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2011年8月23日 (火)

真綿で首を絞める(誤用)

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 病院からもらった薬を1日2回、3日にわたって与えたら、クーの左耳の赤みは驚くほどあっけなくほぼ消え去ったように見えた。そこで、先生に指示されていたとおり、1日1錠に減らしてみたが、そうするとまた赤みが戻ってしまうので、再び2錠に戻している。あと一歩というところなのだが、最後に残ったわずかな赤みがなかなか消えない。

 ただ、クーに薬を飲ませるのはたいへん楽である。

 先代の無為は、僕が薬を手に持った時点でこちらの意図を察して逃げまわり、ようやく掴まえても抵抗して暴れるのでたいへんだった。妻と2人がかりで押さえ込んでむりやり口をこじ開けるのだが、薬を口中に投じようとすると、今度は口の入口付近で舌をバタバタと激しくはためかせ、薬を弾き飛ばしてしまう(それを見るたびに、意外と知能犯だなと感心させられたものである)。

 何度もやり直しているうちに、錠剤の糖衣は溶けてベトベトになってくるし、そうすると味も苦くなるので、無為もよけいに口に入れるのを激しく拒むようになる。そんなこんなで、かつては薬1錠飲ませるのに毎回ひと騒動だったのだが、クーについてはそういう苦労がほぼ皆無である。

 飲むこと自体はいやがるのだが、まず仰向けにだっこしてゴロゴロいいだすのを待ってから、一気に口をこじ開けて喉の奥にポトンと錠剤を落とせば、一瞬、いやそうな顔で目を閉じるだけで、次の瞬間にはもう嚥下しており、ひきつづきゴロゴロいっている。

 薬を飲ませられるという苦痛自体が、「だっこされて嬉しい」という状態の中にくるみこまれてしまっているわけだ。だっこするとほぼ無条件にゴロゴロ喜ぶという扱いやすい性格であることがさいわいしているのだろう。無為は、抱かれること自体を好まなかった。だっこしても喜ぶことはなく、ただがまんしているだけだった。

 そんなわけで、クーは変わらず元気である。画像は、僕が雑誌掲載原稿のゲラの戻しをFaxで送っている間、音を立ててFax機の中を通過していく紙に心惹かれてじっと見守っているところだ。

 このFax機を導入した当初は、出てくる紙を片っ端から引っ張ったり噛んだりして穴だらけにしてしまうので往生したが、何度か叱ったらそれはやらなくなった。それでも、紙がゴトゴトと出てくるさまは、気になってしかたがないらしい。

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2011年8月18日 (木)

シュガーな犬

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 クーの左耳を光にかざすと、赤い斑点状のものがいくつか点在していることに気づいた。本人は特に痛がったり痒がったりしている様子もないが、なにか悪い病気だったらイヤだと思って、何年かぶりに動物病院に連れていった。

 診断としては「血管炎」だという。犬がかかるケースがほとんどで、猫にはめずらしいそうだが、血流が局所的に停滞して炎症を起こすという、要はしもやけみたいなものだ。命に別状はないが、放置しておくと血管の周囲の組織が壊死を起こし、最終的には耳がヨレヨレになったりボロボロになったりしてしまうという。

 クーの耳がボロボロになるなんてとても耐えられない。猫は耳がかわいいのだ(その他のパーツも全部かわいいけど)。

 原因は特定できないけれど、対症療法的には治すことが可能だということで、とりあえず、薬を飲ませて様子を見ることになった。

 それはそれとして、病院には午後3時に予約を取っていたので、早めに動こうと思ってタクシーで10分くらい前に乗りつけたら、早すぎたらしく、入口が閉まっていた。午後の診療自体が3時スタートだったのだ。しかたなく、入口脇のベンチに腰かけて待っていたら、見知らぬおじいさんがケージの中を覗き込んで、「猫ちゃんだね」と声をかけてきた。

 その人自身はペットを連れていないのだが、なにか注射針のようなものを大量に入れたビニール袋を手にしているし、僕と同じく、入口が開くのを待っているようである。やがてなんとなく世間話が始まって、彼の飼っている犬が糖尿病であるということがわかった。注射針はインスリンを打つのに使用したもので(※使用済みの針は医療用廃棄物として薬局や医療機関などに引き取ってもらう必要がある)、今日は薬だけ買いに来たのだという。

「実は僕、自分が糖尿で、インスリン打ってるんですよ」と言ったら、「でもお兄さんは3割負担で済むでしょ? 犬は保険がきかないからねー、年金じゃとても払い切れないよ。俺自身の医療費なんて月2千円かそこらなのに」。なんでも、与える食事もカロリーコントロールがなされたもので、それもまたべらぼうに高いのだそうだ。普通のドッグフードの10倍くらいはするらしい。

 やがて入口が開いたので僕たちは一緒に待合室に入ったのだが、診察室に呼ばれるのを待っている間に、おじいさんの方の用事は済んでいた。インスリンの使い捨て注射器2本(それで1ヶ月ももたないという)と箱入りの替え針を受け取って、2万なにがしの代金を支払っていた。

 その瞬間、横目でチラ見したところ、彼が受け取っている注射器は、僕が使っているものとまったく同じだった。「あ、同じなんだ」と思った。そして、犬の場合、仮に低血糖になったらどう対処するのだろう、と心配になった。まあそれより心配なのは、おじいさんの世帯の財政状況なのだが。

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2011年8月 8日 (月)

殿様会計

 先月の頭、まだ喉の炎症がひどかった頃、某大学病院の緊急外来にかかったことがある。よりによって日曜の夜に痛みが耐えがたいレベルに達し、調べたところ、耳鼻咽喉科で急患を受けつけているところが近場ではそこしかなかったからだ。

 診療費はその場で清算していたのだが、2週間ほどして電話がかかってきた。なにやら要領を得ない感じの中年男性の声で、「検査費」だかなにかの¥1,800が未払いになっているので、今度来たときにでも会計の何番で支払ってほしい、という趣旨のことを言われた。

 どう考えても先方のミスによる請求漏れである。そのためにわざわざ時間を作り、交通費を払ってまで窓口に行く義理はないと思ったのだが、その時点で僕は、近々紹介状をもらってその大学病院にあらためてかかり直すことを考えていた。それに、その頃の僕はまだ寝込みがちで、細かいことを電話であれこれ話す元気もなかったので、近いうちに診察を受けに行くからそのときお支払いしますと答えて電話を切ってしまった。

 しかしその後、病状が目に見えてよくなってきて、結局その病院に再度行く可能性がほぼなくなってしまった。そうなるとやはり、そのためだけにわざわざ窓口に行く気にはなれない。そうこうするうちに月も変わってしまっていたので、銀行振込かなにかで済ませられないか確認してみようと思って、今日、電話してみた。

 最初に電話をかけてきた要領を得ない感じの中年男性の名前も控えそこねていたので、外来会計に回してもらって電話に出た中年女性に経緯を説明しはじめたところ、こんなやりとりになった。

「そちらにかかったのは7月3日なんですが」
「本年の1月3日ですね」
「いえ、7月です。1月ではなくて」
「お名前は? どちら様ですか?」
 (※カブッている)
「ヒラヤマミズホと申しますが、あの、7月ですよ? 1月じゃなくて」
「ヒラヤマミズホ様ですね、お待ちくださぁい」
 (※後半にカブッている)

 聞いちゃいねえ。しかも、保留ボタンを押すつもりで間違えたらしく、この直後に「プツ……プーップーップーッ」となった。その時点で僕はキレて、二度とこちらからは電話をかけてやるまいと思った(その後、向こうからはかかってこなかったので、月を間違えていたためにどの患者か特定できなかったのだろうと思われる)。だいたい、もともとこっちの落ち度ではないのだ。本当に困ったらまた連絡してくるだろう。

 大学病院というのは、診療の方はたいへん頼りになるのだが、殿様商売だからなのか、いったいに事務がお粗末な場合が多い気がする。

 あと、(これはまた別の大学病院の話だが)診察が長引いて、その日の会計の締めに支払いが間に合わなかった場合などに、郵便局で依頼する電信ナントカみたいな、聞いたこともない支払い方法を指定するのもやめてほしい。

 そのときは郵便局の局員ですら、そのための専用端末らしきものものしい機械を前に、マニュアルを見ながらものすごく時間をかけて処理していた。きっと、それで振り込んでほしいという依頼がめったにないのだろう。どうしてそんなものが唯一の支払い方法に指定されているのか、理由がまったくわからない。

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2011年8月 3日 (水)

求めよ、しかるに与えられざらん

 高校生の頃、すべてを悲観し、人生に絶望していた僕を救ったのは、意外なことに新約聖書のひとこと、「求めよ、さらば与えられん」だった。正確には、それに続く「門を叩け、さらば開かれん」だろうか。自分は求めること、受け入れてくれることを求めて門を叩くことさえしていなかったと悟ったのだ。

 しかし実際のところ、求めても得られないことの方が圧倒的に多いのが世の中である。目の前に立ちはだかる不如意の諸相を前に、われわれはなすすべもない。

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2011年8月 2日 (火)

猫の白目

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 妻が片づけものをしているそのかたわら、空いた段ボールの中にさっそく入ってみているクー。明度や露出などをだいぶ補正してなんとか姿かたちがわかるようにしてあるが、もともとはほぼ目玉の黄色い部分しか見えない画像だった。

 飼い主ですらときどき錯覚してしまうことだが、猫の目の黄色い部分は人間で言う黒目に当たる部分であり、黒く見えている部分は瞳孔である。明るいところではヘビの目のように細長くなってしまうのはそのせいだ。クーはよく、周囲の明るさとは無関係に瞳孔を開きっぱなしにしているので「黒目がち」に見えるが、本当は常に黒目がちというか、もともとほぼ黒目部分しか外に出ていないのである。

 そのことが意外と知られていないらしいとあるとき知って驚いたが、まあ猫に興味がない人ならそんなものかもしれない。

 ちなみに、猫が横の方を見ているときに、反対側から覗き込むと、本当の「白目」がちょっとだけ覗くことがある。白目に当たる部分は猫でも普通に白いが、たいていはちょっと血走っていて、あまりかわいくない。それが見えてしまうたびに僕は、「見なかったことにしよう」と思うのである。

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