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2009年10月25日 (日)

派生の瞬間

『蘆江怪談集』を読んだ。決して身内びいきではなく、非常に味わい深い1冊だと思う。個人的に反応してしまったのは、「投げ丁半」というタイトルの小品。ある男が親友とその妻と3人で過ごすべく伊豆の温泉にやって来るが、親友が待てど暮らせど宿にやって来ず、行きがかり上、親友の妻と2人きりで一夜を過ごすことになる。このシチュエーション、どことなく『全世界のデボラ』に収録したいくつかの短編を思わせる。

 もちろん、僕にとって「投げ丁半」は今回が初読なので、それを意識してくだんのいくつかの短編を書いたわけではない。血は争えないとはこのことかとしばし感慨深く思った。

 ところで、この怪談集のしんがりを務める「怪異雑記」は、小説の短編集の形を取ったこの本の中で唯一、随筆風に書かれた作品である。当時の役者やら作家やら、とにかく「だれかから聞いた話」として、またそのだれかの実体験として、いくつもの怪異譚が綴られている。

 その中で、関東大震災のときに「いひふらされた」さまざまな「怪談」のひとつとして、蘆江はこんな話を紹介している。被服廠の近くにできた救護所に救護員たちが詰めていると、午前3時ごろ、水を1杯飲ませてほしいという声が外から聞こえる。「大勢いる」というので手桶に1杯水を汲んで出たが、誰の姿もない。手桶をそのままにして救護員が引っ込むと、ざわめきとともに水をじゃぶじゃぶ汲む音がして、翌朝見たら手桶がすっかり空になっていた、という話だ。

 蘆江自身はこれを「怪談」と呼んでいるが、その同時代性から考えても、これはむしろ今の言葉で言う「都市伝説」に近いものだろう。実際、「怪談」と「都市伝説」は、一見して区別がつけがたい場合がある。今に語り伝えられるいわゆる「怪談」も、その事件が起こった当時には「都市伝説」だったのかもしれないからだ。

 興味深いと思ったのは、その後に続けて蘆江がこう書いていることである。「大震災のあとで、この事をはじめて聞いた私は、凄い話だと思つてゐたら、其後函館の大火で焼け出されて来た人も、同じ話をしてゐた。只ちがつてゐるのは、救護所が交番に、手桶がバケツに、救護員が巡査にかはつてゐるだけである」。

 関東大震災は1923年、函館大火はまさにこの本の初版が出た1934年であり、時期的にも地理的にも離れているが、この現象は、ひとつの都市伝説がヴァリアント(異本/別バージョン)を派生させていくそのメカニズムを忠実になぞったものだと言える。ひとつの「祖型」が、少しずつ形を変えてくりかえし利用されることは、都市伝説をめぐってはザラにあることなのだ。蘆江の筆は、その「派生」の瞬間そのものを期せずして捉えたものだと言えるだろう。

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