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2011年5月25日 (水)

Sense of direction?

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 家の中で追いかけっこをしていると、クーはしばしばこのように全自動洗濯機のドラムの中に逃げ込む(蓋が閉まっている場合は全身で蓋にしがみついて自分で開けようとするが、堅いので開けられず慌てふためいている)のだが、そこで僕がドラムの中に手を伸ばして、ドラム自体を手動で回しはじめると、クーはそれまで逃げていたことも忘れてしまうらしく、なんの疑問も抱かずに、ドラムの中を(回転方向と逆の方向に向かって)歩きはじめる。

 ハツカネズミやハムスターがくるくる回るおもちゃの車の中でちょこまかと走りまわっている、あの要領である。ただ、手動ではそう早く回すことができないので、結果として「歩いている」形になるわけだ。

 しかし、その回転方向は、どちらでもいいわけではないらしい。僕から見て右側に回す分には、いつまででもてくてくと歩いていくのだが、左側に回すと途端に歩けなくなり、湾曲した斜面からボテボテとずり落ちて困ったような顔をしている。回転方向の違いになんの差があるのか、見ている側にはさっぱりわからない。利き腕とか、そういったものに近い感覚なのだろうか。

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2011年5月23日 (月)

そしてやはり乗るクー

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 新しいデスクが搬入された。これまでは諸事情で、パソコンをデスクというよりサイドボードの一種の上に置いて作業していたので、レギュラーサイズのデスクに差し替えるだけでもめざましく快適になった。パソコンを開いたままの状態で、ゲラなどを広げて見ることができるのが嬉しい。今まではそれができなかった。不自由だなと思いながら、デビュー以来ずっとその状態だったのだ。

 経済的な理由からではない。デスクを買うことくらいなら今までもいつでもできた。ただ、そのための時間と気力を工面できなかったのだ。店頭に買いに行くにせよ、ネット通販で購入するにせよ、予算を考慮に入れながら、目的や好みに合致したものを「選ぶ」という行為は避けて通ることができない。それがはてしなく億劫に思えていた。

 欲しいモデルが、部屋の中の想定している位置にちゃんと収まるサイズであるかどうかとか、それを入れたことによってそれまでにはなかった別の不自由が部屋に発生したりはしないかとか、そういったことを検討するのもけっこう骨である。で、買ったら買ったで、いつ搬入してもらうかを決めて、そのときは在宅しているようにしなければならない。

 そういったもろもろのことを考えはじめると、あまりのめんどうくささに気が遠くなってきて、「今度でいいや」と見合わせてしまう。その連続で、何年も経ってしまったのだ。日中はサラリーマンとして働いていた兼業時代は、たかがそれしきのことをするだけのエネルギーをどうしても捻出することができなかったのである。

 今は、黒光りする真新しいデスクの美しさと快適さに酔い痴れている。そしてそのデスクの上にも、やはりクーはさっそく乗っかってみている。なにかがあると乗らずにはいられないのだ。おかげで鏡面仕上げのデスクトップ(本来の意味での)には常に猫の毛が舞っているし、表面には早くも引っかき傷のようなものがついている(どうやら、下から初めて飛び乗った際、表面がツルツルだったのでそのままずり落ちてしまいそうになり、慌てて爪を立てたその痕跡であるようだ)。

 まあ、ものというのはどうせいずれは汚れたり傷がついたりするものである。早めにキズモノになってくれた方があきらめがついて、無用に神経を使わずに済むので助かるといえば助かる。

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2011年5月22日 (日)

「おいしいワイン」

 ソムリエとはいっても、「ヘルシーなワイン(ポリフェノール含有)」とかラベルにわざわざ大書きしてあるような1本378円くらい(しかも透明な1リットル瓶)のクソ葡萄酒ばかりしかつめらしく紹介しているようでは、どう控えめに見てもソムリエとしての役目を果たしているとはとうてい言えないだろう。高速渋滞とは云つても低速だらう(椎名林檎)。前にも言ったと思うが、量は決して質を凌駕しない。ゴミはどれだけ積み上げてもゴミのままである。

 しかしそれをありがたがる人々がいるかぎり彼あるいは彼女は「ソムリエ」として存在しつづけることができるのだ。世の中はすべからく需要と供給なのだ。

 いや、僕はワインの話をしているのではない。

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2011年5月19日 (木)

もはや妖怪の仕業としか

 執筆作業用の新しいライティングデスクを購入することになり(僕は今年に入ってからこの手の支出でざっと20万円ほどは散在しているが、これで一段落つく見通しである)、その納入に伴って机まわりを整理した。

 机の下で、コード・ケーブル類がもはや手の施しようがないほどこんがらがっていることはわかっていたが、何がどうなっているのか自分でもわからなくなっていたので、いつかなんとかしなきゃと思いつつ、忙しさにかまけて目を背けつづていた。こんな具合である。

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 掃除機をかける際、このカタマリを持ち上げるたびに憂鬱な気持ちになっていた。あらためて眺めると、これでよく火災などが発生しなかったものだと思う。外出中にここから発火して、帰宅したときにはクーが黒焦げになっていた(クーはもともと黒焦げっぽい模様だが)なんてことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。近隣の住戸に延焼して賠償金を請求されることなんかより、そっちの方がはるかにつらい。

 そんなわけで、今回、これをがんばってほどき、無理な配線をしているところは整理しつつ、接続の状況がひと目で理解できるようにつなぎ直したのだが、その過程で以下のものがここから除去される結果になった。

(1)ハブ×2個。ともにPCを2台並行して使っていた頃の名残り。うち1個は、ケーブル部分がカタマリの中に巻き込まれていただけで、どこにも接続されていなかった。

(2)外づけFDドライブ。何年も前に使わなくなっていた旧PCの名残り。当時は、ワープロ専用機時代のテキストデータをPCに移行する際にFDが必要だったが、その作業もとっくに完了している。

(3)何に付属していたものだったのかさえもはやわからなくなっているACアダプター。これがただコンセントをひとつ無駄に占拠した状態で、コードだけがからまっていた。

 ちなみに、カタマリの中には、シンセサイザーから延びたMIDIケーブルなど、かつてPCで打ち込みをやっていた頃の音楽関係のケーブルも含まれていた。最後にそんなことをしたのは、もう4年は前のはずだ。どれだけ長いことこの混線状態が放置されていたかが窺い知れる。

 整理が済んでしまうと、なんだ、今必要としているのはたったこれだけだったのか、と拍子抜けしてしまったが、それにしても、こうしたコード類というのは、どうしてこんなにもこんがらがってしまうものなのだろうか。意識的にからませたり織り込んだりした覚えは一度もないのに、だれかが意地悪でわざわざそうしたのだとしか思えないほど、みごとに入り組んだ構造を形成しているのである。

 妖怪「ひも縒り」(※創作)の仕業だろうか。

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2011年5月13日 (金)

プロパーな俺

 インスリンといえばノボノルディスクファーマ、というくらい、糖尿病患者としての僕にとって、デンマークに本社を置くこの会社の名前にはなじみがある。そのノボ社の関連サイトに、患者としての体験談を寄せることになった。

 club-dm.jp 「私の糖尿病生活」

 また、同じサイトの1コーナーである「私のおいしい糖尿病食&低血糖時の補食」にも、自分がよく作る低カロリー食のレシピを1点寄稿している。

 club-dm.jp 「私のおいしい糖尿病食」

 しかしこうしてあらたまって見ると、このレシピ、胸を張れるほど「低カロリー」というわけでもない。栄養バランスのよさには自信があるが、よくよく計算してみると、「そうか、これもカロリーとしてカウントしなきゃならないんだ」という見落としがポロポロと出てきて、総量は自分で思っていたより若干多目になってしまった。まあそういうありがちな「現場の事情」が反映された一例と受け取ってもらえればさいわいである。

 さて、ここでひとことお断りしておかなければならないことがある。この体験談はいずれ「後編」が掲出されるが、前編・後編ともに、原稿を執筆したのは去年の秋口のことである。諸事情があって発表まで間が空いてしまったのだが、その間に僕自身をめぐる状況に変化があった。

 これらの原稿は、あくまで、「サラリーマンと兼業している作家」である糖尿病患者としての立場で執筆したものだ。特にいずれ掲出される「後編」には、質問項目との兼ね合いで、その点に直接言及している箇所がある。

 しかし実を言うと僕は、今年の1月いっぱいをもってそれまで勤務していた会社を辞め、2月からは作家専業になっている。原稿執筆段階では、そんな近い将来に立場が変わることなど考えてもいなかった。原稿が固まってから、急激に事態が変化してあれよという間に退職が確定してしまったのである。

 そんなわけで、この体験談の記述内容には、若干、現在の僕自身とは一致しない部分も含まれているということを、一応お伝えしておくべきだと思う。

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