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2013年4月18日 (木)

極東浄土(2)

 博士はなお口をもぐもぐさせながら疑わしそうな目でクランシーを見つめていたが、やがて詮索を断念して椅子に座り直した。

 この家に住む三人のアメリカ人が、表向き父親とその息子二人だということになっているのを、ジーグフェルド博士は知らない。正確には、それがわかっている博士とわかっていない博士がいる。今クランシーが向き合っているのは、わかっていない方の博士だ。わかっている方の博士は、ここ数ヶ月姿を現していなかった。

 博士とクランシーは二十ほどしか歳が離れていなかったが、博士が実際の年齢より十は老けて見えたために、この二人が親子というのは思いのほかまことしやかに見えたかもしれなかった。問題はユージンだ。今年でやっと二十になるユージンは、その少年めいた美貌もあいまって、クランシーの弟というよりはむしろ息子に見えかねなかった。

 もっとも、彼らが家族であることをわざわざ疑う人間がいるとも思われなかった。この家は街から離れた山腹にあり、訪れてくる他人といえばデリバリーのピザ屋か国営放送の受信料集金人、それに月に一度お決まりの栄養物パックを配送してくるメディネットの軽トラックだけだった。

 古い家だ。革命前から王政府お抱えの「外国人」がかわるがわるここを使い、ここ十年ほどの間はジーグフェルド博士が家主となっている。クランシーはときどき、ここに住んでいるのが自分たちだけではないような気がして怖気をふるうことがあった。廊下にだれかがいる。まわり込むとその影は消えている。

「ユージンはいないのか?」

 クランシーはそう言いながら煙草に火をつけた。博士に質問したつもりはなかった。この家で人間らしい会話が成立することなど期待していなかった。会話が成立しているように見えるとしたら、それはたまたま、複数の独り言が偶然接点を見出しただけのことなのだ。

「アイザック、食事中だぞ」

「ユージンの車がガレージにないかどうか今朝見なかったかい?」

「煙草はやめた方がいいと私に何度言わせれば満足するのかね。君の健康が問題なんじゃない。清澄な空気のことを言ってるんだよ。清澄な空気。それは必要なものだ。不可欠なものだ。もしも君がこの------

 クランシーは、マッシュポテトをこぼしながらしゃべりつづけるジーグフェルド博士を尻目に、リビングの窓に向かって歩いた。一歩進むごとにドスドスと床が鳴る。セイウチみたいに肥えた自分の体が腹立たしくなる。

 カーテンをめくってガレージの方を見ると、ユージンのロールスロイスは見当たらなかった。

「あのガキ…」

 クランシーは舌打ちをして、栗色の髭に覆われた頬を指でさすった。

 ユージン・バークを拾ってこの家に住まわせたのはクランシーだった。「ブルー・キューブ」というゲイ・クラブでバーテン兼男娼として働いているところに声をかけたのだ。「気持ちがよかったから」金はいらないと言い、そのかわり住むところがなくて困っているのでしばらく泊めてほしいと潤んだ目で言った。

 ジーグフェルド博士は激怒したが、ユージンが「神の聴者」への入信を表明したら不承々々共同生活を認めた。


(つづく)

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