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2012年12月20日 (木)

悪夢としての会社勤め

 年賀状を刷るために住所録のメンテをした。去年の1月いっぱいまで僕は会社勤めをしていたので、必然的に会社関係人脈宛ての年賀状が一定以上の割合を占めていた。今年までは、なんとなく惰性もあって、その部分もあまり減らさなかったのだが、来年からはドッと減ることになるだろうと予想していた。

  だから年賀状を発注するとき、枚数を減らそうかとも一瞬思ったのだが、なんだかんだで結局買い足さなければならなくなるのもばかばかしいので、枚数は据え置きにした。結果としては、それで正解だったようだ。

 というのも、自分でも忘れていたのだが、会社関係人脈は、もともと極限まで切り詰めていたのだ。相手にどう思われてもかまわないという覚悟のもとで、この人はくれるだろうと予測がついていてもあえて出さなかったり、くれても返事を出さなかったりして、「これ以上は減らせない」というレベルまで削ぎ落していた。

 今回、名簿を見直したとき、会社関係人脈も一応すべてチェックしてみたが、それぞれ、なんらかの深い義理があったり、あるいは知り合ったのがたまたま会社だっただけで、今やそれとは無関係な友人になっていたりする人たちがほとんどで、結局、1人も減らせなかったのである。 

 むしろ、在職中でありながらそこまで大胆に切り詰めていた自分が鬼畜だったな、と今になって思う。 

 一方で僕は、平均して週に1度は、その会社に今もって通勤しているという設定の夢を見つづけている。しかもたいていは、遅刻しそうになって慌てているとか、その日着ていくべきスーツがなくて困っているとか、なにか厄介な課題を与えられて辟易しているとか、仕事が期日までに終えられないことに対する言い訳を考えているとか、そんな気づまりで憂鬱な内容の夢である。

 現実の僕は(たぶん)そこまでダメ社員だったわけでもないと思うのだが、会社に通うことを僕自身がどう捉えていたのかを図らずも鮮明に描き出している夢だとは言えるだろう。

 ちなみにそうした夢に出てくる会社は、ときに学校の教室のようであったりするし、またかつての上司が教師として登場したりもする。少年少女から老年期にある人物まで、あらゆる年齢層に属する人々が、「生徒」として同じ教室に存在している世界を描いた僕の『3・15卒業闘争』の設定は、何を隠そう、僕自身が夜ごと見ているそういう夢に着想を得たものなのだ。

 それにしても、会社を辞めてすでに2年近く経過しているというのに、いまだにその頻度で会社の夢を見つづけているというのは、いささか異常な気がする。会社に通うことは、僕にとってそれほどまでに悪夢的なことだったのだろうか。最後の10年ほどの間は、少なくとも表層意識ではそんな風に思ったことなど一度もなかったはずなのに。

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