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2011年9月18日 (日)

3つの報告

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【報告その1】先月なかばごろ血管炎を起こしていたクーの耳は、実はとっくに完治している。最初にもらった2週間分の薬は、血行を促進するというビタミンEであり、それで様子を見て治らないようならステロイド剤を試してみようといわれていた。2週間経って薬を完全に使い切ったあたりで赤みは完全に消え、その後、再発もしなかった。

 いちばん簡単な薬で、しかも病院でもらった分をちょうど飲み切るあたりで狙い澄ましたみたいに完治するなんて、なんという素直な体なのだろうと思った。その2週間、クーは毎朝毎晩薬を飲まされつづけていたわけだが、途中でこちらのたくらみに気づいて仰向けにだっこされることをいやがるようなこともなく、最後の頃はむしろ「そういうものだ」と受け入れているようにさえ見えた。まったくもってラクな猫である。「ラク」という名前でもよかったかもしれないくらいだ。

【報告その2】「小説トリッパー」の秋号に、僕の長編小説『出ヤマト記』の第2回が掲載されている。これを書くために、小学校時代の夏休みのことやアゲハチョウのことや当時親友だったが今はまったく交流のないM島くんのことなどを思い出していた。

 小説トリッパー

【報告その3】前回の記事で、「僕に関するWikipediaの記述をだれか直してくんないかなー」と言わんばかりの物欲しげな態度であんなことを書いてしまい、あとから「あれでいつまでも誰も直してくんなかったらみっともなさすぎるなー。あんなこと書くんじゃなかったなー」と悔やみはじめていたところ、某知人が協力を申し出てくださり、あっけなく解決した。感謝。

 ちなみに父「平山城児」については、すでに一度、だれかが経歴等について細かい加筆をしたようだ。ほほう。

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2011年9月13日 (火)

項目になった父

 父・平山城児の名が、突然、Wikipediaに項目として出現していたので驚いた。作家・平山蘆江の孫であることや、息子が僕であることに触れているのはともかくとして、典型的な「俺はまだ本気出してないだけ」((c)青野春秋)な人間で、生涯ついになにごともなしえなかった父親(つまり僕にとっては祖父)・平山清郎の名や、その職業(と呼べるほどの働きをこの人はしていないのだが)まで明記してあるのには恐れ入った。

 Wikipedia「平山城児」

 ざっと見たところ、間違ったことは書かれていないように見えたが、かなり詳しいだけに、公表していない事実なども含まれているのではないかという点が少し気にかかった。実家にはパソコンというものが置かれていないので、プリントアウトしてFaxで送り、本人に読ませてみたところ、特に問題はなさそうだった。ただし、「大正大学のことが書いてないな」とは言っていた(父は立教大学を定年退職した後、大正大学に常勤で5年間勤務している)。

 また父は、こうして自分が百科事典的なものに記載されていることを、「なんだか不思議な気がする」と言っていた。その気持ちは、僕にもよくわかる。ただ僕は、「現在も会社勤務の傍ら、執筆活動を続けて」はいない。Wikipediaのその記述が気になってしかたがないのだが、自分で記述を書き換えたり追加したりすることだけは絶対にするまいと思っているので、がまんしている。

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2011年9月11日 (日)

その瞬間の記憶

 図抜けてショッキングな事実を知ったときは、それを知った瞬間の状況まで長期にわたって記憶している確率が高い、といった内容の記事をどこかで読んだことがある。まさにそのとおりであり、10年前、「それ」を知った瞬間のことを、僕は今でも鮮明に覚えている。

 今住んでいるマンションに引っ越す直前の時期だった。小さな沓脱ぎの先の玄関ドアを開けると、庇も何もなくいきなり外、というアパートだった。おかげで、ドアを薄く開けて手を伸ばしさえすれば、外の郵便受けから新聞を取り込むこともできたのだが、朝は慌ただしいので、朝刊は先に家を出る僕が出がけに郵便受けから引き抜いて食卓に放るのみで、会社から帰宅するまではトップ記事の大見出しにさえ目を通さないのが普通だった。

 しかし、その日は違った。一面に掲げられた巨大なカラー写真と巨大な大見出しが、いやおうなく目に飛び込んできたからだ。

 思わず「えっ……?!」と大声を出しながら紙面を数秒間凝視してしまったことを覚えている。「どうしたの?!」と驚いて近づいてきた妻に、僕は言葉もないまま新聞を手渡した。2本の超高層ビルが炎上しているその写真が、現実に起こったことなのだというのが信じられなかった。それがあまりにも、ハリウッド製SF映画の一場面に酷似していたからだ。

 当時は(今も基本的にはそうだが)テレビを観るという習慣がほとんどなかったので、僕にとってはそれこそが第一報だったのだ。その点は妻も同じで、僕同様、「えぇっ?!」と叫んだきり言葉を失っていた。もっと詳しく知りたい、と激しく思ったが、すぐにでも駅に向かわないと確実に遅刻する時間だった。あのときほど、新聞の見出しにうしろ髪を引かれる思いに駆られたことはない。

 あれからもう10年も経っているのだという事実に、少々愕然とさせられている。すでに、あの事件をリアルタイムで経験していない世代が小学生くらいになっているということではないか。「未曾有のできごと」というのも、こうして少しずつ歴史のひとコマとなっていくわけだ。

 それを知った瞬間のことをまざまざと覚えているという意味で、この10年であれに匹敵するものといったら、それこそ半年前の震災くらいしかない(もっともあれについて言えば、僕はそれを「知った」というより、リアルタイムでその場に居合わせてもいたわけだが)。東北地方を津波が襲う悪夢のような映像をテレビで観ているときに覚えた、「これは本当にこの日本で今現在進行中のできごとなのか」という感覚は、9・11の第一報に触れたときのあの非現実感とかぎりなく近いものだった。

 しかしその震災についてもまた、やがて「それをリアルタイムで経験していない世代」が生まれ、育っていくことになるのである。その世代の人々は、「9・11」と「3・11」をつなぐ日付上の奇妙な暗合を、どう捉えるのだろうか。

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2011年9月 8日 (木)

Acquiredな計画性

 連載原稿やら、スポットの短篇やら、書き下ろしの途中経過報告やら、新連載のプロットやら、5つの〆切が先月末から2週間の間に集中していた。おそらく、兼業時代から通して最も仕事が立て込んでいたミゾウユーの(古い)ヤマ場だったと思う。

 もちろん、定められたそれぞれの〆切にバカ正直に照準を合わせてすべてを進めていたら物理的にパンクすること必定なので、一部を前倒しにしたり、一部をデイリーで切り替えて並列処理的に少しずつ進めたり、と調整して、絶対に間に合うであろうスケジューリングのもとに進めていたわけだが、それでも「本当に全部こなせるのかな」という不安が常に隣り合わせだった。

 それがつい先ほど、一応すべて完了した。しかも、想定していた完了日より3日も早く上がってしまい、やや拍子抜けしている。なお、今年の誕生日はその渦中にあったわけだが、それはそれでちゃんと妻に銀座で寿司をごちそうになったりしている。それも含めてのスケジューリングだったわけだ。今後、何度もこういうヤマ場をこなしながら、少しずつ自信をつけていくことになるのだろう。

 しかし考えてみれば、僕のこの計画性は完全に後天的なものであり、学生、いや、社会人初期くらいまでの頃は、むしろいつも行き当たりばったりで、しょっちゅうなにかが間に合わなかったり、その結果しばしば修羅場を迎えたりしていたのだ。いつ、何がきっかけでこんなに計画的になったのか、そのいきさつをどうしても思い出せない。

 大学4年のとき、こともあろうに採用試験に15分も遅刻したことがある。担当官は笑って許してくれたばかりか、その会社はその後2度の面接を経て内定までくれた(結局、そこには行かなかったが)。

 当時は、「試験に遅刻するなんて普通に考えて言語道断で致命的なのに、それを見逃すとはなんて太っ腹なんだろう」と思っていたが、意外とそういう部分というのは後づけでどうにでも矯正できるものなのかもしれない。そしてあの担当官は、あの時点でそれを見抜いていたのかもしれない、と今になって思う。

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2011年9月 1日 (木)

絶筆した作家は「元作家」なのか

 NHKで、地震予知研究の先駆者である今村明恒という人のことが紹介されていた。この人のこと自体、僕はそれで初めて知ったのだが、気になったのは、彼のことをナレーションで必ず「今村元教授」と呼んでいたことだ。

 もしもこの人が現在も存命の人物であり、なおかつすでに退官・退職して教授ではなくなっているのなら、そう呼ぶのもわかる。しかしこの人は1870年生まれ、もっぱら明治から昭和初期にかけて活躍した人物であり、1948年には亡くなっている。もはや「歴史上の人物」と言っていい存在だと思う。そういう人の役職や資格を表す称号に「元」をつけるのは、はたして適切なのだろうか。

 もちろん厳密には、この人にも「元教授」であった時代はある。退官してから亡くなるまでの間だ。そして亡くなった時点では、つまり「最終的な肩書き」を強いて取り上げるなら、この人はたしかに「元教授」であったわけだが、現代から振り返ってそういう人のことを呼称する際に、「元教授」という肩書きをつけることには、ものすごい違和感がある。

 それを言うなら、たとえば合衆国大統領だって、任期があって最終的には退くものなのだから、(在任中に亡くなったとかいうことでもなければ)亡くなった時点では「元大統領」である。理屈としては「教授」と同じだ。

 しかし、トルーマン大統領のことを「トルーマン元大統領」などと呼んでいるケースには、いまだかつて一度もお目にかかったことがない(退任後、存命中の期間であれば、そういう報道もあったかもしれないが)。当然である。歴史を語るときには、「歴史上の現在」においてその人がどういう立場にあったかということを基準に呼び名を選択するものだからだ。

 しかし、相手は天下のNHKである。もしかしたら、今まで僕が気づいていなかっただけで、こうしたケースでは必ず「元」をつける、という確固たる社内規定があるのかもしれない(どれだけ変だと言われようと、teamを「チーム」ではなく「ティーム」と発音させることにあくまで固執しつづけているように)。

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