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2010年4月25日 (日)

ゾウのヤバい毛

 上野の国立科学博物館で開催中の「大ほ乳類展」を観に行く。動物好き(※)な僕にとってはたいへん楽しい内容で堪能したが、上野のああしたmuseum類はなぜどこも17時で閉まってしまうのだろうか。立ち上がりが遅い僕のような人間には、少々慌ただしい。10時からでなくて12時からでいいので、そのかわり19時くらいまでやってくれるとたいへんありがたいのだが。

※「動物好き」といっても、動物と見れば無条件に「かわい〜!」と言って駆け寄ってしまうような種類の「好き」ではない(僕がそういう反応を示す動物はほぼ猫に限られる)。この場合の「好き」は、どちらかというと生物学的関心に近い。

 ところで、会場にはインドゾウとアフリカゾウの鼻の部分だけの標本がホルマリンかなにかに浸けてガラスケースで展示されていた。毛が生えた生々しい皮膚のありさまには目を奪われたが、それより興味深かったのは、ケースの側面から見たつけ根部分の断面だった。分厚い筋肉の層の中ほどに、ぽっかりと2つの空洞がある。「鼻の穴」である。ああ、こんな特異な進化を遂げたゾウの鼻でも、「鼻の穴」はやはり2つなんだ、といたく感心させられた。

 そのとき、たまたまそばを通りかかった、どちらかというと地味な出で立ちの中学生くらいの女の子2人連れが、その標本を見ながら交わしていた会話が耳に入ってきてしまった。

「毛ぇ、ヤバくねぇ?」
「キモい」

 いかにも今ふうの口調だが、そんな口をきいていても、「大ほ乳類展」に興味をもって、休日に友だちと誘い合わせてわざわざ観に来ているというのがほほえましいではないか。それに、彼女たちのこの口調は単なる「モード」に過ぎず、それは世が世ならたとえば以下のようであったとしてもなんら不思議ではないのだ。

「うわ、何この毛! ウギャ〜〜!」
「気持ち悪い〜〜」

「まあ、この毛をご覧になった? ものすごくてよ、サワコさん」
「本当ね、マチコさん。ちょっと気持ちがよろしくないことよ」

 結局のところ、いろいろ言われるほどには、今の子どもたちも中身は昔とたいして変わっていないのだろうな、とこんなときに思う。

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2010年4月11日 (日)

エア推敲

 目下、僕は基本的に、幻冬舎で刊行することになっている書き下ろしのミステリーを執筆しているのだが、少し前は小学館から5月に出る長編『マザー』の初校ゲラと格闘していた。これは「きらら」に連載していた『理想の人』のタイトルを改めたものである。そして6月には『株式会社ハピネス計画』が小学館文庫に入るので、ここ数日はその文庫版のゲラを見ていた。

 その3つがごっちゃになったものを必死で推敲している夢を見て、夜中に目が覚めた。

「同時並行でいろいろな作品を書いたりしていると、内容がごっちゃになってしまったりしないのか」とときどき訊かれる。実際には、異なる作品を混同してしまうことはほとんどありえない。脳内の区分けがうまくできていて、どこをアクティブにするかを瞬時に切り替えるスイッチ機能が働いているようだ。しかし、眠っている間までそれが適正に制御できているわけではない。

 そうでなくても、「推敲している夢」というのはけっこう頻繁に見る。これでは文意がすんなり伝わらないからこういう形容をつけ加えよう。こうすると「僕は……した」「僕は……した」が続いてしまうから、「……した僕は、……した」にしよう。でもこうすると一文が長くなりすぎるから、二文に分けてこの説明を外に出そう。といった具合に。それは、日ごろ僕が覚醒した状態で行なっている「推敲」の作業とまったく同じである。いわば「エア推敲」だ。

 しかし目覚めた後に僕は、その作業が、そしてそこに投じた労力がすべて無駄であったことを悟り、泣きたい気持ちになるのである。今まさに僕は、その泣きたい気持ちを紛らわすために、こうしてブログを書いているのである。

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2010年4月 3日 (土)

培養ソースやきそば

 僕は昔から、「ペヤングソースやきそば」の「ペヤング」というブランドにはなにかエキゾチックな来歴があるにちがいないと踏んでいた。たとえばハングルで배양(bae yang)と書けば「ベ・ヤン」だが(普通に意味を取ればこれは「培養」のことである)、表記の仕方によっては「ペヤング」にもなる。メーカーの創業者が在日韓国人の人だったりしたら完璧だ、と思っていたが、製造元のまるか食品は、そういうルーツとはまったく無関係なようだ。

「ペヤング」というブランドも、どうやら「ペアでヤング」、つまり、若いカップルに一緒に食べてもらいたいという思いからつけられたネーミングのようである。ただ、当時テレビCMに起用された桂文楽が早口で、「ペアヤング」と言っても「ペヤング」と言っているように聞こえてしまうから、という理由で、むしろ商標の方を縮約した「ペヤング」にした、という経緯だったらしい。

 でも、本当にそうなのだろうか? この説には、どこかこじつけめいたところが感じられる。本当の理由は別のところにあったのではないか、という疑いを、僕は捨て切ることができない。

 ところで、「ジパング」の「グ」は中国語の「国」らしい、ということを最近知った。つまり「ジパング」とは、「ジ=日」+「パン=本」+「グ=国」だったのである。「中国語」といってもいろいろあるから、当時のポルトガルなどに伝わっていたその音がどの地方の方言だったのかはちょっとわからないが、現代の標準中国語(北京語)の音で表現しても、「日本国」は"ri ben guo"(リーベングォ)である。

 でもどうせこんなことは僕か有村ち(以下略)

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2010年4月 2日 (金)

21st century schizoid man

 自分なんて変人だからどうせ誰ともわかりあえない、と思ってむしろそこにヒロイズムを見出だしていられた若い時代がいかに幸せだったかが今になってわかる。自分のものの感じ方・考え方がどうやらものすごい少数派に属するものらしいということがわかってしまった今、僕はいったいどこに照準を合わせて何をしていけばいいのか。

 ごめんなさい僕はあなたがたとそれを共有できない。その笑いを、その怒りを分かち合えない。あなたがたの書く「(笑)」もしくは「WWW」の多くが、僕の目には場違いで空気の読めない感じの悪い笑いにしか見えないのだが、たぶん、そう感じる僕こそが「空気読めない」やつと見なされているのだろう。

 僕は風に語りかける。言葉はことごとく運び去られる。風に語りかけても、風には聞こえない。聞くことができないから。

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