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2013年2月27日 (水)

拗ねることもできたとは

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 23日から3日間、北海道旅行に行っていた。必然的に、クーを前日からまた川越の実家に預けることになった。

 帰京した翌日、迎えに行ったところ、4日ぶりに会ったクーは、喜んで僕に駆け寄ってくるどころか、3階にあるベッドの陰に隠れてしまって、そこから警戒するような目つきでじっとこちらを見守っている。

 近づいても逃げてしまうので、いったん離れると、離れた分だけは近づいてくるのだが、そこで手を伸ばすとまた逃げてしまう。そういう緊迫感溢れる追いかけっこのような状態が15分ほど続いたあと、ようやくつかまえることができたのだが、それでもなお、ゴロゴロいったりは決してせず、こわばった表情で身を竦ませている。

 旅行などで何日か実家に預けたあとは、たいていこんな調子である。僕はそれを、僕のことを忘れかけているのだという風に解釈していた。猫はもともと現金な生き物だし、預かってくれている両親ともうまくやっているようだから、すでに実家の猫になりかかっているのだ、と。

 しかし母親に、「そんな簡単に忘れるわけがない」と言われて、もしかしたらこれは拗ねているのかもしれないと初めて思った。

 たしかに先代の猫ういは、同じような場合に、「拗ねる」という表現を非常にわかりやすく示す猫だった。連れ帰ってもしばらくの間は、「どちら様でしたっけ?」とでも言わんばかりのつれない態度を取りつづけ、丸1日経ったあたりでようやく許してくれるのである。しかもそれが、「忘れかけている」といったことではなく、デモンストレーションとしてあえてそうしているのだということを、物腰などから容易に察することができた。

 クーの態度について、当初それと同じものだと思わなかったのは、クーが日ごろは(ういと違って)おそろしく素直で、あけすけというかあけっぴろげというか、いろいろなことが丸出しの性格だからだ。そういう性格なら、「拗ねる」などという屈折した行動は取らないだろうと決めつけていたのである。

 クーもまた、クーなりのやり方で拗ねていたのだということを確信したのは、じれたようにもがくのをなかば押さえ込むような形で抱っこしていたときのことだ。一瞬だけ「ゴロゴロ」と喉を鳴らす音が聞こえ、その直後、ハッとしたような顔になって、急にそれをやめたのだ。習い性でつい喜びそうになってしまってから、まだ僕を許していないことを思い出して、慌てて取り消したのだろう。

 しかしそこは、素直であけすけであけっぴろげなクーである。家に連れ帰って30分もしないうちに、すっかり機嫌を直していつもどおりに僕に甘えはじめた。というより、何日か甘えられなかった分を取り戻そうとしているかのように、それから今に到るまで甘え通しである(画像は、昼寝中の僕のベッドに入ってきて、胸の上に半身を預けているクー)。

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