« 鬼畜です、空洞です | トップページ | 著者謹呈の札に思う »

2013年1月24日 (木)

実は好きだったかもしれない曲

 今日、日中に文藝春秋の人と打ち合わせをして帰ってきてからずいぶん長い間、ジャーニーの「セパレイト・ウェイズ」が頭の中でずっと流れていて、ある時点で「なんでだろう?」と思いはじめた。

 この曲がヒットしたのは1983年、実に30年も前のことだが、当時の僕はこの曲を特別愛好していたわけではない。というより、どちらかというと、いや、もっとはっきり言おう、はっきり言います。嫌いだった。大嫌いだった、と言っても過言ではないほどだ。たいしたこと語ってもないくせになんなんだこの無駄な悲壮感溢れる大げさなアレンジは、という感じで。

 だから今になってその曲が頭の中で突如として自然にリバイバルするはずもないと思い、原因を探ってみたら、あっけなく判明した。

 帰宅前に立ち寄った近所のスーパーで、これが流れていたことを思い出したのである。もちろん、原曲ではなくて、スーパーの店内BGMにありがちな、イージーリスニング風にテキトーに編曲されたインストルメンタルとして。

 前から僕はあの手のBGMの選曲基準についておおいに疑問を感じているのだが、今回はとみに首を傾げざるをえない。なぜ、「セパレイト・ウェイズ」なのか。世の中にこれだけ、数えきれないほどの楽曲が溢れかえっている中で、いったいどんな理由があってあえてこの曲を? どうしてもっと、ああいうちょっとネムいアレンジにしても聴くに耐えるような、軽いポップス風の曲にしないのか。

 この曲の有名なギターソロの部分も、シンセサイザーの安いブラス系の音色で、「ぽぇーーにょえーー、ぽぇーうぇーぽぇーーにょえーー」みたいな寝ぼけたものに化けてしまっていて、洗濯に使う柔軟剤の詰め替え用パックを手に取りながら、なんだか悲しくなった。いいのかこれでジャーニー!

 と、まるでジャーニーに肩入れするようなことを言っているが、先に言ったように僕は、別にこの曲が好きだったわけではぜんぜんない。ただ、どんな曲にもその曲にふさわしい装いがあって、そこから逸脱するにしても限度というものがあるのではないか、ということが言いたいのだ。

 そして今、これを書きながらふと思い出したのだが、当時僕が大嫌いだったこの曲、なぜか僕の母は好きだった。普段、洋楽などに、わけてもロック系統の曲などにはまるで関心を示さなかった母親が、である。「この曲、いいじゃない。よかったらダビングして」といわれて、母用のテープを作ってやった記憶がある。

 もっとも、母はアルフィーの「星空のディスタンス」も好きだと明言していたので、その流れで「セパレイト・ウェイズ」も「いい」と感じたのかもしれない(あの頃のアルフィーはなぜかジャーニーに、というより「セパレイト・ウェイズ」に異常接近していたので)。

 かく言う僕も、母のためにダビングできたということは自分でなにがしかの音源を持っていたということだし、今日、頭の中でこの曲が鳴り響いている間も、サビのOne night will remind you how we touched and went our separate waysという歌詞をソラで正確に覚えていた。もっといえば、Separate waysの部分が、曲名であるにもかかわらず、歌うときには「セーペウェイズ」くらいに短縮して発音しないとまにあわない、という細かい点さえ記憶していた。

 もしかして自分、この曲実は好きだったんじゃないのか?

|

« 鬼畜です、空洞です | トップページ | 著者謹呈の札に思う »