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2012年10月31日 (水)

食べられないほどまずい料理から得た教訓

 取材のために都内の某所を訪れ、その界隈を数時間にわたって歩きつづけた。そのあたりが、小説の舞台のひとつになるという設定だからだ。ふと気づいたらもう夜の8時半なので、取材も兼ねてその街の店で夕食を摂っていこうと思い立った。

 地元の人しか使わないような店の方が趣旨に沿っているだろうと思って、あえて駅から少し離れたところにある飲食店を探した。おあつらえ向きに鄙びた中華屋があって、ここなら地元感も抜群だと思ったのだが、曇りガラスの引き戸を開いたところ、予想より店舗が狭く、しかも見たところほぼ満席である。

 ただ、ところどころに半端に空いている椅子がある。店の構えからして、相席を求められる公算が高いと踏んだ。それはさすがにハードルが高いと思ったところ、幸か不幸か、店に入っていって10秒ほどの間、従業員が誰ひとり僕の存在に気づいた気配も見せなかったので、そのまま何も言わずにそっと引き戸を閉めた。まあ、あれではサービスレベルも推して知れるというものだろう。

 で、ふとその隣を見ると、「創作料理」を謳っている居酒屋らしきものがある。こちらはほとんど客がいないようだったし、それ以上考えるのも億劫だったので、そこに入ることにした。客は、ほとんどいないどころか、僕以外はゼロだった。この時間帯に客がゼロ、という時点で、味の方は最初から期待していなかった。

 しばらくの間、生ビールと2、3のつまみを頼んでちびちびやっていた。つまみは、まあ特別うまくもないが特筆するほどまずいというわけでもなく、こんなものだろうと思っていた。

 次第にぽつりぽつりと地元の常連客らしき人たちがやって来て、なんだか苦手な雰囲気になってきたので、そろそろ食事ものを摂って退散しようと思った。「たらこうどん」という見慣れないものがメニューにあったので、どういうものか訊ねたら、「タラコを使った焼うどん」だという。それならそう間違ったものにはなるまいと思ってそれを頼んだ。

 ところが、これがまずい。びっくりするほどまずい。ただ単に、うどんを玉ねぎと一緒に炒めてタラコをあえただけのものなのだが、変に生ぐさくて、食べられたものではない。この材料および調理法で、どうしたらこんなにまずいものができるのだろうか。

 僕の味覚は階層化されていて、店の種類やランク、シチュエーション等に応じて、味に対する期待値を自在に調整することができる。高級フレンチを食べるときとジャンクフードを食べるときは、当然のことながら別の評価基準を適用しているし、それぞれをそれぞれの基準でうまいと思ったりまずいと思ったりするのだ。

 今回、僕は期待値をかなり低いところに設定していたのだが、それでも食べるのがかなりつらいほどまずい。仮にまずいと思っても、たいていの場合、完食することは可能なのだが、それもおぼつかないほどまずい。「食べられないほどまずい料理」というのに、久々に巡り合った気がする。

 ごっそり残したらさすがに店の人が気にするだろうと思って、時間をかけて1本、また1本と無理にうどんを啜り、嗅覚をオフにすべく努めながら丸飲みしたりしていたのだが、しだいに額に脂汗が滲んできて、なにやらすっぱいものが喉もとにこみ上げてくる。わざわざお金を払って、これ以上の苦しみを甘受するのは愚の骨頂だと思い、結局8割がた残した状態で席を立った。

 さいわい、ちょうどトッポい(死語)お兄さんの2人連れが入ってきて、店の中が慌ただしくなっている折りだったので、それに便乗する形でそそくさと会計を済ませて逃げるように出てきた。

 今回の一件から得た教訓を自分なりにまとめると、「創作料理」を謳っていながら、店の構えその他から判断してそれほどうまい店とは思えない場合に、いかにも「創作料理」っぽいメニューに手を出すのは危険だ、ということだ(「たらこうどん」以外のつまみは、梅キュウとか磯辺揚げなど、あまりよけいな「創意」が入り込む余地のない料理だった)。

 しかし、その「たらこうどん」がれっきとした一品としてメニューに載っているということは、それをうまいと言って食べている客も(たぶん)いるということなのだろう。味覚というのはもともと非常に客観化しづらい感覚だが、その思わぬ奥深さを思い知らされた晩であった。

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