« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月24日 (木)

3・15卒業闘争

111124_004601

 発売はまだ少し先で月末くらいだが、著者見本が届いているので、早めに予告をしておこうと思う。僕の13冊目の単行本、『3・15卒業闘争』である。

 多言は弄すまい。ただあえてひとつだけ言おう。この小説は、たぶん僕にしか書けない。

 ラスマン支持派の皆さんに対しては、ここまで遅くなったことを心からお詫び申し上げたい。個人的には、遅すぎたと思っている。せめてあと3年、理想的には5年早く、僕はこうした本を世に出すべきだったのだ。一部の方はすでに、痺れを切らして離反されてしまっているかもしれないが、どうか思い出して再び目を向けてくれれば、と祈るような思いでいる。

 それ以外の人は、どうか虚心坦懐に手に取ってみてほしい。「読んだことがない種類の小説だ」と感じていただける確率はかなり高いと思う。得体が知れなくて不安だという向きには、オビにもある「異形の学園サスペンス」という文言を参考にしていただきたい。決して間違ってはいない。

 表紙イラストは、田中達之さんである。『ラス・マンチャス通信』の単行本の表紙もこの人だが、あれはありものを使わせていただいたという経緯だった(それにしては、あまりにも作品の内容とイラストの世界が酷似していたので驚愕したのだが)。今回は、描き下ろしをお願いした。この不穏さ、セピアでどこかノスタルジックな雰囲気、非の打ちどころがない。

|

2011年11月21日 (月)

ある虫の知らせ

111021_081903

 猫はなぜ、箱に入るのがこんなにも好きなのだろうか。これは靴の空き箱で、サイズ的にクーの方がわずかながら体積が大きく、側面がたわんでしまうのだが、それも意に介さず、しょっちゅう自分からここに入っては、何が嬉しいのかゴロゴロいっている。蓋をかぶせてやるともっと喜ぶ。そのまま立ち去って数分間別のことをしてから戻ってくると、まだ蓋を載せた箱の中でゴロゴロいいつづけていたりする。

 それはそうと、僕はそろそろ予告をしなければならない。いろいろな事情が重なって、ちょうど1年間のブランクが空いてしまったが、今年最初で最後の単行本が、今月28日に角川書店から刊行される。先月出る予定だったのが延期された、『3・15卒業闘争』である。

 これは、僕が作家専業になって最初に脱稿した書き下ろし作品でもある。最初のおよそ3分の1は兼業時代に書いたものだが、残り3分の2は、今年1月末に勤め先を辞めてから1ケ月ちょっとの間に、怒濤の勢いで書き進めている。そして、まもなく脱稿、というとき、僕はなぜか突然、「もしも今大きな地震が起きて、このパソコンがオシャカになってしまったらどうしよう」と心配しはじめた。

 普段の僕はけっこうズボラで、執筆中の原稿のバックアップを取ったりすることはまずない。ところが、このときだけは違った。どういうわけか不安でたまらず、脱稿間際の原稿をUSBメモリにコピーして、少しだけ安心した。2日後、原稿は無事、完成した。当然、バックアップの方も、データを更新しておいた。そして善は急げと、角川の担当者さんにとっととファイルを送信してしまった。そうすれば、最悪、仮にこっちのデータがバックアップもろともダメになってしまったとしても、送信先の角川にはコピーがひとつ残ることになるからだ。

 これだけ念を入れておけば大丈夫だろう、とようやく胸を撫で下ろしたのが、3月10日のことだった。

 翌日の午後2時46分ごろ、書斎の本棚のひとつが倒壊し、その上に載せてあった重たい段ボール箱が、開いたままのパソコンのキーボードを直撃した。結果としては、保存していたデータが破損するようなことにはならなかったが、「バックアップを取っておかなきゃ」と急き立てられたあの胸騒ぎは、まさに虫の知らせ以外のなにものでもなかったのだな、と今でも思う。

 そんなに前に原稿が完成していたのに、本になるまでどうしてこんなに時間がかかったのか。そこには例によって、「大人の事情」というやつがいろいろある。ありすぎて困るほどある。だからそれについてあえて詳しく触れることは控えておくが、目の前に立ちはだかるそうした数々の大人の事情をかいくぐり、この作品の刊行がこうして確定したことは、奇跡に近いことだと僕は思っている。

|

2011年11月16日 (水)

You must not come now

 メーテルは、ああいう人(人なのか?)なので実年齢は途方もないとして、見かけの設定年齢は何歳くらいだったのだろうか。あの物腰、どんなに若く見積もっても30歳は軽く超えているように思われるのだが、1970年代当時の水準を考慮すれば、「20歳そこそこ」という設定であったかもしれない。

 しかし今、仮にあれを実写で映像化するとしたら、たとえばAKBのだれかには、とうていメーテルの役は務まるまい。むりやり務めることはできるとしても、あの渋味、なんでも知ってる感、ちょっとやそっとのことじゃ動じない感を醸し出すことは望めないだろう。せめて鈴木京香くらいの貫禄がなければ。

 ということを、風呂に入りながらふと考えた。ちなみに言うと、僕は大学生の頃、「メーテルー!」「鉄郎、行かないで!」「メーテルー、もう限界だよ!」「いけない、まだイッちゃだめ!」「でもメーテル、ぼ、ぼくもうガマンできないよっ! ……ウッ!」「チッ、早えっつんだよ。これだからドーテーは」というしょうもないネタを披露して悦に入っていたものである。まったく度しがたい。

|

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »