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2012年11月19日 (月)

蘭学事始

 断続的にオランダ語の勉強をしている。断続的なので、覚えた端からまた忘れてしまい、少し戻ってやり直すという二度手間三度手間の繰り返しなのだが、綴りと発音の関係については、ブランクを置いてももはや忘れなくなった。

 ただそれは、「この綴りならどう読むか」を説明できるというだけのことで、必ずしも、単語を見れば即座に正しく発音できるというわけではない。オランダ語の発音は、(ドイツ語など近縁の言語になじんでいる人でなければ)日本人にはかなり難易度が高いと思われる。

 ところが、幕末期、まだ英語が日本に浸透していなかった頃、欧米列強との外交交渉などの席では、中継ぎ用の言語としてオランダ語が使用されていたと聞く。当時の日本で最も知られていたヨーロッパの言語が、オランダ語だったからだ。

 たとえばアメリカと交渉するときには、まず英語を先方の通訳がオランダ語に訳し、それを日本側の通詞が日本語に訳す。逆の場合は、日本語→オランダ語→英語という階梯を踏んだという。

 それでいったい、どれだけ正確な意思疎通が図れていたのだろうか。ただでさえ、翻訳の翻訳でニュアンスの違いなどが不可避的に発生しそうなのに、発音の違いという障壁もある。なにしろ日本は、オランダ語を解する人間がいたとはいっても、蘭学の「ターヘル・アナトミア」の時代である。

 あの書名はそもそも俗称だそうだが、「ターヘル」の原語がtafel(ターフェル=オランダ語で「表、テーブル」の意。英語のtableに相当)であることはほぼまちがいない。つまり当時の日本では、heの音とfeの音が区別されていなかったと思われる。

 それだけではない。当時の日本人が聞いて「ヘ」と聞こえたであろう、あるいは聞こえたかもしれないオランダ語の音には、he””fe””ge””che(後半2つは喉音)の少なくとも4種があると思う。もちろん、ほかにも、日本人には区別しづらい音の組み合わせが、母音も含めてたくさんあっただろう。

 当然、誤解に次ぐ誤解のオンパレードだったはずだ。それでいて、欧米列強から押しつけられた条約の不平等さを正確に認識していた日本側の当局者たちに対して、僕は賛辞を惜しまない。そしてほんの一瞬でもいいから、オランダ語を介して行なわれていた他国との交渉の様子を、この目で見てみたい。

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