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2015年8月31日 (月)

極私的読書ガイド(2) ------ラスマンの申し子たち(1)

さて、気が削がれないうちに続きを書いておこう。

僕のデビュー作『ラス・マンチャス通信』は、単行本刊行時の帯に「カフカ+マルケス+?」と書かれたような、一風変わった作品である(厳密にいえば、ここは本来「マルケス」ではなく「ガルシア=マルケス」と書くべきなのだが。「ガルシア」はこの作家のファーストネームではない。それは「ガブリエル」だ。この作家を「マルケス」だけで呼ぶのは、ゴーストライター問題で一躍有名になった佐村河内さんを「河内さん」と呼ぶみたいなものなのだ)。

くだんのコピーは、作品の特徴をかなり的確に言い表したものだと思う。作品を構成しているのは、まさにカフカ的不条理とガルシア=マルケス的マジックリアリズム、それに加えて、なんとも形容しようのない奇妙なペーソスみたいなものだからだ。

この作品は、一部では評価が高かったはずだと今でも思う。絶対数はそう多くないながらも、熱烈な支持者が一定量存在することを、当時は肌で感じていた。

そういった奇特な人々は、僕が続けて似たような作品を発表していくことを期待していたと思うし、実際、ネット上でも、ある時期まではそういった「待望論」を目にする機会が多かった(最近めっきりそうしたものを見かけなくなったのは、この作品そのものがほとんど忘れられてしまっているからだろう)。

ところが僕は、かなり長い間、文字どおりの意味での同系列の作品を発表しなかった。なぜかといえば、理由はほとんどひとつしかない。------売れなかったからだ。

ひとつ断っておきたいのだが、僕自身は、「売れることがすべて」とはまったく思っていない。しかし、曲がりなりにも商業ベースで本を発表していく以上、そうそうわがままも言っていられないわけである。

僕にしてみれば、「作家として生き残っていくこと」「次もまた仕事をもらえる立場でいつづけること」が当時は最優先の課題だった。そして出版社としては、売れもしなかった本の二番煎じをあえて作家にやらせる愚は決して犯さないだろう。

『ラス・マンチャス通信』には、少なくとも「日本ファンタジーノベル大賞受賞」という看板があった。あまり知名度の高い賞ではないながら、その看板だけで一定の集客は見込めたはずだ。それでも売れなかったというのに、似たような趣向の作品を、今度は看板もない状態で出したところで、それが前作以上に売れることはほとんど期待できない。

その判断は妥当だったと思うし、だから僕もそれに従ったのだ。それがまちがっていたとは今でも思わない。もしもあの頃、「いや、自分は『ラス・マンチャス通信』みたいな作品しか書く気がありません」と我を張りつづけていたとしたら、僕は早晩、どの出版社からも相手にされなくなっていただろう。

しかし一方で僕は、『ラス・マンチャス通信』(※以後、「ラスマン」と略させていただく。この略称は、デビュー当時から僕のブログを読んでくれている人々にとっては懐かしい響きだろう。そのうちの何人が今も残っているのかはたいへん心許ないにしても)みたいな作品を再び書くことを断念したわけではまったくなかった。

臥薪嘗胆の思いだったのだ。今はそれがかなわなくとも、ほかの路線の作品で芽が出れば、大ヒットとはいわずとも一定以上売れる作品を出すことができれば、もう少しは自分の希望も通しやすくなのではないかと。それまでの間、辛抱していればいいと思っていたのだ。

それに出版社側も、というより、ここは「編集者の人々も」というべきだろう(「出版社」と「編集者」は、決してイコールではない。後者は前者の一部ではあるが、両者の間で価値観がすんなり共有されているわけでは必ずしもない)、彼らの多くも、ラスマンという作品を高く評価し、またそういうものを僕に書いてほしいと思っている点では、僕自身と同じ気持ちを共有していたと思う。

ただし、「ラスマン」とまったく同じ要領では難しい。それは、売れないとわかっているものをあえて商品化するみたいなものだからだ。そこで多くの編集者は、こう考えた。------ラスマンの持ち味やエッセンスを、少し違った角度から、つまりもう少し一般受けしやすい形で活かす方法はないものだろうか。

編集者たちのそうした思案と、それを受けて精一杯工夫した僕自身の努力が、「ラスマン」のDNAを受け継いだ一連の作品群をその後10年近くにわたって生み出しつづけていくことになる。

先に作品名だけ列挙しておこう。それは、『株式会社ハピネス計画』(2008年)、『プロトコル』(2009年)、『魅機ちゃん』(2009年)、『全世界のデボラ』(2009年)、『3・15卒業闘争』(2011年)、『出ヤマト記』(2012年)、『僕の心の埋まらない空洞』(2012年)、『ルドヴィカがいる』(2013年)、『四月、不浄の塔の下で二人は』(2013年)、そして『ここを過ぎて悦楽の都』(2014年)である。

あらためて挙げてみて、「こんなにあったか」と自分でも驚いている。作品をすでに読まれている方の中には、「なぜこの作品がここに?」と不思議に思う向きもあるかもしれないが、「少なくとも出発点はそうだった」という但し書きをつけるかぎり、これらはすべて「ラスマンの申し子」たちなのである。

次回以降、それぞれの作品について詳述していこう。

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2015年8月30日 (日)

極私的読書ガイド(1) ------序

まったくの気まぐれから、僕自身の作品について一種のガイドみたいなものを書いてみる気になった。「作風が毎回違う」といわれるけれど、実は見かけほど違うわけではなく------ってああもうなんか語りはじめた矢先からめんどくさくなってるな。

そんな具合なので、いつまで続くかはわからないし、突然中断してなんの申し開きもしないままかもしれない。それでもいいなら読んでみてほしい。って、これが人になにかを読んでもらおうとする態度だろうか。

基本的には、「一見一作一作がバラバラに見える平山瑞穂作品にも、実は“系列”がある」という観点からガイドしていこうと思うのだが、それに際してまずは何に重きを置くべきなのだろうか。売れているかどうか? ------いや、ぶっちゃけそんなことをキーにできるほど売れてる作品がないしね。

というわけで、当方としては、売れているかどうかはまったく度外視した上で、あくまで僕自身の好みから全作品を俯瞰して勝手にカテゴライズするという方針を推し進めることにする。

そこで最初に挙げるのは、やはりなんといっても(というのはあくまで僕自身の内面における文脈に基づくものなのだが、そういうことをいちいち註釈として挟み込むのはうっとうしいだろうからこれを限りにそのへんはすべて、いやなるべく省略することにして)、「ラス・マンチャス通信系」だろう。

ご存じない方のために、というかほとんどの方はご存じないと思うのであらためて申し述べておくが、『ラス・マンチャス通信』は、2004年に新潮社から刊行された僕のデビュー作である。 

文庫化されたのは2008年で、そのときにはなぜか角川文庫から出ているのだが、版元が変わった経緯についてはまあ大人の事情があったということで見過ごしてもらうとして、その角川文庫版も今は事実上手に入らない状態になっていて、角川の電子版だけがかろうじて読める状態になっているという現状についてもまあまた別の大人の事情があったということで。

って、なんか気持ちいいな、これ。いろんなことがもう時効になってるっぽいのでなんでも好きに言える感じがする。いや、当時は八方に気を遣って言いたいことも言えずにいたんですがね、今となってはもう気を遣う対象そのものが存在しないに等しいので(特に角川方面に関しては)。

とにかくそんなわけで、作家としての僕の原点はこの『ラス・マンチャス通信』にあると思われ、そして作品としても、やはり最初に言及すべきなのはこれに連なる一連の作品なのかなと。 

まあでも今回は「序」なのでここまでです。『ラス・マンチャス通信』については語りたいことが山ほどあり、語りだしたらきりがなくなりそうなので。いや、語りたいことっていうのはつまり、僕がどうしてこのデビュー作の作風をその後ストレートに踏襲しなかったのかとか、おおむねそういったことなんだけど。

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