極東浄土(3)
それから一年になる。
ユ−ジンはアリゾナ州の田舎町に生まれた。十歳のとき、母親は夫からの暴力に耐えかねて家を出ていった。もともと、三人家族には狭すぎる家だった。それから十七歳で家出をするまでは、父親から「変態」と罵られて毎日のように理由もなく殴られつづけた。
「それで食料品店から金を盗んで、わざわざこの国まで来たわけかい」
ユージンと暮らしはじめた頃、クランシーはさして興味もなくユージンに訊ねたことがある。
「なんでここを選んだんだ?」
「お母さんがこの国のどこかにいるにちがいないから」
「なぜそう思う? なにか確証があるのかい?」
「カクショウ…?」
「おまえがそう思う理由だよ」
ユージンはしばらく考えてから、母親がいたころ、この国で作られた扇子を持っていたのだと言った。折り畳むとスティック状になる、精巧な扇子。広げると首の長い鳥の絵が描いてあって、不思議な香りがする。母親がどこでそれを手に入れたのかはわからない。でもきっと、母親はその扇子をたよりに、この極東の島国に楽園を求めてやってきたにちがいないのだ。
クランシーは、ユージンの母親はせいぜいアルバカーキあたりのコーヒーショップでケツを振りながらチーズサンドイッチを給仕しているのが関の山だろうと思ったが、何も言わなかった。どうでもよかったからだ。
そう、ユージンのプライバシーなどどうでもいいはずだった。クランシーはただ、夜ごと若い男を漁りにキタノ界隈をさまよわなくてもいい環境が欲しかっただけだ。クランシーはモンゴロイドや黒人の男に対してまったく性的関心をそそられなかったが、この国で白人のゲイを安定的に確保しておくのは容易なことではなかった。
ユージンはその点で理想的だったが、独占するつもりはさらさらなかった。男娼の仕事も続けていていいという条件で呼び寄せたのだ。そして事実、ユージンが仕事としてほかの男と寝る分には、クランシーは何も感じなかった。しかし、若い娘となると話は別だ。
ユージンがバイ・セクシャルであることには当初からうすうす勘づいていたが、ある夜、在住外国人が集うバーの片隅で、若い、しかもこの国の娘の耳に唇を押しつけているユージンを偶然見かけた。
白人で整った顔立ちをしていれば、この国である種の女たちを惹きつけるのに格別の努力は必要ない。最初クランシーは、自分の胸中に沸き起こった激しい感情がその娘に対する侮蔑の念だと思ったが、少しするとそれが、奇妙なことに、抑えきれない嫉妬であることに気づいた。
それ以来、ユージンが夜通し家に戻ってこないと、クランシーは彼が女のもとで過ごしたのだと根拠もなく決めつけた。想像の中の女は、骨っぽい体つきをした目の細い娘だ。それはバーで見かけた娘ともまた違っていて、なぜか深いスリットの入ったチャイナドレスのようなものを着ていた。
ユージンが戻ると、クランシーは何も言わずにその体をベッドに組み伏せた。クランシー自身よりもむしろ筋肉の発達した、ばねのような弾力のあるその体。ちょっと前までユージンがその女と床を共にしていたという想像が、クランシーをいっそう興奮させた。
最近、ユージンが戻らない夜が増えている。
そして、このごろのユージンは、クランシーの体をきわめて微妙な形で避けはじめていた。強引にベッドに誘えば露骨に抗いはしないが、行為が終わるのをじっと耐えているような気配がある。
「御神体に供物を捧げたか?」
背後からジーグフェルド博士がしわがれ声で怒鳴った。この男は三回に一回は怒鳴る。みんなで食卓を囲っているようなときでも、意味もなく怒鳴るのだ。クランシーにはときどきそれが癇ににさわって、聞こえなかったふりをすることがある。
「アイザック、御神体に供物は捧げたかと訊いてるんだが」
「聞こえたよ。まだだ。見ればわかるだろう、俺はたった今ベッドから出てきたばかりで…」
「聖なる御神体に供物を捧げることを怠るなと私はあれほど------」
「わかった。今やるよ」
クランシ−はリビングのドアをわざと乱暴に音を立てて閉めると、いまいましい思いで階段を昇っていった。
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