自らに贈る言葉
なにかひとことでも書き留めておこうと思っても、いざとなると言葉にならない。それは、言葉というものそれ自体に、認識を組織し、演出しようとする政治性が内包されているからなのだ(スーザン・どんたく風)。言葉の持つその暴力性を知る者には、容易に言葉を操ることができない。
しかし僕は、まさにその言葉を商売道具にして生きていこうとしているのである。思えば、なんという危うい道に踏み出してしまったものか。高校生の頃に夢想していたそれと現実のそれとは、驚くほど違っていた。それを知るのに僕は、25年もの年月を費やしてしまったわけだ。
粛々と、この道を歩んでいこう。どんなときも平常心を保てること、それこそが、僕がこの25年間をただ無駄に空費してきたわけではないことを証拠立てる唯一のよりどころなのだ。
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