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2013年12月13日 (金)

嘘くさいconfession

 あまりにも長い間ブログを放置してきたことについて、まことに慚愧の念に耐えないところがある。と書きながら思うことは、「慚愧の念に耐えない」だとか「断腸の思い」だとかいう大げさな言いまわしは、大げさであるというその一点においてすでに、嘘くさいと謗られてもしかたのないところがあるなということである。

 いや、反省しているのは本当なのだ。しかしそうは言っても作家なんてしょせん嘘つきだしね。まあ最近は必ずしもそうではないみたいだけど。作家であってもなんか普通に、実際に思ったことしか口にしなかったりする人が増えてるみたいだけど。でも僕はそういう誠実で心やさしい作家の1人であることはたぶんできないと思うんです。すみませんすみません。生まれてすみません。

 それはそれとして、2ヶ月半ぶりくらいのブログで何を書こうかという話ですね。山手線最終で何処へ行こうと云うの(椎名林檎)、という話ですね。じゃあ、最新刊の『四月、不浄の塔の下で二人は』を発表するにあたって感じていたジレンマの話でもしましょうかね。

 予備知識なくあれを読みはじめた人の多くは、「あ、これはファンタジーかSFだな」と思うことでしょう。当然のことです。そういう風にミスリードしているわけだから。でも読み進めるにつれて、どうやらそうではないらしいということに気づいていくことと思います。

 その時点で、「あ、そういうことだったんだ!」とおもしろがってくれること。僕はまさにそれを期待して、あえてあのような書き方をしているわけなんだけど、人によっては、それに気づく前の時点で、「え、これってファンタジーなの? そういうの苦手なんだよなー」と見切って、読み進めるのをやめてしまうかもしれない。 

 ファンタジーとかが苦手な人がそうやって離反してしまうのを防ぎたくて、僕はわりと早めの段階で、「いやいや、待ってくださいよ、そうじゃないんですよ、これはあくまで現代日本を舞台にしたリアルな話なんですよ」ということがわかるように、作中世界のそういう一面もわかりやすく提示しているつもりなんだけど、それでもなお、ピンとこない人が一定量どうやらいるらしく、じゃあどうすればいいのかなと。

 途中まで「ファンタジーなのかもしれない」と思わせられなければ、実はそうではなかったということがわかったときのサプライズが骨抜きになってしまう。そうかといって、あまり長い間それが発覚しないと、ファンタジー嫌いな人たちからそっぽをむかれてしまう。 

 だけどまた僕はこうも思うわけですよ。僕はそもそも、先般、今回の第25回でひとたび休止になると発表された日本ファンタジーノベル大賞からデビューした人間であり、SFとかをかなり熱心に読んでいた時期もあるし、ファンタジーで何が悪いのかと。そういうのを敬遠する人たちの気持ちも理解できるんだけど、そうとわかった時点で読むのをやめてしまうってさびしすぎるんじゃないかと。

『四月、不浄の塔の下で二人は』はそもそもファンタジー「ではない」わけだけど、あれを書いている間、僕はずっとそんなことを考えつづけていた。

 それに、言わせてもらえるなら、小説なんて、最終的には全部ファンタジーじゃないですか。小説というもの自体が、本源的にファンタジーであることを免れないわけですよ。その条件下で、肯定的な意味においてであれ否定的な意味においてであれ、ジャンルとしての「ファンタジー」にこだわることに、いったいどれだけの意味があるというのか。

 いや、やめよう。こうして「ジャンル論」を始めてしまうと(言うまでもないことだが、僕自身はジャンル分けなどまったくくだらないものだと思っている)、底なしの泥沼にはまっていってしまう。僕としてはとにかく、わかってくれる人に読んでほしいだけなのだ。

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