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2011年12月30日 (金)

A Day in the Life

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 日中のクーはおおむね、南側の窓辺周辺で過ごしているようだ。朝のうちは、西寄りの部屋の窓辺のごく小さな三角形のエリアにしか陽だまりができないので、そこにうずくまっている。そして、太陽が東から西へと移動するのにつれて、クー自身は陽だまりを追って逆に西から東へと徐々に位置を変えていく。コアタイムは午前11時から午後1時ごろで、その時間帯のクーはまことに幸せそうである。

 この季節だと、午後3時を過ぎるともはや南側の窓からは直射日光が差さなくなる。そうするとクーは、寝室に向かい、自力でかけ蒲団を掘り進んでベッドの中に潜り込む。それはまさに、「掘り進む」としか形容しようのない潜り込み方である。両手で力任せに「バッ、バッ」と蒲団を引っかき、その拍子に開いたわずかな隙間に少しずつ体を潜り込ませていくのだ。

 物理法則的にいうとそれはたいへん効率の悪い方法なのだが、蒲団の縁を「つまみあげる」とか、「持ち上げておく」というのは、構造的にいって猫の手で行なうことのできない動作なので、そうするよりほかにないのだろう。それでも、時間はかかるものの目的は必ず達成できるのだからたいしたものである。

 そうして一度蒲団に潜り込んだクーは、ほとんどの場合、3時間ほどは出て来ない。その間は、死んだようにグウグウ眠っているか、夢うつつの不活性な状態になっているようだ。そしてすっかり外が暗くなった頃にのろのろと出てきて、ドライフードをなん口か食べると、この画像のようにソファのブランケットの上に移動することが多い。

 先日、クーがソファに寝そべらずに、その脇に置いてある小さなサイドテーブルの上に窮屈そうに座っていたことがあった。なんでわざわざそんなところにいるのかと思ったのだが、よく見るとクーの下には、僕が妻に贈ったクリスマスプレゼントを包んでいた不織布の袋が置いてあり、そして、いつもはソファの上にあるブランケットが、マッサージチェアの上に移動していた。

 たぶんクーは、いつものようにソファで寛ごうとした際、ブランケットが見当たらなかったので、その周囲で最も感触がそれに近いものを探して、不織布の袋の上を選んだのであろう。

 夜も9時を過ぎる頃になると、クーは浴槽の蓋の上に移動する(おそらく、それくらいの時間帯から、浴槽に温水が入って温かくなっている確率が高まるからだろう)。正確には、浴槽の上のポールに干しているバスタオルを自力で引きずり落とし、その上で寝そべっている。ここでも、ブランケット的な感触のものがやはり必要なようだ。猫はことほどさように日課を持ち、特定の感触などにこだわる生き物なのである。

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2011年12月23日 (金)

what I really want to say is

 てゆうかさー。

 あ、今われに返った。ごめんなさいごめんなさい。


 There's something you should not say even if it's right.

 You may be wrong for all I know but you may be right. (Billy Joel)

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2011年12月19日 (月)

言いそびれていたことなど

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 新刊が出る前後の時期は、「パブリッシュ・ブルー」とでも呼ぶべき軽いウツ状態に陥る(2007年の『株式会社ハピネス計画』あたりから現在に至るまで、ただ一度の例外もなくそうだ)。先月末に『3・15卒業闘争』が出る前からつい最近までそれが続いていたせいで、神経がささくれ立っていて、いくつかのことを告知しそこねていた。

 今さらだが、今年の日本ファンタジーノベル大賞(第23回)の大賞を受賞された勝山海百合さんの『さざなみの国』について、新潮社の「波」12月号に、同じ賞の受賞者として書評を寄せている。ウェブでも全文読めるので、リンクを貼っておこう。

『さざなみの国』書評

 勝山さんとは、今回の受賞前から実はさるきっかけを通じてメールではときどきやりとりさせていただいていたのだが、実際にお会いするのはご本人の授賞式の席が初めてだと思っていた。ところが、対面した勝山さんいわく、「実は2度目」なのだそうだ。何年も前、勝山さん自身まだ作家デビューされていない頃に、「文学フリマ」の会場で一読者として僕の前に出現しておられたらしい。

 そういう形でサインを求めてきたりしてくれた人の絶対数は正直きわめて僅少だったので、全員の顔を覚えていてもいいほどだったと思うが、当時は慣れないシチュエーションに僕も舞い上がっていたのだろう。

 それと、僕の長篇小説『出ヤマト記』の第3回が掲載されている季刊「小説トリッパー」(朝日新聞出版)の冬号が発売されている。ところで『出ヤマト記』というタイトルは、聖書の「出エジプト記」にあやかったものなのだが、たまに読み方がわからない人がいるようなので、一応言っておくと、読みは「しゅつやまとき」である。

 ちなみに画像は、食器洗浄機の上に乗っているクーである。寒い季節には、クーはわりとこの位置を好む。浴槽の蓋の上も同様である。ともに、温かいときがあるからだろう。

 しかし言うまでもなく、食洗は稼働していなければ冷たいはずだし、浴槽の蓋も、その下が温水になっていなければ温かくないはずだ。かつて何度かそこが温かかったことがあるという記憶から、そこにいればいつも温かいような気がしてそうしているものと思われる。今は違うのにな、と思うと不憫である。猫はことほどさように不憫な生き物なのだ。

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2011年12月13日 (火)

Shut up, morons

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 えーと、左上から。ダメ押しだけど、ていうか、「ダメ押し」という言葉がこれほど真に迫るシチュエーションもそうそうないだろうと思うんだけど、なんにせよダメ押しとして、僕の「3・15卒業闘争」、発売中です。

 で、右下が祥伝社「Feel Love」ですが、この最新号から僕の長編小説『ここを過ぎて悦楽の都』の連載が始まりました。えーとこの小説はですね、デビュー前の1995年くらいに書いた習作を大幅にテコ入れしたものです。オリジナルが、「ラスマン」の原型を書いたのと同じ頃の作品だけに、不条理臭がプンプンします。当時の習作をこんな形でリバイバルできるとは思ってなかったけれど、ものすごく思い入れのある作品だったので、発表できることになってとても嬉しい。

 左下は、僕の本ではなくて父・平山城児の最新刊です。『ダヌンツィオと日本近代文学』。日本ではなぜかあまり知られていないイタリアの作家・ダヌンツィオと、鴎外から三島由紀夫に至る作家たちへの影響関係を検証したものだが、600ページを超える、まさに畢生の大作と言っていい論文集です。息子としてのひいき目を超えてこれはおもしろい本だと思う。

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2011年12月11日 (日)

I am in a world of shit

 腹に据えかねるものが、この世界には多すぎる。愚民主主義に未来はない。阿呆どもに発言権を与えてはいけない。多数派の意見が必ずしも正しいわけではない。そういう意味での民主主義などもういらない。それは誰のことも幸福にはしない。

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