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2011年9月 1日 (木)

絶筆した作家は「元作家」なのか

 NHKで、地震予知研究の先駆者である今村明恒という人のことが紹介されていた。この人のこと自体、僕はそれで初めて知ったのだが、気になったのは、彼のことをナレーションで必ず「今村元教授」と呼んでいたことだ。

 もしもこの人が現在も存命の人物であり、なおかつすでに退官・退職して教授ではなくなっているのなら、そう呼ぶのもわかる。しかしこの人は1870年生まれ、もっぱら明治から昭和初期にかけて活躍した人物であり、1948年には亡くなっている。もはや「歴史上の人物」と言っていい存在だと思う。そういう人の役職や資格を表す称号に「元」をつけるのは、はたして適切なのだろうか。

 もちろん厳密には、この人にも「元教授」であった時代はある。退官してから亡くなるまでの間だ。そして亡くなった時点では、つまり「最終的な肩書き」を強いて取り上げるなら、この人はたしかに「元教授」であったわけだが、現代から振り返ってそういう人のことを呼称する際に、「元教授」という肩書きをつけることには、ものすごい違和感がある。

 それを言うなら、たとえば合衆国大統領だって、任期があって最終的には退くものなのだから、(在任中に亡くなったとかいうことでもなければ)亡くなった時点では「元大統領」である。理屈としては「教授」と同じだ。

 しかし、トルーマン大統領のことを「トルーマン元大統領」などと呼んでいるケースには、いまだかつて一度もお目にかかったことがない(退任後、存命中の期間であれば、そういう報道もあったかもしれないが)。当然である。歴史を語るときには、「歴史上の現在」においてその人がどういう立場にあったかということを基準に呼び名を選択するものだからだ。

 しかし、相手は天下のNHKである。もしかしたら、今まで僕が気づいていなかっただけで、こうしたケースでは必ず「元」をつける、という確固たる社内規定があるのかもしれない(どれだけ変だと言われようと、teamを「チーム」ではなく「ティーム」と発音させることにあくまで固執しつづけているように)。

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