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2009年10月14日 (水)

目的は何か

 京都で観光を終え、そろそろ東京へ帰る態勢を整えようということで、地下鉄からJR奈良線に乗り換えて京都駅に着いたとき、妻よりも一瞬早く僕が、ホームの一角に「新幹線」と書いてある通路の入口を見つけ、「あっちじゃない?」と言った。ごくあたりまえのふるまいだが、十数年前の僕にはたぶんそれができなかった。どこを通ってどこに行くかは、すべて妻に任せきりにしていただろう。

 僕もそのへん、だいぶ叱られ、仕込まれたので、妻の言葉を借りれば「この十数年でめざましく成長した」のだが、今回、かつての自分になぜそれができなかったのか、その理由をはっきりと悟った。

 次に何をするところなのか、それをまったく意識していなかったのである。

 もちろん、常時それを意識していなければならないわけではない。ポイント、ポイントで意識すればそれで十分なのだ。たとえば、電車での乗り換えのとき。バスの停留所を探しているとき。なんらかの目的をもって、その目的を満たす場所を探しているとき。僕はそのさなかに、往々にして、それとはまったく無関係なことに思いを馳せていた。

 東京へ帰ろうとして京都駅まで来たのなら、次に向かうべきところが新幹線乗り場なのは考えるまでもないことだ。しかしかつての僕は、その目的自体を思い出すのにかなりの苦労をしなければならなかった。目の前にある現実世界との接続が常に途絶えがちだったのだろう。そんなんでよく社会生活が営めていたな、と今になってつくづく思う。そして、人は意外と、こういうファンダメンタルなことがらに関しても、成人してからなおも成長するものなのだな、と思う。

 もっとも、僕にそれだけの「のびしろ」があったのは、成人した時点での僕があまりにも社会生活能力を欠いていたからにほかならないわけだが。初期設定が低いところにセットされていると、その後のほとんどが加点法で評価されるからなんだかトクした気分になる。

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