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2013年1月 1日 (火)

猫なみ

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 例年、正月には、鏡もちのまわりに、陶器製の小さな招き猫をぞろぞろと並べて飾るのだが、半日と経たないうちにその隊列が乱されたり、一部が床に落とされたりするのが普通である。

 というのもクーが、机やキャビネットなど平らなところに乗っている小さなものを見ると、ちょっかいを出して床に落とさずにはいられないタチだからだ。いったい何がおもしろいのか、自分の手でものを床に落としては、その落ちたものをじーっと見つめている。

 ところが今年にかぎっては、まだ被害がいっさい発生していない。どうやら、例年と違い、鏡餅をわずかながら深さのある皿に載せ、招き猫もその中に配置する形にしたのがさいわいした模様である。

 きっとクーは、対象物が「平らなところ」にないと、床に落としたい衝動に駆られないか、もしくは床に落とすべきものとしてそれらを認識できないのだろう。それはあくまで、「なにかが載った皿」でしかなく、その内容物たる「なにか」は、漠然とした集合体としてのみ認知されているのではないかと思われる。

 おかげでクーは、招き猫たちを前にしてもまったくノーマークで、自らが正月の飾りの一部ででもあるかのようにおとなしく鏡もちの隣にこうして鎮座している。

 いつも大喜びで床に落としていたものたちがすぐそこにあるのに、それに気づかないなんて不憫だなあと思うが、僕も人のことはまったく言えない。奇しくも今日、妻と一緒に近くの神社に初詣に行った帰り、駅前にあったはずの弁当屋さんがいつのまにか薬局になっていることに驚いていたら、「かなり前からそうだよ」と呆れられてしまったのである。

 そこに弁当屋さんがあれば、「ああ、弁当屋さんがあるなぁ」と認識できるのだが、それがなくなってしまったり、別のものに変わってしまったりしても、かなり長い間、僕はそれに気づくことができないのだ。たとえ毎日のようにその前を通っていたとしても。

 猫なみの認識能力ということだ。新年早々、自らに猛省を促したい。

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