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2013年4月20日 (土)

極東浄土(4)

 死体。

 クランシーにはそうとしか聞こえなかったし、そうとしか思えなかった。それは中二階の奥まった部屋に安置され、そのドアは廊下側から施錠されていた。窓はあるが、いつも分厚い遮光カーテンを引いたままだし、外側にはものものしい鉄格子がはめてある。ナンセンスだ、とクランシーは思う。この「死体」が動き出して脱走を図るとでもいうのか。ここ十四年の間、眉ひとつ動かしたことのないこの無力な肉体が?

 部屋には甘酸っぱいにおいがこもっている。週に一度、この肉体を洗浄する際に使用する液剤のにおいと、肉体そのものの体臭が混ざったものだ。それが依然として腐敗していないのを見るたびに、クランシーはあらためてそれがまだ「死体」ではないことを悟る。

 クランシーはクローゼットの中に積んである紙の箱から栄養物と生理食塩水のパックをひとつずつ取り出し、ベッド脇のラックで空になっていたパックと交換した。栄養物は黄色っぽいどろりとした半固形物で、これが生理食塩水を媒体として少しずつ、横たわったままの肉体に注入される。日に一度はこうして「御神体に供物を捧げ」なければならない。この家でのクランシーの主な仕事はそれだ。

「この仕事には助手が必要なんだ、できれば住み込みのね。私の意図を正確に理解してもらうためにも、英語を話せる人間であることが望ましい」

 はじめて会ったとき、ジャスパー・ジーグフェルド博士は、フローズン・ダイキリをソフトドリンクみたいに勢いよく口に注ぎ込みながらそう言った。

「しかし、困難な仕事だ。目に見える効果がすぐには現れなくても、即断を避けて注意深く待ちつづける忍耐力も必要とされる。これまでにも何人かの助手を雇ってきたが、いずれも三ヶ月ともたなかった。忍耐は美徳のひとつだが、現代人は概して美徳というものに関心を払わない。美徳を金で換算するのは難しいのでね。君もそのクチかね、クランシー君」

 取材も執筆も思うように進まず、さりとてニューヨークから持参してきていた資金も底を尽き、帰国する費用さえ捻出できなくなっていたころだった。日銭を稼ぐために英会話スクールでアルバイトをした帰り、ビールを煽ろうとあてずっぽうに入ったバーのカウンターで、たまたま隣り合わせたのが博士だった。

「俺は必ずしもそうは思いません。美徳は結局、未来に対する投資になります。金銭の問題じゃない、自分が生きてきたことの意味が問われる瞬間が、いつか誰の身にも訪れるんですよ。そのためにも、忍耐は必要だと思いますよ、俺は」

「おお、君と私の考え方には多くの共通点があるようだ。どうだね、私と一緒に忍耐という美徳を追究してみないかね?」

 自分が生きてきたことの意味。

 自分で言ったその台詞を思い出すたびに、クランシーは居心地の悪い思いをする。この先三十年生きたとしても、そのとき、自分がそれまで生きてきた意味など見出だせるだろうか。自分の人生はどこかで道を間違えてしまったのだ。

 クランシーが博士の助手でありつづけたのは、博士が助手に要求する忍耐力を備えていたからではなかった。ただ、ほかに選択肢がなかったからだ。この国の人間がしばしば口にする「ショーガナイ」というやつだ。

 忍耐という美徳に関心を払わなかったのは、博士の家族も同じだった。

 ジーグフェルド博士は革命前からこの国に家族とともに滞在し、認知言語学者として王政府の非公開プロジェクトに参画していた。政権が覆されると、王室のお抱えとして庶民には及びもつかない高給を与えられていた外国人専門家たちは迫害の対象になったが、博士は帰国しようとせず、私費で「研究」を続けた。やがて妻と二人の子供はあいそをつかしてアメリカに帰り、その一年後には正式に離婚した。

 その際、博士は相当額の慰謝料を支払い、その後も子供の養育費を月々送金しつづけている。そして現在の彼の職業は、宗教団体「神の聴者」の教祖だ。教祖としての報酬はゼロ。信者はアイザック・クランシーとユージン・バークの二人。その二人さえ、ニューヨークの多くの「プロテスタント」と同じだった。つまり、名簿に名を貸しているだけだ。

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