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2010年1月11日 (月)

猫のぬいぐるみに似た猫

Qoo2

 先代の飼い猫・無為が存命の頃は、もっと頻繁に猫ネタでブログを書いていたような気がする。クーを飼いはじめてからもう2年半以上経つというのに、数えるほどしか記事で取り上げていない。その理由を考えていてわかったのだが、ひとつにはクーが、わかりやすくかわいすぎるのである。

 仔犬のようによくなついてまとわりつくし、かまってもらいたがるし、おおらかでほがらかでにこやかで、およそ機嫌の悪いところを見たことがない。おまけに驚くほど従順で、予告もなく抱き上げようが、おなかを上にしていじくり回そうが、そのおなかの毛に顔を埋めようが、何をしても怒らないどころか、ゴロゴロいって喜んでいる。その意味では、およそ猫らしくない猫である。無為に不用意に同じことをしようものなら、まちがいなく流血沙汰になっていたところだ。

 クーはどちらかというと、猫というより、猫のぬいぐるみに似ている。つまり、人間にとって都合のいい、わかりやすい「かわいさ」を人為的に集約させた愛玩物としての猫のぬいぐるみである。猫好きにとって、猫のぬいぐるみというのは必ずしもかわいくない。あまりに人間に媚びすぎていて、猫好きがしばしば猫に求める孤高さや気位の高さ、こちらの思うとおりにならない勝手気ままさなどが削ぎ落とされてしまっていることが多いからだ。

 そう言っておきながら、いざクーのような「猫のぬいぐるみみたいにかわいい猫」を目の前にしてしまうと、それはそれでかわいくて溺愛してしまうわけだが、そうして溺愛しているさまをブログにアップしてもしかたがない、と思うのである。わかりやすくかわいすぎる猫は、飼い主の自分ツッコミ機能を麻痺させてしまう。クーを題材になにかを書けば、きっとそうなってしまうにちがいない。僕は無意識にそれを悟って、むざむざ醜態を晒したり読者をげんなりさせたりしないように、クーについて書くのを自ら抑制してきたのではないだろうか。

 

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