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2013年4月21日 (日)

極東浄土(5)

 博士が自分自身と二人の信者、それに中二階の部屋に安置された「御神体」を養う資金をどうやって工面しているのか、クランシーは知らなかった。もともと資産家だったという話をずっと前に聞いたような気もしたが、さだかな記憶ではなかった。

 そもそもクランシーは、ジーグフェルド博士個人について、ほとんど何も知らなかった。知っているのは、この館に寝泊まりして気味の悪い「御神体」の世話をしていれば、とりあえず食っていけるということだけだった。

「さあ、ウマウマをあげまちたよー、おいちいでちゅかー」

 クランシーは物を見る冷たい視線で、もの言わぬその肉体を見下ろしながらそう言った。

 かつて王立の研究機関で、ジーグフェルド博士の上司であったという男。今はその博士によって「御神体」として崇められているその肉体。

 始末に負えなくなるまでろくに切らない頭髪や髭のせいで、その風貌は人間離れして見える。よく見れば目も鼻も口もそれぞれ適正な位置についているが、こぎれいにしたとしても、それはどこかが異様であるに違いなかった。

 醜い東洋人の顔だ。

 黒い髪や髭に白いものが混ざっているだけに、それはいっそう醜悪で奇怪なものに見えた。

 クランシーはどうしても、モンゴロイドの顔が好きになれなかった。刀で削いだような細い目。死にかけている人間のような黄色い肌。何を考えいるのかわからない、うすら笑いを浮かべた口もと。十四年間眠りつづけているというこの「御神体」の唇にさえ、うっすらとそれが浮かんでいるように見える。

 ネアンデルタール人や北京原人は、こういう顔をしていたに違いない。本来はもう滅んでいていい人種なのだ。この連中が今もこうして地球上に棲息しているのは、なにかの間違いに過ぎないのだ。

 それはクランシーが受けてきた教育にはまっこうから対立する概念であったし、自らこの国に興味を持って訪れてきたという事実とも矛盾していた。しかし人間にはしばしば、理屈で説明のつかない複数の基準があるのだ。クランシーは、その相矛盾する二つの基準に、無自覚なまま引き裂かれていた。

 人間よりは猿に似ていると感じる「御神体」の顔が、ときには西洋文明がついに到達しえなかった深い叡智を体現する崇高な面貌に思われることもあった。そして事実、このでくのぼうの脳髄には、金に換算できないほどのある重大な秘密が隠されていた。少なくとも、ジーグフェルド博士はそう主張していた。「わかっている」方のジーグフェルド博士がそう主張しているのだ。

「エングラムという言葉を知っているかね?」

 博士が、はじめて「御神体」をクランシーに見せる前に言ったことだ。もっともそのとき博士はそれのことを「植物人間」としか呼ばなかったが。

「記憶に残ってるイメージ、のことですか?」

「そうだ。正確には、細胞内に形成される記憶の痕跡、ということだな。人間の記憶というものはあやふやであてにならないものと言われているが、実はそうじゃない。ビデオと同じくらい、あるいはそれ以上に克明で正確で、情報量も途方もなく大きいんだよ。ただ、それを脳内のメモリに常駐させていると、他の情報処理の障害になるから、仮にハードディスクのどこかにスリープさせておかなければならない」

「わかっている」方のジーグフェルド博士は、学者の多くがそうであるように変人には違いなかったが、少なくともその知性と現実認識能力に信頼を置くことをためらわせないだけの頼もしさを身に帯びていた。クランシーが出会ったころはまだ、そっちの博士の方が出現頻度が高かったのだ。

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