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2010年5月23日 (日)

「大胆な手法」

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 さて、僕にとって10冊目の単行本となる1年ぶりの新刊『マザー』(小学館)が、25日に配本になる。2、3日中には出回ることになるだろう。表紙は絵のように見えるが、写真である。一見、荒涼とした中に、ひと筋の陽の光が射している。読んでいただければわかると思うが、非常に作品の内容とマッチした写真である。この独特の書体の題字とあいまって、素晴らしい装丁になっていると思う。

 今回は、ひとことで言うなら「ファンタジック・ミステリー」といったところだろうか。例のごとく、これまでに僕が書いたどんな本とも似ていない、かもしれない。しかしその一方で、どの本とも少しずつ似ている、と言うこともできる気がする。『忘れないと誓ったぼくがいた』以降、僕がさまざまな形で追求しつづけている、「記憶とはなにか」「自分が今信じている世界は、本当に信じるに値するものなのか」という大きなテーマに正面から取り組んでいるし、結局のところ、書いているのは同じ僕なのだから、本質的な部分まで変わってしまうわけがないのだ。

 一部で僕は、「出す作品ごとに作風が違う」とか、「1作ごとに作風を大胆に変える手法で知られる」などと言われているようだ。しかし一応言っておくと、それは「手法」として選んでいることではなく、結果としてそうなってしまったと言った方が近い。

 ぶっちゃけ、もっと本が売れていれば、いずれかのラインにおのずと寄り添って作品を発表していくことになったのだろうと思う。それがかなわないので、「じゃあどうすればもっと認知されるようになるのか」と当然、編集者も僕自身も考える。編集者は編集者で、それを真剣に考えていろいろ提案してくれるので、僕は僕で真剣にそれに応えようとしてきただけなのだ。その繰り返しが、「毎回作風が違う」という結果として現れているのである。

 作家性を担保し、固定ファンについてもらうことを考えるなら、「自分はもっと、作風が一定の幅に収まるように我を張るべきだったのだろうか」と今になって思わないでもない。しかし、それではそもそも次の本が出せなかったかもしれないし、経緯はどうあれ、そうしていろいろと試行錯誤を繰り返したおかげで、作風の幅をここまで広げることもできたわけだ(それ自体は大きな財産だと思っている)。

 それに僕は、どの作品を書く際にも、その時点での自分にできる精一杯のことをしてきたと思っているし、だからどの作品にもれぞれに愛着がある。また、世間で言われるほどそれぞれの作品が「違っている」とも、僕自身は思っていない。底に流れるものは常に一貫しているし、どの作品にも、それまでに書いたあらゆる作品のエッセンスが顔を覗かせる瞬間が必ずあると思う。

 そういう意味で、今回の『マザー』は、現時点での僕の集大成だと思うのである。

 くどいようだが、どういう作品なのかを自分で説明するのは苦手なのでやめておく。左サイドバーにリンクを貼ったAmazonのページの「内容紹介」が、客観的でよくまとまっているので、ご興味のある方はそちらを参照されたい。僕としては、内容を説明するかわりに、この『マザー』の主人公の1人、「佐川夏実」の内的独白を、作中から抜粋しておこうと思う。

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私は、自分の音楽は、もっとたくさんの人が好きになってくれるはずだという自信を持っている。聴いてくれさえすれば、気に入ってくれる人がもっともっとたくさんいるはずだと信じている。でもそれにはまず、Natsumi という存在を知ってもらい、聴いてもらわないことには、何も始まらない。その、「聴いてもらう」ということ自体が、ものすごく難しいのだ。
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 まったくもって、それは難しい。

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2010年5月21日 (金)

教えてください

 酔っぱらってるときに電車の中で携帯から人に送ったメールを、多少正気に返ってから読み返したら、こんなことが書いてあった。

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 つうかさっきから隣のおやじが口の音くちゃくちゃうるせえんだけど。殺していい? これは殺していい十分な理由になるよね?
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 われながらひどいなと思った。ひどいなと思いながらも、それを生理的に許せないと感じる自分にも同情を禁じ得ない僕なのだった。

 ていうかさー、あいつらってなんでああ平気で不快な音を立てて、しかもそれを人に聞かせて憚らないかね。それを許せないと思う僕は間違ってますか? ねぇ、間違ってますか? 僕は人非人ですか? 狭量すぎますか? 山は死にますか? 風はどうですか?

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2010年5月18日 (火)

死に際のひとこと

 岩明均のコミック『寄生獣』が比類のない傑作であることは衆目の一致するところだろうが、これのコミックスの第1巻が出てからすでに20年の月日が流れていると気づいて少々愕然としている。「月刊アフタヌーン」連載中から夢中になって読んだ作品であり、今なおコミックスを処分できずにいるもののひとつだが、自分としては、「ちょっと前に」熱心に読んだ、という程度の感覚だったからである。

 ところで最近、ふと気が向いてこれをまた全巻読み直してしまったのだが、そのときあらためて気づいたことがある。この作品は、キャラクターの「死に際のひとこと」がたいへん印象的なのである。

 たとえば、主人公・新一につきまとう不良っぽい女子高生・加奈。パラサイトに胸をひと突きされてまもなく新一の腕の中で息を引き取るが、最後に彼女はこう言う。

「フフ…………はずかしくて…………とても人に言えない夢…………」

 図らずもパラサイトの謎を追うハメになり、妻と子どもを惨殺されたあげく自分も殺されることになったうだつの上がらない私立探偵・倉森の最後の台詞はこれだ。

「……陽子……由美……すまなかった…………すぐ行くよ……赤ん坊を……殺さなくてよかっ……た」

 圧巻は、美女の姿で女言葉をしゃべりながら人間との共存の可能性を探り、「実験」と称して人間の赤ちゃんを産み育てるうちに、その赤ん坊に理屈で説明のつかない愛着を覚えるようになったパラサイト、「田村玲子」の死に際だろう。警官たちの発砲の嵐にあえて反撃せず、胸に抱いた赤ん坊を守ることに徹して凄絶な最期を遂げるとき、彼女は新一に向かってこう言うのだ。

「…………この前 人間のまねをして………… 鏡の前で大声で笑ってみた………………なかなか気分が良かったぞ…………」

 それぞれ、こうして台詞だけ切り取ってもピンとこないかもしれないが、いずれも前後の文脈に照らして非常にドラマティックで秀逸な「最後の言葉」なのである。僕は自分の小説の中であまり人の死を描かないが、その機会が訪れるとしたら、おおいにこれに学びたいところだ。

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2010年5月11日 (火)

i adore you

 夕刻の電車内で、僕の隣に座っていた若いサラリーマンが、ipodかなにかで音楽を聴いていた。僕にも節回しがはっきりと聞き取れるほどの音量だった。うるさいなと思ったが、読んでいる早川epi文庫の内容に集中して忘れようと努めた。

 まもなく、サラリーマンのもうひとつ隣の女性が、ふいにかぼそい声で「ごめんなさい」と言った。彼に声をかけたらしかったが、本人は気づかなかった。すると女性はもう一度、今度は彼の腕を軽く叩きながら、やはりかぼそい声で「ごめんなさい」と言った。

 彼が気づいて片耳からイオフォンを外すと、彼女は同じかぼそい声で「もう少し音を小さくしていただけませんか」と言った。彼は無言だったが、素直に従ってボリュームを下げた。女性はもう一度、申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言った。同じかぼそい声で。

 ある駅に到着すると、女性は静かに立ち上がった。どんな人なのだろうと興味を引かれていたので、僕はホームに降りてゆく彼女の横顔にちらりと目を走らせた。20代なかばくらいの、普通にきれいな女性だった。

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2010年5月 8日 (土)

誤解しないで

 今月25日ごろ発売予定の新刊『マザー』(小学館)、Amazonに書影が現れたので、左サイドバーにリンクを貼っておいた。見本はまだ出来していないので、僕自身お目にかかってはいない。単行本としてはこれで10冊目となる。1年半にわたって小学館のPR誌「きらら」に連載した『理想の人』を改題したもので、原稿用紙換算で700枚を超える僕史上最長編だ。

 連載は1回につき40枚(字数÷400で計算)だったのだが、少しだけ自慢させてもらうと、計18回すべて、原稿は39.6枚〜40.3枚というわずかな誤差の範囲内に収まっていた。また、〆切に遅れたことは一度もない。兼業の身で毎月40枚の原稿を提供するのは普通に考えてなかなかハードだと思うが、連載中、「苦しんだ」おぼえはあまりない。つまり、非常に調子がよかったのだ。

 よっぽど疲れきっていたりしないかぎり、40枚の原稿を、毎回実質的に4日間で書いていた。ということは、単純計算すると、700枚超の長編を4日×18回=計72日間で書き上げたことになる。かといって、内容は決して「書きなぐった」ようなチープなものではないと自負している。それどころか、いろいろな意味で、現時点での僕の集大成と言っていい作品になっていると思う。

 どういう話か、というのは、例によって自分で言葉にするのはものすごく苦手なので控えておくが、もしかしたら、『理想の人』という連載時のタイトルから、「“理想の恋人”を求めて彷徨する若者たちのヌルくて中途半端でサワヤカな青春純愛ストーリー」みたいなものを想像している向きもあるかもしれない。

 それは、100%誤解である。断言する。それだけははっきり言っておこうと思う。

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