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2011年7月31日 (日)

人間サマより優秀

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 昨夜、というかほとんど今朝、東北および関東地方の一部で比較的大きな地震があった。そのとき、僕はまだ原稿執筆中で、書斎で机に向かっていた。念のために言っておくが、毎晩そんな時間まで仕事をしているわけではない。たまたまケリがつかなくて、気がついたらもう朝が近づいており、自分でも困ったなあと思っていた矢先だったのだ。

 3・11以後の相次ぐ余震で、少々の揺れにはもう慣れっこになっていたものの、ここのところ大きな揺れがなかった上に、健全な人々はみな寝静まっているはずの時間帯のできごとだっただけに、なんとなく不意打ちをされたような感じで、とっさにどうすればいいかがわからなかった。

 震災発生当日の大きな揺れで本棚が倒壊したこともあって、その後、余震が来れば問答無用にリビングに移動して様子を見る癖がついていた。マンションの中でいちばん広々としていて、倒れるようなものもなく、いざというときに潜り込むための食卓もあるからだ。

 しかし、すでに喉元を過ぎてあの頃の危機意識も薄れつつあったのか、昨夜の僕はすっかりその癖を忘れ、ただ「ああ、揺れてる」と思いながら椅子に腰かけつづけているだけだった。そのとき、視界の下の方でなにが動く物体があった。

 見ると、本棚の手前で丸くなっていたクー(深夜、僕が仕事をしている間は、なんだかんだでそばにいようとするので)が不意に立ち上がり、タタタタ……と部屋を出て行くではないか。その姿を見た途端に、僕は思い出した。そうだった、あの頃は揺れが来ると、あるいは緊急地震速報のサイレンが鳴ると、クーも含めて一家総出でリビングに移動していたではないか、と。

 ほどなく、すでに就寝していた妻も寝室から出てきたのだが、その頃には、クーはリビングの食卓の下に移動してじっとうずくまっていた。やはり、どう考えても「訓練ができている」としか思えない。しかも、早くも要領を忘れてしまっている人間サマよりむしろ優秀ではないか。

 揺れがあらかたおさまると、クーは「やお〜ん」と鳴いて伸びをしながら椅子の下から出てきて、のんきそうに僕の書斎のもとの位置に戻った。この機敏で適切な行動を見習わなければと思った。

 ちなみに画像は、一夜明けて今日の昼下がり、寝室で寛いでいたクーの姿である。半醒半睡の状態でいつものように目を見開いていないので、あまりアホっぽくは見えないどころか、なにら思索深げにすら見える。いや実際、地震に対する身構えという点で言えば、われわれがこの猫をアホだとかバカだとか評することは決してできないのである。

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2011年7月30日 (土)

ビールの何がウマいのか

 1ヶ月以上に及んだ不調の間、ほとんどの期間はアルコールを口にする気にもなれずにいたのだが、ちょっと調子がいいと、ときどき夕食の際などに缶ビールを1本だけためしに飲んでみたりした。ビールがウマいと思えれば回復したと実感できるからだ。

 ところがこれが、ちっともウマくない。飲めなくはないが、ウマいと思えないので飲み進めるのも楽しくなく、残りはなんとなく義務で飲み干すような形になっていた。今回の不調はもともと喉の炎症が元凶であり、炎症が舌のつけ根にも広がっていたため、味覚の一部が損なわれていた。それもあって、よけいにウマくないと感じていたのだろう。

 どうウマくないのかというと、なんだか変に酸っぱくて苦いのである。酸味も苦味ももともとビールに含まれているものだが、それを含んでいても総合的にウマいと思えるからそれまでは好んで飲んでいたわけだ。

 しかし想像するに、このときの僕は、辛味とか甘味とかエグ味とか渋味とか、その他うまく言語化できない微妙なものも含めて、いくつかの味覚がオフの状態になっていたために、ビールという飲み物の中で特に突出している酸味と苦味ばかりを感じる結果になっていたのではないかと思う。

 昨夜は久々に外でかなりの量を飲んだ。味覚が完全に復活したとはまだ言えない状態ではあるが、生ビールの中ジョッキだけでもたてつづけに4杯飲めたし、ウマいと思うこともできたので、もう9割がたは回復したと考えていいだろう。

 それにしても、健康なときにはまったく意識しないことだが、われわれの味覚というものがいかに複雑に構成されているものかということを、今回、思い知らされた。ビールのウマさひとつ取っても、では日ごろはどんな要素をもってウマいと感じているのかということを、いざとなるとうまく説明できない。

 そしてビールにかぎらず、ウマいと思えないものを口に入れるのがどれだけの忍耐力を必要とするのかということも、今回、骨身に沁みてわかった。ありきたりな結論だが、まったくもって、健康ほどかけがえのないものはない。

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2011年7月29日 (金)

Love is the mystery, のtheの意味がわからない

 うるさいなーもう。悪かったよ。あなたが期待するものを僕は提供できなかった。ということでしょ? でもね、どうでもいいんですよそんなことは。僕は最初からそんなところは見てないんですよ。興味ないんですよそんなところには。

 謎解きとか、正直どうでもいいし。それ以外のところを僕は見てほしいのに、それ以外のところはあなたがたにとって夾雑物でしかないという。永遠にわかり合えないですね。さようならごめんなさい。

 謎解きがそんなに大事ですか? じゃあ一生それをやっていればいいでしょう。ほかに見るべきものが山のようにある中で、謎を解くという単一の目的を果たすために何も見ず何も感じずにただ謎だけ解いて満足していればいい。

 謎なんて、あなたが謎だと思っている以外のところに山のようにあるでしょ? それを見ずしてどうして謎が語れるのか僕にはわからない。あなたのその態度こそが僕にとっては永遠のミステリーです。いや、「ミステリ」と言うべきですかね。

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2011年7月27日 (水)

病すれば鈍する

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 病床にあるとき、薬を飲むために水を入れたコップを、そのまま放置していることがよくあった。食事のたびごとに水が必要になるわけだが、その都度コップや中身を換えるのさえも億劫で、前に飲んだ残りをそのまま口にしたりしていた。

 ところがあるとき僕は、クーがこのようにして食卓に上り、コップに頭を突っ込んで、底の方に残っている水をゴブゴブ飲んでいる姿を目撃してしまった。クーは決まったところからしか水を飲まないと思い込んでいたが、どうやらそうではなかったらしい。そして僕はどうやら、何度かは同じコップの水をクーと共有していたらしい。

 どれだけクーを溺愛しているといっても、僕はこうした衛生面に関してはけっこう神経質で、ふだんならおおいに気にするところなのだが、ここしばらくはそれがどうでもよくなるくらい具合が悪かった。悪酔いして吐きそうになっているときに似ている。そういうときは、居酒屋のトイレの床にへたり込んで、便座に頬を押しつけるようにしていても、汚いなどとは感じなくなっている。基本的にはそれと同じだ。

 今、クーが僕の口のまわりをベロベロ舐めたとしたら、僕は決して口を開かないようにして即座に洗面所に向かい、その部分を洗ってから初めて口を開くだろう。その程度には回復したということだ。

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2011年7月25日 (月)

寝たきり中年

 ここひと月ほど、喉風邪にやられて寝たり起きたりの生活だった。たいした風邪ではなかったのだが、自己治癒力がすっかり枯渇してしまっていたために、異様に治りが悪かったということらしい。2月からは作家専業になっているが、それまでの6年間に及ぶ過酷な兼業生活のツケが今ごろ回ってきたといったところか。

 いっときは、唾を飲み込むたびに喉の奥と耳の奥に激痛が走るほど炎症がひどくなっていて、それではものも食べられないし夜も眠れないので、おのずと鎮痛剤を濫用することになる。それ以外にも抗生物質やステロイド剤など強い薬剤を使っていたので、喉の痛みがあらかたおさまる頃には、胃の粘膜がボロボロになっていた。

 そのせいで今度は何を食べようとしても胃が受けつけず、1回の食事にリンゴ半分とかキウイフルーツ1個が限界、という日々がしばらく続いた。しかも夜は、胃酸が出て粘膜を削り取っているのか、胸焼けがしてまともに横になっていることもできない。おかげで短期間に体重が5kgも減ってしまい、このままでは衰弱死してしまうのではと危ぶまれる状態だった。

 そこで今度は、胃の粘膜や消化機能を修復する方向で治療を進め、ようやく平常時の7がけ程度は食べられるようになったが、そのかわり、食後に異様にだるくなるという別の症状が現れた。

 ちょうど消化が始まるくらいのタイミングから、ひどいときには3時間くらいにわたって、全身の倦怠感に見舞われ、まともに体を起こしていることすらできない。食事のたびごとにそれでは、1日のうちまともに稼働している時間がほとんどない、ということになってしまう。

 どうやら、体力が落ちている上に胃の機能もまだ回復しきっていないので、消化が始まると、体の全エネルギーがそこに充当させられてしまう結果らしいと思われた。ひきつづき、胃の機能を取り戻すための薬を飲みながら、あとは体力が自然に回復するのを待つしかない、という状況になった。

 そしてこの1週間ほどで、食後の倦怠感もしだいに時間が短くなり、あれを食べたい、これを食べたいという具体的な食欲もようやく回復してきた。数日前には、突然揚げ物が恋しくなり、フライドポテトや鳥の唐揚げなどを貪り食った。2週間前には、揚げ物など想像しただけで吐き気に見舞われていたので、そのことを思えばたいした回復ぶりである。あとひと息というところだろう。

 そんな中、僕の短編が収録されたこんなアンソロジーが刊行されていたのだが、紹介する元気もなく時だけが過ぎていってしまった。

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 日本推理作家協会編集で毎年1回出されている「ザ・ベストミステリーズ」の2011年版である。去年の秋に「野性時代」に掲載された短篇『棺桶』が、このラインナップの中に選ばれた。錚々たる面々の中に混ぜていただき、恐れ多いかぎりだ。

 この『棺桶』という作品は、掲載時にはピンの短篇として発表され、事実短編としての完結性も持ってはいるが、同時に長編小説の第1章としての役割も持っている。長編小説の方は、今年の10月ごろには単行本として刊行される見通しである。デビュー以来7年にしてようやく辿り着けた、「ラスマン直系」と言っていい作品である。

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