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2015年9月13日 (日)

極私的読書ガイド(10) ------ラスマンの申し子たち(7)

『ラス・マンチャス通信』系列の作品紹介にこれだけ手間取るとは。それも今回で最後になるが、なんだかんだいって、よくも悪くも、僕にとって「ラスマン」はそれだけ大事な作品だったということなのだろう。

『ここを過ぎて悦楽の都』(2014年)

Epicuropolis

理不尽ないきさつで勤め先を解雇された27歳の日夏充は、快楽を追求するための「エピキュロポリス」と呼ばれる人工都市の夢をくりかえし見るようになる。一方、再就職後の職場は、報酬などの条件は飛び抜けていいものの、指示系統もあいまい、業務の目的すら不明という謎だらけの企業。その中で充は、ただ一人の謎めいた部下・大槻砂李と次第に親しくなっていくのだが------といった物語。

この作品が「ラスマン系」なのは、ある意味あたりまえである。これはデビューより9年前の1995年に書いた同名の習作をリライトしたものであり、当時の僕は「ラスマン的なるもの」をひたすら追求していたのだから(ちなみに「ラスマン」第1章「畳の兄」に相当する同名の短編小説を書いたのは1993年のこと)。

リライトは全編に及ぶ大規模なものだったが、基本的なストーリーラインはほぼ手つかずにしていたし、オリジナル原稿の持つ「ラスマン風味」は極力損なわずに継承するよう努めた。そういう意味では、これもかなり真正な「ラスマンの後継作品」であるということができる。

しかしこの作品も、セールス的には惨敗としか言いようのない結果に陥った。

かつて、本が売れない売れないとしきりにブログで書いたり口頭で言ったりしていたら、担当編集者たちは、「そんなに売れないと言わない方がいい」とたしなめてきたものだが、売れていないのは事実であって、その事実を無視することもできないし、気づかなかったふりをして「俺はイケているはず」と自分をだますことも僕にはできなかった。

だってそんな、自分にとって都合の悪いことだけなかったことにするなんて、自己啓発と同じでしょ?(あ、なんか今さりげなくものすごい問題発言をしてしまった気がするけど、それは気づかなかったふりをしよう、自己啓発の流儀に一時的にあやかって)。

なんにしても、こうして「ラスマン系」の作品を軒並み振りかえって見てみてつくづく思うことは、「ああ、ラスマン系でセールスを上げようというのは土台無理な話なんだな」と。にもかかわらず、「ラスマン」を高く買ってくれて、少しでもそれに近い作品をあえて僕に書かせようとしてくれた各社歴代の担当編集者たちに対して今僕は申し訳ない気持ちでいっぱいである。ってなんか超嘘くさいな。------いや、感謝してるのはほんとなんだけど。

------なんかもうひとつ、ラスマン系作品の紹介を終えるにあたって言いたいことがあった気がするんだけど、思い出せない。まあ思い出したらそのうち言おう。たどりついたらいつも雨降り。 

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