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2010年10月 3日 (日)

納得できないセット

 1人で買い物に行った帰りに、"Beer"のネオンに吸い寄せられてセルフサービスのイタリアンカフェみたいなところに入った。生ビールをジョッキででも、と思っていたのだが、中ジョッキが単品で¥520のところ、¥800の「ビールセット」というのがあって、「今日のおつまみ」がつくという。どうせならそっちの方が……と思ってそれを注文したら、中ジョッキに小さな小鉢がついてきて、塩ゆでした枝豆がひと盛りだけ添えてあった。

 セットにしたからといって、別にスケールメリットが考慮されて総額がサービスされているわけではない、というものが、世の中にはけっこうある。たとえば、「ラーメン餃子セット」とわざわざ銘打たれているので、きっとお得なのにちがいないと思って注文し、¥800を支払ったところ、後でラーメン単品が¥500、餃子単品が¥300だったと気づいて、なんだかだまされたような気分になるというアレだ。

 精一杯好意的に考えれば、今回のケースもそれだったのだということになる。しかしそうすると、枝豆単品の値段が¥280だったということになる。それはちょっと納得がいかない。仮に単品として値段をつけた場合、それはせいぜい、取れて¥200といった代物だった。つまり、セットにすることでかえって高上がりになっているのだ。

 では、その高上がりになった差額分は、いったい何に対して支払われたものなのだろうか。「ビールと枝豆をわざわざセットする手間賃」? せめてこの枝豆が、「ジェノバ風枝豆の香味フリット」みたいな手の込んだものなら、同じ量でも合点がいきそうなものだが……。

 そんな釈然としない思いを抱きながら読んでいたスコット・フィツジェラルドの『夜はやさし』(谷口陸男・訳)の中に、思わず「おお!」と唸りたくなる一節があった。

***
 彼は罪の意識を感じた。ちょうど悪夢の中で、おかさなかったとはいえない罪のために責めをうけ、さて目が覚めてみると、実際はおかしていないとさとるような罪の意識を。
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 そういう罪悪感は、たしかに存在する。手が届きそうで届かない、あのもどかしい感覚。そこに手を届かせようとすることこそ、僕が自分の小説で本当にやりたいことなのだと脈絡もなく思った(高価な枝豆をかじりながら)。

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