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2012年11月14日 (水)

たとえ世界が白くかすんでも

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 日販「新刊展望」12月号の「おもしろ本スクランブル」というコーナーで、書評家の三橋曉さんが、僕の新刊『僕の心の埋まらない空洞』をご紹介くださっている。三橋さんには、先日刊行された『マザー』文庫版に解説をいただいたのにひきつづき、お世話になりっぱなしである。いつかなんらかの形で恩返しができれば、と思うが、前途茫洋である。四面楚歌の背水の陣である。

 ところで、その同じ書評の中で、小田雅久仁さんの新刊『本にだって雄と雌があります』(新潮社)も取り上げられている。今まさに僕が読み終えようとしている本なので、不思議な暗合を感じた。これは、三橋さんがおっしゃるとおり、「マジックリアリズム満開の傑作」である。この国にはまだ、このような奇書中の奇書を刊行する余地があったのだ、と思ってとても心強い気持ちになる。

 さて、クーだが、この猫は、周囲の明るさに関係なく、わりと常時黒目がち(前にも言ったが、猫の目で外から見えている部分は、実はもともとすべて黒目である。ここで言っているのは、黒く見える瞳孔部分が目の中で占めている割合のこと)な印象がある。

 しかしこのように、陽射しが強い時間帯に窓の近くに連れていって白日のもとに晒すと、瞳孔はさすがにちゃんと細くなり、外観が爬虫類系のそれに近づく。ということは、だ。ということは、周囲が明るいにもかかわらず瞳孔が開きっぱなしであるように見えるとき、クーは意図的にそうしているのだろうか。

 もしもそれが意図的だとすれば、理由は、「その方がかわいく見える(=かわいがってもらえる確率が高い)」ということをクーが経験的に知っているからだとしか考えられない。

 しかし、周囲が明るいにもかかわらず瞳孔を必要以上に開いていたら、目の中に光を過分に取り入れることになり、視界はまるで、ドラマや映画で「しあわせだったあの頃」を表現する映像上の特殊効果のように、全体がまっ白にキラキラと輝いて、ものの輪郭もろくに見定められなくなっているはずだ。

 眼底検査を受ける際、瞳孔を開きっぱなしにする点眼薬を打たれたことがあるので、どんな状態かはおおよそ想像がつく。かつて僕は、その効果が途絶えないうちに、劇場に「キル・ビルVol.2」を観にいって、大後悔したことがあるのだ。字幕はほとんど読めないわ、血しぶきは無駄にキラキラと輝いて見えるわで、入場料をほとんど無駄にしたようなものだった。

 そんな不自由に甘んじてでもなお、いっそうかわいがってもらおうとするクーの愛玩動物根性に、一種の畏敬の念を覚える。ある意味で、クーは日々、全身全霊で自分の仕事(かわいがってもらうこと)に勤しんでいるのだ。

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