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2011年2月22日 (火)

ガリガリ博士

 高校生の頃、友だちの一人が落合信彦氏の著作の熱烈な読者で、僕にはまったく興味の持てなかった国際的な陰謀話などを会うたびに延々聞かされてうんざりしていたことがあった。興味を持とうとしても無理なので、ただ「へえ、そうなんだ」と聞き流すのが通例だったのだが、ひとつだけ気になっていることがあった。

 彼はリビアの国家元首を「ガタフィ大佐」と呼んでいたのだ。

 国際ネタには疎かった僕でも、「カダフィなんじゃないかな」と疑問に思う程度のおぼろな知識はあったのだが、なにぶん自信がない分野の話だし、本質的に興味もないので、それも結局毎回聞き流していた。

 要するに彼は、「ガタフィ」と最初に間違って覚えてしまったので、その後落合氏の著作で何度、あるいは何十度「カダフィ大佐」という文字を目にしたとしても、脳が勝手に補正して「ガタフィ大佐」と読んでしまっていたということなのだろう。

 その気持ちはわからなくもない。先日このブログで触れた「スーザン・ソクタグ」=「スーザン・ソンダク」と似た理由からだ。「ダク」という音には、日本人はなじんでいる。「濁点」「混濁」といった既成の語があるからだ。しかし「タグ」という音は、日本語の中には存在しない(外来語としての「タグ」を除いて)。

「カダ」も同じだ。「ガタ」なら「ガタガタ」とか「がたつく」、「山形」などの例があるが、「カダ」という音を含む日本語はたぶん存在しないと思う(たとえば「オカダ」という人名にはそれが含まれるが、ネイティブの日本語話者ならこれを無意識に「オカ/ダ」と分節しているはずだから、これは該当しない)。

 人は結局、未知の単語に触れたとき、意識的か否かはさておき、自分がすでに知っているなんらかの語に関する記憶や慣れを援用しながらそれを覚える傾向があるということなのだろう。かく言う僕自身、「カリガリ博士」のことを長らく「ガリガリ博士」だと思い込んでいたくらいなのだから(それはむしろアイスキャンディーの名称にふさわしい)。

 さて、僕が不本意にも落合氏の著作の要約を日々聞かされていたあの頃からすでに四半世紀が過ぎたわけだが、彼はその後、誤りを正す機会をどこかで得ただろうか。それとも、データの書き換えはなされないまま、今でも堂々と「ガタフィ大佐」と言っているのだろうか。

 そしてこのことを思うとき、当時も今もリビアの国家元首でありつづけている大佐が、いかに権力の座に長々と腰を据えているかを思い知らされるのである(一応時事ネタらしい)。

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