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2012年12月23日 (日)

『あの日の僕らにさよなら』

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 かつて、家へと向かう道があった。かつて、わが家に通じる道が。眠りなさい、かわいい人よ、泣くのをやめて。子守唄を歌ってあげるから(ポール・マッカートニー)。

 かつて、『冥王星パーティ』という本があった。2007年3月に新潮社から刊行された、僕の4作目の単行本である。この本は非常に不遇な本で(まあ言わせてもらえるなら、不遇でない僕の本など1冊もないと思うのだが、これは特に)、一般読者からはほとんど注目を浴びることもなく、人目につくところからひっそりと退場させられた。

 その単行本時代の絶望的な売れ行きからいって、文庫化はまずありえないものと僕は早い段階であきらめていた。あとは、単行本がいつ絶版になり、断裁されてただのゴミと化すかだったが、この本はなんたびか、(新潮社内で僕を支持してくれている奇特な人々によって)存亡の危機から救われることになる。

 その詳細をここで語るのは控えておくが、今回、『あの日の僕らにさよなら』という本が新潮文庫から刊行されることは、まさにその「救済」の結果なのだということだけは言っておこう。

 これは、『冥王星パーティ』を改題して文庫化したものである。元のタイトルにも非常な思い入れがあったし、担当編集者もその点には理解を示してくれていたのだが、僕の本のタイトルというのは概して、「読み終えてからあらためて眺めると、その意味がしみじみわかる」というものが多い。それだと書店に並べたとき、目を引きにくいので、この機会に、タイトルを見るだにある程度テーマやモチーフが伝わるものに変えようということになったのだった。

 タイトルどおり、これは、ある意味での訣別の物語である。ただそれは、終わりを意味する別れではない。不器用だった青春時代のつまずきや、それが原因で自分の中に抱え込むことになってしまったこだわりやトラウマなどに区切りをつけ、あらためて未来へと足を踏み出していくための、せつないけれどすがすがしい訣別なのだ。

 青春時代を器用に生きられる人なんてほとんどいない。その後、歳を重ねて、「あの頃」がぼんやりとした遠景に変わっていったとしても、チクリと痛む古傷のひとつやふたつ、誰だって心の奥底にひそかに隠し持っているものだろう。身に覚えのある人なら、この陰影を帯びた物語に、そしてそれが投げかけるメッセージに、必ずや反応してくれるはずだ。

 この本について語りたいことは山のようにあるので、今後も何度かに分けてここで語らせてもらうつもりだが、まずは発売の告知である。早ければ24日には店頭に並びはじめるはずだ。ご覧のとおり、赤いオビがつき、クリスマスっぽい出で立ちになっているので、探しやすいだろうと思う。

 ちなみに解説は、「王様のブランチ」などで知られるライターの瀧井朝世さんである。

 思えば瀧井さんとは、5年前、単行本の方が出たとき、「anan」でインタビューを受けたのが初対面だった。それ以来彼女は、僕の作品のよき理解者でありつづけてくださっているのだが、今回の解説は、そんな彼女がまさに痒いところにまで手を届けまくっているような内容であり、原稿段階で最初に拝読したときは、「そうそう、そうなんだよ!」と感激のあまり少々涙ぐんでしまった(それほどまでに、単行本が売れなかったことが悲しかったのだということでもある。)

 単行本時代のこの本のセールスは正直たいへん寂しいものだったが、それは作品の内容が悪かったせいではないと僕は信じている。事実、何人かの書評家さんなど(瀧井さん含む)は、この本がきっかけで僕を見出し、今でも厚い支持を寄せてくださっているのだ。当時、一般には必ずしも伝わらなかったその真価が、装いもタイトルもあらたにしたこの文庫版で多くの人に伝わることを、心から祈っている。

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