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2015年9月14日 (月)

極私的読書ガイド(11) ------こぼれ話:ラスマン文庫化をめぐる真相と妄想

前回まで、『ラス・マンチャス通信』の系統を汲む作品について言及してきたが、よく考えたら『ラス・マンチャス通信』そのものをあまりちゃんと紹介していなかった。

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Lasman_bun

まあ作風としてはまさに「カフカ+(ガルシア=)マルケス+?」でおおむね正しいし、多くの人も指摘しているとおり、この作品のあらすじに当たる部分は文章化するのがきわめて難しいので、これ以上あれこれ書きつらねてもしかたがないかもしれない。

それより、この作品が単行本は新潮社から刊行されていながら、なぜ文庫は角川からだったのか、という点について疑問を抱いている人は一定量いる(というか、ある時期までは「いた」)だろう。今回はその疑問に応えようかと思う。

新潮社は、「ラスマン」を「うちでは文庫化しない」と明言したわけではない。まああそこは単行本時代に一度でも増刷がかからなかった作品はなにかよっぽどの理由がないと文庫化されないのが普通らしいので、その条件に当てはまってしまう「ラスマン」の文庫化は最初からハードルが高かったものの、道が完全に閉ざされていたというわけではない。

今年映画化された2作目の長編『忘れないと誓ったぼくがいた』(単行本は2006年、文庫は2008年)は、単行本時代にもわずかながら重版がかかったので、文庫化の話もスムーズだった。「まずは『忘れないと誓ったぼくがいた』を先に文庫化し、その売れ行きを見定めながら、『ラス・マンチャス通信』の文庫化についても検討したい」というのが、当時の新潮文庫編集部の方針だった。

僕はこれを聞いて、考え込んでしまった。先に文庫化した『忘れないと誓ったぼくがいた』の売れ行き加減によっては、「ラスマン」の文庫化が見合わされる可能性も十分にあるということではないか。

それだけなら、判断が下されるタイミングをただおとなしく待ち、どんな結果であれそれを甘んじて受け入れただろうが、その頃僕は、よかったのか悪かったのか、「新潮社さんがやらないなら、『ラス・マンチャス通信』はぜひうちで文庫化させてほしい」というオファーをあちこちから受けていたのだ。

くどいようだが、当時はまだこの作品も、少なくとも出版業界からは一定の注目を集め、期待されてもいたのである。具体的な社名を挙げることは控えるが、2008年時点で「ラスマン文庫化」に名乗りを上げていた出版社は、大手から中堅どころまで実に6社に及んでいた、という点だけは述べておきたい。

僕が作家デビューできたのは新潮社のおかげだし、「ラスマン」を本にしてくれた恩義もある。それに悖るような行動を取るのはいかがなものかという迷いも当然あったものの、待たされたあげく結局文庫化してくれないかもしれない新潮社より、「今すぐ文庫にしますよ」と言ってくれている他社の提案に飛びつきたくなってしまうのは、著者としては当然の心情ではないだろうか。

「ラスマン」は僕にとって記念すべきデビュー作であり、「これが本来、自分が書きたい小説なのだ」ということを示すポートフォリオのようなものでもあった。単行本であれ文庫であれ、僕はそれを常に誰でも手に入れられる状態にしておきたかったのだ。

そんなわけで、新潮社には詫びを入れつつ、僕は角川書店に文庫化をお願いすることにした。角川を選んだのは、会社としての規模などももちろんあるが、当時ちょうど「野性時代」での連載の話も来ていて、今後長くおつきあいすることになるだろうと(その時点では)思っていたからだ。

「ラスマン」文庫化をめぐって、僕は新潮社と喧嘩したわけでもないし、ましてそれをもって新潮社と手を切ろうなどと考えたわけでもない(その証拠に、その後も僕は計3タイトルの新作を新潮社から刊行している)。ただ、「ラスマン」の産みの親として、この子が最も幸せになれるであろう道を冷静に選んだだけなのだ。

その選択が正しかったのかどうか、今となってはよくわからない。まあああいう特異な作品は、どの社がどんな形でプロモーションしたところで、飛ぶように売れるということにはほぼならないだろう(「ほぼ」というのは、「本が売れるか売れないかは、本の内容とは究極には関係がない」という考えも僕にはあるからだ。その考えについてはいずれ機会を改めて詳述したい)が、それにしても角川文庫における「ラスマン」の現在のありようを見るにつけ、それがこの子のために選んであげられた最高の状態であったかというと、その点はきわめて疑わしいとは思っている。

なお、遅きに失した感もあるものの、ここでひとことだけ申し述べておきたいことがある。

「ラスマン」は現在、(古本を除けば)角川の電子書籍としてのみ手に入れられる状態になっているが、この電子化の契約を角川との間で交わす際、僕は往生際の悪いことに、「紙媒体による二次文庫化」については、この契約の効力が及ばないという点についてわざわざ先方の担当者との間で確認させていただいている。角川書店としては、「電子版に関しては角川が権利を占有する」としているだけだ。

つまり、現在でも、紙媒体を使用するかぎり、「ラスマン」を他社が文庫化することは可能なのだ。まあ今さらそんなリスキーな企画を起こそうとする物好きな出版社もないだろうが、参考までにお伝えしておく次第である。もし万が一、そこにあえて名乗りを上げたいという奇特な方がいらっしゃるなら、僕はいつでも両手を広げて熱くその意を歓迎したい。------この不憫な長男を現在の落魄の境地から救い出してあげるために。

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