出演することになった。イベント自体は10月10日(土)、11日(日)の2日にわたって、京都教育文化センターの302号室で行なわれるが、僕の出番は10日の本会企画の4コマ目(15:50〜)になる予定である。

 企画名は「想像力の文学とは何か」。今年3月に創刊された早川書房の叢書「想像力の文学」をめぐって、僕の『全世界のデボラ』と同じ5月の第2回配本のタイミングで長大なダーク・ファンタジー『ネル』を刊行された遠藤徹氏、早川書房でこの叢書を担当しておられる塩澤快浩氏(「SFマガジン」前編集長)と鼎談形式でディスカッションをすることになると思う。

京都SFフェスティバル公式HP

 こうした催しに出演するのは、昨秋、名古屋で開催された「ヤングDMカンファレンス」以来、約1年ぶりである。あのときは、初体験だった上に、催しそのもののテーマが糖尿病関連という意味でやや他流試合のようなところがあり、その分、反省材料も多々あったのだが、今回はもうちょっとはマシなトークができると思う、できるんじゃないかな、ま、ちょっと覚悟はしておけ、と思っている。

 今年はつい最近までちょっと仕事を入れすぎて死ぬほど忙しく、旅行などにもまったく行けていなかったので、1泊だけだが京都観光も兼ねて行ってこようと思っている。

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2009年9月25日 (金)

I, Me, Mine

 あーなんかもう超どうでもいいな。どうでもいいよ。僕は結局僕は僕は僕が僕であるために。僕が僕らしくあるために。僕は僕の僕が僕で僕を僕するために。All through the day, I me mine, I me mine, I me mine...

 あのですね。僕は思うんです。"I, I, Me, Me, Mine!"ってジョージ・ハリスンが叫んでるときに、そう言われて揶揄されてる張本人であるポール・マッカートニーが平気な顔でそのコーラスに参加してるってすごいなって。参加させるジョージもすごいけど、やっぱりほんとにすごいのは参加してるポールかなって。ああ、僕はあの鈍感さ、あの図太さを身につけたい。かつて森見登美彦さんに「俺が俺が!」な人だと評された僕としては。

 息もたえだえだったんです。今もそうだけど。それを理解してほしいな。だって僕はもう消える寸前で風前の灯で。

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2009年9月19日 (土)

長過ぎるお試し

 常々、ふくらはぎや足裏の凝りに悩まされている妻への誕生日のプレゼントとして、フットマッサージ器を購入しようと思いつき、量販店の売り場に赴いた。まず目に入ったのは、8種類くらい並べてあるマッサージチェアの見本が、すべて人で埋まっている光景だった。

 中には、リモコンのスイッチをいろいろ切り替えて、機能を「試して」いる人もいる。それはいいだろう、そのための見本なのだから。しかしそれはどちらかというと少数派で、ほとんどの人はただ気持ちよさそうに目をつぶって、マッサージそのものを満喫しているようにしか見えない。長いこと見ていても、一向にほかの客に譲り渡そうとする気配がないからだ。

 フットマッサージ器のコーナーには細長いベンチが置いてあって、その角の部分を取り囲むように4種類ほどの見本が設置されていた。僕が試してみたいと思った機種そのものは使っている人がいなかったのだが、別の機種を試している女性が至近距離に座っているため、僕がそれを試そうとすると、どうしても臀部が彼女と接触してしまう。それは気まずいので、僕は彼女が「お試し」を終えて立ち去るのを待とうと思った。

 ところが、彼女は一向にそこを立ち去ろうとしなかった。マッサージチェアに座っている連中と同じだ。あきらかに、「機能を試して」いるのではなくて、「マッサージを楽しんで」いるのである。彼女が満足するのが1分後なのか20分後なのか、それは誰にもわからない。そして僕は、それを悠長に待っていられるほど暇な人間ではない。

 しかたなく僕は、実際に自分の体で確かめることなく、機能を説明している文章を読むだけで機種を選ばざるをえなかった。

 従業員に声をかけ、在庫を確認してもらい、支払いを済ませ、配送の手配をしてもらうまで、さらに15分くらいかかったと思うが、帰り際にちらっと目をやったところ、フットマッサージ器を使っている女性も含め、「お試し中」のメンツは、ほとんど入れ替わった形跡がなかった。

 最初はちょっとだけ「試す」つもりで使ってみたら、あまりの気持ちよさに図らずも長時間占拠することになってしまった、というのなら、まだ情状酌量の余地もあるだろう。しかし、そんな人だけですべてのマッサージチェアが埋まるとは思えない。こんなことは信じたくないが、中にはわざわざ「マッサージ器を使うために」ここに来ている人もいるのではないか。

 あつかましいにもほどがあると思う。いやそれ以前に、そうすることが、本当にその商品の購入を検討している人の邪魔になっているかもしれないというところに、なぜ気が回らないのだろうか。

 と文句ばかり書き連ねてきたが、いざそれを使った妻が「これは気持ちいい!」とほくほくしているので、まあいいかと思った。ただ、ふと気づいたら、飼い猫のクーが尻尾をアライグマみたいに太くして、遠くから様子を窺っていた。作動中のモーター音が意外と大きくて、動物が唸っている声のように聞こえるためだろうか。

 安心させてやろうと思い、マッサージ器から離れた場所に連れていって撫でてやっているうちに尻尾が通常の細さに戻ったのだが、すぐに僕の手を振り払って戻っていき、またアライグマみたいに尻尾を太くしながらマッサージ器を観察していた。怖いんだけど気になってしかたがないのだろう。早く慣れてくれればいいが。

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2009年9月17日 (木)

It has made it visible

 ここ数年で僕があらたに学んだ最大の事実、それは、世界は僕が想像していたよりもはるかにバカの比率が高いということだ。ここ数年でバカの比率が高まったのではない。たぶん、比率は前からほとんど変わらないのだが、それがここ数年で驚くほど可視的になったということなのだ。invisibleバカがvisibleバカになったということなのだ。

 大昔、桃井かおりが出ていたあるCMで、彼女の放つ「世の中、バカが多くて困りません?」という台詞が「差別的である」とかいう理由で轟々たる非難を浴び、なにか別の、しかしなんのスパイスもないつまらない台詞に差し替えられたということがあったと記憶している。そして僕はそのとき、「そういうツッコミを入れる連中こそ、まさにここで言及されている“バカ”にほかならないのではないか」と思ったことを鮮烈に記憶している。

 思えばあの頃から、バカの可視化はゆっくりと始まっていたのかもしれない。今となってはもう、手の施しようがない。しかし、惑わされてはいけないのだ。比率自体はたぶん変わっていないのだから。ただバカが、なまじ発言権とかを与えられてしまっているばかりに、昔よりも目立っているだけなのだから。こう言ってはなんだが、世界なんてそんな簡単に変わるものではないのだ。

 そして、もしもバカをバカと告発することが許されないなら、僕は何も書けないし何も言えないに等しい。

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2009年9月16日 (水)

不明朗会計

 韓国で僕の本を4冊も出してくれているStudio Born-Free社にかつていたMさんが、今は別の大手出版社で編集をやっていて、出張で東京に来るというので、現在は日本に在住している翻訳者とともに新宿で会うことになった。Mさんは当然、東京の飲食店などには詳しくないので、僕が彼の宿泊先から近いところで見繕って、ある居酒屋に予約だけ取っておいた。

 さて、Mさんの会社では、会社名義のクレジットカードを社員に持たせ、飲食代等の経費はそこからダイレクトに支払うシステムになっているらしいのだが、いざ支払いの段になったら、従業員は、現金以外は受けつけないと言う。カードが使えない構えの店とは思えなかったので、今どきそれはないだろうと驚かされたし、Mさんの現金の持ち合わせがそんなにあるのかどうか気が気ではなかったのだが、まあそれはなんとかなった。

 しかし、問題はそれだけではなかった。領収書は必要かと訊かれたのだが、Mさんの会社ではレシートさえあれば経理処理はできるそうなので、不要だと伝えたところ、おつりしか持ってこない。レシートはないのかと訊くと、「レシートはお出ししてないんですよ」。そんなバカな、と思いつつ、しかたがないのであらためて領収書を請求したら、今度はそれを一向に持ってこない。待っている間に3度も、それぞれ別の従業員に「もうお時間ですので……」と退出を催促され、最後は「いやあのさっきから領収書を待ってるんですが!」とさすがにキレそうになった。

 最終的には領収書を出してくれたのだが、こっちが黙っていればそれさえ出さないつもりだったのだろうか。

 ほぼまちがいなく、脱税ですな。

 見かけはいかにも今風の、「個室居酒屋」みたいなしゃれた雰囲気なのだが、なにしろロケーションが歌舞伎町近辺なので、さもありなんといったところである。しかし、韓国からの来客を迎えるにあたってその店を選んで予約した僕の立場はどうしてくれるのか。ついでに言えば、「個室」とは言ってもスペースがどう考えても狭すぎて、3人いたらもうギチギチだったことについても、どう落とし前をつけてくれるのか。

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2009年9月11日 (金)

順序と秩序

「タイタニック」は決して好きとは言えない映画だが、好きなシーンはいくつかある。ひとつは、いよいよ客船が沈むとあってみんながパニックを起こし、数が絶対的に足りない救命ボートに殺到しているとき、甲板の係員が愚直に"Keep order!"と命じつづけて群衆にキレられる場面。彼は別に意地悪をしているわけでもなんでもなく、ただ自分の職務に忠実なだけなのだが、いささか空気が読めないところがあり、「この期に及んで何が"order"だ!」とみんなをイラつかせてしまうのである。

 "order"には「秩序」という意味と同時に「順序」という意味があるが、あの場面を見ているとそのことが直感的に了解されるような気がする。「順序」を守らないと、「秩序」を守ることもできない。そしてものごとには、しかるべき順序というものがある。

 僕が腹立たしく思うのは、たとえば朝の混んだ電車が乗降客の多い駅に到着したときの、出入口付近の人の動きだ。電車がまだホームに滑り込んでもいないうちから、降りようとして、あるいは「私は次の駅で降ります」という意思表示をしようとして、うしろから人の背中を押す乗客。いくら押されたって、まだドアが開いていないんだから、こっちとしてはどうしようもない。

 いざ駅に着いてドアが開いた後も、ただやみくもに人の体を押して出ようとする人がいる。出入口付近の人々はみんな降りようとしていて、待っていれば確実に自分の番が来るし、降りようとしている人がいるかぎり電車だってドアを閉めて発車したりはしないのに、彼らはただ牧羊犬に追われた羊の群れのように愚直に前の人間の背中を押しつづけるのである。

 押してどうなるというのか。かえって、そのむやみに押す力がドア付近に無駄な圧力をかけ、スムーズな乗降を妨害する結果になっているかもしれないではないか。どうして彼らにはそんな簡単なことが理解できないのだろうか。そういうシチュエーションが訪れるたびに、僕は声を大にして叫びたくなる。あの、制帽をかぶってクソまじめな顔をした甲板の係員のように、"Keep order!"と。

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2009年9月 9日 (水)

無期延期

 今年中にもう1冊、書き下ろしを出せる見通しだったが、いろいろあって保留になってしまった。作品自体はいったんは完成しているのだが、諸事情で現在は「無期延期」的な位置づけになっており、いつ頃出せるかなどは具体的に決まっていない。そもそも、出せるのかどうかもよくわからない。大人になるとほんとにいろいろなことがある。子どものときもいろいろなことがあったけれど。

 ただ、『シュガーな俺』が来月頭に新潮文庫に入る。思えばココログに移ったのは、あれの@niftyでのネット連載開始と足並みを揃えてのことだった。あれから3年ちょっと、このブログもなんだかヤバい人の独白みたいな得体の知れないものになり果ててしまった。僕の情熱は今や、流したはずの涙より冷たくなってしまった(スガシカオ←しつこい)。

 ここらでちょっと息を整えようと思っている。僕はデビュー以来、言葉本来の意味では一度たりとも変節した覚えがないし、常にある明瞭な信念に基づいて足を進めてきたつもりだが、それが届かないなら考え直さなければならない。望んだまま突き進んでて、方位を誤ったら、思い出さなければならないものがある。

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