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2012年12月31日 (月)

Watch night's comment, yes, it's a watch night

 いやー、もう正直イヤになるよね。気がつかないフリをしつづけるのにもほどがあるっていうかね。っていうかもう優に6年くらい前には否応なく気づいてるんだけどね。

 まあそういう意味では僕は向いてないよね、この仕事に。気づかないフリをしながら、「来年もよろしくー!」とか言えないわけですよ。僕は。本質的に。

 でも来年もよろしくお願いします。って、年が明けてから言っている僕です。日付は調整してます。これはあくまで大晦日のわたくしのメッセージでございます。

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2012年12月26日 (水)

その名前でいいんですか?

 なんとなく、「花より男子」のドラマの各国版比較をやっている。実は日本版そのものをちゃんと観ていないのだが、それでもいろいろと興味深い点はある。最も興味を惹いたのは、登場人物の名前の扱いである。

 韓国版「꽃보다 남자」では、たとえば「牧野つくし」に当たる人物は「クム・ジャンディ」、道明寺司は「ク・ジュンピョ」というように、一般的な韓国人の名前に完全に置き換えられていて、もとの名前との関連もこれといっては見出せない。

 しかし、台湾版「流星花園」は違う。原作の日本語名がほぼそのまま生かされているのだ。ただし、音は現地読みになっている。たとえば道明寺司は、「タオ・ミン・スー」と呼ばれている。これは、「道明寺」の部分をそのまま中国語読みしたものである。

 まあそれ自体は、中国語文化圏では普通のことだ。たとえば「石原慎太郎」は、漢字をそのまま用い、発音だけ中国語読みにして、「シー・ユエン・シェン・タイ・ラン」と読ませているはずだ(読みのカナ表記は近似的なもの)。

 原語が漢字表記でない場合は、「もしもその名前に日本人が漢字を充てるとしたら最もありそうな文字」を仮に充てて、それを現地読みする。たとえば「宮沢りえ」なら、「宮澤理恵」にして、「コン・ツォー・リー・ホイ」と読ませる。

 そのルールのもとで、牧野つくしの「つくし」がどう処理されているのか興味があったが、それは「杉菜」と訳した上で、「シャン・ツァイ」と読ませているようだ。なるほど。

 ただ、僕が不思議に思ったのは、それらが台湾人の(中国語ベースの)名前としてありえるものなのか、ということだ。「杉菜」はよしとしよう。しかし、「道明寺」は? そう思って今Wikipediaで調べてみたら、この「道明寺」(タオ・ミン・スー)はどうやら、「道明(姓)寺(名)」という構成を与えられているものであるようだ(「司」という本来の名は破棄されている)。

「花沢類」はそのまま「花澤類」(ホァツォー・レイ)、「美作あきら」には「美作」(メイツオ)という苗字だけが与えられているらしく思われる。そしてつくしの姓「牧野」は破棄され、かわりに「董」(トン)という姓が創設されている。

 こうして見てみると、中国語文化圏らしい名前としての体裁を保っているのは、牧野つくしに当たる人物、「董杉菜」(トン・シャンツァイ)のみであるような気がする。少なくとも、僕にはそう見える。「道明寺」(タオミン・スー)も、「花沢類」(ホァツォー・レイ)も「美作」(メイツオ)も、(姓2文字+名1文字という組み合わせだけ取っても)あまり、というかほぼありそうにない。

 しかし彼らは、あくまで現代の台湾を舞台に生きる台湾人として(たぶん)描かれているのである。そのあたりを、台湾の人たちがどう受け止めているのかが、僕はたいへん気になる。

 これは日本に置き換えるなら、たとえば「比都部辣度」(ピット・ブラッド)とか「除李安慈絵理菜」(ジョリ・アンジエリナ)みたいな名前の人があたりまえのようにたくさん出てくるドラマ、みたいなものなのではないのか。いいのかそれで。


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2012年12月23日 (日)

『あの日の僕らにさよなら』

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 かつて、家へと向かう道があった。かつて、わが家に通じる道が。眠りなさい、かわいい人よ、泣くのをやめて。子守唄を歌ってあげるから(ポール・マッカートニー)。

 かつて、『冥王星パーティ』という本があった。2007年3月に新潮社から刊行された、僕の4作目の単行本である。この本は非常に不遇な本で(まあ言わせてもらえるなら、不遇でない僕の本など1冊もないと思うのだが、これは特に)、一般読者からはほとんど注目を浴びることもなく、人目につくところからひっそりと退場させられた。

 その単行本時代の絶望的な売れ行きからいって、文庫化はまずありえないものと僕は早い段階であきらめていた。あとは、単行本がいつ絶版になり、断裁されてただのゴミと化すかだったが、この本はなんたびか、(新潮社内で僕を支持してくれている奇特な人々によって)存亡の危機から救われることになる。

 その詳細をここで語るのは控えておくが、今回、『あの日の僕らにさよなら』という本が新潮文庫から刊行されることは、まさにその「救済」の結果なのだということだけは言っておこう。

 これは、『冥王星パーティ』を改題して文庫化したものである。元のタイトルにも非常な思い入れがあったし、担当編集者もその点には理解を示してくれていたのだが、僕の本のタイトルというのは概して、「読み終えてからあらためて眺めると、その意味がしみじみわかる」というものが多い。それだと書店に並べたとき、目を引きにくいので、この機会に、タイトルを見るだにある程度テーマやモチーフが伝わるものに変えようということになったのだった。

 タイトルどおり、これは、ある意味での訣別の物語である。ただそれは、終わりを意味する別れではない。不器用だった青春時代のつまずきや、それが原因で自分の中に抱え込むことになってしまったこだわりやトラウマなどに区切りをつけ、あらためて未来へと足を踏み出していくための、せつないけれどすがすがしい訣別なのだ。

 青春時代を器用に生きられる人なんてほとんどいない。その後、歳を重ねて、「あの頃」がぼんやりとした遠景に変わっていったとしても、チクリと痛む古傷のひとつやふたつ、誰だって心の奥底にひそかに隠し持っているものだろう。身に覚えのある人なら、この陰影を帯びた物語に、そしてそれが投げかけるメッセージに、必ずや反応してくれるはずだ。

 この本について語りたいことは山のようにあるので、今後も何度かに分けてここで語らせてもらうつもりだが、まずは発売の告知である。早ければ24日には店頭に並びはじめるはずだ。ご覧のとおり、赤いオビがつき、クリスマスっぽい出で立ちになっているので、探しやすいだろうと思う。

 ちなみに解説は、「王様のブランチ」などで知られるライターの瀧井朝世さんである。

 思えば瀧井さんとは、5年前、単行本の方が出たとき、「anan」でインタビューを受けたのが初対面だった。それ以来彼女は、僕の作品のよき理解者でありつづけてくださっているのだが、今回の解説は、そんな彼女がまさに痒いところにまで手を届けまくっているような内容であり、原稿段階で最初に拝読したときは、「そうそう、そうなんだよ!」と感激のあまり少々涙ぐんでしまった(それほどまでに、単行本が売れなかったことが悲しかったのだということでもある。)

 単行本時代のこの本のセールスは正直たいへん寂しいものだったが、それは作品の内容が悪かったせいではないと僕は信じている。事実、何人かの書評家さんなど(瀧井さん含む)は、この本がきっかけで僕を見出し、今でも厚い支持を寄せてくださっているのだ。当時、一般には必ずしも伝わらなかったその真価が、装いもタイトルもあらたにしたこの文庫版で多くの人に伝わることを、心から祈っている。

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2012年12月21日 (金)

これって政治的発言?

 白川さん、「良心」を堅持してください。今のわたくしに言えることはそれだけです。

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2012年12月20日 (木)

悪夢としての会社勤め

 年賀状を刷るために住所録のメンテをした。去年の1月いっぱいまで僕は会社勤めをしていたので、必然的に会社関係人脈宛ての年賀状が一定以上の割合を占めていた。今年までは、なんとなく惰性もあって、その部分もあまり減らさなかったのだが、来年からはドッと減ることになるだろうと予想していた。

  だから年賀状を発注するとき、枚数を減らそうかとも一瞬思ったのだが、なんだかんだで結局買い足さなければならなくなるのもばかばかしいので、枚数は据え置きにした。結果としては、それで正解だったようだ。

 というのも、自分でも忘れていたのだが、会社関係人脈は、もともと極限まで切り詰めていたのだ。相手にどう思われてもかまわないという覚悟のもとで、この人はくれるだろうと予測がついていてもあえて出さなかったり、くれても返事を出さなかったりして、「これ以上は減らせない」というレベルまで削ぎ落していた。

 今回、名簿を見直したとき、会社関係人脈も一応すべてチェックしてみたが、それぞれ、なんらかの深い義理があったり、あるいは知り合ったのがたまたま会社だっただけで、今やそれとは無関係な友人になっていたりする人たちがほとんどで、結局、1人も減らせなかったのである。 

 むしろ、在職中でありながらそこまで大胆に切り詰めていた自分が鬼畜だったな、と今になって思う。 

 一方で僕は、平均して週に1度は、その会社に今もって通勤しているという設定の夢を見つづけている。しかもたいていは、遅刻しそうになって慌てているとか、その日着ていくべきスーツがなくて困っているとか、なにか厄介な課題を与えられて辟易しているとか、仕事が期日までに終えられないことに対する言い訳を考えているとか、そんな気づまりで憂鬱な内容の夢である。

 現実の僕は(たぶん)そこまでダメ社員だったわけでもないと思うのだが、会社に通うことを僕自身がどう捉えていたのかを図らずも鮮明に描き出している夢だとは言えるだろう。

 ちなみにそうした夢に出てくる会社は、ときに学校の教室のようであったりするし、またかつての上司が教師として登場したりもする。少年少女から老年期にある人物まで、あらゆる年齢層に属する人々が、「生徒」として同じ教室に存在している世界を描いた僕の『3・15卒業闘争』の設定は、何を隠そう、僕自身が夜ごと見ているそういう夢に着想を得たものなのだ。

 それにしても、会社を辞めてすでに2年近く経過しているというのに、いまだにその頻度で会社の夢を見つづけているというのは、いささか異常な気がする。会社に通うことは、僕にとってそれほどまでに悪夢的なことだったのだろうか。最後の10年ほどの間は、少なくとも表層意識ではそんな風に思ったことなど一度もなかったはずなのに。

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2012年12月18日 (火)

むごい状態を想像したがる奇妙な心理

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 これがどういう状態なのか、少々説明が必要だろう。ソファのへりに僕が腰かけて、両足を揃え、床とほぼ平行になるように持ち上げている。その上にクーがあおむけに横たわり、頭を僕の足首の側に向けている、と言えばわかってもらえるだろうか。

 しかし、どうしてこういうことになるのかを説明するのは難しい。クーを膝の上に乗せているうちに、気がついたらなんだかこんなことになってしまっていたのだ。ひとつ言えるのは、「なにかにはまっている、あるいは挟まっているポジション」をなぜかクーが好む、ということだろうか。

 いったい何が嬉しいのか、こういう状態のままずっとゴロゴロいっている。ここで僕がパッと両足を開きさえすれば、クーは無防備なあおむけの体勢のまま床に転落してしまうというのに、そんなことになるとはゆめゆめ疑いもせず、僕の両足に全身を委ねきっているのが不憫である。

 実際にはそんなかわいそうなことは絶対にしないのだが、もししてみたらどうなるだろうと想像して不憫がるこの心理は、いったいなんなのだろうか。

 小さな子供だった頃、かわいがっているぬいぐるみをギューッと押しつぶしたり、床に叩きつけたりすることを(実際にはしないが)想像してはかわいそうがっていたあれと似た心理だなと思うのだが、そんな想像をしていたのは僕だけだろうか。

 参考までに、上の画像と同じ状態のとき、僕の視点から撮影した画像も掲げておこう。手前に映り込んでいる足の裏の肉球が見えなければ、なにやら得体の知れない黒っぽい毛のかたまりにしか見えない。

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2012年12月17日 (月)

ノーベル賞作家にされた僕

 選挙結果のことは、言い出すとキリがないからまあやめておくとして、急に思い出した話。

 僕は「日本ファンタジーノベル大賞」というのを受賞して作家デビューしたのだが、その直後に取材を受けたいくつかのメディアの中に、ラジオ番組があった。

 うちひとつについては、ずっと前にこのブログでも触れた気がする。本放送時に「同録」したというカセットテープが後日郵送されてきたのだけれど、A面B面(と今書きながら思ったが、遠くない将来、この表現はもはや誰にも理解されなくなってしまうのではないか)全部再生したのに音声はいっさい入っておらず、担当者に問い合わせのメールを送っても返事がなかった、というやつだ。

 今回思い出したのはそれではない。パーソナリティの人が電話をかけてきて、それに僕が電話上で応えるという形式でインタビューに応じたときの話である。問題は、そのパーソナリティの人が、僕が受賞した賞を、「日本ファンタジーノーベル大賞」と言っている点にあった。

 いやノーベル賞じゃないし。

 と思ったのだが、それをその場で訂正すべきかどうか僕は迷った。電話でインタビューに応えるという形式を取ってはいても、それは実際には生中継ではなく、やりとりを録音したものを編集してから流すと聞いていたので、あとでどうとでもできるのかもしれない。しかし、「このたび平山さんは第16回日本ファンタジーノーベル大賞を受賞されたそうで……」という話のとっかかりのところでいきなり訂正を入れるのもどうかな、と思ったのだ。

 結局僕は、間違いに気づかなかったふりをして質問に答えはじめた。彼が賞の名を口にするのがそれ1回きりなら、「たまたま“ノ”の音をちょっと長めに発音しちゃったのかな」という雰囲気でなんとなくごまかせるのではないかと期待しながら。

 しかし彼は、ごていねいにも、その後も2度3度とこの賞の名称を省略なしで発音した。もはや、聞き間違えとか、たまたま言い間違えただけといった言い訳は通用しなかった。彼はいずれの機会にも、その都度はっきりと「ノーベル大賞」と言いつづけていたのだ。

 たぶん、どこかで間違って伝わっていたのだろう。そして、まあこれは無理もないとは思うが、彼はまちがいなく、この賞の存在をそれまでは知らなかったのだろう(彼もさすがに「直木賞」を「ナオーキ賞」と言ったり「チョクボク賞」と言ったりはしないだろうから)。

 彼がそういう職業の人らしく滑舌よく明瞭に「ノーベル大賞」と発音するたびに、僕はたいそう居心地の悪い思いを余儀なくされたのだが、最初にあえて見逃した間違いを途中で指摘するのはもっと不自然だと思ったので、そのまま受け流していた。

 どうせその番組を何人が聴くかもわからないのだし、聴くとしても、ラジオ番組というメディアの性質上、一言一句まで真剣に聞き取ろうとする人などおそらく1人もいまい。まして、その中でこの賞のことをもともと知っていて、変だということに気づく人がいったい何人いるというのか。

 それでも、実際それがどのように放送されたのかは、やはり気になっていた。この制作会社も、本放送後に録音を郵送してくれるということだったので、僕はそれを待っていたのだが、待てど暮らせど、そこからは何も届かなかった。

 別の会社とはいえ前例があっただけに、今度は僕も、わざわざ担当者に確認などしようとはしなかった。そのかわり、ラジオ番組というものに対して、正確には、その制作サイドの担当者というものに対して、信用がまったくなくなってしまったことは否めない。幸か不幸かその後はラジオ関係から取材の依頼が来ることもないが、この不信感を覆してもらえるものならそうしてもらいたいところだ。

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2012年12月16日 (日)

選挙に際して頭をよぎった極端な考え

 仕事で一段落ついてから、と思っているうちに、投票受付時間ギリギリになってしまい、大慌てで会場に向かった。投票を終えて帰ろうとしたら、腕章をつけた人に呼び止められた。朝日新聞の出口調査だった。

 少し違うが、いわゆる「無作為抽出」による世論調査の結果はこれまで無数に見てきたものの、その調査の対象として「抽出」されたことは、生まれてこのかた一度もない。

 あれは本当にちゃんと「抽出」してるんだろうか、まるっきりのデタラメではないにしても、ごく少数のサンプルで行なったデータを水増ししてるだけなんじゃないだろうか、とときどき疑いたくなることがあったが、今日の経験で、なんとなく信じていいような気になった。

 前回の選挙で民主党に投票したかどうかがわざわざ質問として立てられていた。「前回はどこに入れたか」ではなくて、「前回、民主党に入れたか」である。集計結果をどういうストーリーの記事に仕立てるつもりなのかが丸出しの設問だ。まあ、「検証すべき仮説」というやつだろう。

 で、投票所からの帰りについでに夕飯のおかず等を買って帰宅してテレビをつけたら、なんだかすでに大勢が判明している気配で、しかも僕にとってはたいへん残念な結果になりつつあるようだとわかった。

 どうせ今回の投票は、自分史上最高に近い消極的な選択、窮極の消去法とでもいうべき態度で臨まざるをえなかったのだが、それにしてもこれから出るであろう結果には、心底がっかりさせられるであろう(現時点で未確定なので一応未来形)。僕にとって最悪から2番目のシナリオだ。まあ、最悪でなかっただけまだしもとすべきか。

 もともと好きではなかった世の中が、ますます好きではなくなっていく。いっそ日本国籍を捨ててしまおうか、といった極端な考えすら頭をよぎる。僕が日本人として生まれたのは単なる偶然にすぎない。偶然によって結びつけられた国に、帰属意識を抱かなければならない必然性がどこにあるというのか。

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2012年12月14日 (金)

人の好意をすんなり受け入れられない者たち

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 夕方、ふとクーの姿が見えないなと思って探したら、暖房もつけていない暗いリビングで、愛用している丸いペット用ベッドの中に丸く横たわっていた。例によって、「ここにいれば暖かいはず」と思い込んでいるのだろう。

 実際にはかなり寒いはずだと思って、ためしにベッドに蓋をするようにブランケットをかけてみたら、そのままなんら抵抗も示さず、1分後に見たら自らブランケットの下に完全に潜り込んでいた。やはり、覆いがあった方がよかったらしい。

 クーはこういうところが、先代の猫「うい」と大きく異なっていると思う。ういは、こちらが気をきかせてなにかそういうことをすると、その気遣いがうっとうしいのか、あるいはういなりに「これがいちばんいい」と見なした環境なり条件なりがそれによって乱されたと感じるのか、機嫌の悪そうな顔をしてぷいとどこかに立ち去ってしまうのが常だった。

 人間にも、そういう性格の違いはしばしば見られる。人の好意を素直に受けるタイプか、「よけいな気を回すな」と言わんばかりにかえって不機嫌になるタイプかという違いだ。

 僕自身はどちらかと問われれば、まあ後者、つまりういと似たタイプだろう。だから、僕や妻の好意をうっとうしがったういの心理もよくわかる。しかしクーを見ていると、自らのそうしたひねくれた性向について、なんだか恥じ入りそうな気持ちになるのである。

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2012年12月13日 (木)

家族団欒に供された半世紀前のある記録

 昨日、川越の実家に行ったとき、大学在学中に芥川賞の候補になったことのある母(旧姓で加藤浩子)についての記事がネット上に存在することが、姉からの指摘で判明した。

 さっそくiPadで検索してみたところ、それは「芥川賞のすべてのようなもの」なるサイトの一部であるらしく、1962年下期の芥川賞候補となった母のプロフィール(息子が僕であることにも言及されている)とともに、作品に対する選考委員らの選評(当時、『文學界』に掲載されたもの)が列挙されている。

http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun48KH.htm

 候補になった作品そのもの(作品名『白猫』に対してこのページでは「しろねこ」とルビが振ってあるが、本当は「はくびょう」が正しい。もっとも、これをそう読む人は普通いないだろう)は、ずっと前に、原稿用紙に書かれたものを母から直接読ませてもらったことがあったが、選評を目にするのは初めてだったので、非常な興味を抱きながら目を通した。

 選考委員の名前を見ると、石川達三、高見順、船橋聖一、川端康成など錚々たる顔ぶれである。ただその高見順は、この作品について、「『群像』合評会のとき、北原武夫氏の否定論に対して私は擁護にまわった」と言っておきながら、「しかしこの席では擁護できなかった」と落としている。どっちなんだ!

 瀧井孝作の評もふるっている。「体の関係に至る所でお互に何もしなかったのは宜いが」という前半はいいとして、それに続けて、「特にほめる程の出来栄でもなかろう」。これもなんだか後半であっさりきっぱり落としているぞ! その一方で、船橋聖一の「年若い女子学生の色気が、素直にたっぷり出ているところは、好感がもてる」という評言は、なんだかほほえましくてよい。

 と、高みに立って「選評の寸評」みたいなえらそうなことが言えるのも、これがすでに半世紀も前のものであり、選考委員の諸先生方も今や誰ひとり存命ではないからだ。母本人も、当時これらの、特に辛口の選評を読んでどう感じたかはいざ知らず、今となってはもう大昔の青春の1ページという位置づけだろう。

 いろいろな意味で秀逸な選評の数々を読み上げつつ、家族全員で笑った楽しいひとときであった。

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2012年12月12日 (水)

さやかに風も吹いてゐる

 執筆準備中の小説がらみで父親に訊きたいことがあって、数ヶ月ぶりに川越市の実家に立ち寄った。門扉を開ける直前、近くに聳え立っている送電線の鉄塔がふと目に留まった。今日にかぎってそれに注意が向いたのは、たぶん、家の前に着いた時点で、すでに空が暗くなっていて、鉄塔の赤い警告灯が目についたからだろう。

 まっ黒な影にしか見えない雑木林の中からにょっきりと突き出し、不気味な赤い光を点じているその巨大な鉄骨は、暗い空を背景に圧倒的な異物感を放ちながらそこに屹立していた。雑木林と、せいぜい2階建ての住宅と、あとは駐車場や畑しか存在しないような土地において、その高さは法外で、桁外れで、まるでなにかが間違っているかのように思えた。

 しかしそれこそが、子ども時代の僕が飽きるほど眺めてきた光景なのだ。僕はその鉄塔を当然の構成要素として含む風景の中で、20数年を生きていたはずなのだ。それを「異物」と感じてしまうまでに、僕は東京での生活、見上げても丈の高い建物しか見えない生活になじんでしまっていたのだと思って、軽くショックを受けた。

 東京には空がないと智恵子は言った。カリフォルニアには空があると桑田佳祐は言った。銀林みのるさんの怪書『鉄塔 武蔵野線』を久々に読んでみようと思った。ああでも読まなければならない本はほかにも山のようにあるのだ。鄙びたる軍楽の憶ひ。手にてなすなにごともなし。

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2012年12月11日 (火)

補正されるイメージ

 金正恩第一書記のあの髪型は、たぶん若き日の金日成を意識したものなのだろうが、刈り上げが相当キツいので、ソフトモヒカンの一種と捉えられないこともない。しかし歴史上に存在した髪型でもっと似ているものを挙げるなら、それは「テクノカット」ではないだろうか。

 ごく稀にだが、40代くらいの男性でテクノカットにしている人を見かけることがある。単に刈り上げがキツいだけの人を指しているのではない。身に着けているものなどから総合的に判断して、本人なりに明瞭にファッション意識を発揮した結果そうなっているのだ、ということがひと目でわかるケースのことだ。

 あれは、同じ世代の女性に一定量の割合(といってもかなり僅少だが)で今もって「聖子ちゃんカット」(もちろん、「青い珊瑚礁」「白いパラソル」などの時代の聖子ちゃんである)が見られるのと同じ理屈ではないかと僕は思っている。

 たぶん彼らは、ベストの状態だった、少なくとも、自分にとってはこれがベストだと思えた頃の自分たちの外見を、その後何十年にもわたって反復しつづけているのだ。

 単に、変えるのがめんどうくさいというだけの理由でそうしているケースもあるだろうが、中には、「こうしているかぎり自分はイケているはず」という思い込みが更新されないまま現在に至ってしまっている人もいるのではないか。

 しかしこれは、難しい問題である。僕自身ももちろん含めて言うのだが、人は現実の自分の外見を、肯定的な自己イメージに引きつけて自動補正しながら見てしまう傾向のある生き物だからだ。その髪型がとっくに似合わなくなっていても、あるいは、似合うに合わない以前にもう誰もそんな髪型をしなくなっていても、鏡を見るときに脳は、「これでイケているはず」と誤認してしまうのである。

 ただ、それを言うなら、金正恩第一書記のようなケースは楽かもしれない。彼の場合、あれが最初からトレードマークになっているわけだから、たとえ40年後にまったく同じ髪型をしていたとしても(そんなに長期にわたってあの人に活躍してもらいたくはないが)、誰もそれを変だとは思わないであろうから。

 それにしても、上手に歳を取るのは難しい。教えられたものだけじゃ、いまいち完成しないんだ。計算は合ってるはずなのに。(back number

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2012年12月10日 (月)

あるアルケオロジー

 まったくもって今さらのどうでもいいことだが、このブログがなぜ「平山瑞穂の白いシミ通信」というタイトルになったのかという話。

 20067月まで、僕ははてなダイアリーで「平山瑞穂の黒いシミ通信」というブログをやっていた。そのタイトルは、デビュー作『ラス・マンチャス通信』の単行本版(2004年刊行)のオビにあったコピー、「何をしていても僕を追ってくる『黒い染み』。逃げ場はどこにも、ない……。」をモジったものだった。また、「ラス・マンチャス」という言葉自体が「染み」という意味なので、「黒いシミ通信」は、「ラス・マンチャス通信」という書名とニアイコールの関係にあったわけだ。

 ところが、2006年8月から、@niftyで『シュガーな俺』のネット連載を始めることになり、それと抱き合わせで、ココログでブログを書くことを求められた。並立させるのは事実上無理なので、ひとまずココログに引っ越しをすることにした。

 ただ、その時点では僕は、いずれはまたはてなのブログに戻るつもりでいた。だから「黒いシミ通信」も「休止中」ということでそのまま残しておいて、それとの区別をつけるために、こっちは「白いシミ通信」と安易に名前を一部だけ変更したのである。

 わりと「黒い」ことを書いていた「黒いシミ通信」時代に一度区切りをつけて、これからはもう少し「白く」なろうと心がけたという意味合いもなくはなかったが、どちらかというと単に区別するだけのための標識だったと思う(事実、この「白い」ブログになってからも、僕は結局定期的に毒を吐きつづけている)。

 しかしさまざまな理由から、僕は結局、はてなには戻らず、ココログでのブログ(つまりこれ)をそのまま続けて現在に至っている。今となっては、「なんだよ白いシミって」という感じである。当初から一定量存在する、「肌 白いシミ」等の検索ワードでこのブログを訪れる人々に陳謝したい。お役に立てなくてごめんなさい。業が深くてごめんなさい(原律子)。

 ときに、そもそもブログをこっちに移転するきっかけになったネット連載の『シュガーな俺』だが、これは、ブログ形式で小説を連載しながら、コメント欄で著者と読者が交流するという実験的な試みを伴ったものだった。本編が終了してからも、「シュガー通信」なるエッセイを週イチで連載し、コメント欄での読者との交流はひきつづき行なっていた。

『シュガーな俺』本編はその後単行本になり、文庫にもなったが、エッセイ「シュガー通信」およびコメント欄でのやりとりは、どこにも収録されていない。

 コメントといっても、単に「おもしろいです〜」「ありがとうございます!」といった、実質的な意味のない空疎なやりとりではなかった。書き込んできていたのは、多くはご本人が糖尿病患者であったり、家族に患者を持つ人であったりした。それだけで優に本1冊、2冊分になるほどの、切実で濃厚なやりとりの蓄積がそこにあったのだが、現在は閲覧することができない。

 閲覧がブロックされているという意味ではない。おそらくだが、データそのものがすでにきれいさっぱり削除されてしまっているのだ。連載終了後、@nifty側の担当者さんが他社に移り、誰が管轄しているサイトなのかがあいまいになってしまったことが原因らしい(ついでにいえば、連載開始当時には取り沙汰されていた「連載終了後の電子書籍化」も、うやむやになってしまった)。

 それを知ったときは正直かなりショックだったし、当時熱心に長文を書き込んでくださった読者の皆さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、電磁的記録というのはつまるところそういうものなのだと変に納得させられたところもある(紙に印刷されたものなら、最悪、印刷物だけはどこかに残ったはずだ)。

 いずれにしても、「ブログ形式による小説の連載」という試み自体、僕が知るかぎり、その後誰にも追随されなかった。この一例は、文字コンテンツ電子化の黎明期におけるあだ花のひとつとして、文芸史の狭間に消えていく運命にあるのだろう。

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2012年12月 9日 (日)

ヨロブンミアネヨ

 ねえそこで、うるせーよバカてめーに何がわかるそういうとこでポイント加算してもらいたくてこの小説書いたんじゃねーんだよバカ、とか言っちゃうのは大人じゃないんでしょうか。

 いや僕はだから不倫もOKでしょなんてひとっことも言ってないし作中でもそれがOKだなんてひとっっこともほのめかしてさえいないのになんだかしんねーけどそういう風に思ってる人がいて、なんかごめんそういうのうぜーしそもそも間違ってんだけど。

 ねえそこで、くっだらねーなてめーらそんなことが言ってほしくて今まで小説読んできたわけ? てめーらにとって小説読むってそういう意味をもったことだったわけ? はぁ? 心底呆れるっつうかドン引きするんだけどっていうのもまたダメなわけですか?

 いやもう正直わかんないですね。すいません僕のまわりは最低限の。いやそんなことは言わない方がいい。

 さようならみなさん。みなさん、さようなら(久保寺健彦)。さようなら。僕はもう正直どうしていいかわかんないです。こんなに歩み寄ってるのに。こんなにあなたがたの近くに来ているのに。それでもわかってくれないならもうどうしようもないですよ、僕としては。

 ふたりでいるために、ひとりきり、こんなに、そばにいるというのに(安全地帯。つうか松井五郎)。

 さようならみなさん。僕の力不足でした。ほんとにすみません。黄昏の七里ケ浜で自らに猛省を促します。さようなら。ごめんなさい。さようなら。ミアナムニダ。アンニョンヒ・ガセヨ。ミアネヨ。アンニョン。

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2012年12月 6日 (木)

あまり黒くなかったクー

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 5年前の初夏、この猫を人から譲り受けたそのときは、「ほぼ黒猫」だと思っていたが、成長するにつれてだんだん黒くなくなり、今ではこのとおり、特に陽だまりの中ではちっとも黒猫ではなくなってしまっている。

 というのはもちろん正確な表現ではない。猫の毛の模様は最初に生えたときから死ぬまで変わらないはずだ。黒い部分とそれ以外の部分の位置も比率も仔猫時代から変化してはいないのだが、体全体が小さいと、模様がぎゅっと凝縮しているために、結果として黒い部分が目立っていただけなのだ。

 まあ僕はもともと特に黒猫がほしいと思ってこの猫を選んだわけではないし、このようなサビ模様の猫も一度飼ってみたかったので、不満があるというわけではまったくないのだが、こうまで黒猫から遠ざかってしまうと、なんだかサギにあったような気持ちになってくる。

 それにしても、この色構成は、あまり和猫風ではないように見える。特に、赤っぽい茶色の部分がそうだ。こういう色が入った猫の姿は、もっぱら欧米の猫の写真ばかりを集めたカレンダーなどでしか見ない気がする。どこかで洋猫の血が入っているのだろうか。

 クーを見ているといつも、4代くらい前にひっそりと欧米人の血が入っている田舎の元気で大柄な娘、というものを連想してしまう。

 たとえば、明治時代、洋妾(ラシャメン)としてハーフの子を産んだ母親が、結局シングルマザーとなってやむなく郷里に戻り、その子の血を引く者が代々その土地で育っている。むこうの血が入っているから顔もちょっとバタくさいし、体つきも大柄で、よく見るとかなり美少女なのだが、本人にそういう意識はまったくなく、ほかの子どもたちと一緒になって野原を駆けずりまわっている。そういうイメージだ。

 そしてその、かすかにエキゾチックな面立ちをした大柄な子は、遊び疲れるとふいに陽だまりでコテンと横になって、幸せそうな顔で眠りはじめるのである。

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2012年12月 4日 (火)

意外と働いている僕の脳

 近所のスーパーでレジに並んでいるとき(このシチュエーションが多いのはやむをえないことだ。僕はほぼ毎日、マンションの中か、それを中心とする半径せいぜい30mくらいの世界で生きているのだから)、店の人に以下のように言われて、一瞬固まってしまったことがある。

「お持ち帰り用の袋はおつけしてよろしいですか?」

  スーパーで買い物をしたときにくれるポリ袋のことを指しているのだが、意味がわからなかったのは、このひとことが、「つけてもいいか」という許可を求める形を取っていたからだ。

 最近では「マイバッグ」を持ち歩く人も多くなった。その店も、レジの手前のところにカードが置いてあって、ポリ袋が不要な人はそれをあらかじめカゴの上に乗せておけばいいようなシステムになっている。ただ、それに気づかない人もいるし、見たところマイバッグらしきものを持参していないからといって、本当にポリ袋が必要なのかどうかは判断しきれない。

 そのために、念には念を入れて、ポリ袋が必要ということでまちがいないかどうかを口頭で確認しようとするのはわかる。でももしそうなら、彼女は本来、こう訊ねるべきではないのか。

「お持ち帰り用の袋をおつけしましょうか?」

 店にしてみれば、ポリ袋はあくまでサービスとしてつけているもので、つけずに済めばコスト削減になってありがたいという位置づけにある代物のはずだ。ところが、それを「つけてよろしいですか?」などと言われると、まるで店が率先してつけたがっているかのように聞こえる。そんなはずはないということが僕の頭の中では当然の前提になっているので、だから言われたときとっさに意味がわからなかったのだ。

 もっとも、世の中にはあらぬことで言いがかりをつけてくる変な客というものが確実にいる。「おつけしましょうか?」などと訊こうものなら、「当たり前だろ、見りゃわかんだろ!」と、あるいは、「そんなことわざわざ訊いてきやがって恩着せがましいんだよ!」といきなりキレる人も、たぶん一定割合で存在するだろう。そういうトラブルを避けるために、とりあえず目一杯下手に出ておこうとする店の姿勢も、そう考えてみれば理解できる。

 いや、僕はなにも、レジの人の言い方が日本語としておかしいのではないかとか、そんな批判じみたことを言いたいのではない。おかしいのは事実としても、「変な人対策」としてはそれも無理はないと思えるからだ。僕が言いたいのは、こうした定型的なやりとりにおいても、人間の脳というのは意外とちゃんと言葉の内容を聞き取って、それに反応しているのだな、ということなのだ。

 買い物のときに使われる言葉なんて、ましてスーパーのレジならあらかたは決まりきっている。なんなら言葉などいっさい聞かずに、レジに表示された数字さえ見ていれば事足りるはずだ。実際そのときの僕も、彼女が口にする言葉に、特に意識的に耳を傾けていたわけではなかった。それでも僕の脳は、「あれ、なんか今、文脈的に変なこと言わなかった?」ととっさに「異変」を感じ取ったのだ。

 しかし僕はすでに、その店では、全員ではないが一部の従業員が、会計時にそう言ってポリ袋の要不要を確認してくるのだということを認識している。そうすると、「おつけしてよろしいですか?」という言い回し自体が「定型句」として僕の脳に登録されるので、もはやなんら戸惑うことなく、「はい、お願いします」と返すことができるわけだ。

 いや〜、人間の脳って、ほんっとによくできてますね(とってつけたような結論)。

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2012年12月 3日 (月)

反省する元会社員

 ふと気づくと、今日になってまだ一歩もマンションから外に出ていない。1階エントランスロビーの郵便受けに新聞や郵便物を取りに行ってすらいない。朝、出勤する妻を見送ったとき以来、当然、だれかと口をきいてもいない。

 厳密にいえばクーとは若干口をきいているが、もっと厳密に言うならそれは、「口をきいて」いるとは言えない。一方的に話しかけているだけだ(まあ、それでもクーは「んー」とか「ぎわー」などと、なにかしら返事らしきものは返すのだが)。

 こんな日もよくある。それで夜はだれかと飲みに行く約束をしていて、相手と会ってから、その日初めての会話らしい会話を始めるというパターンも。そんなときは、とっさに声が出なくて困ることがある。声そのものを何時間も出していないから、ということもあるが、どちらかというと、「人との会話の仕方」を一時的に忘れてしまっているのだ(猫との会話の仕方なら覚えているとしても)。

 サラリーマンと兼業の頃は、一応曲がりなりにも月〜金は出勤していたわけだから、さすがにそれはなかったな、と思いつつ、必ずしもそうでもなかったことに気づく。

 出社して、上司を始め席が近い同僚何人かに小声でおはようございますと挨拶して、仕事を終え、お先に失礼しますとやはり小声で極小範囲内の人にだけ挨拶する以外、会社でいっさい他人と口をきかずに済ませる日が、けっこう頻繁にあった気がする。

 もちろん、それでも立ち行くような種類の仕事ではあったわけだが、それにしても、ひどい社員だったなと今になって思う(いろいろな意味で)。今さらだが、謝罪の言葉を述べておこうと思う(口先だけで)。

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2012年12月 1日 (土)

未然に防げた感じの悪いブログ

 あなたがたはなぜそんなに頭が悪いのか。そんなに頭が悪くて恥ずかしくないのか。それを恥じるどころか、むしろ自分がいかに頭が悪いかということを誇らしげに吹聴してさえいるのはどういうわけなのか。というような内容の超感じ悪いブログをアップしそうになっているところで正気に返った。アップしなくてよかったなぁ。

 主よ彼らをお許しください彼らは自分が何をしているかわかっていないのです。

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