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2010年10月12日 (火)

ラスマンかましてよかですか?

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「野性時代」11月号に、短編小説をひとつ寄せた。『棺桶』というタイトルである。われながらなんというタイトルかと思うが、ほかには思いつかなかった。「短篇ミステリの競演」という特集の一部として掲載されたものだが、あえて断言しよう、これは『ラス・マンチャス通信』回帰作品である。

『全世界のデボラ』も回帰傾向のある短篇を集めたものだったが、あれよりさらに「ラスマン度」が高いことをここに保証する。

 ここに至るまでが長い道のりだった。この『棺桶』という作品は、今後僕が正々堂々とラスマン回帰作品で勝負をかけていくことの決意表明のようなものだ。もちろん、これまでの間に広げられるだけ広げた芸風・芸幅は、それはそれとして温存しつつ効果的に活用していくつもりだが、ようやく「解禁」されたラスマン的世界は、今後の僕の執筆活動においてまちがいなくひとつの大きな支柱になっていくものと思う。

「ラスマン」を待望してくださっていた方々、たいへん長らくお待たせいたしました。遅きに失したかもしれませんが、謹んで献上いたしますのでなにとぞ今一度振り向いていただきたく。アレも陸魚も出てきませんが、相同物には事欠かないと思います。

 それにしても、あれから早くも6年とは……。

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2010年10月10日 (日)

she has come after a long journey

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 去年の2月に『魅機ちゃん』が刊行される際、プロモーションの一環として制作・販売された「魅機ちゃんフィギュア」の完成品である。諸般の事情で今まで現物に相対することができなかったが、このたび、ようやく原作者である僕のもとに「彼女」はやって来た(背景の部屋が手のつけようのないほど散らかっている様子には、どうか注意を向けないでください)。

 小学館『IKKI』連載時および単行本刊行時にイラスト・コミックを担当してくれた阿部潤さんの絵柄とは別に、フィギュア原型師・桜文鳥さんが独自の解釈による「魅機ちゃん」を造型したもので、この見本は文鳥さん自身が組み立てて彩色したものである。箱には、そのことを証明する文鳥さん手書きの「鑑定書」が同梱されていて、ちょっと感動した。

 阿部潤さんのキュートであけっびろげな感じの魅機ちゃんも大好きだったが、このフィギュアの憂いを帯びた顔立ちも素晴らしい。間近に見ると、ふくよかな頬のラインや唇のふくらみ、指1本1本の細さや角度にいたるまで、入念に、愛情をもって造型されていることがわかり、何度見ても飽きることがない。

 ちなみに、画像では小さくてわかりづらいが、腰のあたりから突き出ている尻尾のようなものは、「充電」用のコードとプラグである(知らない人が読むと誤解するかもしれないのでひとこと補足しておくが、「腰から伸びたコードで充電する」というのは、作中のロボットとしての魅機ちゃんのスペックであり、このフィギュアに充電機能があるわけではもちろんない)。

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 このフィギュアはガレージキットとして販売されたものなので、出荷時には組み立ても彩色も施されていない。一応、その出荷時点のサンプルもひとつ送ってもらったのだが、ご覧のとおり、素人にはとうてい手が出せないような状態である。

『魅機ちゃん』刊行前、フィギュアを作ってもらえると初めて聞いたときは、「どれ、せっかくだからひとつ自分で組み立ててみるか」などと気楽に考えていたのだが、それがいかに無謀な企みであったかが今になってよくわかる。

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2010年10月 4日 (月)

『プロトコル』文庫版

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 2008年3月に単行本が刊行された僕の6作目の長編『プロトコル』が、このたび実業之日本社文庫の創刊ラインナップに組み入れていただけることになった。内田康夫さんや東野圭吾さんをはじめ錚々たる大御所の方々の中にちゃっかりこっそり紛れ込んだ感じで、緊張している上に少々居心地が悪い。明日10月5日配本なので、今週中くらいには各所に出回ることになるだろうか。

『プロトコル』は、8月に刊行された単行本『有村ちさとによると世界は』の元ネタというか、スピンオフ元(に相当するなにかいい表現はないのだろうか)である。本当は、この文庫が『有村〜』に先行するか、もしくはせめて『有村〜』と同時に出るのが望ましかったのかもしれないが、諸般の事情でそれがかなわなかった。

『有村ちさとによると世界は』(このタイトルは長いので、「ラスマン」「ワスチカ」みたいに「アリセカ」と略したいところだが、今ひとつ据わりが悪い)は、この『プロトコル』の続編というわけではない。両者はむしろ相補的な並行関係にあると言うべきだろう。

『有村〜』を読まれてなにがしかの消化不良を感じられた方にはぜひ本編である『プロトコル』を読んでいただきたいし、『プロトコル』を楽しめた方なら『有村〜』も必ず楽しんでいただけると思う。両方ぶっつづけで読んでいただけるとなお嬉しい。

 なお、文庫版『プロトコル』には、芥川賞作家である津村記久子さんがたいへん秀逸な解説を寄せてくださった。作家さんによる解説だけあって、なんというか、非常に味わい深い内容である。原稿段階で初めて読ませていただいたときは、そこはかとなく笑える視点の取り方・表現の妙に一人でウケまくっていた。こうして本になってもなお、読み返してニヤニヤしてしまうほどだ。

 表紙がなぜダービー風の絵柄になっているかは、読んでいただければわかると思う。『有村〜』の単行本の方も表紙に馬の頭が覗いているが、ほぼ同じ理由によるものである(もちろん、両者ともダービーの話ではなく、ちょっと滑稽なまでに論理的な女子・有村ちさとの話である)。

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2010年10月 3日 (日)

納得できないセット

 1人で買い物に行った帰りに、"Beer"のネオンに吸い寄せられてセルフサービスのイタリアンカフェみたいなところに入った。生ビールをジョッキででも、と思っていたのだが、中ジョッキが単品で¥520のところ、¥800の「ビールセット」というのがあって、「今日のおつまみ」がつくという。どうせならそっちの方が……と思ってそれを注文したら、中ジョッキに小さな小鉢がついてきて、塩ゆでした枝豆がひと盛りだけ添えてあった。

 セットにしたからといって、別にスケールメリットが考慮されて総額がサービスされているわけではない、というものが、世の中にはけっこうある。たとえば、「ラーメン餃子セット」とわざわざ銘打たれているので、きっとお得なのにちがいないと思って注文し、¥800を支払ったところ、後でラーメン単品が¥500、餃子単品が¥300だったと気づいて、なんだかだまされたような気分になるというアレだ。

 精一杯好意的に考えれば、今回のケースもそれだったのだということになる。しかしそうすると、枝豆単品の値段が¥280だったということになる。それはちょっと納得がいかない。仮に単品として値段をつけた場合、それはせいぜい、取れて¥200といった代物だった。つまり、セットにすることでかえって高上がりになっているのだ。

 では、その高上がりになった差額分は、いったい何に対して支払われたものなのだろうか。「ビールと枝豆をわざわざセットする手間賃」? せめてこの枝豆が、「ジェノバ風枝豆の香味フリット」みたいな手の込んだものなら、同じ量でも合点がいきそうなものだが……。

 そんな釈然としない思いを抱きながら読んでいたスコット・フィツジェラルドの『夜はやさし』(谷口陸男・訳)の中に、思わず「おお!」と唸りたくなる一節があった。

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 彼は罪の意識を感じた。ちょうど悪夢の中で、おかさなかったとはいえない罪のために責めをうけ、さて目が覚めてみると、実際はおかしていないとさとるような罪の意識を。
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 そういう罪悪感は、たしかに存在する。手が届きそうで届かない、あのもどかしい感覚。そこに手を届かせようとすることこそ、僕が自分の小説で本当にやりたいことなのだと脈絡もなく思った(高価な枝豆をかじりながら)。

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