無力ということ
言うだけヤボなことを言わずにいる分別は身につけた。しかしその分別自体を時として否定したくなるのは、僕の人格が根の深いところで破綻していることの証左なのか。かいくぐってきたさまざまな試練など、その利害が直接関わる人間以外にとってはなんの意味もないことだ。世間の総意という仮面をつけてわが意を得たりとばかりに立ちはだかる「それ」に対して、僕は波打ち際の薄い貝殻のようになすすべもない。
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言うだけヤボなことを言わずにいる分別は身につけた。しかしその分別自体を時として否定したくなるのは、僕の人格が根の深いところで破綻していることの証左なのか。かいくぐってきたさまざまな試練など、その利害が直接関わる人間以外にとってはなんの意味もないことだ。世間の総意という仮面をつけてわが意を得たりとばかりに立ちはだかる「それ」に対して、僕は波打ち際の薄い貝殻のようになすすべもない。
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『蘆江怪談集』を読んだ。決して身内びいきではなく、非常に味わい深い1冊だと思う。個人的に反応してしまったのは、「投げ丁半」というタイトルの小品。ある男が親友とその妻と3人で過ごすべく伊豆の温泉にやって来るが、親友が待てど暮らせど宿にやって来ず、行きがかり上、親友の妻と2人きりで一夜を過ごすことになる。このシチュエーション、どことなく『全世界のデボラ』に収録したいくつかの短編を思わせる。
もちろん、僕にとって「投げ丁半」は今回が初読なので、それを意識してくだんのいくつかの短編を書いたわけではない。血は争えないとはこのことかとしばし感慨深く思った。
ところで、この怪談集のしんがりを務める「怪異雑記」は、小説の短編集の形を取ったこの本の中で唯一、随筆風に書かれた作品である。当時の役者やら作家やら、とにかく「だれかから聞いた話」として、またそのだれかの実体験として、いくつもの怪異譚が綴られている。
その中で、関東大震災のときに「いひふらされた」さまざまな「怪談」のひとつとして、蘆江はこんな話を紹介している。被服廠の近くにできた救護所に救護員たちが詰めていると、午前3時ごろ、水を1杯飲ませてほしいという声が外から聞こえる。「大勢いる」というので手桶に1杯水を汲んで出たが、誰の姿もない。手桶をそのままにして救護員が引っ込むと、ざわめきとともに水をじゃぶじゃぶ汲む音がして、翌朝見たら手桶がすっかり空になっていた、という話だ。
蘆江自身はこれを「怪談」と呼んでいるが、その同時代性から考えても、これはむしろ今の言葉で言う「都市伝説」に近いものだろう。実際、「怪談」と「都市伝説」は、一見して区別がつけがたい場合がある。今に語り伝えられるいわゆる「怪談」も、その事件が起こった当時には「都市伝説」だったのかもしれないからだ。
興味深いと思ったのは、その後に続けて蘆江がこう書いていることである。「大震災のあとで、この事をはじめて聞いた私は、凄い話だと思つてゐたら、其後函館の大火で焼け出されて来た人も、同じ話をしてゐた。只ちがつてゐるのは、救護所が交番に、手桶がバケツに、救護員が巡査にかはつてゐるだけである」。
関東大震災は1923年、函館大火はまさにこの本の初版が出た1934年であり、時期的にも地理的にも離れているが、この現象は、ひとつの都市伝説がヴァリアント(異本/別バージョン)を派生させていくそのメカニズムを忠実になぞったものだと言える。ひとつの「祖型」が、少しずつ形を変えてくりかえし利用されることは、都市伝説をめぐってはザラにあることなのだ。蘆江の筆は、その「派生」の瞬間そのものを期せずして捉えたものだと言えるだろう。
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雑誌掲載2点。「きらら」に連載している『理想の人』に加えてこれらの〆切がほぼ同時期に重なっていたため、8月〜9月にかけては死ぬほど忙しかった。ひとつは「小説すばる」の特集「ストレンジ・ワールドへようこそ」で、夢枕獏さんなどとショートストーリーの競作という形で掌編級の作品『キャラバン』を寄稿している。もう1点は「月刊ジェイ・ノベル」に4ヶ月おきに掲載している『プロトコル』外伝、「ハイパー・プロトコル」シリーズの第3弾、『おんれいの復讐』。
前者の『キャラバン』は、どちらかというと『全世界のデボラ』に収録されていそうな、僕にとっては原点回帰的と言っていい作風。ちょうどそういうことを考えている折りにご依頼いただいたのでタイムリーだった。
後者『おんれいの復讐』では、有村ちさととももかの姉妹の少女時代に焦点を当てている。これには、「ダメな人はなぜダメなのか」という、ここしばらく僕が個人的必要もあって追究してきた考察が活かされていると思う。ダメな人はダメなのだ。そしてそういう人に周囲が有効に働きかけられる余地は、きわめて少ない。
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曾祖父・平山蘆江(ろこう)の「幻」といわれた怪談集が、このたびウェッジ文庫から75年ぶりに復刊された。蘆江の没年は昭和28年、僕が生まれるより15年も前だから、当然、会ったことはないが、曾祖父が作家だったことが、僕が作家を目指したことと無関係であったとは決して言えないと思う。
また、これに収録されている『火焔つつじ』という作品には、いろいろ思い出もある。成人する前に実際に読んだことのある唯一の蘆江作品だったのだ。
子どもの頃、毎年夏になると、僕は姉と一緒に、当時神奈川県の浦賀にあった叔母(父の妹)の家に泊まりがけで遊びに行くのが定例化していたのだが、あるとき、僕たちは叔母の本棚の中に偶然、蘆江の作品を収録したアンソロジーを見つけ(作家の勝山海百合さんの示唆によれば、それは中島河太郎・紀田順一郎編『現代怪奇小説集』(立風書房)だったのではないかとのこと)、2人でそれを読んだのである。それがまさに、『火焔つつじ』だった。
どちらかといえば、今の言葉で言う「サイコホラー」に近い、実際には何も起こっていないような話であるにもかかわらず、読み終えたときにはなんだか背筋がぞうっとして、その晩はなかなか寝つけなかったことをよく覚えている。
その後、この短い作品は、和田誠さんによるオムニバス映画『怖がる人々』の中の1編として小林薫・黒木瞳の主演で映像化され、家族揃って観に行ったのも、今では遠い思い出になりつつある。なお、このウェッジ文庫版の表紙のイラストは、そんな因縁もあってか、和田さんの手になるものである。
先だって同じウェッジ文庫から復刊された『東京おぼえ帳』も名著なのだが、当時の花柳界や芸能界のゴシップを満載したあの随筆集より、こちらの方が現代の一般読者に受け入れやすい内容であることは論をまたないだろう。この機会に、少しでも新しい「蘆江読者」が増えることを願ってやまない(←いかにもオフィシャルっぽいコメント)。
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京都で観光を終え、そろそろ東京へ帰る態勢を整えようということで、地下鉄からJR奈良線に乗り換えて京都駅に着いたとき、妻よりも一瞬早く僕が、ホームの一角に「新幹線」と書いてある通路の入口を見つけ、「あっちじゃない?」と言った。ごくあたりまえのふるまいだが、十数年前の僕にはたぶんそれができなかった。どこを通ってどこに行くかは、すべて妻に任せきりにしていただろう。
僕もそのへん、だいぶ叱られ、仕込まれたので、妻の言葉を借りれば「この十数年でめざましく成長した」のだが、今回、かつての自分になぜそれができなかったのか、その理由をはっきりと悟った。
次に何をするところなのか、それをまったく意識していなかったのである。
もちろん、常時それを意識していなければならないわけではない。ポイント、ポイントで意識すればそれで十分なのだ。たとえば、電車での乗り換えのとき。バスの停留所を探しているとき。なんらかの目的をもって、その目的を満たす場所を探しているとき。僕はそのさなかに、往々にして、それとはまったく無関係なことに思いを馳せていた。
東京へ帰ろうとして京都駅まで来たのなら、次に向かうべきところが新幹線乗り場なのは考えるまでもないことだ。しかしかつての僕は、その目的自体を思い出すのにかなりの苦労をしなければならなかった。目の前にある現実世界との接続が常に途絶えがちだったのだろう。そんなんでよく社会生活が営めていたな、と今になってつくづく思う。そして、人は意外と、こういうファンダメンタルなことがらに関しても、成人してからなおも成長するものなのだな、と思う。
もっとも、僕にそれだけの「のびしろ」があったのは、成人した時点での僕があまりにも社会生活能力を欠いていたからにほかならないわけだが。初期設定が低いところにセットされていると、その後のほとんどが加点法で評価されるからなんだかトクした気分になる。
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10日、「京フェス」の本会企画に出演してきた。午後3時半、出番の20分前に会場入りすると、早川書房の塩澤さんにロビーで声をかけられ、遠藤徹さんを紹介された。『姉飼』などの印象が強くて、いったいどんな人なんだろうと恐れ半分期待半分だったが、ごくごくまっとうな、良識的な、そして穏和でやさしい感じの方だった(しかしそれは、『ラス・マンチャス通信』だけで僕を認識している人が僕本人と会ったときに感じるであろう肩すかし感と大差ないものかもしれない)。
また、このイベントを主催する京都大学SF研究会のOBでもある大森望さんもゲストとして招かれていたので、去年8月に角川文庫に入った『ラス・マンチャス通信』の解説を書いてくださったお礼をやっと言うことができた(秋葉原通り魔事件の犯人の弟が発表した手記の件は、僕自身も知らなかったので衝撃的だった)。
僕が出演した4コマ目は、早川書房の叢書「想像力の文学」を三者の座談会形式で語るというものだったが、実質、場数を踏んで慣れておられる塩澤さんが遠藤さんと僕の2人にインタビューする形に近く、塩澤さんの訥々とした味のある語り口それ自体がウケているという印象だった。それぞれが何を語ったかは、いずれ「SFマガジン」誌上で記事にしていただけるようなので、ここでは触れないでおく。
本会企画はそこですべて終了だったので、その後、ゲストなどを中心に近くの居酒屋で宴が催された。僕は、仕事を終えて夕方以降京都に駆けつける妻と合流する予定だったので、最初の30分くらいしか顔を出せなかったのだが、その席で翻訳家の岸本佐知子さんと少しだけお話することができた。ニコルソン・ベイカーの訳書などで以前からすごい方だなと思っていたので、お会いできてよかったと思う。独特な雰囲気のある、たいへんきれいな方だった。
ホテルで妻と合流してひと休みしてから、食事をしに出かけたのだが、2人とも忙しくてどこかの予約など取る暇もなかったので、それでも一応目星をつけておいた料理屋に行ってみたものの、予約で満席とのこと。しかたなく、先斗町を何度も行ったり来たりしながら、ようやくいい感じの店を見つけて入ることができた。選ぶのに時間をかけた甲斐はあって、なにもかもがおいしく、店の人の感じもいい、大当たりの店だった。
ただ、おいしくて快適なあまり、妻と2人で「酔鯨」を推定1升空けるほどの勢いで飲んでしまったので、途中から記憶は縞状である。「京阪電車」と言うべきところを、ずっと間違えて自分が「阪急電車」と言いつづけていたことを、翌朝になって思い出して赤面した。しかし店の人はみなやさしくて、僕のその間違いを指摘することもなく「うんうん」と話を聞いてくれていた。
翌日、ほぼお昼から夕方までの短い時間だったが、それなりに観光を楽しんできた。京都に行ったのは十数年ぶりだが、若い頃にはわからなかった「よさ」がいろいろあることに気づいた。これからはもう少しマメに訪れてみようと思った。
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発売に数日遅れてしまったが、僕の3作目の書き下ろしにして「世界初の糖尿病小説」を標榜した『シュガーな俺』の新潮文庫版が出たので、紹介させてもらおう。
表紙イラストは、Shu-Thang Grafix名義でイラストレーターとして活躍されている浦野周平さん。「モテリーマン講座」で一躍脚光を浴びた人なので、この、ポップでありながらどこかトボけた味わいのあるアメコミ風の絵柄に見覚えのある方も多いのではないだろうか。僕自身、新潮文庫編集部から最初に打診を受けたとき、「この人しかいない!」と思うほど作品にピッタリだと思ったし、編集部でも満場一致で即決されたらしい。
上の画像ではオビがついているので下の方が見えないが、実はこのショートケーキの着ぐるみを着たランニングシャツの男(主人公・片瀬?)のだらりと下がった左手の先には、生ビールのジョッキが力なくぶら下げられており、そこから地面にビチャビチャとビールが零れている。失意とも茫然自失とも取れる男の無常観溢れる表情とあいまって、作品の本質を捉えた素晴らしいイラストだと思う(浦野さん、ありがとうございました)。ぜひ、オビを剥がして全貌を鑑賞していただきたい。
それにしても、単行本の表紙も甘ったるそうなタルトの写真だったし、今回もケーキ。主人公・片瀬は、実はとりたてて甘党というわけではなく、酒が好きなだけなのだが、タイトルの「シュガー」の持つインパクトがそれだけ強烈ということなのだろう。
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精一杯でかい声で。見えないバカが憎くて、見えないバズーカ撃ちまくる。
ああ、今の僕にはこれを言うのが精一杯だ。そしてたぶん、これ以上は言わない方がいいのだろう。どうせ僕が「気さくな兼業作家」だなんていうのはまったくの嘘っぱちにすぎないとしても(「気さく」だと自己申告する人間が気さくであったためしはない)。君の明日が醜く歪んでも。僕らが二度と純粋を手に入れられなくても。
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