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2012年12月12日 (水)

さやかに風も吹いてゐる

 執筆準備中の小説がらみで父親に訊きたいことがあって、数ヶ月ぶりに川越市の実家に立ち寄った。門扉を開ける直前、近くに聳え立っている送電線の鉄塔がふと目に留まった。今日にかぎってそれに注意が向いたのは、たぶん、家の前に着いた時点で、すでに空が暗くなっていて、鉄塔の赤い警告灯が目についたからだろう。

 まっ黒な影にしか見えない雑木林の中からにょっきりと突き出し、不気味な赤い光を点じているその巨大な鉄骨は、暗い空を背景に圧倒的な異物感を放ちながらそこに屹立していた。雑木林と、せいぜい2階建ての住宅と、あとは駐車場や畑しか存在しないような土地において、その高さは法外で、桁外れで、まるでなにかが間違っているかのように思えた。

 しかしそれこそが、子ども時代の僕が飽きるほど眺めてきた光景なのだ。僕はその鉄塔を当然の構成要素として含む風景の中で、20数年を生きていたはずなのだ。それを「異物」と感じてしまうまでに、僕は東京での生活、見上げても丈の高い建物しか見えない生活になじんでしまっていたのだと思って、軽くショックを受けた。

 東京には空がないと智恵子は言った。カリフォルニアには空があると桑田佳祐は言った。銀林みのるさんの怪書『鉄塔 武蔵野線』を久々に読んでみようと思った。ああでも読まなければならない本はほかにも山のようにあるのだ。鄙びたる軍楽の憶ひ。手にてなすなにごともなし。

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