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2012年11月 8日 (木)

されど幸せなる日々

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 先代の猫・無為(本名は「うい」)の命日なので、ささやかながらお供えを用意した。あれからもう6年、早いものである。

 14年生きた無為は、晩年はもう目もあてられないほどやつれ果てていた。当時まだサラリーマンと兼業だった僕が、会社から帰宅して最初にすることは、まず無為の生存を確認し(ドアを開けるたびにいつも祈るような気持ちだった)、それからどこかに無為が吐いたりおもらししたりしてしまった痕跡がないかどうか、マンションの全部屋を見て回ることだった。

 無為はもう、いちいちトイレに行く気力もなかったので、どこにもその痕跡がない日はまずなかった。僕はもっぱらトイレクイックルを使ってそれをきれいにしていたので、この時期、マンションでは必ずどこかしらからそのにおいが漂っていた。

 今でも、トイレ掃除の際にトイレクイックルのにおいを嗅ぐと、この頃のことを思い出して一瞬せつない気持ちになる。

 無為が死んだのは、3冊めの単行本『シュガーな俺』が刊行されてまもない頃だった。幸か不幸か、あの本は当時、少なくともマスコミではだいぶ話題になったので、インタビュー等の取材の話が続々と舞い込んできて、会社が終わってから1日に2件もこなさなければならないこともあった。

 無為が今日にも死にそうだというときに、また、無為が死んでまだ何日も経っていないというときに、笑顔で取材に応じるのは本当につらかった。

 気難しく、誇り高かった無為。下半身デブで、お尻がちょっと曲がっていて、横座りするときいつも少し苦労していた無為。脚が短くて、走る姿がどことなく不格好だった無為。家の中で聞こえる騒音に不寛容で、僕がくしゃみひとつでもしようものなら、どんな遠くからでもそれを聞き分けて、「あっ、あっ」と鋭い声で叱責した無為。野良出身なだけに、最後まで根性がねじ曲がっていて、だっこされてもただがまんしているだけだった無為。

  でもそんな無為も、この家できっと無為なりにめいっぱい幸せだったにちがいない。この左側の額に収まっている、あきらかに頭が空っぽの状態で箱の中から中空を見上げている無為の写真を見るたびに、僕はそう思って救われたような気持ちになるのだ。


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